【短編集】奇妙な調合屋さん〜お客さんの声でのんびり製品開発〜
明日葉いお
リンゴが赤い理由
世界のあらゆるものが集まる流通都市サナトリア。
活気ある大通りから少し外れた薄暗い路地。
そこにぽつんと看板が出されている。
『調合屋 乙女の黄昏』
なんの説明も無く、ただ店の名前だけが書かれている。
そもそも調合屋と言われてもピンとこない。
薬の調剤でもやっているのだろうか。
それだけでも入店をためらってしまうというのに、店の外観は幽霊でも出てきそうな程ぼろく、客足をより一層遠のかせる。
「こんちわー。ミリーさん、生きてるかー?」
「ちょっと、ジャック。失礼じゃないの。すみません。ミリーさん、お邪魔します」
そんな店に、二人の駆け出し冒険者が勝手知ったる足取りで入っていく。
「んぉ……。なんだ。ヤク中ルーキーか」
ソファの上でふわぁとあくびをしながら、ミリーと呼ばれた女性が呼びかけに応える。
彼女こそがこの店、『乙女の黄昏』の店主。
肩まで伸ばした薄紫の髪に、垂れた目。眠たげなその様子も、彼女の妖艶さを引き立てている。
「ヤク中ってなんだよ!」
革の胸当てに片手剣を引っ提げた、どこにでもいそうな冒険者の男が喚き散らす。
「まあまあ。落ち着いて、ジャック」
「ルルアもなに受け容れてんだよ!俺ら、ヤク中って言われてんだぞ!!」
「うーん」
ゆったりとした白いローブを身にまとった、これまたどこにでもいそうな冒険者の女が人差し指を唇に当てながら思案する。
「けど、私達、ミリーさんのポーションをがぶ飲みして限界まで働いてるわけだし。言い返せないかなー」
「うっ」
痛いところを突かれたとばかりにジャックが顔をしかめる。
ジャックが反射的にお腹に手を当てると、心なしかちゃぽんという水音がしたような気がする。
ルルアの言っていた通り、ポーションをがぶ飲みしているのなら仕方のないことだろう。
「んで。あんたら、また薬作りに来たの?」
「あんたらってなんだよ。俺らは客だぞ客。こんな閑古鳥が鳴いてる店に来てやってる数少ない客だぞ。もっと丁重に扱ったらどうだ」
「道楽でやってる店だし、お客なんて来なくても良いのよ」
伸びをしながらミリーがジャック達に目を向ける。
「おっ。いいもん持ってんじゃないの」
ジャックが手に持っているリンゴを目にとめると、ミリーの口調が途端に元気なものになる。
「な、なんだよ。これは八百屋のおばちゃんがくれたもんだ!絶対にやらないからな」
「よし!今日はアップルパイを作りましょう!!」
「あっ。俺のリンゴ……」
ジャックの抗議を意に介さず、ミリーがひょいとリンゴを奪い去る。
「ふふーん♪りんご、りんごー。あっかい果実ー」
「ふふ」
ご機嫌に歌うミリーを見て、ルルアが頬をほころばせる。
「……まあ、ミリーさんにはいつも世話になってるからな。これ位はいいか」
楽し気な二人の様子につられて、ジャックも態度を和らげる。
「あーーーーーー!!!」
先ほどまで楽しそうにしていたミリーが膝から崩れ落ちる。
その顔は絶望に染まっていた。
「どうしたの!?ミリーさん!!」
二人が急いで駆け付けると、ミリーがポツリとこぼす。
「小麦粉が……ない……」
「なんだ。そんなことか」
「心配して損したわ」
ホッと胸をなでおろす二人に、ミリーの顔が怒りに染まる。
「なんだとは何よ!!」
「のわっ」
ミリーがダンと床を叩き、ジャックが驚く。
「私はアップルパイが食べたいの!今!すぐに!焼けたリンゴとシナモンの甘い匂いと、バターの芳醇な匂いを嗅ぎながら焼き上がるのを今か、今かと待っていたいの!!それで期待を膨らませたうえで、焼き上がったあっつあつのパイを、ハフハフしながら食べたいの!!それを邪魔された私の気持ちが分かる!?」
「……」
ミリーのものすごい剣幕に、ジャックとルルアが押し黙る。
グー。
