エミリアーナのドレス
那由羅
魔女の甘言に乗ってはいけない・前編
昔々あるところに、エミリアーナという少女がおりました。
オレンジ色のクルクル巻き毛が似合う、笑顔が可愛い女の子です。
エミリアーナは、おつかいの帰りに必ず立ち寄る場所がありました。
「きれい…」
城下の大通りにある、魔法雑貨が売られているお店。そのショーウィンドウに、薄い緑色のふんわりしたドレスが飾られています。真ん中あたりに白い花がいくつも飾られていて、ドレスを着ているマネキンはまるで妖精さんのようです。
エミリアーナは、このドレスを見ているのが大好きです。
大きくなったらこのドレスを着て、舞踏会へ行って、たくさんダンスを踊って、素敵な男性に巡り合いたい───そんな、年頃の女の子であれば誰もが思い描く夢を、エミリアーナも持っていました。
でも。
「お金…ないしなぁ…」
エミリアーナの家は、とても貧乏でした。
お父さんはおらず、お母さんが朝から夜までお仕事をしていますが、ふたりで食べて行くのがやっと。学校にも行けません。
ドレスを買うようなお金なんてとてもとても。舞踏会なんて夢のまた夢です。
「でも、いつかは買うんだから…!」
それまでに誰かに買われませんように、とドレスに向かってお願いをしていた───そんな時でした。
「…そんなに、このドレスが欲しいのか?」
いきなり、誰かに話しかけられました。
エミリアーナはあちらこちらを見まわしますが、それらしき人はいないようです。
「こっちこっち」
声がするのは、ショーウインドウの中でした。ドレスの横に、小さな鳥かごに入ったウサギのぬいぐるみがあります。
「ええっと…あなたなの? わたしを呼んだのは」
ぬいぐるみに話しかけられるのは初めてです。エミリアーナがおそるおそる訊ねると、ぬいぐるみは座ったポーズのままカタンと体を揺らしました。
「こいつは呪いのドレスだ。欲しがった女は、みーんな酷い目に遭っちまう。やめといた方がいい」
エミリアーナは、ウサギのぬいぐるみの言う事が信じられません。こんなにきれいなのに、何故呪いがついているのでしょう。
「のろいなんてウソよ。きっと何かのぐうぜんだわ」
「いやいや。オレは知ってるんだ。
こいつを買った女は、着る前になって急に大ケガをするんだ。
で、『もうドレスは着られません』って言われて、もう三回も返ってきてる。きっと呪いだよ」
ドレスを着る事を夢見ていたエミリアーナに、なんてひどい事を言うのでしょう。恐ろしい話に、少女もついたじろいでしまいます。
「そ、そんなこと───」
「こら商品。余計な事言うんじゃないよ」
ショーウィンドウの奥から、ひょいっとしわくちゃな老婆が顔を出しました。
濃い紫色の服ととんがり帽子を身に付けた老婆は、どうやら店主のようです。魔法雑貨屋だから、魔女なのでしょうか。
魔女がぬいぐるみが入った鳥かごを、はたきでぼふっと叩いています。そしてエミリアーナを見つけると、にやりと底意地の悪い笑顔を向けてきて、店の外に出てきました。
「お嬢ちゃんや、このドレスが欲しいのかい?
