あかい十字

朝吹

あかい十字 前篇(上)

 

 学校帰りの尚道はポストに届いていた封書の印字を見て首をひねった。

 ICRC。

「International Committee of the ……RCレッドクロス。GENEVE。ジュネーブ?」

 海外から届いた封書の表に印刷された赤い十字。曾祖母の遺族宛てだ。尚道の曾祖母は現役時代、赤十字の看護婦だった。

「男女の区別なく看護師と云わないといけないんだろうけれど、ひいおばあちゃんの頃ならやっぱり看護婦だよな」

 学生服をハンガーにかけると、尚道は封筒を開けた。勝手に開けてよいものだったからだ。

「俺が産まれる前に死んだひいおばあちゃん本人も、録音のなかで看護婦だときっぱり云い切ってたよ」

 白黒写真のなかの若い娘はパンやのような制帽をかぶり、制服に身を包んで革鞄を肩からさげ、編み上げ靴をはいた涼し気な立ち姿で写っている。出国前に赤十字社が撮らせたものだ。出征前に写真撮影にのぞんだ当時の兵士たちの眸はどれも同じように別れを告げて澄んでいる。死ねばそれが遺影になった。尚道の曾祖母の写真もそのようにして写真館で撮られた。

「今の俺とそんなに変わらない年だとはまったく信じられないね」

 曾祖母の若い頃の写真の前に座ると、尚道は封筒の表を写真に向けた。

「ひいおばあちゃん、手紙が届いてるよ。スイスの赤十字から」

 戦禍と並走した曾祖母の時代の赤十字看護婦といえば伝説の猛者揃いだ。白衣の天使という単語からついつい連想するスイーツ要素など微塵もない。現役男子高校生の尚道の妄想するナースとは下着をちらつかせたミニスカ姿で笑顔を傾け、

「お熱……はかります?」「え、どこの熱ですか」「どくどくしてそうなところ」「あなたの胸ですかー? それとも」といった感じなのだが、曾祖母がもしそんな下らない男子の妄想の中身を知ったなら、たとえひ孫といえども鉄拳よりも軽蔑よりも怖い鬼婦長の黙殺がキャタピラのように男子の心を破壊していったことだろう。


 英文タイプの書面をめくりながら、尚道は仏間の白黒写真に眼を向けた。流し読みだが海外から届いた書類の主旨は、おおよそ分かった。

 男の兵士たちと同じように砲弾をかいくぐり、修羅をその眼に焼き付けて戦場から帰還してきた戦時下の看護婦たち。

 五十年ほど前までは戦場帰りの看護婦たちが病院にいた。そのうちの何名かは被曝手帳を持っていた。彼女たちの厳然たる態度と殺気と見まがうほどの職務遂行にかける凄味は、ヤクザでも震え上がるほど怖いものだったという。

「ありゃあ、すごいもんだったぜ」

 入院中、復員看護婦に世話になったことのある暴力団の組長は年老いた今でも感嘆をこめて折々に語っているという。

「本物の戦争を見てきた女たちなんだからな。ピンサロやソープで副業してブランドのバッグを買い漁ってるような今時の若い姉ちゃんたちとは骨の髄からものが違っとったわ。日本刀も銃弾も見慣れてやがる。暴力団同士の抗争なんて、あの人たちは公園の中でも歩くように横切っていきやがるぜ」

遠子とおこさん、勝手に中を見たよ。赤十字国際委員会からの手紙」

 尚道は仏壇のまえでリンを鳴らし、いまの尚道と年頃のあまり変わらない若き日の曾祖母の写真に語りかけた。

「あなたの生前のインタビューが赤十字の遺産として永久保存されることになったので、手紙はそのお知らせだったよ。以前データベースに登録していた遠子さんのこの写真がそのまま使われたみたい」

