チュートリアル破棄する異世界転生

@Denpatounokai

第1話

――――気がつくと、真っ白な空間にいた。




上下左右、見渡す限りすべてがまっ白い。


壁も天井もなく、延々と白の空間が続いている。


まるで白く実体のあるドライアイスの霧のような地面。


ふわふわとした綿布団のクッションに立っているようで、とても頼りない。




その非現実感に耐えかねて、身体を見下ろした。




「なんだ あれ…」




一瞬、目に入ったものをひとまずスルーして自分の身体を確認する。




大丈夫。ちゃんと手はある。足もある。五体満足だ。


服装は、いつもと変わらない制服姿。




なのに、おかしい。




目では見えているのに、布の手触りが


感じられ ない。




この、現実とは思えない名状しがたい違和感。


それでいて、ただの夢とも思えない奇妙な存在感 。




肌に触れる大気や風の感触もないのに


「空気が揺らいでいる」という「結果」だけを脳内に直接送り込まれて酩酊する。






外部刺激が無いからこそ、純粋な不快感だけが神経に注入されている。


その不自然さが、この状態がリアルな危機であることを本能に訴えかけた。






なんだろうか。この名状しがたい違和感は。


そして、なんだろうか。この目の前にある「もの」は。




<もう一度 それを見る>




実のところ、肉体の―――感覚や空気の違和感どころではなく。


あまりにも「非現実的」な存在が目の前にあった。


意識できなかったわけではない。


むしろ「意識を逸らしたいからこそ」現実逃避していたとも言う。




<それ>は、目の前で土下座する――――<女>、とおぼしきヒトガタ。




長い髪の女性が、見事なDOGEZA姿勢で真っ白な地面に額を擦り付けていた。




視界内で最も強く自己主張しているのは光の煌めき。


透明感のある金の髪がきらきらと光を照り返しながら艶めいて白い床に広がっている。




体に薄い布がまとわりついているものの、肩口や襟ぐりは広く開けられ、白い肌が大胆に曝け出されている。衣服を構成する布は淡いピンク色だが、生地が薄いのか咲き立ての花弁のようにうっすらと女性の生身を透かしていた。




写真集のグラビアアイドルのような肉付きの、女らしさを前面に出したかのような体つき。一言で言えば―――扇情的で、官能的。総じて、男を誘うような雰囲気を漂わせている。




それを意識したタイミングで脳内に直接響く女性の声。


<申し訳ありません! 私の不手際であなたを転生させることになってしまいました!>




なんということだろう。


これはただごとではない。


おだやかではない。


どうして、こんな状況になっているのか。わけがわからない。




そもそもこの女は誰なのか。


少なくとも過去にあった記憶は無い。




こちらの当惑に気付いたのだろう。


彼女が顔を上げると、輝くような金髪に縁取られた碧眼がうるうると涙をたたえてこちらを見上げていた。一言で言えば絶世の美女、ではあるのだが。




顔を構成するパーツのそれぞれに、どこか既視感がある。


それでいて全体の印象に見覚えはない、そんなちぐはぐさが薄い紙のようにまとわりつく。




あと、細かいことではあるが。


こちらの許可も無く頭を上げるのは土下座の作法としていかがなものかとは思う。




<ああ、ごめんなさい。自己紹介が遅れてしまいました>




口は動かないまま、女の言葉が続けて紡がれる。




<わたしは女神アルテナ。こちらの手違いで貴方は寿命を迎える前に死んでしまいました。おわびにお望みのチートボーナス付きで別世界に転生をさせていただきますので、どうかお好きなスキルの選択を…>





