彼らの部屋

藤堂 有

伯母が亡くなった

 伯母が亡くなった。


 急な話だった。確か二週間前に入院したことを母から聞いたばかりだった気がする。入院する時点でもうどうしようもなかったのだろうか、と考えたところでどうしようもない。


 伯母本人の意思で、ひっそりと家族葬をした。お金は彼女の遺産と、家にある物を適当に換金してくれとのことだった。

 私の目から見て、伯母はもうすぐ還暦とは思えぬ若々しさがあった。ハキハキした感じが仕事ができる人という印象が強かった。胸下まで伸ばしたゆるいウェーブした豊かなグレイヘアがとても美しく、憧れた。

 長髪だと私もゆるくウェーブがつく髪質なので、伯母を真似して胸下まで髪を伸ばしている。もっとも、私の顔は美人とは程遠い平凡そのものなのだが。


 伯母の若い頃はもっと美しかったことだろう。数々の男性から言い寄られていたらしいが、六十歳で亡くなるまで独身を貫いた。

 そんな彼女は親から譲り受けた町外れの広い平屋の洋館に住んでいた。

 洋館という言葉が不釣り合いに思うほどの田舎にあるのだが、洋館と伯母という組み合わせはとても合っていた。日本人にしては彫りが深い、「ハーフです」と言っても納得してしまうような顔だったからかもしれない。

 母はザ・日本人という顔なのに。


 伯母に関するあらゆる手続きがひと段落してから、私は家族と遺品整理に洋館へ来ていた。

 いよいよ入院するという時まで、伯母は洋館のリビングダイニングでほぼ一日を過ごしていた。翻訳者をしていた伯母は、就寝時に子供の頃から使っていた自室に戻る以外は、仕事から何からほぼ全てをこの部屋でこなした。

 一人で使うにはあまり大きすぎるテーブルや、ぎっしりと本が詰まった書棚、電話機が置かれたコンソールテーブル。部屋の中は、洋館にふさわしいアンティーク調の家具で調えられていた。

 実際に見たことはないが、ヨーロッパのお城のようだ。大型家具がいくつもある割には圧迫感が無くて、むしろ殺風景さすら感じるほどだった。部屋が広いからかもしれない。


 一緒にリビングダイニングにいた母は「恵都けいと、姉さんの遺品一つ選んだら?アクセサリーだったら、ほら、そこのテーブルにある。デザインが気に食わなかったら、お店でリメイクしてもいいし。他の部屋にも本とか色々あると思うから自由に見てきていいわよ」などと言って、段ボール箱を手に部屋を出ていってしまった。

 なんでもないような口ぶりだったが、母の目尻にはうっすらと涙が溜まっているのが見えた。

 伯母と私の母の両親──私の祖父母にあたる──は既に他界していて、伯母も亡くなった。母方の親戚は他にいない。私以外に血縁者が居なくなったのだ。寂しいと言う言葉では表現し難いものがあるだろうな、と思った。

 私や私の父がいることで、母の寂しさを少しは軽減できているだろうか。


 私は気を紛らわすように頭を振って、それから細かい彫刻が施されたダイニングテーブルに視線を向けた。

 テーブルに置かれたブローチ、ネックレス、イヤリングと煌びやかなアクセサリーが並ぶ。私の知らない時代──高度経済成長期やバブル期を経験した伯母にしては、現代でも使えそうなシンプルなアクセサリーたちだった。

 が、高校生の私にはいまいちピンとこなかった。おしゃれだな、とは思うが、私が身に付けたら逆にダサく見える気がした。多分、母はもう少し派手さが欲しいと言うだろう。

 ざっと見てこれといったものは無いと判断した私は、静かに部屋を出た。


 私はドアを片っ端から開きながら、ざっと眺めては閉じる操作を繰り返していた。

 部屋数が多いので、一部屋に長い時間をかけていられなかったし、母は他の部屋にも色々あるかもと言っていたが、実際、翻訳した本や執筆の資料を保管していた数部屋以外は、本当に何もなかった。勿論、母がかつて使っていた部屋も綺麗に何もなかった。

 一人暮らしで部屋を持て余していたのだろう。

 勿体無いな、と思った。

 

