第二章 早過ぎる再会【KAC20232】

いとうみこと

第2話

 かおりの脳内では、またしても昨日のあの場面が再生されていた。その度に頭をぶんぶん振り地団駄を踏んで払い除けようとするのだが、暫くするとまた再生されるその繰り返しだった。そんな状態で作った目の前のアレンジメントはとても売り物になりそうもない。


「今日はやめておこう」


 香は今しがた刺したばかりの花をベースから抜き始めた。


 香は兄夫婦が経営している駅近くの花屋で働いている。彼女のアレンジメントはこの界隈ではかなり人気があるらしい。兄の和也が言うことなので当てにはならないが、手頃な価格のアレンジメントは店の稼ぎ頭なので満更でもないかもしれない。


 その大切な商品が満足に作れないくらい香は昨日の出来事を引き摺っているのだ。あの男に論破されたことはもちろんだが、ひと目も憚らず大声を上げたことが何より恥ずかしい。


「もうあの本屋に行けないじゃないの! 全部あいつのせいだ!」


 思わず声に出したその時、来客を知らせる店先のチャイムが鳴った。こんな時に接客するのは気乗りがしないけれど、生憎兄たちは配達に出ている。仕方なく作業場から顔を出すと、店先でひとりの男がアレンジメントを見ていた。香は何故か嫌な予感がして歩みを止めその場から声を掛けた。


「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」


 こちらに視線を向けた男の顔を見て香は声を上げそうになった。それは間違いなく何度も脳内で再生されたあの顔だった。


「ちょっとお待ちください!」


 香は忘れ物でもしたかのように作業場に飛び込み息を潜めた。あの男が客として来ることなど予想だにしなかった。


「ねえ、どうすんの? どうすんのよっ!」


 小さく叫んでみたものの妙案は浮かばない。隙間から覗くと男はまたアレンジメントに視線を戻していた。このまま出ていかないのは不自然だ。時間が経てば経つほど疑念を抱かれ、逆に探りを入れられるかもしれない。


 その時ふとショーケースに映った自分の姿に気づいた。花屋の作業場は寒いので防寒用の帽子を被りもこもこのフリースと暖パンを着ている。その上から魚屋さんが付けているような防水のエプロン、腕には袖カバー、足にはゴム長靴。この姿を昨日の春色の花柄のワンピース姿の私と結び付けられる人はそんなにいないはずだ。しかもあの男はかなり度の強い眼鏡をかけていた。近くに行かなければきっと気づかれない。香は帽子を深く被り直すと、意を決して作業場を出た。


「お待たせして申し訳ありませんでした。何をお探しですか?」


 少し不自然ではあったが、離れた位置からそう声を掛けると男はゆっくりとこちらを向いた。手には昨日の本屋の袋を抱えている。香の胸がチクリと痛んだ。


「アレンジメントを作ってもらいたいんです。篭に入っててこれよりもう少し大きいのを」


 男が指差したのは両掌に載るほどの竹の篭に色とりどりの花が溢れんばかりに詰め込まれ、蜜蜂のオーナメントを刺したこの店で一番人気のアレンジだった。


「それで、そのかごの中に一緒にこれを入れて欲しくて」


 そう言うと男は袋に手を突っ込み、ガサゴソと本を取り出した。


『花と蜜』


 全国の養蜂家に取材して撮影した花と蜜蜂の写真集で、この店と取引のある花き生産農家の息子が写真家として初めて出版した本だ。店の棚にオブジェとして置くために香は以前からこの本を買うつもりでいて、昨日たまたま駅前の本屋で見つけたのだった。


 あの後、香がスマホで本のタイトルを検索してみるとすぐさま複数の売り場が表示された。男の言うとおり、香がその気になればいつだって手に入れることはできたのだ。『運命の邂逅』でないことは香にもわかっていた。


「それとこれも」


 香の思いなど知る由もなく、男は本をショーケースの端に置くと袋の中から黄色い小さなぬいぐるみを取り出して本の上に載せた。蜂蜜が大好きなあの熊だ。


「できますか?」


「え、ええ、もちろんです」


 香は戸惑っていた。目の前の男はどう見ても昨日のあの男だ。髪が少し整っているかなと思うくらいで、見た目は昨日と全く変わらない。しかしその雰囲気は昨日のあの不躾で傲慢そうな男と同一人物とは到底思えない程穏やかで謙虚なのだ。


(もしかして、双子?)


「あの〜、おいくらですか?」


「あ、えっと」


 香はいつになく挙動不審に陥っている自分が情けなくなってきた。


(香、しっかりしなさい! 相手がどうであれこれは仕事! ちゃんとしなきゃだめ!)


 香は背筋を伸ばして男に向き直った。


「ご予算はいかほどですか?」


 男は昨日と同じ仕草で頭をポリポリと搔いた。


「こういうの買ったことないんでよくわからなくて……いくらくらいが普通なんでしょう?」


(うん、買ったことなさそうって思ってたよ)


「大きさや花の種類によって色々なんです。因みにお祝いですか? それともお見舞ですか?」


「え? その情報必要ですか?」


(この言い方は昨日に通じるね)


「はい、例えば病室ですと使えるお花も限られますので」


「へえ!」


「それにお相手の年齢や性別や好みでもアレンジを変えたりします。情報は多いほど有り難いです」


「そうなんですね。わかりました。目的はお見舞いで、対象は小学五年生の女の子です。病院の四人部屋に入院中です。好きな色はわかりませんが、ランドセルは薄紫色です」


(意外と素直なのね)


「ありがとうございます。とても参考になります。それでしたらこのくらいの大きさの篭で四千円前後でご用意できると思います」


「じゃあ、それでお願いします」


 香は平常心を取り戻しいつも通りに注文書を書いた。


「桃野様ですね。それでは夕方六時にお待ちしています」


「よろしくお願いします。何かありましたらこちらに連絡してください」


 そう言うと男はカウンターに一枚の名刺を置いて立ち去った。その背に向かってお辞儀をした香は顔も上げずに深いため息をついた。


「よつ葉システム開発……」



           つづく

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第二章 早過ぎる再会【KAC20232】 いとうみこと @Ito-Mikoto

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