今の古堂くんの辞書からは、人生灰色という文字は消え去った

素人先生

古堂くんの日常 2023年3月3日 「アクシデントと知恵と勇気」

2023年3月3日。

今日は通勤途中に、職場へと向かい辺鄙な川沿いの道を歩いている。


あ。

おならが出そうだ。


唐突にそう感じた。

いつだって、突然くるものだ。


ここは電車の中でもバスの中でも、ましてやエレベーターンの中でもない。

春風のような空気の冬の空。

人の気配はなく、少し離れたところには、ざあざあと川の音がする。


うむ。何の問題もない。

これは生理現象である。


私は小さくおならを鳴らした。


ハズであった!!!


変化はすぐにやってきた。

あれ?

何だか少しだけ抵抗が強い。


ほんのりと、おしりに温もりも生まれた。


あっ・・・・・これ、・・・おならではない。


後からトイレで知ったが、その日のその時は、たまたまお腹がゆるい体調模様だった。


少しだけ、その水分が出てしまったのである・・・・。

何の問題もないはずだった生理現象が、非常事態に変わった瞬間であった。


だがしかし!天は俺を見放さなかった!


目の前に、簡易の公衆トイレが設置してあったのだ。


その日の私の下半身の構成は、下着、モコモコのスパッツ、パンツという感じだった。


なんとしても、下着の段階で食い止めねば!

そう固く決意し、慎重に、しかし迅速にトイレへと歩みを進めた。


そのトイレはボットン式であった。

床には細かくタイルが敷き詰められ、コンクリートの壁で覆われている。

男性用は外から丸見えであった。

だが、個室も一つだけはあった。

全体的に壁はくすみ、作りも古く、年季を感じさせた。


普段の通勤では、このトイレの存在は知っていたが、使うのは躊躇われた。

ここを使うのなら、近くの自社のトイレを使う。

そんな認識であった。


だが、その日その瞬間から、その認識は消え去った。


近くの川は大きい方だ。

その付近には、公衆トイレが必要である!

もし無かったら、河原の利用者が地味に、いや切実に困るではないか!


私は、個室で最低限の対処をしながら、この場所にこれを設置するように設計し、設置に携わったすべての人に感謝を捧げた。


ちなみに、トイレットペーパーは置いて無かった。

自前で持ち込む形式だった。

念のためにと、日頃からリュックに幾つかのポケットティッシュを常備していて助かった。


無事、処理が終わり、私はほっとした。

そして元の歩道を進みながら、思い出したのであった。


今日は職場のパソコンの使用権が先着順である。

そうだ!

私は急いでいたのであった!


再び気を強く持ち、足に力を込めて会社へと向かった。


だが、そこでふと焦っている自分に気が付いた。

元々少し遅れ気味の行程だったのだ。

そこにアクシデントが襲い掛かった。

今や頭も心も、良い性能のパソコンを勝ち取ることで精一杯だった。

動悸も少し早まっている。


そこで、友人の川今さんの助言を思い出したのであった。

川今さんは、臨床心理士であり心理学者であった。


「あなたには、ここぞという時の本番で、100%の力を発揮できる長所がある。」

「ただし、それを普段の生活でも発揮しすぎている。いつもその後には、決まってクタクタになっている。私生活に支障が出るほどだ。」

「だから、幸せを安定して感じられて、それを持続させていくためには、普段から8割の力を発揮し続ける感じでいた方がいい。」


その時の俺は、川今さんに具体的にはどうすれば8割の力を維持し続けられるのかを尋ねた。


「物足りないくらいの感覚だよ。腹八分目くらいで丁度いいのだよ。」


川今さんは、俺の感覚的な質問に対して、具体的な方法を提示したのだった。


閑話休題。

いま、俺は気力で満ち溢れている。100%を使用中だ。

これから仕事が始まるのに、始める前からこれでは、仕事中にクタクタになってしまう。

それでは困る。


今、どうすれば気力を80%まで落とすことができるだろうか?

ふと、中国の古典で有名な孔子の論語の言葉を思い出した。

これを耳にしたことがある人は多いはずだ。


「過ぎたるは及ばざるがごとし。」


行き過ぎた行為は、必要なものが不足していて良くない行為をすることと同じ価値しかない。

という意味だ。


今まさに、気力80%を超えて100%であり、良くない状態である。

この言葉が当てはまる状態になっているのではないか?


つまり、心身ともに焦った状態で会社に着くことは、遅刻したのと同じだけの価値しかないのではないか?

そもそもアクシデントによって元々の遅れがさらに大きくなっている。

希望のパソコンが手に入る保証は元々なく、手に入る可能性も下がっていく一方であった。


だから、俺はあえて、ゆっくりと歩いてゆくことにした。

早歩きは、自分には行き過ぎた行為である。

だから、今回は逆に大きく歩く速度を落とし、その結果どういう結末になるのかを試してみることにした。

ちょっとした新しい挑戦の始まりだった。


歩くのが気持ちいいと思えるまで速度を落とした。


そうすると、まず体の調子がよくなった。

早歩きは疲れるし、動悸を早くなり余裕が無くなっていくのである。

それから、心の余裕も取り戻した。

時間的な余裕を生み出したことで、心にゆとりが生まれたのであった。


ワクワクしてきた。

果たして、今日の自分はどんなことを体験するのであろうか?

きっと悪いことにはならないだろう。

そう、楽観的に行動することもまた、大切なことなのであった。


兵法で有名な孫氏によると、物事はできるだけ悲観的に計画を立てて想定し、実行時には楽観的に捉えていくことで、ことは上手くことは進んでいくそうだ。


もう、今日は古くて遅いパソコンを使って仕事をする想定を済ませてある。

あとは会社に行ってみるだけだ。

気楽にいこう。


私は最近、そのような孫氏の兵法を心掛けていた。

人生を振り返ってみると、その傾向で生きてきたほうが、上手く事が進んだという実績が沢山あった。

今回も何とかなるだろう。

そう思えた。


会社に着いた。

私は真っ先に更衣室に行き、下半身を全て着替え直した。

替えの下着などをロッカーに用意しておいて、本当に良かった。


そしてその日はどうなったかというと・・・。

結論から言おう。

ゆったりと歩いたことは、最上の選択であった。


なぜならば、パソコンの使用権は、私が当初到着する予定だった時間の40分も前から、より早く来た同僚達によって選ばれ、一つしか残っていなかったからである。


アクシデントと焦りで心身ボロボロの状態の中、体力を消費して数分間の時間を早めても、なんの意味も無かったのである。


ちょっとしたアクシデントに見舞われたことで、私の今後の人生で発揮する予定の判断力が大きく向上したのであった。



知識とは力である。

そこに実績による裏付けが加わり、自分で納得できる実学にまで昇華させると、人生を豊かにしてくれるものなのである。



2023年3月3日。

古堂くんの日常はそんな感じであった。


おしまい。

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