しばらくの沈黙の後に、二人のお腹が鳴る。
冒険者の仕事を終えてすぐに、ミリーのアップルパイに対する熱弁を聞かされたのだ。無理もないだろう。
「うーん。私も食べたくなってきちゃった。ジャック、何か小麦粉の代わりになりそうなものある?」
「どうだっけ」
ジャックが背嚢を漁る。
「あっ、これなんかどうだ」
「流石にそれは……」
ジャックが背嚢の奥から取り出したものを見たルルアが顔を曇らせる。
彼が取り出したのは硬パン。
黒パンをじっくりと焼き上げて限界まで水分を飛ばした携行食だ。
単体ではとても食べられたものじゃない。
水もなしにかぶりついて、歯がおれたという冒険者は何人もいる。
「それよ!」
「あ」
ミリーがジャックからパンを奪い取る。
「さあ、調合開始よ!!」
「そうはいっても、硬パンが小麦粉の代わりになるのか?」
「何言ってんの。元は硬パンも小麦粉よ」
「でも、これだけ固かったら、パイには向かないんじゃないかしら」
「だったら砕けばいいのよ!」
名案とばかりに顔を明るくするミリーに、二人が難色を示す。
「砕いても、パイの代わりにはならない気が……」
「そうよ。ミリーさん。やっぱり、小麦粉を買いに行った方が……」
「そんな悠長なことしてられないわ。ほら、あんたはこれで硬パンを砕いて」
「うっ」
ハンマーを渡されたジャックが嫌そうな顔をする。
しかし、さすがに女性に任せるわけにいかないと思ったのか、黙ってパンにハンマーを下す。
ガッガッガッ。
食べ物を叩いているとは到底思えないほど固い音。
全力で叩いても、粉が少し落ちるだけの硬パンを見て、ジャックの目が遠くなる。
「さ、私たちはリンゴを切りましょ」
それを無視して、ミリーがルルアをキッチンへ誘う。
「でも、リンゴってすごいですよね」
「うん?」
「そのまま食べるのでもおいしいのに、焼いたらまた別のおいしさになりますもん」
「そうねー。くたくたになって、甘みがより引き立つのよねー」
ルルアの言葉にミリーがよだれを垂らしながら同意する。
「ふふ。ミリーさん垂れてますよ」
「あぅ。ありがと」
ルルアが口元を拭うと、ミリーがしゅんとしながらお礼を言う。
普段は大人っぽいミリーの見せた隙に、ルルアの胸が高鳴る。
「そ、そういえば」
それを誤魔化すように、ルルアが声を上げる。
「硬パンで思い出したんですけど、乾燥させたリンゴもおいしいんですよ」
「ん?リンゴを乾燥?」
「そうそう」
首を傾げるミリーに顔をほころばせながら、ルルアが続ける。
「八百屋のおばちゃんがドライフルーツを作ってるんですけど、リンゴを試食させてもらったんです。あれはあれで、おいしさが凝縮した感じでおいしかったなー」
「それよ!!」
「のわ!」
ミリーががしっと肩を掴んできて、ルルアは驚きの声を上げる。
「リンゴを焼くんじゃなくて、乾燥させれば、きっとこれまでとは違ったおいしさのアップルパイができるわ!!」
「えっ。ミリーさん、お菓子のアレンジは……」
「こうしちゃいられないわ!!ちょっと、ヤク中!硬パンをよこしなさい!!」
「……あ」
死んだ魚のような目をして硬パンにハンマーを打ち付けていたジャックから、ミリーがパンとハンマーを取り上げる。
「ふふふ。きっと、未知の美食が待ってるわ。私たちは食の新たな道を見出した先駆者になるのよ!」
「ミ、ミリーさん、落ち着いて」
「無駄だルルア」
ルルアの肩にジャックが手を置き、悟ったような声を出す。
「この状態になったミリーさんを止められるものはいない。諦めようぜ」
「ふふふ。うふふふふふふ。食の新たな歴史!私たちはそれを切り開くの!!これから目の前で起こるのは革命。これまでの常識を塗り替える新たなレシピ。それを私たちが生み出すのよ」
オーブンに硬パンを並べて、その上にカットしたリンゴを置きながら、ミリーが笑う。
