16-05 彼女の結論
◇
「ね、三枝くん。お願いがひとつあるんだけど、いいかな」
◇
部活を終えて帰ろうという段になったとき、瀬尾にそう声をかけられて、俺はいくらか面食らった。
「いいけど……なに?」
瀬尾はほんの少しためらいがちに、俺の近くにいた真中を見る。
真中の方はそのまま瀬尾を見返していた。
「……お願い?」
なんとなく硬直した空気をいさめるつもりで俺が聞き返すと、瀬尾はこくんと頷いた。
うなずいてからも、瀬尾は言いにくそうにもじもじと視線をそらしている。
瀬尾が俺に頼み事をするのも珍しいが、こんなふうに落ち着かない様子でいるのも珍しい。
「お願いって?」
「えっとね……」
「うん」
「……せんぱいって」と、黙っていた真中が口を挟んだ。
「ん」
「青葉先輩にはやさしいよね」
「……」
俺と瀬尾はそろって真中の方を見た。
「……なんでそうなる」
「だって、そんな感じするし」
「そんなことないと思う」
と、瀬尾と俺の声は揃った。
「……失礼なやつだな」
「や、べつにそういう意味じゃなくて……」
「どういう意味だよ」
「三枝くんはみんなに優しいじゃん」
「……」
俺と真中は顔を見合わせた。
「……せんぱい、どんな弱みを握ったの?」
「俺はどんな人間だと思われてるんだ?」
「……わたし変なこと言った?」
瀬尾は不思議そうに首をかしげた。
「変というか……」
俺が何かを言うのも違う気がして、話を戻す。
「で、結局お願いってなに」
「あ、うん」
そこで瀬尾は真中の方をちらりと見た。
「……わたし、邪魔?」
「邪魔だってさ」
「や、や。邪魔ってことはないけど」
「いい。せんぱい、今日は先帰るね」
「はいはい」
俺のうなずきを待たずに、真中はあっさりと去っていった。
相変わらずのペースで、かえって面食らってしまった。
「……えっと、ふたり、どうしたの?」
瀬尾にそう訊ねられても、俺はうまく答えられずに肩をすくめるしかない。
「どうというか……まあな」
「あらためて付き合うことになったの?」
「そう言っていいものか」
「よくわかんないね」
「複雑なんだ」
まあとはいえ、事実だけを言えば、俺から告白したようなものか。
「よかったの? 帰らせちゃって」
「真中がいたら話しづらい話題なんだろ」
「そうだけど……」
「変な気を使うな」
「……さっきまでベタベタしてたくせに」
それはまあ、そうなのだろうけど、ここで真中を追ったところで、良いビジョンがあまり見えないのが不思議なところだ。
『今日は先に帰るね』と真中は言った。
『また今度一緒に帰ろう』という意味だろう。
経験上、そういう意味だと思う。
それからたぶん、このあとに起きることも聞かれるのだろう。
不思議なものだ。
と、思っていたところで、携帯がポケットのなかで震えた。
真中から、
「ばか」
と来た。
「……」
ごめんと返すと、またすぐに、
「節操なし」
と来る。
「はくじょうもの」
「うわきもの」
「ごめんて」
「ゆるす」
許すんだ。
良い子かよ。
「良い子」
「えへへ」
……えへへってなんだ。誰だこれ。
とりあえず対応に困ったので、返信をせずに携帯をしまう。
それから瀬尾のほうに向き直った。
「それで?」
「あ、うん……。連れてってほしい場所があるんだ」
「……ふむ」
まあ、ちょうどいいと言えばちょうどいい。
俺も瀬尾に話さないといけないことがある。
ちせと、ましろ先輩。
それから……市川にも。
とはいえそれはひとつひとつだ。
「じゃあ、とりあえず行くか」
「……うん」
◇
「……えと、ね」
校門を抜けたところで、瀬尾は言いにくそうに口を開いた。
「どうした」
と訊ねても、やっぱり困ったような顔をするだけだ。
甘えるような目でこちらを見ている。
