エドゼル・ホワイトの災難
天勝翔丸
神のみぞ知る
第1話 「賭けますか?」「賭けませんか?」
回転盤が回っている。
紅と黒の枠、中央の十字が鋭く四方を分け切っていた。
ディーラー?
目の前に2人の女性が立っている。
ぷりっとした尻と開いた背中の肌が鮮やかなほど眩しい。
ベルがちりんと鳴った。
俺が座っているのは回転盤の前。他には2人の女性しか見えない。
俺は今日、へとへとに疲れて自分の部屋で眠ったはず。
ギャンブルなんてした覚えがないのに回転盤と机が妙に鮮明だ。
「「ようこそ」」
2人の女性が振り返った。
ぷりっとしていたのは尻だけじゃないらしい。大きな胸と露になったへそ。
そしてウサギ耳。長い髪と細長い手脚、スタイルは驚くほど良かった。
何より際立っているのは女性たちの眼が蒼と白だった事。
ようこそなんて歓迎されているようだが俺はこんなところに自分の足で来た覚えはない。
ギャンブルなんて大嫌いなんだ。
「「戸惑っていらっしゃいますね」」
喋ろうとするが口が開かない。
「「当然の事かと。大丈夫です。ここは健全で公正で純粋な賭けを楽しむ場。本当に楽しんでいただけると思います」」
俺はまっぴらごめんだと言うつもりで口を開こうとするのだが接着剤で固められたように少しも開けない。
「賭けますか?」「賭けませんか?」
どうにも状況が分からない。賭けるにも賭ける物が俺にはない。
あるかないかと問われたら賭ける気もないし、賭ける物もない。
それなのに俺は緩んだ口元から次に出る言葉が分かってしまう。
「賭ける」
すると、「賭けますか?」と尋ねたウサギ耳の白いバニーガール姿の女性が回転盤をノブを捻って回転を速くした。
「賭けませんか?」と尋ねた方の蒼いバニーガール姿の女性が俺の背後に回り込んで背もたれを掴んで前に押し出した。
机の端が俺の胸に押し付けられて痛い。
痛みがあるのに驚きながら悪態をこれみよがしについてやろうと蒼バニーを見ると彼女は綺麗に微笑んでそっと囁いた。
「ベットして」
賭ける物なんてない。ないはずだ。手は空っぽだ、ポケットだって軽い。
「賭ける物のない人なんていない。ただ気が付いていないだけ。知っていないだけ。あなたの手にはあらゆるものが握られている。さあ、賭けて、差し出して、曝け出して。差し出すために伸ばされた腕の分だけ近づける」
「なにに?」
「聞かないで。質問なんて無粋だわ。でも、忘れないでね。本当に賭けちゃいけない物を賭けた時にこそ本当のギャンブルが始まるって事を」
俺は思わず唾を飲み込んだ。
何か言おうとした言葉さえもその唾に連れていかれて出て来ない。その言葉は恐怖か戸惑いか、胃の中に入ってしまった今ではもう分からない。だけど、不思議と怖くはないんだ。
いつの間にか蒼バニーが俺の背後から目の前に移動していた。
白と蒼のバニーが並んで立つその間に大きな扉が見えていた。
取っ手もなく、ノッカーもない。満遍なく施された装飾がまるで俺に相応しくない扉としてあった。
それなのに中央に開かれている鍵穴が告げている。
俺に鍵となれと。
「ガスパール将軍が乱心されたそうだ」
食堂はその話で持ちきりだった。
以前から暗い話の絶えなかったガスパール将軍はついに邸内の侍女侍従を斬り捨てて、血に濡れた刃で自らの喉を掻き切ったらしい。
壮絶な最期を迎えたガスパール将軍を悼む声は多く、生前の労苦を労う言葉も絶えなかった。
生きているうちにその言葉が届いたなら犠牲は少なかったのかもしれないが、今となっては仕方のない事だと言う外ない。
「ちぇ、暗い話をさらに暗くしやがって嫌になっちまうぜ」
俺の隣で悪態をつく男はエンドリケリー。
悪い奴でもないのだが、かえって良い奴でもないという始末に困る性格の持ち主だった。
「おい、聞いてんのか?」
などと言いながら俺の小脇を肘で小突いた。
痛くはないが気にかかる。俺とエンドリはそんな仲じゃなかったはずだ。
「何だよ」
俺の言葉にエンドリは不満そうな目をするとパンを口の中に放り込んでむしゃむしゃと食べた。
ごくりと食堂中に響いたかのような大きな嚥下音を出したかと思うと奴は俺のスープの中からただでさえ少ない肉の一切れを掬い取るとそれももしゃもしゃと噛んで飲み下した。
ここでも僅かな違和感を覚える。俺とエンドリはこんな仲じゃなかったはずだ。
そもそも俺の昼食時の席取りはこんな位置じゃなかったはず。
もっと別の場所のはずだ。
ぐるりと食堂内を見回してみるが、以前までの俺の席取りがどこだったか分からない。だけど、ここじゃないという事だけは確かに覚えている。
長机の南角が空いている。
机の中央のフルーツ皿が邪魔で良く見えないがそこには誰も座っていないように見える。
俺はいつもあそこに座っていたのじゃないだろうか。
エンドリが立ち上がる。
制帽を小脇に抱えて立った拍子に乱れた前髪を整えて俺を見下ろした。
「おい、アダルフォ。お前、大丈夫か?」
俺を見て言っている。確かに俺にアダルフォと呼びかけた。
俺はアダルフォじゃない。
俺はエドゼルだ。
だけど、違和感はあった。朝、起きた時から体つきが変わっていた気がする。
ルームメイトは出かけているのか居なかった。
アダルフォ・ロレンツィオ。
若い男だ。田舎からやって来た優男。背は俺と同じくらいだが肉付きはアダルフォの方が良かった。
「しっかりしろよ」
俺がいつまでも答えないのでエンドリが頭をぱんと叩いて歩き去って行った。その気軽さが今までにない気軽さで、俺というエドゼルがアダルフォにしっかりと変わってしまっている影響を感じた。
慌てて立ち上がった。
今すぐにするべき事がある。朝からの身体の違和感を調べようと思った。
食堂を出て洗い場へ行く。炊事を行っていた当番の者たちが驚く顔で俺を見るが構っていられない。
水をなみなみとたらいに満たすと水面が静まるまで待った。
揺らぐ水面に映る俺の顔の断片が切れ切れに見えていた。俺はそのひとつひとつを信じられない気持ちで汲み取りながら、否定し続けていた。
俺の顔は外ならぬアダルフォだった!