だがこのドレスは人気商品でね。明後日にでも貴族が買いにくるだろう。
欲しいなら、明日までにお金を用意してくるんだね」
エミリアーナに衝撃が走ります。明日までだなんて、そんなのは無理に決まっています。でも、明後日にもショーウインドウからドレスが消えてしまうだなんて、考えたくもありませんでした。
「い、今はお金はないの。何でもするから、売らないでおいてくれませんか?」
エミリアーナがおそるおそるお願いをすると、魔女はにひゃりとより一層顔を歪めました。まるでその言葉を待っていたかのようです。
「なら、北の山にいるドラゴンから、”竜の涙”をもらっておいで。それで考えてやろう。あいつは気難しいから、手土産を忘れるんじゃないよ。
───おお、そうそう。商売の邪魔だし、道案内くらいは出来るだろう。これも持って行っとくれ」
そう言って、魔女は何かを投げてよこしました。
ぽんっ、とエミリアーナの手の中に収まったのは、さっきのウサギのぬいぐるみでした。
◇◇◇
次の日、エミリアーナとウサギのぬいぐるみは、北の山へ出掛けました。
リュックサックにはお母さんが腕によりをかけたサンドイッチとアップルパイを、肩には麦茶入りの水筒をかけ、腰にはぬいぐるみをくくりつけました。気分はまるでピクニックです。
「本当に行くのかよ」
「だって、ドレスがなくなるのはいやだもん」
「やめておいた方がいいと思うんだけどなぁ…。
───あ、そこ、石あるから足引っかけるなよ」
ウサギのぬいぐるみはとても不満そうに行き渋っていますが、こうして危ないところはちゃんと教えてくれます。口は悪いですが、意外と優しいぬいぐるみです。
「ウサギさんは、ドラゴンを見たことがあるの?」
「ああ、一度だけな。まぁまぁ話せるヤツだが、ドラゴンはそもそも人間とは考え方が違うから」
「手土産、アップルパイで足りるかな?」
「…どうかなぁ」
「ウサギさんは、昔からウサギさんなの?」
「お、聞くのか? なら教えてやるぜ。聞くも涙、語るも涙の浪漫譚を───」
「ねえねえ。この木の実、食べられるかなぁ? 手土産になるかなぁ?」
「聞けよ! ───っていうか、それは毒があるから触るんじゃない!」
などと話をしながら、山道を上がり、川を越えて、草木をかき分け、木に登って。
お日様がてっぺんに登る少し前位になって、エミリアーナとぬいぐるみは山頂へ辿り着いたのです。
体をまるめて眠っていたドラゴンは、とてもとても大きい体をしていました。
大きさは、城下にある公園位の大きさはありそうです。高さは、二階建ての家くらいはありそうで、起き上がり翼を広げればもっと大きく見えるでしょう。
「おおきい…」
あまりの大きさにあっけに取られていると、ドラゴンは目を覚まします。その黄色い目も、エミリアーナと同じ位の大きさです。
「…ん? おや、誰だね? ボクの眠りを妨げるのは?」
ドラゴンがムフゥと鼻息を出すと、強い風がエミリアーナをあおります。もうそれだけで吹き飛ばされそうです。
「あ、あ、あ、あのっ、”竜の涙”、下さいな!!これ、お土産です!」
勇気をふりしぼり、エミリアーナはアップルパイの入った箱を差し出してお願いしました。
ドラゴンが少し困った様子で首を傾げていると、ぬいぐるみがフォローしてくれます。
「…城下の魔女のつかいで来たんだよ。ドレスを取り置く代わりに、”竜の涙”を取りに行くって約束しちまったんだ」
「…ふむ、そういう事か。では、もらおうか」
納得したドラゴンは舌をペロっと出し、アップルパイの入った箱ごと受け取りました。あっという間に、箱ごと口に入れてしまいます。
お腹を壊さないかと心配している暇もなく、ドラゴンはごっくんと飲み込み、ちょっと嬉しそうに言葉を弾ませました。
「…ああ、いいね。キミのお母さんの頑張りが、伝わってくるよ」
「じゃあ…」
「でもこれじゃ足りないよ」
「えっ」
そう言われるとは思ってもおらず、エミリアーナはドキッとしてしまいます。手土産はさっきのアップルパイで全部なので、足りないと言われてもこれ以上は何も渡せません。
「”竜の涙”はボクの涙から作るんだけど、これを作ると結構お腹が空いちゃうんだ。
ボクが食べるのは、物に込められた心…魂のかけらとも言うべきものでね。それがたくさん必要になる」
「あ、あの。サンドイッチも作ってきたんですけど…」
「それでも足りないよ。人一人分の魂があれば作れるかな?」
「人、一人分…?」
ドラゴンの言葉に、エミリアーナの血の気が引いていきました。
『人一人分の魂』という以上、人を一人連れて来ないと”竜の涙”を作ってもらえません。そんな事は言われていなかったし、言われていたらきっと断っていたでしょう。これではまるで生贄です。
(もしかしてあの魔女は、わたしを生贄にするつもりだった…?)
「…なあ、ドラゴン。オレなら足りるんじゃないか?」
恐ろしい事に気付いてしまったちょうどその時、ぬいぐるみからおかしな提案がありました。
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