明日は手の中に
柚木ハッカ
第1話
この街は一週間に四日は雨が降る。残り二日がどんよりとした曇り空で、一日だけ少し太陽が拝める。太陽が出てる時は何をしてようとみんな太陽光で充電できる充電池を持って外へ飛び出す。その時だけは喧嘩は止む。そんな貴重な時間に喧嘩してるヤツは馬鹿だ。大馬鹿者だ。そんなヤツは大抵この街では生き残れない。
俺もその辺に転がっていた死人からかっぱらってきた充電池を太陽に当てる。日がよく当たる場所は取り合いにはなるが、それで殴り合いの喧嘩までには発展しない。そんなところで暴れていたら〈自治会〉の爺達に見つかって粛清される。そういう決まりだから仕方ない。
空を眺めればアホみたいな数の電線がぶら下がっているが、あんなモンはだいぶ前から使えない。たいがいボロ布と見間違えるような小汚い洗濯物がかかっている。使えない電線の使い道なんてそれくらいしかないだろ?
「シュウ。そろそろ交代しろ」自治会の爺に声をかけられる。日が良く当たる場所は揉めないように出張ってくることがよくあるのだ。
「ずいぶんまた集めてきたモンだな」呆れたような褒めるような言い方をされた。
「こないだ道でくたばってたおっさんのポケットに三つ入ってたから」
そう答えると爺はふうんと鼻を鳴らした。恐らく〈向こう側〉に何か関連のある人物だと踏んだのだろう。
「ソイツはどうした?」
「こないだ〈憲兵〉が来て回収して行った」
「なるほど」そう答えたきり黙り込んだ。俺は仕方なく自分の充電池をポケットに突っ込んだ。そして遠くに光って見える〈向こう側〉を眺めた。
半透明の
自然に抗うことは出来ないと言ったのはいつのことだったか。今は天気さえも管理できる。だがそれはただ単に位置を修正できるだけに過ぎない。結局は自然をなに一つコントロール出来てないわけだが。〈向こう側〉の負債を〈こちら側〉が引き受ける。だから生きてもいいことになっている。生きることすら許可制なんて反吐が出る。
「シュウ。暇ならお前の家の隣の婆さんの家の充電も手伝ってやれ」
「自分のことは自分でやるって決まりだろ?」
「“お互いに助け合う“ってのが自治会の理念なんだが、忘れたか?」爺さんは鋭い目で俺を睨んだ。俺は肩をすくめて「分かりましたよ」と答えて歩き出した。
俺の名前は〈シュウイチ〉。誰もそうは呼ばない。長くて面倒なんだそうだ。イチって呼ぶのがそんなに面倒なんだろうか。まあ、みんなそう言うのだから仕方ない。俺は自分の名前がどんなふうに書くのか知らない。字は書けないし、読むことも出来ない。けどそれが困ったってことはない。話せば済むことだし、最悪は手話がある。
ここはやたら老人の数が多い。〈向こう側〉が出来た時に捨てられていったからだ。子どもの産める美しい人間達は向こう側に連れて行かれた。残ったのは老人と障害のあるもの、子どもの産めない女達。そして──みめ麗しくない者だけだった。
それもあってここでは子どもがほとんど産まれない。いや、産まれたとしても栄養状態が悪くほぼ命を落とす。赤ん坊の命は運良く助かることはあっても、子を産んだ母親はほぼ助からない。だから同意のない無理矢理の性交は殺人と同じように扱われる。投石されながら市中引き摺り回される。だいたいは息が絶えるまでそれは続けられる。死刑と一緒だ。
ここの法律は〈自治会〉だ。爺連中が管理するのに必要だと作った。確かにこんなところで無法地帯になりゃ、明日にでもみんなくたばってるはずだ。だから自治会のいうことは絶対だった。
俺は崩れ落ちそうなドアを一応ノックする。それは礼儀だと俺の保護者が口うるさく言うから。中から返事がした。どうも婆さんの声じゃないようだった。
