拙なるも功なるなかれ

北浦十五

何故、日本に「かな文字」が生まれたのか?



 タイトルの「拙なるも功なるなかれ」は中国の明末みんまつの書家、傅山ふざんの残した言葉です。


 全文はこのようになります。



むしせつなるもこうなるなかれ


むししゅうなるもなるなかれ


むし支離しりなるも軽滑けいかつなるなかれ


むし直卒ちょくそつなるも安俳あんばいなるなかれ




 この言葉の意味は要約ようやくすると次のようになります。



 多少、下手な書よりも技術だけで心の込もっていない書の方がいけない。多少、カッコ悪い書よりもびた書になる方がいけない。多少、バランスが悪くても軽はずみになめらかな書よりもマシだ。ありのまま真っ直ぐに書け。あれこれ巧妙に考えすぎるな。



 これは「モンキーターン」と言うマンガが代表作になっている河合克敏かわいかつとしさんの高校の書道部を描いた「とめはねっ!」と言うマンガの最終巻の一節です。この「とめはねっ!」は連載当時から「高校の書道部ブームの火付け役」とも言われ、2010年には朝倉あきさんがヒロイン役でNHKでドラマ化もされています。ちなみに私は「帯をギュッとね!」と「とめはねっ!」は全巻揃そろえていますが「モンキーターン」は1冊も持っていません。



 カクヨムコンが終了してから私の中の「小説を書きたい」と言う意欲が薄れてしまいました。理由は私にも判りません。年度末が近くなって来たのでリアルの方がより多忙になった、と言う事も一因としてあるのかも知れません。しかし、そんな事は単なる言い訳に過ぎない事も私には判っています。


 このような場合はあまりジタバタせずに「書きたい」と言う意欲が私の中に湧いて来るのを待つ方が良いと判断する事にしました。連載中で続きを書いていない作品が幾つかあるのに、このような判断をするのは無責任な行為である事は重々承知しております。これに関しては深くお詫び致します。


 今の私の現状は「スランプ」では無いと私は思います。「スランプ」とは書きたい意欲はあるのに、それを文章に出来ない。しくは、お話を進めて行く上で良いアイデアが浮かばなくて苦しい。このような状態を「スランプ」と言うのだ、と私は思います。今の私は、そもそもの「書きたい」と言う意欲が薄れているのですから。


 私に全く時間が無い、と言う訳でもありません。毎日、カクヨムにはログインして応援コメントには返信を書いていますし他の作者さまの作品も拝読させて頂いておりますから。


 執筆と言う作業から解放 ? された私は時間だけは作る事が出来ました。それでヨウツベの動画を観たりDVDを観たりCDを聴いたりしていましたが、何か今1つ物足りない気持ちがありました。空虚感くうきょかんと言うには大げさですが。そこで本棚から色々なマンガを引っ張り出して読んでみました。それで上記した「とめはねっ!」と言う作品に再びハマった、と言う訳です。


 この「とめはねっ!」と言う作品は個性的な登場人物達によるストーリー展開が非常に良く練り込まれていますし、私はこの作者さまの少し硬い線で描かれた写実的なキャラクターが好きなのです。


 そして何より。


 書道と言う普段ではあまり馴染みの無い分野の入門書としても、知的好奇心をくすぐってくれるとても優れた作品でもあるのです。


 書道と言うと「何が書いてあるのか良く判らない」とか「どのような作品が優れているのかも判らない」と言った印象をお持ちになる方も多いかと思います。私もそうでしたから。それがこの作品を読む事によって「書道と言うジャンルが理解できた」とはおこがましくて言えませんが「書道とは何なのか? 」が少しは判ったような気がします。


 1つの例をあげれば「何故、日本でかな文字が生まれたのか? 」と言う疑問に対して主人公の祖母は以下のように語っています。



 日本人は、心の中を書きたくなったからです



 日本に漢字が伝来したのは4世紀後半と考えられています。

 それまで日本人は文字を持たない民族でした。それから中国や朝鮮半島と文書のやりとりを始めました。当然、その時の文書は漢文で書かれました。当時の日本人は話し言葉は日本語、書き言葉は漢文と言う時代がしばらく続きました。