これはあれか。テンプレ展開というやつか。


よくある異世界転生…に見えるこの状況。




だが、慌ててはいけない。


慌てる乞食は何も得られず地雷原に放り出されるのだ。


顎に手を当ててしばし考える。




「えーっと、記憶記憶…」


まずは、現状の把握だ。どうして今の状況になったのかわからない。


とりあえずなるべく新しい情報を思い出そう。




その様子に気付いたのか、自称「女神アルテナ」が心配そうな表情でこちらをのぞき込む。




<あなたは事故に遭ってしまったのです。それで命を落として…>




泡のように、ふわりと記憶が湧き上がってきた。


…そういえば、トラックに、轢かれた気がする。



目の前に迫ってくる巨大な壁のようなもの。


ヘッドライトが顔を照らし、光はすぐ足元へ…


≪ブロロロロロ…キキーッ…ドン!≫


けたたましい音と衝撃、そして暗転する意識…






そんな記憶だ。


まざまざと思い出される強烈な痛み。


口の中にあふれ出す血の味と鉄さびの匂い。




まるでたった今追体験しているかのように。


忘れていたことが不思議なほどに細部まで詳細に思い出せる事故の記憶。


それは疑いようもないほどに生々しく、リアルだった。




だが、だからこそ言い放つ。


「この記憶、ダウトだ」




<え?>


アルテナが表情を変えないまま、そんな”声”をもらした。




「おかしいんだよ。人間の身体は重篤な障害が残るほどのショックを受けた場合、脳の短期記憶領域STMの情報が長期記憶領域LTMに移送されない。だから死ぬ直前の記憶が残るはずはない」




<それは…たまにはそういうこともあるのではと>




女神はオロオロとしているが、鼻息ひとつで笑い飛ばす。




『ひぐらしのなく頃に』で梨花ちゃまが自分を殺した犯人を特定できず何度もループを繰り返す羽目になったのはまさにこれが理由だ。暴力的な死を迎えた場合、人間は自分を殺した相手の情報を記憶できない。




電車に轢かれた人間の例で言えば、事故前数十分ほどの記憶がぽっかり消えているそうだ。


なにせ病院に担ぎ込まれた同級生のリアル証言だ。一次情報として信憑性はとても高い。




なので実際に殺されたら、幽霊になったところで犯人が誰かわからないはずだ。もし復讐を考えるならば息絶える前に血文字でダイイングメッセージを残すのがオススメである。




もしも短期記憶領域STMのみに執着して幽霊化したとするならば死の直前の記憶は持ち越せるだろうが、その場合は逆に長期記憶領域にある自分自身のエピソード記憶を持ち越せない。自分が誰かもわからず、ひたすら死ぬ前の行動を繰り返し続けるような存在になるだろう。




つまり、先ほど湧き上がって来たこの「転生トラック」の記憶はとても疑わしいものであり。


自分の記憶ではあるものの、現在の状況との矛盾から信じるには高いリスクが検出された。


情報としてのリテラシーが低いのである。




そもそも人間の記憶はとても移ろいやすい。


過去の記憶は容易く風化し、美化され、忘却どころか改竄される。


それは脳というハードウェアの限界でもあり、死に対する恐怖を緩和させる福音でもある。


だからこそ人間は、自分自身を信じてはいけない局面はいくらでもあることを学ぶのだ。




「おやおや。今どきはゲームだってもう少し科学考証がしっかりしているというのに」




<げ、ゲーム? ゲーム世界への転生をお望みですか? それならあなたの好きなゲームそのままの世界に転生させることもできますよ! 『ステータスオープン』と唱えてみてください!『ステータスボード』が表示されますのでっ!>




食いつき気味に”女神”が言葉をかぶせてくる。必死すぎるのではないだろうか。




「ふむ…まあやってみるか。『ステータスオープン』」




するとたちまち、目の前の中空にどこかのゲームで見たような表示画面が浮かび上がった。




<はい、それが『ステータスボード』です!お望みのチートボーナスはなんですか?どんなスキルでも能力でもご要望通りにつけさせて頂きます!今回だけの特別サービスです!>




『ステータスボード』に手を伸ばしてみた。


指先の触れた場所の色が変わって指定状態になるものの、触った感触はない。


この表示画面…『ステータスボード』に実体はなさそうに見える。




右目を手で覆ってみるが、左目から見るボードの表示に変化はない。


両目を手で隠して指の隙間からのぞいても同様だ


どうやら外部から光学的に網膜に投影されているというわけではなさそうだ。




ボードの内容を確認する…うん、各種パラメータが数字と共に表示されている。




<チートボーナスでステータスも変更できますよ!ボーナス内容を決めて頂ければ、すぐ次の異世界に転生できますので、英雄になるも魔王になるも思いのままです!>






と、言われても比較対象がないからこの数字を見せられただけでは意味が無いな。


身長体重だってヤードポンド法とメートルキログラム法ではその数値はまるで別物だ。


『ちから』の最大値が255のドラクエと最大値が18のTRPGでは数字の重みが違う。


チートで力を100倍にしたところで、転生先の平均がその程度と言うことだってあり得る。




それどころか『ぼうぎょ』の数値なら大きければ大きいほど防御力が高まるのに対して同じ防御力を示すパラメータの『アーマークラス』は攻撃の『当たりやすさ』を示す数字なので値が低ければ低いほど防御力が高く、前衛であれば0を越えてマイナスになるのが普通だ。