エドゼルだ。俺はエドゼル・ホワイト。
何が一体どうなっているんだ?
俺がアダルフォであるのなら俺はどこにいる?
エドゼル・ホワイトはどこにいるんだ?
いずれにせよ俺たち二等兵はこれから歩哨訓練が始まる。俺もアダルフォも同じ二等兵で良かった。
準備を整えて俺は広場へと向かった。
同じ服を着て、同じ靴を履き、似たような髪型で、俺たちは整然と並んでいる。
エンドリの姿が見えていた。奴の背は俺よりも、いや、もうここではアダルフォと言った方が良いかもしれないが、このアダルフォよりも高かった。
そして集まった一同の中に俺の、エドゼル・ホワイトの姿はない。
そうだとも。当然だ、何故ならこの俺こそがエドゼル・ホワイトなのだから!
だが、俺と入れ替わったアダルフォもいったいどこへ行ったと言うのだろう?
俺たちは前進を始めた。
歩き始めた。
歩哨訓練は1週間にわたって行われる。
こんな不測の事態の中での訓練を俺は上手く乗り越えられるのだろうか?
いや、それよりも俺は今、多くの問題を抱えすぎている。
早朝に出発し、昼に15分の小休憩を取ってから日暮れまで歩き続ける。
昨年ではスレアンドラの丘陵にある旧駐屯地までは日暮れまでに到着していたらしいが、今年はそうはいかなかった。数日前の天候の乱れによって道が荒れていたのが影響したのだろう。
それにしても身体が変わったというだけでこうにもおかしな調子になるのだろうか。
いつもと違う。
日が完全に暮れてからテントと設営と夕飯の準備を組を作って行う。
折あしく俺の組はエンドリとその取り巻きのゲリー、そして俺・アダルフォだった。
「おい、アダルフォ。薪を寄越せ」
薪はもう手元に残っていない。俺はエンドリにそう告げた。
「馬鹿野郎、歩いている間に回収しておけって言っただろうが。忘れたってのか?」
「済まない」
「ったく、しっかりしろよ。お前、今日なんだかおかしいぞ?」
「済まない」
謝るしかない。そうか、道々で回収していたのか。知らない事がたくさん浮き出て来る。
質素な夕食を食べ終えて俺たちは言葉もなく眠りについた。この訓練中の夜は火を絶やしてはならない。3人1組で代わる代わる火の番をしなければならない。
最初に火の番をする事になったのは俺だった。
エンドリが眠りにつく前に俺の方をじろりと見た。俺になにか忠告をするべきだろうと迷ったようだが、その口からはなにも言葉が出る事はなかった。
薪の爆ぜる音だけが聞こえて来る。鳥や虫の鳴き声も微かに聞こえるが火に燃やされたように届かない。
俺はこうなる前の日の事を考えていた。あの日、一日は朝からあまり良くなかった気がする。起きた時から心底嫌な気分が広がっていた。
上弦の月が弧をなだらかにする分だけ切っ先が鋭くなっている。火の加減か夜闇の濃淡かは分からないがその月光は変に冷ややかに見えた。
揺らめく火を見ていると俺は急激な眠気に襲われた。
いや、駄目だ。ここで寝ちゃ駄目なんだ。
理由はたくさんある気がする。とにかく寝ちゃいけない。
自分に言い聞かせるのだが瞼は落ちて来る。首は垂れて来る。
いや、駄目だ。しっかりするんだ。指先を火の先にかざして焼けば目も覚めるだろう。頭の片隅でそんな強い目覚ましを考え付くと腕を火の方へと伸ばそうとするのだが、肩を持ち上げる事さえままならない。
しっかりするんだ………、寝ちゃいけない………。
考える事はたくさんある。アダルフォの事、俺の事、起こっている事、もしこれがどこかの誰かの仕業なら看過してはいけない事だ。国家の転覆すら出来そうな………。
………俺、エドゼル・ホワイトはいったいどこに居るんだろう………。
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