悪食の魔剣使い

有田 真

第1話

石造りの密室に金属どうしが衝突する甲高い音が轟く。

半径百メートルほどのドーム状の部屋の端には倒れ伏した男二人とその後方に少年少女が一人づつ。

そして部屋の中央付近で剣戟を繰り広げる二人。


「クソッ! ただの死体に押されるなんて……!」


忌々しげに一人の青年が吐き捨てる。

青年の名はロットン。遺跡探索を生業とする冒険者の一人だ。

今回もパーティーメンバーと共にとある遺跡の最深部まで到達したのだが、そこには番人が鎮座していた。

そんなロットンと鍔迫り合いを演じている番人は一人の人間。正確には『だったモノ』


中肉中背の骨格をしたソレは肉の至る所が腐り落ち、腱と骨が垣間見える。

辛うじて一番最も生者らしさが残っている頭部。窪んだ眼下の奥にはおぞましいほどの虚無が広がっていた。


「き、気を付けてくださいロットン……その魔剣は余りにも危険すぎる……!」

「分かってるから早く自分の傷を治せ!」


モノクルをかけた如何にも知的そうなやせぎすの男――モルト――は地面に這いつくばりながらも必死に警告の言葉を絞り出す。

ロットンがゾンビ程度の魔物に苦戦していたのもそれが原因だった。


ゾンビが右手に握りしめていたのは一振りの異様な剣。


柄から刀身まで吸い込まれるような黒で統一されているのもそうなのだが、特筆すべきは剣から放たれる物々しい雰囲気。

直接ぶつかりあっているロットンはおろか、遠く離れているモルトでさえ体の震えが止まらない程のプレッシャー。

本能的にこの場にいる全員がアレは魔剣だと理解わからさせられていた。


加えて本来なら本能的かつ単純な動きしかできないはずのゾンビが何合も剣を交えられるほどの細やかな動きをしていたことからもそれが窺える。

魔剣に関する文献における『高位の魔剣は所有者を己の意のままに動く肉人形として運用することができる』という記述は冒険者の間ではあまりにも有名なフレーズだからだ。


「クソ……体が動きさえすれば!」

「ちょっと! 治癒術ヒーリングかけてるんだから動かないで!」


大柄な体型にスキンヘッドの男が仰向けのまま、倒れたまま少女の治療を受けていた。


セミロングの黒髪に端正な顔立ちの少女は額から流れる汗をぬぐうことなく、男の胸の太刀傷に手をかざす。

その掌からこぼれる淡い光は少しずつではあるが男の出血を止め、傷を塞いでゆく。

男の名前はオーヴィス。少女の名前はリア。二人ともロットンのパーティーメンバーであり、冒険者だ。


「モルト! リア! 全員が動けるようになるのにどれくらいかかる!」

「あと……三分ほどいただければ」

「オーヴィスもそれくらいで行けると思う!」

「了解!」


モルトとリアの回答を聞いたロットンは全霊の力を剣に込める。

五分だった鍔迫り合い。しかし刃が次第にゾンビの胸元へ近づいていく。

どう見てもロットンの優勢だが、相手はただのゾンビではない。


「ロットン危ねぇ!」

「くッああああああ……ッ!」


オーヴィスの怒号に反射的に体をひねったロットン。直後上がる苦悶の声。

見ればロットンの肩肉をえぐる形で、黒い剣先が突き刺っていた。

それが何なのかはもはやいうべくもない。ゾンビを操っていた魔剣のものだ。


オーヴィスは目撃していたのだ。魔剣の姿が一瞬揺らめいたと思うのも束の間、恐るべきスピードで刀身がロットンの心臓めがけて伸びたのを。

そして狙いを外したとみるや、一人でに肩から抜け、蛇のようにうねりながら元の剣の形へと戻ったことを。


「ロットン!?」

「大丈夫だ……にしてもあんなの反則だろ」


ロットンは傷口を手で押さえながら軽口を叩く。しかし、言葉とは裏腹に背中は冷や汗と脂汗の混合物で濡れていた。


「オーヴィスの治療が終わったよ!」

「こちらも動けます!」


このタイミングで治療が完了し、立ち上がったモルトとオーヴィス。

二人がある程度回復したところで形勢はリアを含めて一対四。ただのゾンビ一体を相手するには明らかに過剰な戦力だ。

それでも、あの魔剣一つでバランスは簡単に傾く。


「……俺たちの実力じゃアイツは無理だ! ここは一旦引く!」


メンバー全員が動けると判明するや否や、撤退判断を下すロットン。

実のところ、この判断は正しいと言わざるを得ない。


魔剣を携えたほぼ無傷のゾンビはこの迷宮の番人。

番人の責務は迷宮最奥部の防衛である以上、挑んでくる相手には容赦しないが、引くものに対しては意外なほど寛容なのだ。

これは迷宮探索を生業とするロットンとしては常識であり、この原則を無視してきた番人は経験上いなかった。

故に形勢が不利となった時点で撤退し、装備を整えて再挑戦する腹積もりでいた。


「逃げるったってどうすんだよ! どうも逃してくれる雰囲気じゃなさそうだぜ」

「それにこの扉結構重いですよ!」


すでに扉に手をかけていたオーヴィスとモルトは力み交じりの呻きを上げて門扉を押し開けようと試みる。

しかし、真鍮の大扉は脱出を拒むように動く気配を見せない。

そうしてる間にもゾンビが一歩、一歩とロットン達に向かってきていた。


(どうする……?)


明らかに絶体絶命の状態に、ロットンは思考を必死に巡らせる。


程なく思いついたのが一つの策。これなら犠牲なしで撤退可能な最上の作戦が。

なんだ、そんな簡単な手段があったじゃないかと、内心ほくそえみながら。


「おい、ジン!」


ロットンが名前を呼ぶ。


突然の指名に身を震え上がらせたのは一人の少年。やせ細った貧相な体に低い背丈。女の子と見まがうほどの童顔。

自身の身長と同じくらいの非常に大きなリュックを背負ったままの彼は自分が注目されていることに気が付いたのか、途端に顔面蒼白となる。


そう、今の今まで全く動きを見せなかったロットン達パーティーの五人目である。


「は、はい! なんでしょうかロットンさん!」

「お前、あいつに突っ込め」

「…………え?」


唐突の宣告にジンの思考が一瞬止まる。


「あの……どういう意味で?」

「いや言葉通りの意味だが? アイツに突っ込んで俺たちがここを出るまでの時間稼ぎをしろ」


言外に「死ね」と言われてそのまま実行できる人間などいない。

ロットンは当然ジンが拒否することも考えていた。

そうなれば肉壁にしてでも役割を全うさせることも視野に入れて。


「分かりました。どれだけ時間を稼げるかは分かりませんが、精一杯頑張ります」


怯えも恐怖もないかのように、ジンは懐からナイフを抜いた。

ロットンが一瞬固まったのも気にすることなく、続けざまにゾンビへと駆け出す。


ジンとロットン達の間には長年培ってきた絆はない。むしろ逆だ。

一人でいたジンをロットン達がパーティーに加えてから僅か三日、今回が五人で行う初めてのクエストだった。


だからこそロットンは困惑した。

情も何もあったものではないにも関わらずジンは平然と命を投げ捨てる。

そんなことは普通出来ないし、しかもノータイムで実行した。


なんとも形容のしがたい悪感情を胸の奥に押し殺したまま、ロットン達は迷宮最深部を後にした。

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