「なんだよ」
「ちょっとまってね」
と言って、瀬尾は深呼吸をした。
「まだ、迷ってる部分もあって……」
「……ふむ」
「えと……」
「うん」
こんな瀬尾も珍しいな、という気持ち以上に、もっと不思議な違和感のようなものがある。
この感覚を俺は知ってる。
「……『トレーン』」
「え?」
「『トレーン』に、連れて行ってほしいの」
ああ、そうだ、と俺は思った。
今の瀬尾は……さっきの言葉も、そうだ。
ちどりに似ている。どことなく。
「ほんとはすごく迷ってるの」
「……だろうな」
「だけど、でも……そうしないと、進めない気がする」
進むって、どこに。
そう訊ねたかったけど、やめた。
「だけど、ひとりじゃいけない。だから……」
「俺に付き合えって?」
「……だめかな」
「……駄目じゃないよ、べつに、もちろん」
「そ、そう?」
瀬尾がいいなら、いいのだろう。
「瀬尾は……」
「ん」
「すごいな」
「……なに、急に」
「あとで牛乳プリン買ってやるよ」
「……それ、約束だからね」
「俺は嘘をつかない」
「……それは嘘」
瀬尾はぎこちなく笑った。
◇
『トレーン』の扉を開けるといつものようにベルが鳴る。
夕方の店内には、何人かの客の姿があった。応対をしていたマスターは、ちらりとこちらに目を向けると静かに笑った。
「いらっしゃい」
瀬尾は俺の背中に隠れ、店内の空気をたしかめるように呼吸をした。
「どうも」とだけ声をかけて、俺は奥のテーブル席へとむかう。
瀬尾は黙ったまま俺を追いかけた。
席についたところへ、いつものようにちどりがやってきた。
「いらっしゃい、隼ちゃん」
そう言って、いつものように俺を見てから、瀬尾の方へと視線をうつし、
その表情が不可解そうに揺れた。
なにか不思議なものを見たような、
そんな顔だ。
「……あ、えと。お友達ですか?」
「ん。まあな。……忙しそうだな」
「ええ、まあ、いつもよりは、少し」
「そうか」
「注文は……」
「ブレンド。瀬尾は」
「あ、同じで」
「かしこまりました」
そう言って、ちどりは小さくお辞儀して去っていく。
「……」
「ずいぶん緊張してるな」
「まあ、ね」
来たいというから連れてきたものの、俺は瀬尾が何をするつもりなのか知らない。
ちどりはもちろん、茂さんも瀬尾の存在を知らない。
茂さんなら、瀬尾を見れば何が起きたかを感づくだろうか。
それもそうかもしれない。
俺はひょっとして、瀬尾をここに連れてくるべきではなかったのか。
……いや。
瀬尾青葉の判断は、瀬尾青葉の判断だ。
俺がどうこうできるものじゃない。
ましてやそれは、ややこしい変な出来事のせいで制限されていいものでもないはずだ。
おそらくは。
「……」
「なんか、顔赤いな」
「ん。や、まあ……」
「どうした」
「や。……ほんとに敬語だったなあって」
恥じ入るみたいに、瀬尾はテーブルに両肘をついて顔を手のひらで覆った。
「……なんでおまえが恥ずかしがる」
「……三枝くんにはわかりませんことよ」
「そりゃ、べつにいいけどな。いいじゃないか、敬語」
「そう?」
「似合ってる」
「そうですか?」
「……」
「……」
「似合わないな、不思議と」
「不思議ですね……」
ちょっとやけになっているみたいだった。
「それで……?」
「ん……」
「どうする気でここにきたんだ」
「ん。まあ、いろいろ考えてたんだけど。ひとまず……忙しそうだし、あとにしよっか」
「……」
忙しそうだし、というからには、やはりちどりと話したいのか。
いや、話してみたいのか。
それはそう、かもしれない。
瀬尾にとってちどりは可能性そのものだ。
「それより、三枝くんこそ、わたしになにか話があるんじゃないっけ」
「……俺、そんなこと言ったっけ?」
「あれ、言ってないっけ?」
