なかにひとなどいない。

arm1475

考えてはいけない。

 その世界では百年もの間、人類と魔族が闘い続けていた。

 今日も人間界に現れた魔族の先兵と思われる巨大な熊の怪物が、人類の住む街を目指して疾走していた。

 凶暴な姿だが、一方でどこか人間が着込んだ着ぐるみのような印象を持ったユーモラスさがある。

 しかし中に人などいない。注ぎ込まれた魔素で全身を動かしている、正真正銘の怪物である。

 それを追うのは、宮廷魔術省の下級職員であるリンと、リンが先日知り合ったばかりの美女。

 自称、魔王、否、魔界を追放された元魔王の古書店店長である。

 魔王はリンを小脇に抱えて疾走していた。無様に抱きかかえられているリンは困惑を隠しきれずにいた。


(どうしてこうなった)



 ランス王国の宮廷魔術省の職員であるリンはある日、城下町の外れに正体不明の店舗を見つける。

 そこが魔族の長である魔王が魔界から追放されて、人間界で構えた店だと知って驚くが、困ったことにその店が自分以外の者には何故か認識出来ないらしい。おかげで上司に報告することが出来ず、仕方なく自分一人で魔王の動向を監視するため毎日通う羽目になってしまった。

 どう言う思惑か不明だが、その店主である魔王は人類に一切敵意は無く、手持ちの金が無いために私物の魔導書を泣く泣く売って生活していた。


「……ていうか、あたし以外認識出来ない状態で客商売なんか出来るんですか?」


 リンはこの奇妙な現状を店主の魔王に突きつけるが、町食堂のテーブルの向かいで件の魔王はミートスパゲティを一心不乱にむさぼり続けてて何も答えない。


「……そんなにお腹すいてたんですか?」


 魔王はスパゲティを頬張ったまま首を縦に振った。

 見た目は普通の人間、否、同性の自分から観てもかなり魅惑的な美貌の主である。食欲に溺れていなければ周りの男たちから言い寄られてもおかしくは無い。誰も言い寄らないのは、リンが見かねてご飯をおごるを言ったら尻尾を振って付いてくるような残念美女だからであろう。

 残念美女はやがて大皿十三枚を平らげ、膨れた腹をポンポン叩いて極楽そうな顔で椅子にもたれ掛けていた。


「流石に2週間も水以外口に出来なかったからねぇ……まともな飯にありつけなかったから有り難かったわぁ」

「まぁあの本の代金もあったし……ってよく生きてましたねソレ?」


 リンはが、人類が百年もの間戦っている敵のおさとは信じられなくなった。


「魔素で何とか生体維持出来るから」

「魔族って本当に霞喰って生きてるんですか……」


 呆れるリンだが職業柄、魔族は人類と全く違う生態系の生物という認識はあった。だが人類はその生態を未だに把握し切れておらず、「あいつらは霞喰って生きてる」という噂さえあった。


「あくまでも応急よ応急。魔族でもちゃんと飯食わないと死ぬわ流石に」

「でも魔素をどうやって……あれは術式構成した魔術回路を元に魔術を行使する為の力の根源であって……」

「魔族には生まれつき魔素を還元する魔術回路を体内に持ってるの。ぶっちゃけ人類と魔族の違いってその魔術回路を持ってるかどうか」

「はぁ……」


 リンは魔王の説明に戸惑う。

 子供の頃より魔族は人類とは何もかも違う怪物のような存在と説明されていた。宮廷魔術省に務めるようになってある程度、現実の魔族の情報を得られる機会も増えたが、それでも人類と見た目が変わらないとは知らなかったのだ。おかげでこんなふうに町食堂で同じ食卓についても誰も気にとめないのだが。


「まーこんなナリだから注目浴びないよう魔素で魅惑度落としてるんだけど」


 いやそれだけじゃないです、とリンはツッこむ自分を堪えた。


「というか魔素ってそんな使い方出来るんですか」

「他にもあるわよぉ、物体動かすとか」

「物体?」


 リンがきょとんとすると、魔王は食卓の上にあるティーポッドをフォークでつついた。

 すると鎮座していたティーポッドがゆっくり動き出した。それはまるで躍っているようだった。


「これは――」

「ティーポッドに吾の魔素を注ぎ込んだ。その際意思を込めていたのでこのように動く」

「意思?」

「どういうふうに動けって魔素に概念を組み込むの。それに合わせてティーポッドに充満した魔素が動かしている。吾らには手で動かすのと変わらない。戦場で兵士とした使われているゴーレムやガーゴイルはそうやって動いてる」

「……やっぱり」


 リンがそう呟くと魔王がにやり、とする。


「リンちゃん、

「え」

使


 リンは言葉に詰まった。


。魔素で物理法則を制御する方法を研究してるんでしょ?」

「……はい」


 リンが研究していた魔素の制御技術。それは物体に魔術回路を組み込んで自在に動かすものだった。魔王はそれをリンの目の前でいとも簡単にやってのけた。

 魔王の言うゴーレムやガーゴイルのような人造生命体がどのように動いているのか、人類側では諸説あった。

 有力な説は魔素で動かしている可能性だったが、人類はそれをどうしても再現出来ずにいた。魔法で解明出来て利用しているのはあくまでも術式で構成された魔術回路の構築方法のみ、力の根源たる魔素は自然界に存在する水や空気のようなものとしか認識出来ていない。それほど魔素は未知なる存在なのである。


