ぬいぐるみは動かないししゃべらない
やまおか
第1話
ぬいぐるみは動かないししゃべらない。そんな当たり前のことに気がつくのにずいぶんとかかってしまいました。
「―――、―――!!」
お母さんがわたしを呼んでいます。すぐに飛んでいくと、お母さんが怖い顔で怒鳴ってきました。お母さんのげんこつがわたしの頭をなぐります。ぬいぐるみを持つみたいに頭をつかみ髪を引っ張ります。ぜえぜえと息を切らせたお母さんがぽいとわたしを放り投げました。
どうしてこんなに痛くて苦しいのかな。
わたしは胸に抱いたぬいぐるみの頭をなでながら考えました。このぬいぐるみはお母さんに買ってもらった大事なぬいぐるみ。優しかったお母さん。今はちょっと疲れているみたいです。
そうだ。自分もぬいぐるみだと思えばこんな風に思わなくて良くなる。とてもいい考えだと思いました。
次の日も殴られました。
でも、大丈夫。わたしはぬいぐるみだから痛くありません。ふわふわの綿だから床にぶつかっても大丈夫。すぐに元通りです。
しゃべるたびに怒られるので口数がへり、他人と関わらなくなりました。ぬいぐるみだから一人きりなのは当たり前です。
夜になってもごはんがありません。ぬいぐるみだから当たり前のことです。
学校から帰ると一人でおままごとをします。わたしはお母さん役。優しい手つきでぬいぐるみをなでて、よく食べて偉いねとほめました。
ぬいぐるみを抱っこしながら、この子は幸せねと思いました。同じぬいぐるみなのにどうして違うのでしょう。
「わたしもお母さんにこんな風になでてもらいたいな」
ぽろっと声が出てしまいました。ぬいぐるみなのにしゃべっちゃだめだ。そう思ったとき、誰かの声が聞こえました。
『キミも幸せになっていいんだよ』
周りを見回しても家の中には自分だけしかいません。気のせいだと思ったら、もう一度声がきこえました。
もしかしてと思いながら胸に抱いていたぬいぐるみを顔の前に持ち上げてみました。プラスチックの目がわたしをじっと見つめ返してきました。
『ごめんね。驚かせたかな』
「あなたはお話しできたのね。どうしていままで黙っていたの?」
『だって、ぬいぐるみなのにおしゃべりできるなんておかしいだろ。キミに会えてとっても幸せだった。正直に言ったらこの幸運が逃げてしまうって怖かったんだ』
それからたくさんおしゃべりしました。いままでは一人きりでしたが、楽しい気持ちになりました。たくさんのことを話しました。お母さんのことも話しました。ぬいぐるみとは前よりももっと仲良しになりました。
『ボクはキミのお母さんのことは嫌いだね。だっていじわるしてくるじゃないか』
「ちがうよ。お母さんは……やさしかったよ」
またお母さんと仲良しになりたいな。そうつぶやいたら、ぴょんとぬいぐるみが立ち上がりました。
「じゃあ、ボクにまかせてよ。ボクといっしょにお母さんにお願いしてみよう。それで仲直りだ」
胸をたたくぬいぐるみはとても頼もしそうだった。わたしは「うん」とうなずいてがんばってみることにしました。
「お母さん、ただいま」
床の上には動かなくなった母が転がっています。
ぬいぐるみを抱えながら一緒に仲直りのお願いにいきました。でも、わたしのことを失敗作だと生まれてこなければよかったのにとたくさんの言葉で罵りました。
いつもみたいに頭を殴られました。手からこぼれたぬいぐるみから床に転がります。お母さんが手を伸ばしてぬいぐるみを拾い上げました。
「なによ、こんなもの大事にしちゃって」
頭と体をつかんで力いっぱい引っ張りだしました。
『いたいよ。助けて!』
悲鳴が聞こえました。わたしはお母さんにやめてとお願いしました。だけど、その顔はとても楽しそう。
自分の痛みならいくらでも大丈夫でした。でも、ぬいぐるみの声を聞いてると耐えられそうもありませんでした。だから、わたしは―――
気がつけば母は動かなくなっていました。床の上で寝たままの母を心配していると、『もう大丈夫だよ』とぬいぐるみが言ってくれました。縫い目がほつれていたけれど、糸と針で直せば元通り。
お母さんのおなかにできた穴も糸と針で直して元通り。
「お母さん、だっこして」
お母さんを抱き起こしてソファに座らせると、ぬいぐるみを抱えたまま膝の間に挟まります。わたしにもたれかかったお母さんの手をとって頭にのせました。ひんやりと冷たくて気持ち良いです。
「お母さん、大好き」
返事はありません。
静かになって何もしゃべらなくなってしまいました。お母さんもわたしたちと同じになりました。でも、こうして頭をなでられるだけでとても幸せです。
わたしは胸の中のぬいぐるみをなでながら「ありがとう」といいました。
それっきり、家の中は静かになりました。
ぬいぐるみは動かないししゃべりません。
ぬいぐるみは動かないししゃべらない やまおか @kawanta415
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