 一度聴いたことがあるが、小学生の時だったので不明瞭なところが多かった。

 高校生になった今あらためて聴いてみたくなり、尚道は古いカセットテープから焼き直したCD音源をプレーヤーにセットした。病院を退職した遠子が日本赤十字支部から求められるままにインタビューに応じた回顧録だ。

 旧姓は長瀬ともうします。

 音声が仏間に流れ始めた。白黒写真の中の若い女が語りかけてくるような気が尚道にはした。

『長瀬遠子です。わたしは戦時下の日赤看護婦として軍の衛生部隊に参加し、戦地衛生勤務に従事しておりました。』

 日本赤十字社。赤十字の看護婦だけに課せられていたもの。それは戦時徴兵だ。

『1939年陸軍大臣通達により、戦場における日赤救護員は軍属扱いとなっております。臨時招集令状の赤紙と同じように、わたしたち日赤看護婦の許にもある日とつぜん二年間の派遣を命じる戦時招集状が届くのです。

 二年間といっても実際には戦局の悪化と敗戦によりもっと長く外地に留め置かれた人も多くありました。わたしもそのうちの一人です。』

 写真の中の曾祖母は尚道になにも応えない。白黒写真の中の若い女は、若い女らしからぬどこか遠くを望むような覚悟の決まったまなざしで、ひ孫の尚道と視線を合わせない。



 海鳥が鳴いている。遠子の生家は旅館を経営していた。古くからの軍港に隣接した大きな街だった。

 じゃがいも。

 長瀬遠子からみた水兵たちはそう見えた。テレビもなく、ラジオも限られた家にしかなかった当時、方言まるだしで喋る兵士たちの多くは一目で田舎者と分かるような、あか抜けない百姓顔をして街中を歩いていた。

 休暇で上陸した彼らは軍人会館や民間の宿に散らばり、そこから束の間の休暇を愉しみ尽くすように映画を観たり相撲や球撞きをしたり、寄席や花街に通う。

 艦からおかにあがってくる数千人の将兵たちを収容する旅館が軍港の街にはたくさんあった。旅館は彼らに束の間の憩いの家を提供し、航海の疲れを取ってもらうべく、衣食住の面倒をみるのだった。


『高台にある我が家は旅館の中では老舗で、趣きのある中庭と料理が自慢の格のある方でした。それ故わが家にお泊りになるのは士官以上の方々と決まっておりました。若くて独身の海軍士官さんの常宿。日清戦争の頃からそう決まっていたようです。』


 遠子の記憶にあるいちばん古い色彩は、上陸した兵隊たちからはぎ取った軍服一切を海辺に並べた大きな鍋で煮沸消毒しているその湯気が、海に沈む太陽を滲ませていたその色だ。

「矢代さんところの守くん。ご立派になって」

「地元が母港いうのはどうなんか。矢代のぼっちゃんも、家に帰れて親の顔を見れるのは贅沢でよかろうが羽目を外した悪さもできん。詰まらんものかもしれんぜ」

「遠子ちゃん」

「矢代少尉。おかえりなさい」

 白い軍装で現れた矢代まもるに、旅館の前で打ち水をしていた遠子は頭を下げて礼をした。陸軍なら階級に殿を付けなければならないが、海軍には敬称はいらない。矢代は傍らに同期の将校を連れていた。

「軍艦乗務おつかれさまでございました」

「あらたまることはないよ遠子ちゃん。それだと帰省した感じがしない。椎堂、こちらはこの旅館の娘さんだ。俺の同級生の妹だ。逢うたびにきれいになっていくからそのうち誰か分からなくなるかもしれないね遠子ちゃん」

 幼い頃から神童と謳われた矢代守は、隣りの青年の肩を叩いた。

「この男は椎堂冬馬とうま少尉だ。今日は俺の家に泊まるが、明日からは遠子ちゃんの旅館にお世話になるからよろしく頼む」

 紹介がすむと彼らは遠子が撒いていた打ち水を革靴で跨ぎ越した。

「昔みたいに俺に水をかけないのかい」

 笑いながら矢代は椎堂を連れて去って行った。軍帽の庇の下から椎堂がちらっと遠子に微笑みかけた。

 