「婆さん、電池あるか? 充電してきてやるよ」部屋に入りながらそう言った。
湿っていて腐った床だが、それでもまだマシなところに寝床があったはずだ。だが寝床は窓際に移されていた。その側には片手のない中年の女性が座っていた。部屋の中はすえた臭いがした。
女性は俺の顔を見るなり首を振った。どうやらいよいよ駄目らしい。これは──腐臭だ。
「でも充電しといて困るってことはないだろ?」俺は腐り落ちかけている棚から充電池を取り出した。
「悪いね」その女性は言った。その女性はここの婆さんとは何の関係もない。ただの知り合いだ。
「お互いさまだろ」
俺は電池を持って外へ出た。
俺が小さい時から可愛がって、食べ物を分けてくれた婆さんだ。悲しくないわけがない。けど、ここじゃ日常茶飯事なんだ。いちいち気にしてたら生きていけない。
戻ると自治会の爺さんは充電の列を厳しく管理していた。仕方なく列の後ろに並ぶ。
この爺さんは〈向こう側〉と〈こちら側〉に分かれた時のことを知っている。「問答無用で年齢で分けやがって」そう何度も聞かされていた。「昔は俺は知事だったんだぞ」と自慢げに言っている。そんなことを言われても俺には分からない。そもそもチジって何だ?
しばらく待っていると俺の順番が回ってきた。
「──どのくらい持ちそうだ?」そう小声で尋ねてきた。電池のことじゃない。婆さんのことだろう。
「さあ。明日か明後日じゃねえの」
「そうか」
そう返事したきり爺さんは黙った。
「──そういやお前は〈革命軍〉とやらには参加しないのか?」
「冗談でしょ。どうせ死ぬってのにわざわざ死に急ぐなんてどうかしてるよ」
「そりゃあそうだ」爺さんは強張った顔でそう答えた。
革命軍。名前はかなり勇ましいが、やることといえば〈向こう側〉に爆弾を仕掛けたり、忍び込んで住人を拉致したりするだけだ。それで〈向こう側〉が考えを変えるとかなんとかと思ってるらしい。毎回そんなことをしては、憲兵がここに乗り込んできてぐちゃぐちゃにしていく。俺にとってみたら革命軍も憲兵も迷惑極まりない。
「またなんかやろうとしてるンすか?」
「いや、もうやらかしてるだろうな」
俺は少し目を見開いた。
「若いモンの姿が見えない」
言われてみれば確かにそうだ。
「今回は〈諜報部隊〉が動いたようだな」爺さんは静かに言った。諜報部隊の姿は見たことがない。憲兵と違ってぐちゃぐちゃにはしていかないが、人が消える。革命軍には若い人が多く参加している。
「せっかく生き延びてきたってのに」爺さんは吐き捨てるように言った。
何とか産まれても、ここで二十歳まで生きられる確率はほんの数パーセントだったという。それを自治会が管理することにより、数十パーセントにまで引き上げられたという。だがそうやって守られて生き抜いてきた若者達は何故か革命軍に参加したがった。爺さんにとっては堪らない結果だろうなというのは想像に難くなかった。
充電も済んだので〈飯屋〉に顔を出す。案の定、店は混んでいた。
「シュウ! せっかく来たんだから手伝っていきな!」乳の無い大柄な女将に見つかってしまった。女将は若い時分からここに住んでいる。若い頃に病気で子が出来ない身体になったから、ここに捨て置かれたらしい。この店や他のいくつかの店の電気だけは特別だ。〈向こう側〉から掠め取った少ない電気を分けて使っている。だからここは電気にはそんなに困っていないのだ。
ここは飯屋だから頼めば一応それなりの形の食べ物は出てくる。だが大半は酒が目当ての客だ。
充電を済ませた連中が酒を飲んで浮かれている。どうやら太陽が出てる時は酒を飲んでも陽気になるらしい。俺はタダ飯がもらえるので手伝うことした。
「日が出てる時の酒は美味いねえ!」
