要求と脅迫

「……これらの火災事件による犠牲者のリスト? つまり、あの火災に巻き込まれたのが誰かってところを知りたいってことか?」


「うん、大体そんなところ。犯人を特定するなら間違いなく必要になると思うからさ、上の人に話通して私のスマホとパソコンにそれ送っておいてくれない?」


 電話越しでも戸惑っていることがありありと分かる壮佑の声に、零は上機嫌な様子でそう返す。無言になった通話相手の背後からは僅かな話し声が聞こえて来て、今壮佑が事務作業に当たっていたこともなんとなく把握できた。


 少し前に資料を渡して零のもとを去ったばかりなわけだし、大方まだ連絡が来るなど想定もしていなかったのだろう。慌てた様子を隠さないその声色に、零は往来の中で意地の悪い笑みを浮かべた。


「……訳も分からずいきなりやる気を出したかと思ったら、そこから半日も経たないうちに要求してくるのが犠牲者のリストだとはな……。正直、やると言いながらなかなか腰が上がらないんじゃないかとか思ってたよ」


「失敬だなあ、君だって私がこれまで解決してきた事件のことを知ってるでしょ? 一度やると決めたら勤勉な方なんだよ、私は」


「勤勉になるまでが長かった印象しか俺にはないんだけどな……資料を受け取ってから調査に当たるまでの実行速度が今までとは段違いだぞ?」


 不満をあらわにする零に対して、しかし壮佑はどことなく強気だ。零本人と向き合っていないのもあって、どことなく気が大きくなっているのかもしれない。……まあ、そういう単純なところがあるからこそ零と悪くない関係を築けているのかもしれないが。


「私だって理由があれば急ぐよ。……アイスティー、この事件が終わるまではお預けにするって決めてるし」


「まだそのアイスティーとやらのことを言ってるのか……。まあ、それがお前にとっての原動力になってくれるなら好都合だ。犠牲者の身元が全員判明したわけじゃないし、火災当日の入居者リストでも構わないよな?」


 アイスティーへの執着の強さに呆れつつも、壮佑は話を前へと進めていく。なんだかんだ口うるさくはあるが、そうするのは常に迅速な事件解決を望んでいるからだ。だからこそ一度動き出した零には協力的だし、調査のやり方に口出しをしてくることもない。堅物刑事の様な見た目をして清濁併せ呑むことにためらいがないのだから、文月壮佑と言う人物も中々食わせ物だった。


「うん、もちろん。ホテルそのもの燃え尽きてるせいで残ってない部分とかあるかもしれないけど、出来る限り細かい情報まで拾ってきてくれると嬉しいかな。その人がどこから来てたかとか、何泊するつもりだったのかとか。……あとは、食堂とか部屋とか、本来だったら共同利用が出来るスペースが貸し切りにされていなかったかとか」


「分かった。ホテルの使用状況はデジタルで管理されてるから、情報の欠損については気にしなくても大丈夫だ。……もっとも、貸し切り状況などにアクセスすることが出来るかは分からないが」


 零の要望を全面的に飲む姿勢を固めていた壮佑が、その一点だけにおいては言葉を濁らせる。顔が見えなくても明らかに分かるその異変に、零は眉をピクリと吊り上げた。


「……悪魔憑きによる大規模な犯罪だし、警察の捜査権限は強いんじゃないの?それを使えば、部屋の状況の一つや二つ――」


「いや、そんな単純にもいかない可能性がある。……貸しきりにした理由によっちゃ、あのホテルにはとても強い守秘義務が生まれてる可能性があるからな」


 零の言葉を途中で遮って、壮佑はどこか複雑そうな声でそう告げる。調査を遮りうるその可能性は、迅速な解決を阻む途轍もなく厄介なものだ。壮佑の口ぶりからするに、その可能性が起こりうる原因がロクなものじゃないのはなんとなく想像がついた。


――だがしかし、その通告を受けて零は口元をわずかにほころばせる。……まるで、獲物を見つけた肉食獣が内心で快哉を叫んでいるかのように。


「へえ、そんな可能性まであるんだ。……ちなみに、それが起こる確率はどれくらい?」


 その獰猛さは内側に押し込めたままで、零は世間話でもするかのように続けて問いかける。それに対してしばらく沈黙した後、少しだけ気まずそうに壮佑は口を開いた。


「……低く見積もっても八十パー、悪けりゃ九十五パーは起こる話だと考えてくれていい。まだ裏を取ってる途中だが、少しばかり無視できない話がこっちにも届いてきててな」


「ふうん、そりゃ大した確率だね。警察の要求すら跳ねのけられるってことは、相当外には漏らしたくない情報がそこにはあるってわけだ」


 壮佑の返答に、零はむしろ嬉しそうな様子でそう続ける。事実、零は内心で安堵していた。情報の秘匿が起こる確率が三割とかであるのなら、零の推論は全て振り出しに戻さなくてはいけなくなるところだったのだから。


