第9話 エドガー・マキーナルトの仮面

「少しお時間よろしいかしらぁ?」

「ッッ!!」


 ドアの向こうから響く鈴がなるように美しく、それでいて少し間延びした声音。


 それを聞いた瞬間、エドガーは飛び上がり、ダラダラと冷や汗をき始める。青ざめた表情で、慌てる。


 机とベッドと箪笥しかない部屋。しかも、自分はシャツと短パン一枚といっただらしない恰好。


 人を招き入れる状態ではない。


「え、いや、今は人を招ける状態ではなく」


 まして――


「拒否権がアナタにあるとでも思っているんですの?」

「あ」

 

 第二王女であるハティアを……。


 そう思ったときには、間延びしたのとは全くの逆。冷徹な声音と共にハティアがドアを開け、ずかずかと中に入ってきた。


 軽めのドレス。紫の下地にお淑やかなな金の装飾が施されている。それ一つ売るだけで平民が半年以上、余裕でくらせるだろう。


 まさに王族と思わしめる衣服を纏ったハティアは、呆然としているエドガーを冷たい目で見下ろした。


 そこには、昼間、中等学園の校門前で見せた優しい微笑みもなかった。


「エドガー様。お久しぶりでございますわ」

「……これは、ハティア王女殿下。久しぶりの再会、私にも嬉しく思います。ですが、喜ばしい再会をこのような大変お見苦しい恰好で汚してしまい申し訳ありません」


 シャツに短パンといった格好でも、凜とした声音と洗練された仕草でハティアに軽く頭を下げれば、様になる。


 それに呆れたハティアは溜息を吐く。


「でしたら、着替えぐらいしたらどうかしら?」

「……失礼します」


 着替える前にお前が入ってきたんだろ、というツッコミをエドガーはこらえる。魔力を纏い、一瞬の内に立派な貴族服を身にまとった。


 そこにいたのは、先ほどの様なちぐはぐな存在ではなく、凜としたワイルド系イケメンだった。


 ハティアが更に呆れる。


「相変わらず出鱈目でたらめですわね。〝転衣てんい〟なんていうおとぎ話にしか出てこない秘儀をこうも簡単に。頭がいているんじゃないんですの?」

「ですので、我が領ではお風呂のお湯には困りませんよ。皆、いつでもお湯を沸けますから」

「ふんっ」


 エドガーの軽口にハティアは鼻を鳴らす。


 王女と英雄の息子。昔からそれなりの交流はあり、公でなければこれくらいの軽口が行えるくらいの関係性なのだ。


 だから、ハティアは微笑みを浮かべない。声は間延びしない。


 優しい穏やかな王女の仮面はいらない。


「それで何の御用でしょうか、ハティア王女殿下」

「御用も何も、事情説明よ。わたくしが直々に来てやったんですわ」

「それは大変光栄にございます」

「嘘おっしゃい」


 張り付けた笑みを浮かべるエドガーに、ハティアは冷たく言った。


「既にここは中等学園の学生寮。特別エリアですわ」

「とすると、私はどうにか自力でここまで――」

「何たわけたこと仰っているんですの?」

「――ですよね」


 ハティアの鋭い視線にエドガーは苦笑いをする。


「入寮初日にあんな恰好で来て、しかも校門前で寝るとかアホじゃないですの? 英雄の息子として、これ以上ない失態だと思いますわよ。これなら、あの狂犬女が来た方がまだマシですわ」

「……返す言葉もありません」


 エドガーは頭を下げる。


 昼間の自分を思い出して、エドガーはひどく恥じる。責める。


(マジで何やってたんだ、俺!)