『敬称の省略と同様に何事も無駄を省くというのが海軍では徹底していました。なかでも士官さんは大日本帝国が東亜の魁たれと威信をかけて育ててきた人たちですから、東京帝國大學に入るよりも難しいといわれた難関試験を通るほど頭もいいし、軍務に耐え得る体格検査もありましたし、それは皆さんご様子のよい、立派なものでした。』


 音声は回る。質問者の問いかけに回答していくはきはきした曾祖母の声は、病院内でカンファレンスでもやっているかのようだ。


『いまとは比べものにはなりません。軍国主義のもと軍事教練が授業にあった時代です。小学生でも男子ならば背筋を伸ばし、国を護って死ぬのが男子の本懐だと答えました。その頂きにあるのが海軍兵学校を出た極少数のエリートで、生家の近所から兵学校に合格者が出た時はそれはもう騒がれたものです。そんな彼らの指定宿だったわが家は、少々鼻が高かったかもしれません。

 軍人たる前に紳士たれ。英国を見習ったお行儀を江田島兵学校で叩きこまれた海軍士官さんたちは身の回りのことは何ごともご自分たちでなさいました。』


 狭い艦内と同じように若い海軍士官たちは自ら率先して動き回っていた。整理整頓と時間厳守、機敏さが何においても船乗りには肝要だった。


『座布団を並べるのも、配膳も、従業員の手から取り上げてぱっぱっと手伝って下さいます。そろそろお膳を引こうと様子をみに行くと、廊下にきちんと積まれているのです。だらだらしている方は一人もおりません。海軍さんがお泊りだと仲居の仕事も半分以下になると云われたものでした。

 二十代前半の彼らは折々に外国語で軽いユーモアなんかを口にされて、こちらは意味が分からないままでいるのですが、少し大きくなりましたら女性をからかうようなこと、そうですね、求婚めいたことを云っているのだと分かってきて、笑ってこちらを見ている士官さんたちの広間から赤くなって出てきたこともありました。』



 おばさん。

 それが旅館を利用する海軍士官たちが遠子につけた綽名だった。おばさん、お久しぶりです。またお世話になります。

 はじめてそう呼ばれた時、高等女学校に通っていた遠子は憤慨した。

「おばさん。おばさんといえば、月経のことじゃないの。学校ではおばさんが来たといえば、月のものがはじまったという意味だわ。信じられない」

「ああ、そのことですか」

 動揺している遠子に、旅館の仲居は洗濯物を取り入れながら教えてくれた。

「間違いがあってはいけないというので、誰の考えだったんですかね、陸で宿泊の世話になる時に未婚の若い娘さんがその家にいたら、どんなに若い子でも『おばさん』と呼ぶようにあの人たちは云われているんだそうですよ。ふしぎなもので年頃の花咲く乙女が眼の前にいても『おばさん』という名だと、男の人はなんもおかしな気をおこさんみたいですね」

 簡単で効果抜群のいい方法を想いつく人もいたものですと仲居は乾いたふんどしをまとめて重ねた。

 つまり遠子お嬢さんは、男性の眼からみて娘さんになったということです。


 そんなわけで十五、六歳になった頃から遠子は『おばさん』と若い士官たちから呼ばれ、『おばさん』ゆえに気兼ねなく、

「おばさん、みかんを剥いて下さい。おばさんの手は筋を取るのがうまいから。この白い筋は維管束というのです」

「おばさん、みかんのお礼にカステラを買ってきてあげましたよ。花札の相手になってくれませんか」

「おばさん、新しい歯ブラシをお願いします」

 若い士官たちから従妹に対するような気さくな態度であれこれ呼びつけられていた。


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