 そのうち洋館の一番奥──伯母の寝室まで辿り着いた。玄関やリビングダイニングからはかなり離れていて、私は不思議に思った。

 これだけ部屋が余っているんだから、もっと近い部屋に移動すればよかったのに。

 他の部屋と同じように、私はドアを開いて、すぐに閉めようと思った。

 どうせベッドくらいしかないと思ったし、伯母とはいえ、他人の寝床をジロジロと見るのも失礼だと思ったから。


 が、それはすぐに覆された。


 ドアを開けると、目の前には無数のテディベアが座っていた。

 目の前だけではない。全ての面の壁、天井、出窓の床板に一面に彼らはいた。

 壁は棚が取り付けられ、隙間なくきっちり配置され、天井は格子状のクリアケースが取り付けられていて、その中に一体一体収納されていた。

 さらに、床にも彼らはいた。部屋にある調度品はベッドだけで、ドアからベッドへ向かう道が確保されているものの、それ以外はテディベアで埋め尽くされていた。怖い。

 真っ白なリネンに包まれたそのベッドには、枕を挟んでシンメトリーになるよう2体のテディベアが鎮座していた。

 広い部屋で一日を過ごし、時折外へお出かけしたりして。そして毎晩テディベアがまみれの部屋で彼らに見守られながら寝ていたのか。

 

 そういえば、火葬の前にユニオンジャック柄のリボンを首元につけたテディベアを仕事道具の万年筆やメモ帳と共に一体棺に入れたのを思い出した。

 あの時は大事にしていた遺品の一つくらいにしか思っていなかったのだが、そういうことだったらしい。

 可愛い趣味があったのだなと思うには、あまりに数が多すぎた。私には狂気しか感じなかった。

 背中に冷や汗が流れた。どこに視線を向けてもテディベアがいる。ほぼ360度から視線を感じる。怖い。

 ふと、床にいるライトブラウンのテディベアと目が合ってしまった。ツヤのある黒いプラスチック製の瞳が、私を映している。


 玲来レイラが帰ってきた

 あれ?玲来じゃない?いやちょっと似てるよ

 でも違う人だ

 玲来、ジャックと二週間前から帰って来ないんだ。

 あ、ジャックっていうのはユニオンジャックが名前の由来でね…

 

 


 幻聴だと思いたいが、頭の中で声が聞こえてきて、いよいよ自分がヤバいと思った。いい意味では、決してない。

 今すぐ離れた方がいいと頭の中で警告しているのに、身体が動かない。

 部屋中のテディベアがひそひそと話している気がした。

 

 突然、背後から肩を叩かれて喉の奥から声にならない声が上げてしまう。

 ぎこちなく後ろを振り向くと、母だった。何驚いてるの?と首を傾げている。


「恵都、すごいでしょ、これ。姉さんのコレクションなんだけど。イギリスに留学した時にハマったらしいんだけど、最終的にこんな数になったのね。よく集めたわよねえ」

「なんで、驚いてないの?玲来伯母さん、そんなにぬいぐるみ好きだったの?部屋が床まで埋まるほど集める?なんか喋ってるし……私怖いんだけど」

「ぬいぐるみが喋るわけないでしょ。ぬいぐるみ…というかテディベアが好きだったのよ。、姉さんの一番のお気に入りで……」


 私はもういい、と話を遮った。母は不思議そうな顔をしたが、話を切り替えてくれた。


「それでどうする?恵都も一体持ってく?私は詳しくないのだけれど、この中には限定品もあるみたいだから」


 馬鹿なことを言うんじゃない、と言いそうになるのを抑えようと、咄嗟に大きく深呼吸した。


「……いいよ、私は。しかるべきところに持っていくとか、テディベアって、蒐集家とかいるんでしょ。何かで見たことある。欲しい人に渡った方が、テディベアもいい生を送れると思う」

 

 それもそうね、と母は頷いた。




 後日、私は友人3人と千葉のテーマパークに行った。海の方だ。

 誰かが大きなクマのキャラクター ──黄色い方ではない──のぬいぐるみを買いたいと言い出した。

 大人気のグッズで、パーク内ですれ違う人皆腕に抱えて持っているあれだ。

 かつてはすぐに売り切れるほどだったらしいが、今は限定品を除いて、少なくとも私は売り切れの話は聞かない。

 全会一致で店に行くことに決まった。向かう道すがら、私はスクールバッグに付けられるぐらいのキーホルダーサイズを買おうかな、などと思いながら歩いた。

 友人たちが縦一列でぞろぞろと店に入っていく。私も続いて店に入ろうとして、足が止まった。

 

 視界に入ったそれが、私の足を竦ませる。

 

 動かない私を、友人の一人が「恵都どうしたの?大丈夫?」と心配そうな顔で声をかけてきた。なんでもないと言おうとしたが、声が掠れて言いたいことが言えない。

 落ち着こうと深く息を吐いて、やっとのことで「外で待ってるよ」と言って、私は素早く店に背を向けた。

 

 店内には無数のぬいぐるみが壁一面に並び、彼らの視線は店のドアの方を向いていたのだった。

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