 しかし漢文で文章を書いていた当時の日本人は、だんだんと漢文だけでは物足りなくなって来ました。それが上記した祖母のセリフ「日本人は心の中の事を書きたくなったから」に集約しゅうやくされています。



 奈尓波都尓佐久夜己乃波奈



 これは、680年頃に法隆寺の五重の塔に書かれたとされる落書きです。「なにわづにさくやこのはな」と読みます。これは「ひらがな」がまだ無い頃に日本人が日本語を文章にしたくて、漢字の読みを当てて書いたものです。これが最初の「かな」で「万葉まんようがな」と言います。


 「かな」を漢字で書くと「仮名」になります。仮の名と書いて「仮名」と。これに対して漢文を漢字で書くのは正しい使い方と言う事で「真名まな」と呼んでいました。この「万葉がな」の頃は主に行書ぎょうしょ、または楷書かいしょで書かれていました。


 しかし、それでは普通の漢字と「万葉がな」を同じ文章に使うと読みづらくなってしまいます。そこで昔の日本人は考えました。「仮名」を草書そうしょで書けば読みやすいと。これを「草仮名そうがな」と言います。今で言う「変体がな」です。


 例を上げたいのですが、私のパソコンには「変体がな」が入っておりません。この辺りはコミックスでは判りやすく説明しています。この「変体がな」から現在の「ひらがな」になる訳です。ちなみに私の祖母の本籍は「変体がな」で私の住んでいる地方都市の役所のパソコンには「変体がな」が入っており、保険証にはそれで印刷されています。そして、誰も読めませんし書く事も出来ません。現在では公文書でも普通の「ひらがな」で良い事になっています。


 さて、日本人がここまでして文章にしたかった「心の中」とは何だったのでしょうか?


 昔の日本人が「かな」を使って書いてきたものは和歌が1番多いと思います。醍醐天皇だいごてんのうめいにより905年から913年頃にかけて「古今和歌集こきんわかしゅう」が編纂へんさんされた時に次のような逸話が残っています。


 紀貫之きのつらゆきら4人の選者が任命されちまたにある歌を集めてみたところ、困った問題が起きてしまいました。普通に集めてみたら恋の歌が圧倒的に多かったのです。みかどの命令で国が作る勅撰和歌集ちょくせんわかしゅうが恋愛の歌ばかりと言うのはどうかなぁ ? となり、4人の選者の上司は恋愛以外の歌をもっと集めるように命令しました。


 そして、それでも足りない時には4人で歌を作ってでもバランスを整えなさい、と。結局「古今和歌集」約1100首のうち5分の1以上が紀貫之ら4人の選者が作った歌になってしまいました。


 つまり平安貴族たちは恋の歌、ラブレターを日本語で書きたかった。それで日本に「かな文字」が生まれたのです。


 私には、これがとても素直で純粋な事に思えるのです。今の私達が恋愛を題材にした作品を書くとして、それを外国語で書くでしょうか? 私には無理です。無理に書いたとしても、自分が納得できるモノは絶対に書けないと思いますから。


誰かが誰かを恋い慕う気持ち


この「気持ち」が「かな文字」が生み出された根底なのです。


 現在の日本語の文章は「漢字」「ひらがな」「カタカナ」で構成されています。特に留意すべきは「漢字」は表意文字であり「ひらがな」と「カタカナ」は表音文字である、と言う点です。1つの文章の中に表意文字と表音文字が入り交じっている文化は世界でも類を見ないものです。これによって日本語の文章は多彩な表現力を有するようになりました。私は、そんな日本語が大好きです。




 次にこのエッセイを書く機会がありましたら、「書」と「絵画」の類似点。「書」と「小説」の相違点。「小説を書く上での葛藤」等の私なりの私見を書かせて頂きたいと思います。ご要望があれば、ですが。


 

 最後まで読んで頂いてありがとうございました。







とめはねっ! 鈴里高校書道部


河合克敏


ヤングサンデーコミックス 小学館


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