第9話

 ユーリイの館の厨房は、規模でいえばマルティーノ宅に劣らぬものだった。

 美食家であったマルティーノは珍しい調味料や食材、他にあまり見ない調理器具などがそろっていたが、いまフィアルカの目の前に広がる厨房はもう少し無骨な感じがした。


 調味料も食材も多いが、美味を追及するためというより、種類を多く集めたという感じだ。

 ――おそらく、ユーリイとエレナの《毒魔》に関係しているのだろう。


 もとからこの厨房の主である料理人は、いきなりユーリイにつれられて現れたフィアルカに少し驚き、それから明らかに不満な様子を見せた。目には強い疑念と警戒が浮かんでいる。


 厨房というのは料理人にとって自分の領地であるから、そこを一時でも譲るというのは耐えがたいというのはフィアルカにもよくわかる気持ちだった。下手をするとそのまま職も奪われかねない。――フィアルカが追い出されたように。


(……やりづらいな)


 思わずそう心の中でつぶやいたのは、料理人に反発を食らったからだけではない。

 見学とか手伝いなどといって、ユーリイと料理人が調理に立ち会うといって聞かなかったからだ。


 ――ユーリイはまだしも、料理人のほうは、毒でも盛るのではないかと警戒しているのかもしれない。

 だがその疑念もわからないことではなかったので、フィアルカも我慢することにした。


 食材の残りを持ってラピスが到着したのはちょうどその時だった。

 ラピスもまた当然のように厨房へ来てフィアルカを見るなり、だいぶ不機嫌そうな顔をした。


「面倒ごとは御免だ」

「これ以上はラピスに頼み事しないから。……たぶん」


 ふん、とラピスは鼻を鳴らした。そして当然のようにそのまま厨房に居座り、フィアルカの調理を眺めて暇を潰す算段らしかった。ますます訝しげな顔をする料理人と、あまり歓迎していなさそうなユーリイのことは存在ごと無視しているかのようだ。


 フィアルカは一度大きく息を吐くと、外野に背を向けた。


(……さて)


 ここからが自分の仕事だ、と気合いを入れ直す。自分で持ってきた分のウェイスボアの食材の中に、肝臓があった。かなり味のクセが強い部位だが、《毒魔》を緩和する力は一番強い。


 しかしエレナの衰弱ぶりでは、いきなりこれを摂るのはよくないだろう。


 腕を組んで、周りの材料を眺める。

 そして――決めた。


 使う材料と器具を並べる。

 まずユーリイにもつくった薄切り肉のスープをつくる。厨房の食材を見渡すといくつか相性がよく効能もある野菜があったので、肉と一緒に鍋に入れた。


 今度はちょっと長めに煮込んで少しでも肉から滋養が染み出すようにする。表面に浮いてきた灰汁を丁寧に取り除いてから、肝臓の調理に取りかかった。


 まだ色鮮やかなそれを丁寧に洗ったあと、しっかり筋を取る。それから細かく切った。

 玉葱を薄切りにして、鍋に牛酪を敷き、炒める。牛酪が瞬く間に溶け、ふわりと芳香がフィアルカの鼻をくすぐった。


 玉葱の色合いを見てから、細かく切った肝臓を入れる。水晶岩塩とコショウ、周りにあった香草も拝借して振りかける。

 その表面が変わってきたのを見て、白葡萄酒をかけると、じゅうっと快い音が立つ。


 乳脂を入れ、沸騰してきたのを見て火を止めた。白い乳脂はすっかり茶色に染まり、その中にごろごろとした欠片が見えた。


(――よし)


 粗熱が取れてきた頃をみはからって、欠片をすり潰していく。これが一番面倒で力の要るところだった。


 そうしながら、目は横の鍋を見る。スープもまたぐつぐつと煮えてきて、なんとも空腹を刺激する匂いを漂わせていた。


 腕が痛くなる頃にはなんとかすり潰し作業も終わり、柔らかい茶色の半液体が出来ていた。小さな匙で少しすくって味見する。まだ熱が残っていたが、苦さは控えめに、ほのかな甘みと濃厚な味わいが口いっぱいに広がった。


(うん、大丈夫)


 小さな器にいくつか移し、冷めるのを待つ。

 スープもだいぶ煮えてきて、肉も野菜も柔らかくなっていた。


 ふいに、フィアルカの背後から長い腕が伸びた。

 ラピスが、移したばかりの小皿を抱えて鼻を近づけている。


「ちょっと!」

「香りは強すぎるが、味は悪くなさそうだな」

「……なら味見させてあげない」

「それはやめろ」


 尊大な態度のまま嫌そうな顔をされ、フィアルカは少し笑ってしまいそうになった。

 鍋に少し残っていたものを匙ですくい、ラピスに差し出す。


 大きな手がフィアルカの手首ごとつかみ、引き寄せた。

 長身のラピスは身をかがめて匙を口に含む。

 そうして、

 

「なるほど」


 とつぶやき、舌で唇を舐めた。果実を思わせる赤い舌に、フィアルカはなぜかどきりとして慌てて目を伏せる。

 ――だが、ともかくラピスのこの反応からして十分合格点のようだ。


 つかまれた手首をひっこめようとすると、ラピスは離そうとしなかった。


「ちょっと!」

「もう少し味見してやろう」

「だ・め・で・す!」


 手をつかまれたまま匙を振り回してラピスを諦めさせると、仕上げに移った。

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