だから比較対象の無い数字を見たところで意味はない。そのはずだが…。




「ひとつ、試してみるか」




『攻撃力』を示すパラメータの数値を見ながら、右腕に力を入れてみる。


「ふう…っ…」


さほど鍛えていないが上腕の筋肉が張り詰めて、みきっ、と関節が小さな音を立てた。




しかし、ステータスボードの数値はピクリとも変動しない。


力を入れて殴るときと力を抜いたとき、その攻撃力が異なることは言うまでもない。


つまり、ステータスボードの数値は実際の肉体の状態を反映していない。




こちらが疑問を持ったことに気付いたのだろう。


”女神”はあわてたように言葉を紡ぐ。




<それらの数字はあなたの能力の水準を示すものです。リアルタイムでの数値ではなくて、平均値とでも申しましょうか…>




平均値、だと? 馬脚を現したな。


「『平均値』を表しているならその算出方法の詳細が示されていなければならない。そして平均値だけでなく誤差の分散が表示されていないのはおかしい」




平均の計算過程ひとつ取っても、相加平均と相乗平均がまるで違う値を出すことは小学生でも知っている。そのデータのサンプリング量が少なければ誤差を示すエラーバーは巨大なものとなり、データの信頼性が皆無であることがわかる。


これら詳細な算出方法が明かされていないのであれば、この『ステータス』に意味はない。




そもそも、無数の要素が影響する多変数の現実世界において、個人の能力を数値化することは問題が多いのだ。「実力が発揮できなかった」と思う経験は誰にでもある。人間を含め、生物は自分のポテンシャルを常に全開できるような構造をしていない。


競馬ではレース前に競走馬に一定の距離を走らせて情報を公開するが、この数値をアテにして馬券を買うとだいたい痛い目を見る。現実世界とはそんなものだ。




人間の能力なんて精神状態ひとつですら大きく変動する。負傷や疲労の影響もある。脳内の神経回路の状態によってはイップスだって起きる。固定値に換算してはいけないのだ。






『ステータスオープン!』はゲーム転生ものでよくある要素だが、そもそも能力やスキルがステータス通りの結果を示すほどパラメータで管理されているなら、自分がいるのが現実の異世界ではなくVRに近い仮想空間だと気付くべきだ。もしくはそのような特殊な物理法則が存在する神の手のひらの上の箱庭か。いずれにしてもそんな転生は遊びでしかなく、サーバーの管理者に自らの命運を委ねてしまうのと何も変わるところは無い。




まあ、万に一つの可能性として。




いまここにいる自分が本当に自動車事故に遭ったのだとしたら、脳のみが生かされて外界の刺激が無いのに意識だけが覚醒している『閉じ込め症候群』による精神崩壊を避けるため、フルダイブ電脳VR空間か何かに接続して治療のための時間を稼いでいる可能性もある。




そういえば『世にも奇妙な物語』のショートショートにそんな話があったなあ。




――――だが、その可能性は直ちに棄却される。




「もし本当にここが治療目的のVR世界であるなら事故の記憶なんてモノをわざわざ思い出させる必要はない。無駄に患者の精神的負担を増やすだけだからな。つまり異世界転生という状況そのものが嘘で、ステータスで管理されるような状況下にこちらを送り込もうとしており、さらに敷衍するならば先ほどから要求されているチートボーナスという手段で何らかの害を及ぼそうとしていると考えるべきだ」




<い、いえ、そんな…。わたくしはただ女神として不幸なあなたを救おうと…>




やはり”女神”の口は動いていない。念話しか使ってこない。


表情も数種類のパターンしかなく、どこか作り物めいていて。


まるでグラビアの写真から気に入ったパーツを集めてきて組み上げたような印象を受ける。




こちらを救うと言いながら、実質的には箱庭に拘禁しようとしているこの矛盾。




矛盾と言えば、いま自分が相対している”女神”そのものにすら疑わしい点がある。




「貴様が本物の神であるなら、死後の人間を管理する上位者ということだろう? しかし、牧場主は家畜が死んだからって悲しむことはあるにせよ土下座したりはしない。手違いをしてしまったところで、謝るのは『同格以上の存在である神』に対してのみだろう。人間に土下座する神、と言う状況からして裏があると言っているようなモノだぞ」