 エドガーはこの場で自分を殴りたいほどには、自分に憤っている。


 それを手に取るように理解しながら、ハティアは言った。


「けど、正直あそこまで酷くて助かりましたわよ。周りにいた生徒たちもあれがの英雄の息子と思わないでしょう。特に、普段……いえ、社交界でのアナタを知っている者は。警備員の方はわたくしの方で口止めと、裏合わせをしておきましたわよ」

「裏合わせ、ですか?」

「ええ。アナタは一日遅れて入寮するんですの。ちょうど、明日、入寮する者もいますし」

「ッ。感謝申し上げます。この礼はいずれ、返させていただきます」

「楽しみにしていますわ」


 ハティアはきびすを返す。


「では、今日のことは何もなかった。それでよろしいですわね」

「はい。私は今日、ハティア王女殿下と話してもいません」

「ええ、では、明日。本当の久しぶりの再会を」

「こちらこそ、明日の久しぶりの再会を楽しみにしております」


 空虚な会話を交わし、ハティアはエドガーの部屋を出ようとして、振り返る。


「エドガー様。学園でその仮面はやめておいた方がいいですわよ。多くの令嬢たちを勘違いさせて、背中を差されますわよ」


 ハティアはエドガーの張り付けた笑みに目を細めた。


 少し粗暴な口調ならまだしも、野性的な端正な顔でガタイもいいのに、甘いイケメンスマイルを浮かべて下手したてに出るのだ。しかも英雄の息子。


 最近はそんな恋愛小説が特に令嬢たちの間で流行っていることもあり、面倒になるのがありありと想像できる。


 ハティアはこればかりは本心で忠告したのだが、エドガーは冗談だと思い、張り付けた笑みをハティアに向けた。


「忠告、感謝いたします」

「ッ。……ああ、それとバンボラ・N・グラフト様が入学することは知っていますわよね」

「ええ、はい」

「なら、よろしい。では」


 忠告を聞かないエドガーにハティアは諦めた表情を浮かべた。そしてエドガーの部屋から去った。


 エドガーはポツリと呟いた。


「ハティア様の方が今の仮面もやめた方がいいと思うがな」


 ハティアの冷たい表情も、仮面。優しい穏やかな王女の仮面では対応してはいけない者に見せる仮面。


 エドガーは未だに、本当のハティアと出会ったことがない。



 Φ



 翌日。


 朝日が昇る前に学園を出たエドガーは、身なりを整えて中等学園の学生寮へ再度入寮した。


「こんなもんだな」


 母のアテナが作ったアーティファクトで、普通よりも沢山入る空間拡張が施された背嚢はいのうから、実家から持ってきた家具やら何やらを取り出し、設置したエドガー。


 満足そうに部屋を見渡し、それから窓を開けた。


「さて、と。昨日は何もなかったからな・・・・・・・・・。挨拶周りをするか。それと」


 エドガーは部屋の隅においてある、沢山の贈り物の山を見やった。


「今日中に全員分渡せればいいが。明日の入学式にまでもつれこんでも問題はないんだが、それでも早く終わらせたいしな」


 入寮日は二日間設けられている。


 ただ、実質は初日が入寮日だ。二日目は、いわば交流。


 各々で学園を周り、ある程度関係性を築いておくのだ。特に自分よりも爵位が上の派閥貴族には必ず挨拶回りをする必要がある。


 マキーナルト子爵家はどの派閥にも属していないため、まんべんなく有力貴族に挨拶をする必要がある。


「面倒な習慣だが、まぁ詫びの物を贈るのを誤魔化すには最適な習慣だ。それに、令嬢はともかくとして、令息相手は気楽でいい。知り合いもいるしな」


 ふぅ、と息を吐いて覚悟を決めたエドガーは、それから空間拡張の背嚢はいのうに魔力を注ぐ。


 すると、みすぼらしい背嚢はいのうが学生鞄に変わった。


「じゃあ、詰めていくか」


 エドガーは今日、会う予定順に贈り物を空間拡張の学生鞄に詰めた。


 そしてハティアの忠告を無視して、エドガーは張り付けた笑みを浮かべて挨拶回りを行った。







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