第8話

 寝台に横たわっているのは、美しい少女だった。目を閉じている。掛けられた寝具から見える、折れそうなほどに細い首。その上の整った顔立ち。枕から広がる髪は、ユーリイよりも色味の落ち着いた、赤みのある茶色だった。


 肌は異様なほど白い――ほとんど血の気を感じさせない、背の冷たくなるような色だ。

 そして、その白さの分だけ、が禍々しく、おぞましく見えた。

 首のほとんどは黒い網目状に覆われ、顎から両頬、目の下にいたるまでまるで黒い茨の刺青をされているように見える。


 ユーリイよりも明らかに症状が重い。

 ――この少女のために、ユーリイはウェイスボアを必要としていたのだろう。

 少女の瞼が震え、弱々しく持ち上がった。その目が、ユーリイを捉える。


「おにい、さま……?」

「……ああ」


 寝台の側でユーリイが跪く。


「……医師ではないが、治してくれそうな者を見つけてきた。もう少しがんばれ」

「治してくれそうな人……?」


 半分まどろみにいるようなエレナの目が、フィアルカに向く。

 そのあまりに痛ましい反応が、フィアルカの喉を締め付けた。どんな反応をしていいかわからず、ただ名乗る。


 少女――エレナにかすかな笑みが浮かんだ。脆くいまにも消え去りそうな、諦観の微笑だった。


「もう、いいの。お医者さまの言う通りにしたのに……少しも、よくならないもの」

「……エレナ、諦めるな」

「だって、お兄さま……とても、苦しいの」


 消え入りそうな声が応じた。エレナの大きな目が潤む。

 それは他人のフィアルカですら、ぐっと胸を押されるような痛みを感じる姿だった。


 ユーリイが息を詰まらせる。言葉を失い、顔に苦悩が浮かんではすぐ押し隠されるのをフィアルカは見た。


「もう、苦しいのはいや……」


 かすれた声がつぶやき、ふうっと息をこぼして目が閉ざされる。

 ――一瞬、少女がそのまま永遠の眠りについてしまったような気がして、フィアルカはぞっと背筋が冷たくなった。


 だがシーツ越しに、胸のあたりがかすかに上下しているのを見てかすかに安堵する。

 ふいに視線を感じて顔を上げると、ユーリイの目と合った。促されて、部屋を出る。


 扉をしめたとたん、ユーリイは言った。


「頼む。エレナを助けてくれ」


 端整な男の横顔が苦痛を堪えるように一瞬歪み、思い詰めた目がフィアルカを見た。

 ひたむきな眼差しが真っ直ぐにフィアルカの胸を貫き、言葉を奪う。


 ――少女のあの姿を見たあとで、拒絶などありえない。

 けれど出来ないことを無責任に請け負うのは、フィアルカがずっと避けてきたことだった。マルティーノとの関係がこじれたのもそれが遠因でもあった。


 しかもいま、目の前に広がる状況はマルティーノのときとは比べものにならない。少女の弱々しい姿が瞼の裏に焼き付いて、そのぶんだけ重く責任感がのしかかってくる。

 ――ユーリイの言うように、かなり症状が重い。これほどの症状は、めったに見ない。


「……出来る限りのことはします」


 重い口でなんとかそれだけを言った。


「医師には診せられましたか」

「わきまえのある者に診せた。だが、《毒魔》には対処しようがないと言った。症状は重くなる一方だ」


 答えるユーリイの声に苦悩が滲む。歯噛みするような様子に、フィアルカもまた口を閉ざした。


 ――《毒魔》はおそれられ、同時にもっとも忌まれる病だった。

 おそらく、付き合いの長い医師に見せたのだろう。だが首を横に振られたに違いなかった。

 ある程度軽い症状ならば、まともな医師に診せればそこで対処してなんとかなる場合も多い。

 それが叶わなかったからといって何名もの医師に診せれば、それだけ噂になる。年頃の少女としても致命的になるはずだ。


 ユーリイの切迫した目がフィアルカを見た。


「それで、どうなんだ。早くなんとかしてやってくれ。必要なものがあればなんでもそろえよう」

「……はい。とりあえず、厨房を使わせてください」


 フィアルカがそれだけ言うと、ユーリイはすぐにうなずいた。

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