「吾が指南してあげようかぁ?」

「え」


 リンは心の中で湧いた淡い期待が実現しそうになって戸惑った。


「で、でもそれって……人類には……」

「いやー、吾はリンちゃんなら出来ると思うのよねー、んだからー」

「え……」



 町食堂を出たリンと魔王は、近所にあった雑貨店で小さな熊のぬいぐるみを購入し、城下町の外れにある魔王の店のそばにある空き地へ来た。街道から離れた場所で人通りも殆ど無い。人目に付かずにテストするにはもってこいの場所である。

 魔王はそこでこの熊のぬいぐるみを使って魔素による物体操作のやり方をリンに指南することにしたのだ。


「軽いぬいぐるみならリンちゃんでも動かせると思うから」

「はあ」

「まずそこにぬいぐるみ置いて、そしてその頭に手を当てて」

「あ、はい」


 リンは言われたとおりにする。


「でねー、頭の中で動け動けって考えながらぬいぐるみに力を注ぐ」

「力を注ぐって……」

「魔素よ魔素。リンちゃんの体内にある魔素を――まず深呼吸して」

「はい」


 リンは3回深呼吸した。緊張で鼓動が高鳴っていたので丁度良く落ち着けた。


「で、今呼吸して取り込んだ魔素を」

「え、そんなもの吸ってない」

「いいからいいからイメージよイメージ」

「は、はあ」

「体内に取り込んだ魔素を注ぎ込んでるイメージで。そしてその熊をどう動かしたいか一緒に考える」

「うう……」


 リンは言われたとおりにする。言われた通りにしていたはずだが正直半信半疑である。


(これでゴーレムやガーゴイルみたいに動くのかしら……)

「あ、マズい」

「はい?」


 魔王がもらしたつぶやきにリンが反応する。


「リンちゃん今ゴーレムかガーゴイルのこと考えたでしょ」

「え――どうしてそれを」

「離れて」


 リンは突然魔王に抱きかかえられる。

 魔王は仰天するリンを右腕で軽々と抱えたままその場から飛び退いた。


「何事ォッ!?」

「あれ」


 魔王がしゃくってみせると、先ほどまでリンが頭に触れていた熊のぬいぐるみが巨大化し、みるみるうちに禍々しい姿へと変貌していった


「なんぞこれぇっ??」

「リンちゃんがゴーレムやガーゴイルの概念注いじゃったから魔素で変貌しちゃった」

「ええっ?!」


 リンは魔王が何を言ってるのか理解出来なかった。ましてや雑貨屋で買った只のぬいぐるみがこんな怪物に変わるとは想像すらしなかった。


だけのことはあるわ、流石ぁ」

「ど、どういうことなんですかコレぇっ?!」

「リンちゃんが注いだ魔素が造り出した只の怪物よ。吾の見込み通りで嬉しいわぁ」


 咆吼する元熊のぬいぐるみの怪物を観て呑気に感心する魔王。対照的に、リンは魔王に抱えられたままパニックに陥る。

 怪物はその場で二人を観て威嚇し、地面を粉砕して暴れ出す。とても元ぬいぐるみとは思えぬパワフルぶりである。

 次の瞬間、怪物は飛び跳ね二人に襲いかかる。

 リンを抱える魔王は易々と避けると、怪物の顔に蹴りを入れる。

 怪物は思わぬ反撃に仰け反るが、軽い放物線を描いて着地する。


「元がぬいぐるみだけあって衝撃を吸収したか」


 魔王は舌打ちする。リンにはそれがどこか楽しそうに見えた。 


「打撃は無駄そう。ならぶった斬る――あら」


 魔王がリンを抱えたまま攻撃しようと身構えたその時、怪物は急に反転し、二人を無視して街の中心へ走り始めたのである。


「あら逃げる?」

「ど、どうするんですかコレっ?!」

「追いかけるわよ」


 魔王はリンを抱えたまま怪物の後を追いかける。

 人間一人抱えてるとは思えない俊敏さで魔王は怪物の後方へ一気に追いつく。人通りの多い街道に入る寸前であった。


「間に合った。人目に付く前に」


 言うや魔王は空いてる左腕を薙いで、その衝撃波で熊の怪物を粉砕した。綿をまき散らしてバラバラになった怪物は人目に付く前に一瞬にして元の熊のぬいぐるみに戻っていった。

 リンは怪物を瞬殺した魔王の顔をぽかんと見る。

 あれだけ残念な美女がとても頼もしく、そして同性の自分から観ても魅力的な――


「概念を込めた魔素を制御する時は対象物のことだけ考えてねー」

「あ、はい、はい、はい」


 魔王の顔に見入っていたリンは我に返って頭を振ってみせた。


「こう言う事は初心者あるあるだから気にしない気にしない――あ、しまった、ぬいぐるみ壊しちゃったから新しいの用意しないとねぇ」

「は、はあ……」


 ユルく言う魔王に、リンは酷く困惑した。

 リンはこの時はまだ、




「リンちゃん、変なコト考えてない?」

「か、考えてませんっ!」


 買い直したぬいぐるみで魔素の制御を始めたら、今度はぬいぐるみは怪物では無く豊満な女性のシルエットをして淫靡なダンスを始めてしまった。

 魔王はニヤニヤ笑いながら、赤面するリンの顔を見た。


「リンちゃんのえっち」

「考えてませぇんんっっっ」



                       おわり

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