「まあ、あるのはホントだけどさ」
言ってなかったとしても、瀬尾とももう長い付き合いだ。
こいつなら見透かしてもおかしくないかもしれない。
今となっては瀬尾は、俺を取り巻く状況について、いちばん知っている人間だとも言える。
「さくらのことだ」
「さくら……」
瀬尾は、一瞬きょとんとした顔になって、
「あ、さくら!」
と、声をあげた。周囲の客がこちらに視線を寄せてくる。俺は唇の前に人差し指を立てた。
「声が大きい」
「ごめんなさい」
「素直でよろしい。覚えてるみたいだな」
「ん。今の今まで忘れてた。戻ってきてから、わたし、姿を見てないよ。……見えなくなっちゃっただけ?」
「いや。たぶん、姿を見せてないだけだろう」
「……そうなの?」
「ああ。さくらはいる」
「……そっか。すっかり、頭から抜けてた。……うん。さくらね」
「そう。さくらのこと」
「……さくらが、どうかしたの?」
「ま、いろいろあったんだけど、ややこしいから過程は省略する」
「省略するんだ」
「説明が面倒でな」
「……ま、三枝くんらしいけどさ。それで?」
説明、そう、説明だ。
それが必要だ。……俺に、できるだろうか。
そもそも俺は、自分が何をしようとしているのか、ちゃんと理解できているのだろうか。
目的。
さくらの居場所を作る。
手段。
"夜"を利用する。
さくらの居場所をこの世界に書き足す。
「……『薄明』を作りたい」
「……ん。なに、突然」
「フォークロアを作る」
俺の言葉に、瀬尾は目を丸くした。
「ごめん、順番に説明してくれる?」
「……だよな」
まあ、仕方ない。話せる部分だけ、話してしまおう、と、そう思ったところで、声をかけられた。
「おまたせしました。ブレンドふたつですね」
ちどりがやってきた。
俺と瀬尾が話している間に、客は少しずつ減っていた。
周囲を見ると、いくらか落ち着いた雰囲気だ。
「……あの、鴻ノ巣ちどり、さん?」
不意に、瀬尾がそう声をかけた。
「……あ、はい」と、戸惑ったふうに、ちどりが返事をする。
「あの、わたし、瀬尾青葉っていいます」
「……あ、はい。はじめまして、ですよね」
「……うん。三枝くんから、いつも話は聞いてる」
「……ほんとに?」
と、なぜかちどりは俺を見た。
「なんで」
「だって、隼ちゃんが誰かにわたしの話をするなんて、思えないです」
「……」
たしかに、と思うと同時に、瀬尾が『たしかに』という顔をした。
「……や、まあな」
「三枝くんとは文芸部で一緒で、いろいろ話をしてるうちにね」
そんなふうに誤魔化しながら、瀬尾はちどりに笑いかける。
やっぱりいくらか、緊張した様子だ。
それにしても……ふたりはやっぱり似ている。
瓜二つ、とまでは言わない。
それでもやはり、似ている。
「前から、ちどりちゃんに興味があったんだ」
「興味……ですか」
「うん。あのね、もしよかったら……わたしと、友達になってくれない?」
「……ともだち、ですか?」
「うん。……駄目かな」
ちどりは、いくらか戸惑った顔を見せた。
無理もない、といえば、無理もない。
初対面の相手に、そんな言い方をされたら、普通はそうなる。
でも、
「駄目なんてこと、ないです。隼ちゃんのお友達なら、大歓迎です」
「……」
瀬尾は恥ずかしそうに目を覆った。
「どうした」
「や……自分のことじゃないのに、この無垢な信頼が恥ずかしい」
「……そう言われると俺のほうが恥ずかしい気がしてくるな」
「えっと?」
「あ、ごめんね。……うん。じゃあ、わたしと、おともだちになってください」
そんなふうに瀬尾は、ちどりに手をさしだした。
ちどりはその手を受け取った。
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