かませ犬【KAC2023】-02

久浩香

第1話 かませ犬

 歩美ちゃんの3歳の誕生日に、僕は藤高家にやってきた。

 彼女へのプレゼントだった僕が、彼女から贈られた名前は”ドギー”。


 その名前は、彼女が親戚の家に行った時、その家で飼われていた犬につけられていた名前で、帰ってから犬を飼いたいと彼女は強請ったが、共働きの両親に生き物の世話をするのは難しく、僕という犬のぬいぐるみが、彼女のペットになったんだ。


 歩美ちゃんは、本当に可愛いかった。

 僕を頭上高く持ち上げると、大きな目を輝かせて、歯を見せてにぱぁと笑い、それから僕が潰れるくらい、ギュウッと強く、きつく抱きしめてくれたんだ。


 その夜から、僕達は一緒に眠った。

 僕の腕やおなかを枕にするから、よだれでベチャベチャになったり、自分のおもらしした布団を僕で拭いて、それでも誤魔化せなかったから、

「あたしじゃないもん。ドギーがやったんだもん」

 って、冤罪を着せられたりした事もあったけど、それでも、歩美は僕の御主人様で、いつも一緒にいられるのが、本当に幸せだったんだ。


 そんな蜜月は5年ぐらいしか続かなかった。

 彼女が小学校に入学してからは、偶にお母さんが僕を洗ってくれる時以外、僕はベッドに置きっぱなしにされるようになり、いつからか、そのベッドからも追い出され、僕は、彼女の部屋の高い本棚と天井の隙間で、埃を被るにつれ意識が遠のいていった。



 僕が深く眠ってから、どれくらいの時間が経ったんだろう。

「う~わっ。メッチャ埃ってんじゃん。うわっ、汚ねー」

 踏み台に乗った彼女は、僕の尻尾を握って引っ張り出すと、速攻、僕を洗濯機にいれて回し始めた。

 濯ぎ終えたビチョビチョの僕を取り出し、型崩れしている僕に、

「あ~。ま、いっか。いかにもって感じだし」

 と言う、高校生になった彼女を見て、ようやく僕は、しっかりと目を覚ましたんだ。


 歩美ちゃんは、相変わらず可愛かった。

 半月の目で、庭に咲く百日紅の花のような唇の端を持ち上げて微笑む彼女は、子供の頃のあどけなさとは違う、何かこう、ムズムズするような愛らしさが備わっていた。



 彼女が、部屋の掃除を終わらせ、学校に行く前、面倒臭そうに渇いた僕をベッドに寝かしつけた日の昼下がり、彼女は、誰かと一緒に部屋に帰ってきた。


「部屋に…は、マズいんじゃないか?」

 という男に、

「えーっ? でもぉ…どうせ、ウチの両親って、帰ってくるのがすごく遅いからぁ、家の中ならどこだって、二人っきりになっちゃうじゃないですか」

「ま、まぁ、そうなんだけど…」

 なんとも甘ったるい声に押し切られ、結局、男はカーペットの上に腰を下ろした。


 どうやら、歩美ちゃんは、学校の女子達にイジメを受けているらしい。そして、その首謀者というのが、この悠希はるきという男の幼馴染みのまいという女子らしい。


「…舞がそんな事をするなんて…ちょっと、信じ難いというか…」


男は半信半疑のようだった。

そうだと思う。

きっと、そんな事実は無いんだろう。

ここ数日の事しか解らないけど、仮にあったとしても、歩美ちゃんが言っていたような深刻な事じゃ無い気がする。


「やっぱり…舞さんを信じちゃうんですね」


顔は見えないけど、歩美ちゃんが涙ぐんでるように思った。


「え? いや、そうじゃなくて」

「舞さん…言ってましたもん。『悠希と私は付き合ってる。だから、近づくな』って。あたし…怖くて…。誰かに相談しようにも、両親と話せる時間なんて、ほとんど無いし。もう、悠希クンに相談するしかないって…」

「え? いや…藤高さん?」

「もう、いいです。やっぱり、あたしを守ってくれるのは、ドギーしかいないんだわ」


歩美ちゃんは、そう言うが早いか、僕にかかっている布団をはいで、お腹に顔を埋めてきた。

慌てた男は、体を捻り、僕に俯せる彼女に、座ったままゆっくりと近づいて、

「ごめん。そんなに思いつめていたなんて思わなくて」

と、申し訳なさそうに、背中を摩った。


ようやく彼女の涙が、僕の綿に届いてくると、歩美ちゃんは顔を上げ、僕を抱きしめて、

「ドギーだけだもん。あたしの事を信じて、守ってくれるのは」

と、自分の胸を僕の頭に乗っけて、男の顔を下から覗きこむように言った。


男の喉仏が、大きく動いた。


「そ、そんな事ない。別に、舞とはそんなんじゃないし、それに、僕が、誰と付き合うとか、指図されるいわれもない」

「あたしの言った事…信じてくれる?」

「ああ。信じる。そして、僕が藤…いや…歩美を守るよ。ぬいぐるみなんかに負けてたまるか」


そうか。

僕は、幼気な君を演出する為に、引っ張りだされたんだな。

それでもいい。

それでもいいよ。

でも、なんでだろうな。

見たくない君を見て、あのまま、ずっと眠っていたかったような気持ちがなくもないんだ。

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