 ホテルが何かを隠しているのなら、それは一般の人間ならば間違いなく知り得ない情報でなくてはいけない。――、その情報を手にできるチャンスなどないに等しいくらいに。


「……ああ、お前の思ってる通りで間違いない。もちろん、俺にできる限りのことは試してみるつもりだが――」


 そんな零の思惑など知る由もなく、壮佑は申し訳なさそうに続ける。どこまで行っても壮佑はただの一警察官でしかないし、やれることの限界があるのは仕方のない事だ。警察だって一つの組織、その中にしがらみがないと言えば全くの嘘になってしまう。それを理解していないほど、零だって世間知らずではないのだ。


「――文月君、死んでもその情報を私に回して。君の立場も役職も、何を天秤にかけてもいい。確率がゼロパーセントじゃないなら、どんな手を使ってでもその情報を私に頂戴」


――まあ、その事情とやらを考慮するかどうかはまた別問題だが。


 壮佑の丁寧な説明を全て踏みにじって、零はあくまですべての情報を要求する。さしもの壮佑も、それには戸惑いを隠せないようだった。


「何をしてでもとは、また大きく出てくれたもんだな。ずいぶん真剣な口調だが、冗談だって自白するなら今の内だぞ」


「冗談でも何でもないよ。……これは、君が支払うべき代償だ。特命祓魔師である私を動かしたことへの、ね」


 声を一段と低くして、零は壮佑の言葉を切り捨てる。その声色は、ナベリウスの名を呼んだ時のものとよく似ていた。


 特命祓魔師と言う肩書は、零にとってあまり好ましいものではない。これのせいで巻き込まれたくもないようなことに巻き込まれることも多いし、何度も苦労を被って来た。……だが、それを飲んできたのは今この時の為なのだ。被らなくてもいい苦労を被ってまで肩書を名乗り続けたのは、今のため。


「……このまま悪魔憑きを放置したら、近いうちにまた特定の場所をターゲットにした大火が起こる。それが終わったら、次は無差別の連続火事事件が起こるだろうね。……そうだな、ちょうど十年前に起こったみたいなやつが」


「……十年前、の」


「そう。今みたいな理性のある燃え方なんてせずに、あたりにある物を手当たり次第に燃やして回る大災害。……警察として悪魔憑きに関わっているのなら、知らないなんて言わせないよ?」


 まるで未来を見ているかのように、はっきりとした口調で零は告げる。軽やかな口調で紡がれるその言葉は、壮佑に対して――否、警察に対して何よりも重い『脅迫』だ。……ほかならぬ黒宮 零からその事件が持ち出されることは、警察組織にとって絶対を意味する。


「……分かった。何をしてでも、ホテルの詳細な情報を掴むと約束しよう。……だが、お前にも責任は背負ってもらうぞ?」


「うん、もちろん。君の事だから私との通話くらい録音してるだろうし、脅迫材料としてそれを使ってくれても構わないよ?」


 壮佑の問いに零がノータイムで応えると、壮佑が微かに口ごもるような音が通話口から聞こえてくる。大方図星と言ったところだろうが、それが表に出るようではまだまだ甘いと言わざるを得ない。……まあ、駆け引きが上手くなった壮佑と言うのもそれはそれで嫌だが。


「それじゃ、私はもう少し調査を続けるから。……成果、期待してるからね?」


 言葉に詰まる壮佑にそう言い残して、零は通話終了ボタンを押す。そのことを確認して、通話の間ずっと押し黙っていたナベリウスは口を開いた。


『……随分と、えげつないやり方をするんだな?』


「ま、私の中で確信に至るには十分すぎるくらいの状況証拠は揃ったからね。データ化してるから火災に巻き込まれても無傷とか、最近の技術にはホント驚きだよ」


 ナベリウスからの問いに、零はどこかピントを外したような答えを返す。ナベリウスの言葉を真剣に取り合わないことがあるのはいつものことだが、今回のそれは明らかに露骨だった。その違和感に、内心首をひねっていると――


「――ねえ、


 事務所に続いてまたしても零に名前を呼ばれ、存在しないはずの背筋が凍るような錯覚をナベリウスは覚える。その声はとても冷たくて、視線は燃えつきたホテルだけを向いていて。……彼女に憑く悪魔しか知らない危うさが、そこにはあって。


「今回の事件、私は本気で行くつもりだから。……猫を被る準備、しておいてね」


『……お前がそうするつもりなら、オレに止める権利はねえよ。……ただ、オレの存在だけを頼りにしたプランニングはやめてくれよな?』


――その本気を分かってしまっているからこそ、ナベリウスは冗談めかした予防線を張る事しかできなかった。

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