「雨なら雨で飲まなきゃやってられねえって言うくせに」女将が大声で答えると周りがドッと沸いた。密造酒の供給量は決められている。それを水でさらに薄めて店では出している。それでも酔っ払えるんだから凄いと思う。それに俺はアル中の連中は嫌いじゃない。少なくとも〈革命軍〉よりはマシだ。
「──そういやアイツらまた何かやらかしたらしいな」そろそろ爺さんになりかけの団体が話し始めた。アイツらとは革命軍のことだろう。
「ああ、また〈向こう側〉に挑みに行ったらしい。プルトニウム爆弾を手に入れたって騒いでたからな。どうせまた偽物を掴まされて何も出来ずに帰ってきたんだろうよ。何の爆発音も聞いちゃいねえし」
「それで連れて行かれたか」
「偽物を手引きした奴が向こうの人間だったんだろ。その時からもう目をつけられていたんだろうよ。じゃなきゃあんなに早くは動かないだろうさ」
諜報部隊がってことなんだろう。それを言葉に出すのは憚られた。
「戻って来ねえだろうな」
「そりゃそうだろ」
「また若いのが減ったな」そう言ってため息を吐いた。
「そういやシュウは参加しねえのか?」盗み聞きしてたのがバレたのだろうか。急に話を振られた。
「しませんよ。興味ないし」
「余計なことばっかり言ってるなら、早くくたばっちまいな!」どうやら女将は聞いていたらしい。俺は首根っこを掴まれた。働けってことなんだろう。俺は慌てて謝って仕事に戻ることにした。
酒がなくなって客が切れてくると女将は俺を手招きしてカウンター奥まで呼んだ。
「持ってってやんな」そう言って布に豆と芋を包んでくれた。豆は遺伝子組換えってヤツで、こんなところでも何とか育てられるようになってる。芋だって貴重な物だ。そしていきなりテーブルにドンッと瓶を置いた。
「アンタの親、キツいんだろ? 飲んでりゃ少しは痛みは忘れられるだろうから」
「でも」
「アタシからの礼だよ。渡してやんな」
俺は丁寧に頭を下げて御礼を伝えた。これは恐らく酒だろう。確かに飲んでれば身体も暖まるし、痛みも忘れられる。それはありがたかった。そして店をあとにして、家路を急いだ。
俺は家に戻る前に婆さんの家に寄った。婆さんに意識はなかった。けどもし起きた時に何か食べさせて欲しかったから、芋と豆を分けて渡した。そばについていた女性は起きたって食べられないからと断ったが、だったらあなたが食べればいいと俺は言った。誰もいないところで逝くより誰かがいてくれた方が絶対いい。そのための豆と芋なら安いもんだ。
そして家に戻る。家には俺の保護者が一緒に住んでいる。
家に帰るとその人は痛む身体でプランターを覗き込んでいた。だいたいの家では豆を育てている。
「身体は大丈夫なのかよ」
「どうにもならん」振り向きもせずそう答えた。
俺の保護者は本当の親じゃない。周りは親だと思ってるけど、本当に近しい人は真実を知っている。この人は俺の両親の職場の上司だった人だ。
俺が産まれた時、顔に大きな痣があった。そのせいでここに捨てるように言われた。それが忍びなくて、ここに住む職場の上司に俺を託したらしい。運が良ければまだ〈向こう側〉に住んでるだろう。だが会いたいとも思わない。俺はこの偏屈な爺さんと暮らしてきて不満はない。生きていくのに必要なことは教えてくれた。それで十分だった。それに〈向こう側〉で暮らしたいなんて思ったことはない。
そしてこの偏屈な爺さんは病を拗らせていた。身体が痛いのはそのせいだった。
「店の女将が酒をくれたよ。飲んでる間は痛まないんじゃないかって」
「礼は言ったか?」
「ああ、ちゃんと言ったよ。頭も下げた」
爺さんは何度も頷いて、やっと振り返った。
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