空似

空似

 本屋には出会いと別れがある。というのが、今は亡き祖母の口癖だった。


 本との出会い、人との出会い。

 本との別れ、人との別れ。


 僕を本屋に連れて行きながら、そんな話をしていた。

 まだ幼かった僕は、祖母のそんな話を分からないような分かったような、やっぱりよく分からない気持ちで聞いていた。


 本が好きな祖母だった。よく、本屋に連れて行ってくれた。

 本屋に行く途中の駄菓子屋に寄って菓子を買うのが好きだった。帰りにいつもの喫茶店でオレンジジュースを飲みながら、祖母と喫茶店のマスターの話を聞くのも好きだった。


 祖母が亡くなって数年たったある日、僕はやることもなく一人で散歩をしていた。狭い路地裏をぷらぷらと歩いていたら一軒の本屋を見つけた。こんなところに本屋なんてあったっけか。もっぱら車で移動する僕は、こういう場所の店にうとい。


 年季を感じる壁にはつたう。「本屋」の看板がなければそのまま通り過ぎてしまいそうな木枠きわくのガラス扉。見るからに個人経営の本屋だ。普段だったら通り過ぎていたと思う。でも、特に行く当てもない散歩の途中だった僕は、その扉に手を掛けた。


「いらっしゃい」


 扉を開けると、僕の目線の高さくらいの本棚がずらりと並び、その奥のカウンターで優しそうな老婆が微笑んでいた。

 軽く会釈をし、もう一度老婆の顔を見て僕はぎょっとした。


「ばあちゃん……」


 思わず声がこぼれた。

 狭い本屋だった。僕の声は小さかったけれど、老婆にはしっかり聞こえていたらしい。老婆はころころと笑った。


「やだねえ、誰かと間違えたのかい」


 しまった。なんで祖母だと思ったんだろう。僕は、火葬場で家族と一緒に泣きながら祖母のお骨を拾ったじゃないか。でも、それくらい、老婆は祖母に似ていた。


 僕は正直に、自分の祖母に間違えたこと伝え、謝罪した。


「ああ、そうだったのかい」


 老婆は全く気にした様子はなく、でも、祖母の名前を聞いた。

 僕が祖母の名前を伝えたら、老婆はすまなさそうに眉を下げた。


「ごめんねえ、知らない人だよ。他人の空似ってやつかしらね」


 そして、こう続けた。


「でも、本屋には出会いと別れがあるからねえ。本との出会い人との出会い。本との別れ人との別れ。私が貴方のおばあ様と似ているというのも何かの縁かもしれないねえ」


 祖母の口癖を祖母によく似た老婆から聞いて、僕はなんだか無性に懐かしいような泣きたいようなごちゃごちゃとした気持ちになった。そして、きっと何度もこの本屋に来ようと、そう思った。


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空似 @ei_umise

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