第13話 引っ越し

 翌日は講義に出席した後は引っ越し準備。契約の都合上、解約自体は来月の末になるのだけれど、光熱水費がかかるのでさっさと出ようと思っている。


 それに電車の定期もちょうど来月頭で切れる、大学の事務局に新しい住所を届けて学生証の住所を変更しておかないと、学割の区間の適用が変わらない。


 その前に役所に行って転居届か。全部とは言わないけど、マイナンバーの住所変更、免許の住所変更、水道局への届け出とか、役所関係は転居届と連動させてくれないかな? 個人番号を割り振るならそれくらいやってほしい。


 大した荷物ではないし、段ボールだけ買ってきて詰め込んでいるのだが、洗濯機はどうしょう? 冷蔵庫は作業部屋のものを使わせてもらえるので、欲しいという友達に引き取ってもらう予定なんだが。


 ……部屋に洗濯機を置くスペースってあったろうか? 部屋のサイズと収納は確認したのにぬけがあった。リネン類と作業着はまとめてクリーニングに出すということは、裏を返せばその他は自分でなんとかしろということだろう。


 コインランドリーってあの近辺にあるか? あるなら洗濯機も誰かにもらってもらおう。


 近日中に使う予定のないものからどんどん箱詰めし、箱の側面に何が入っているか大まかに書く。大した荷物はないと思っていたのに、こうして詰めると多い。1番重いのは講義に使う参考書、読んでおけと言われた資料の箱か。


 こっちの棚は解体して持ち込んで、こっちのは欲しいヤツがいたらやろう。いなかったら解体してゴミか、リサイクルショップへ。


 数日かけて荷造りし、軽トラを借りて自分で運ぶ。軽トラは祖父の家で何度か乗っているので慣れてはいないが運転はできる。軽トラというかマニュアル車だが。免許はあるけど、車自体乗る機会が少ない上に家の車がオートマなので。


 友達が手伝おうかと声をかけてくれたが、だらだらやるからと断った。業者ならともかく、手伝いとはいえ友人を連れて行くのは条件的にアウトだろう。代わりに飯の約束をした。


 荷物を半分運び込んだところで俺自身も引っ越し。部屋の契約はまだ残っているのでゆっくりやる。


「樒さん、改めてよろしくお願いします」

「ああ。こちらこそ頼む」


 というわけで昼のまかないつき――作るのは俺だけど――の住み込みバイトになった。


 事務所と母屋は分かれているし、樒さんは時間外に作業するタイプでもないので、引っ越し第一夜の部屋の印象は大変静か。


 俺のアパート、窓を開けたらすぐに道路だったし、実家は隣の家がすぐだった。ここは事務所の入り口からの目隠しなのか、植えられた木が葉を茂らせている。


 家の周りも畑が多く暗くなると人の姿を見なくなる。道は近くに住む住人の車が通るくらいで、20時を回るとそれもほぼなくなる。響いているのは虫の音と、室内の家電のかすかな音。


 田舎でこういう環境は慣れていると思ってたんだけど、祖父の家では常に人の気配がどこかにあった。越したばかりの不安と寄る辺なさのせいだろうけど、正直にいうとちょっと怖い。


 と、びくびくしていたところに、チャイムが鳴って飛び上がる。ドアフォンと電話がつながっているので鳴ったのは電話の子機だ。外を見ると事務所の入り口のセンサーライトがついている。真夜中の客か。


 一瞬怖いものを想像しかけたが、顔も姿もよく見えないがあの頭と柄シャツは田中さんだ。


 樒さんが時間外の客を受け入れるかどうかは別として、とりあえず人前に出られる格好に着替える。着替え終えたところで内線が鳴る。


「初日からすまないが、出かけることになった。箱を1つ持って事務所の入り口へ」


 樒さんから短く告げられ、作業部屋に走って棚の一番端にあった箱を抱え急ぐ、事務所の中で使いそうな書類を抜き出していると樒さんが来た。


「樒さん、箱はこれでいいですか?」

「ああ」


 一応見せたんだが、こだわりはないようだ。俺の作った箱ではないとはいえ、少しへこむ。いつか樒さんにこだわってもらえる箱が作れるだろうか。いや、最終的に壊される箱、こだわりがあったらそれは壊しやすいかどうかか。


「書類の用意もしているのか。すまんが、多めに頼む、急ぎの依頼は時々サインを失敗する輩がいるんでな」

「はい」


 これ、夜中用に一式入れたファイルケースを用意しておいた方がいいか。樒さんに走る気配はないので、俺も落ち着いて事務所の玄関へ。


「おう、本当に住み込んでるのか! 夜中に悪いな」

田中さんが全く悪くなさそうに手を振って来る。その後ろの道路にエンジンがかかったままの車。


「悪いと思うなら始業時間を待て」

不機嫌な樒さんが低い声で言う。


「ごめんねぇ! 相手がいきなり悪化しちゃったんだよね、はは」

とても軽く言っているけれど、少し逃げ腰の田中さん。


 戸締りをして、田中さんの車に乗り込みながら、さっきまでのそこはかとない不安と怖さは吹っ飛んだな、と思う。本当に怖いモノがいる場所に向かおうとしているのに、おかしな話だ。


 樒さんも田中さんも本物、世界には霊の類がいる。――それは俺と俺の家族が経験したのでわかってる。


 わかってるつもりだけど、どうにも現実感がないというか、どこかで自分がそんなモノにまたあうわけはないと思っている。いや、自分だけでなく他人も。これも正常バイアスの一種なんだろうか。

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