わたしたちは15年を1日に変える
紫乃遼
ぬいぐるみが蘇らせる希望と切なさの繰り返し
「ほんとに死んだんだね…」
最近はろくに家にも帰ってこないで浮気三昧だったのに、いざ死なれると良い思い出ばかりが頭をめぐる。梓は告白と同時に手渡された薄紅色のくまのぬいぐるみをそっと頭の横へ乗せる。もう15年前のくまは、梓がどれだけ丁重に扱おうと黒ずんでしまっていた。
「じゃあ、また…」
荼毘に付した、はずだった。炉に見送ったはずで、骨も拾ったはずだった。なのに彼は、今ここにいる。
「ごめん梓、もう浮気なんてしないから」
交際を始めたときと同じ若々しい顔で、彼はそんなことを言う。結婚してからは梓がどれだけ嫌がっても浮気をやめなかった彼は、白いうさぎのぬいぐるみを差し出しながら玄関で頭を90度下げた。
「翔平、ただいま」
もう死亡届も出してしまい存在しないことになった翔平の代わりに梓はフルタイムで働いていた。家事は翔平がしてくれている。昔には考えられなかったことだ。仕事はしても生活費は最低限。家事なんて自分が脱ぎ捨てた靴下すら触ろうともしなかったのに。梓が家を空けている間、出かけている様子すらない。浮気を疑う余地なんてなかった。
なにより、翔平は優しくなった。
「梓、おかえり。風呂わいてるよ。ごはんもできてる」
「疲れただろ? マッサージしようか?」
子どもを望むにはやや年かさになっていた梓をいたわるメイプルシロップに似たまろやかな優しさの日々に流され、もうすぐ15年が経とうとしていた。
最初こそ驚きがまさった梓だったも、最近よく考える。
(翔平はやっぱり、あの日から15年後に死んでしまうのかな…)
事故死だった。時間が戻ったわけじゃない。翔平だけが若返った。翔平の人生だけが巻き戻ったのだとしたら、やっぱりあの死は避けられないのだろうか。
「梓、いってらっしゃい」
未だに収穫したての苺のような甘酸っぱさを含む声に送り出される。
家には帰れなかった。笑い皺の増えた憎めない笑顔ではなく、横から突っ込んできたトラックが最後の光景になった。
(わたし、死んだんだ…)
やわらかな布団に横たえられている。口に詰められた綿が苦しいようで何も感じない。そうだ、今度はわたしが見送られる番だ。
「ごめんな梓。またな」
翔平がこの15年で黄ばんだうさぎのぬいぐるみを枕元に置く。
気がつけば家の前にいた。手には新品の虎のぬいぐるみ。
「翔平」
「梓、おかえり。お風呂わいてるよ」
翔平は死ぬ前の顔で笑う。梓は15年前の顔で笑った。
わたしたちは15年を1日に変える 紫乃遼 @harukaanas
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