<…っ!>


”声”の反応が揺らいだ。




「この状況を合理化できる可能性は2つある」




口元に指を一本立ててみせながら言葉を紡ぐ。




「ひとつ。『君と同格以上の神に対し、記憶を操作し人間と思い込ませることで適当な世界に封印しようとしている』…実にファンタジーだね」




指を二本に増やし、目元で横に傾けた。


メガネのフレームのように、指で切り取られた画角の中で”女神”を観察する。




「そして…もうひとつ。『そもそもこの状況すべてが偽りのペテン』」




前者は極めて限定された状況すぎて、可能性としては低い。


それならば高い確率で状況は後者と考えるべきだろう。




<・・・・・・>




女神の表情は動かない。




「本当に神なら人間ごときに承諾を得る必要は無い。チートボーナスの付与だろうと転生だろうと勝手に何かしらやるだろう。聖書には天罰を下すときも祝福を与えるときも神が人間の了解を求めたなんて記録はどこにもない」




びくり、と”女神”の体が震えた。




「つまり、いま目の前にいる存在は神などではない」




相手の同意…『契約』を必要とする何か。


そしてこの超自然的な体験を与えうる存在。




ピン、ときた。




「おまえは…『悪魔』ってやつか?」



<あああああアアアア”ア”ア”ア”ア”!!>




悲鳴と共にどろどろと、自称『女神アルテナ』とやらの姿が崩れてゆく。


その下から現れたのは醜悪にねじれ紫色の体色をした鳥ともトカゲともつかない異形。




「そういえばキリスト教のエクソシストは『悪魔』の正体や名前を言い当てることで悪魔を祓うのだったな。理屈や原理は不明だが、そういう存在と理解しておくほかなさそうだ」


<ギイイイイィィィィ…>




悪魔の体表からはブスブスとくすぶるような音がして、黒い煙が上がっている。




ダメージがあるようだがこの場を立ち去らないのは、まだ契約が成立する可能性があると思っているのか、あるいは契約勧誘の最中は逃げられない縛りがあるのかも知れない。




「ならば目的も見えてくる。『悪魔』は人間の願いを叶えた代償として魂を奪うのだろう? チートスキル付与というカタチで人間の望みを叶えてやれば条件は満たせるというわけだ。異世界というのも結局のところ現実で望みを叶えるより楽な…夢の世界と言ったところか。現実でチートが可能ならわざわざ異世界に移動せず、日本 でチートスキルを与えるはずだ」




夢の中でチート無双して、夢の世界で死んだらその魂が悪魔のものとなる。


これが異世界転生のカラクリというわけだ。



夢を操る悪魔といえば夢魔。




「実にチープな契約詐欺だ。<夢魔>はたしか最低ランクの悪魔だったか?その通りだな」


<ギィヤアアアア…>


さらに<正体>を特定されて、<悪魔>はぐずぐずに溶けてゆく。




時を同じくして周囲の白い空間が崩壊しはじめた。


どうやら目覚めの時が来たようだ。


「つまらん出し物だったな。どうせならもう少し手の込んだ詐欺を仕掛けてほしいものだ。楽しくユメに溺れられるほどに」


<・・・ ・・ ・ >




悪魔はもう液状に崩れていて、声を発することも出来なくなっているようだった。




* * *






目を開く。




木目の目立つ、いつもの天井。


天板が折れていて寝るのに少しコツがいる、いつものベッド。




変わらない目覚めの光景。




やわらかな朝の光が窓に張られた遮光カーテンの裾から射し込んでいた。


自分に身体があることを確かめるように、中空へと右手を伸ばす。




大丈夫。違和感はない。今は、まだ。




夢の中の記憶は、風に巻かれる砂埃のようにさらりと意識の中からこぼれて消えていった。



「さて、どんな夢を見たのかな」


もう思い出せないが、なにやら愉快な夢でも見たようだ。


心がいつもより軽い。




きっと、誰かをやり込めて少しばかりのストレス解消が出来たのだろう。


それが夢の中であろうと、ストレスが解消できるのは貴重な機会だ。




弾みをつけてベッドから冷たい床に降り立ち、窓際のハンガーにかけられたままの学校の制服を手に取った。チラリと時計を見たところ、登校まで余裕はさほどなさそうだ。


今日は月曜日。くだらない同級生や教師を相手にしなければならない、ストレスに満ちた学校生活がまたしても始まる。




白と濃紺のセーラー服に袖を通しながら長い髪を後頭部でくるりとまとめ。いつか再びストレス解消できるような機会 が来てくれるといいのだがなあ、と観飾匡子みかざりきょうこは信じてもいない神に祈りクレームを送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チュートリアル破棄する異世界転生 @Denpatounokai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る