楽し気でありながら、どこか狂気を感じるその笑いは、店から漏れだし、薄暗い路地に響き渡る。
それがより一層、彼女の店の不気味さを引き立て、客足を遠のかせるのだった。
一時間後。
「出来たわ。美味しそうね」
「いや、美味しそうね、じゃねーよ!!なんだよ、この石は!!」
石。その表現は的を射ていた。
乾燥した状態を維持した高温のオーブンで焼かれて、硬パンはもはや石のようになっていた。
その上に載っていたリンゴも面影は無い。
茶色い石の上に、歯のような白いものが乗っている。
石。これを見た人は誰もが石だと答えるであろう。
「うう……。おばちゃん、すまねぇ。あんたの厚意、無駄にしちまった」
「無駄とは何よ無駄とは!!食べたらおいしいかもしれないじゃないの!!」
「いや、あれを食べるのはちょっと……」
難色を示すのも無理はない。
だって、石なのだから。
「あ」
そうして言い合いをしていると、どこからか現れたネズミがオーブンの中に入っていく。
「ミリーさん!ちょっと!この店、ネズミがいるわよ!!ちゃんと掃除してる!?」
「うげ。まじ?気を付けてるん、だけど……」
オーブンを覗き込んだミリーが呆然とした様子でぽかんと口を開ける。
驚きのあまり、言いかけた言葉もしりすぼみになっていく。
「ちょっと、何が……」
「お、おい、どうした……」
つられてオーブンを覗き込んだ二人も言葉を失う。
オーブンの中にはイチゴジャムを塗りたくったように、鮮やかな赤を身にまとったアップルパイが鎮座していた。
その端に、骨と皮だけになった、ミイラ状態のネズミがぽつんとくっついている。
「なるほど。そういうことね」
ミリーが冷静さを取り戻して、合点がいったとばかりに頷く。
「ど、どういうこと、ミリーさん」
食いつくように尋ねてくるルルアを、ミリーが手で抑える。
「乾燥した状態の高温にさらされたアップルパイは、完全に水分を失って、カラカラになっていたの」
「あれはアップルパイと呼べる代物なのか……」
ジャックのぼやきを無視してミリーが続ける。
「カラカラになったアップルパイは、周囲の水分を吸いつくすスポンジのようになってしまった。それを生き物が触ればどうなってしまうか。分かるわね」
「そ、そんな」
「う、嘘だろ……」
現実を受け入れるのを拒む二人に、ミリーが真実を告げる。
「アップルパイに触れたネズミは、全身の血液を瞬時に奪われ、ミイラのようになってしまった。そうして水分を取り戻したアップルパイは、もとのつややかさを取り戻したのよ」
「いや、全然元通りじゃねーよ!」
ジャックが我に返って叫ぶ。
「アップルパイは赤くねーからな!!ぱっと見だと美味しそうに見えるけど、それを聞いちまったらグロテスクでしかねーよ!!」
「このアイテムを名付けるとしたら、そうね……。『リンゴが赤い理由』といったところかしら」
「そ、そんな……。食欲をそそるリンゴの綺麗な赤。あれにこんな理由があっただなんて……」
「いや、リンゴが赤い理由はこんな血なまぐさいもんじゃねーからな!?」
「あ、それはそうと、食べ物を粗末にするのは許さないからね。ちゃんと責任をもって食べるように」
トングでアップルパイ?を掴み、ガラス瓶に詰めながらミリーが宣言する。
「いや、こんな劇物食べられねーよ!殺す気か!?」
「うーーん。魔物に振舞えばいいんじゃないかな」
「ああ、それでいいわよ。それが魔物であったとしても、誰かの糧になったのならば食材も本望でしょう……」
「いや、魔物の方が、このアップルパイらしきものの糧になってるからな……」
これは、普通のものを作るのに飽きた店主が、変わり種のアイテムを求めて開業した、ちょっと奇妙な調合屋さんのおはなし。
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