第7話 急ぎの仕事

「佐伯君は学生バイトだ。扶養から抜けない範囲で働いてもらう契約なので、始めから予定外のシフトを入れるような事態は避けたい」

樒さんが田中さんに言う。


 労災保険有り、社会保険無し、有給は半年後から付与。樒さんから説明された、扶養控除と社会保険加入の日数と金額のラインが頭に浮かぶ。所得税なんて考えてバイトしてる学生、俺の周りにはいないですよ樒さん……。


「お前はなんでそんな労基と税務署を恐れてるんだよ!」

「胡散臭いお前は仕事柄信用を得ている。私は品行方正に生きているつもりだが、胡散臭い仕事柄怪しまれる。――できるところはクリーンにしておく主義だ」

当然だろうという顔の樒さん。


「佐伯君! 君の明日の予定は? 次のシフトと出勤交換できない!?」

ぐぬぬ、みたいな顔をして樒さんを見ていた田中さんが、急にこちらを向いて聞いてくる。


「明日は授業が16時過ぎまでありますので」

「じゃあ18時から! 樒、契約と仕事同日で頼む!」


 断るのも受けるのも躊躇われたので、予定だけ告げると田中さんがやや強引に話を進めてきた。


 実際、あの事件で何度か欠席してしまった科目なので、あまり休みたくない。テストさえ通れば単位をくれる教授なのだが、逆にテストを落とすと容赦なく落とされる。


「流そうとするな、きちんと同意をとれ。佐伯君、コレはこんなことばかりだ。常態化しても困るし、断ってくれて構わん」

「じゃあいっそ今日は!?」


 ……という田中さんの強引な依頼により、依頼主の元へ向かうことになった。依頼主の都合は? と思わないでもないが、田中さんが電話を入れると、相手方は一刻でも早く! という様子だったため問題なく。


 金は用意できたかという、田中さんの質問につい笑いそうになった。どこのチンピラだ。


 着替えて車をとって来ると言って出て行く田中さんを見送り、茶器を片付ける。事務所に戻ると樒さんはおらず、どうしたのかと思っていると木箱を一つ持って戻って来た。


「出かける準備は?」

「さっき外出から戻ったばかりですので、そのまま出られます」


 田中さん、近所なのかと思えば電車で2駅先。田中さんが戻るまで、書類の準備をする樒さんから簡単な説明を聞く。樒さんからの注意事項は、要約すると殊勝な顔して黙ってろということと、予想される残業に伴うあれこれだったので、すぐに終了。


 迎えに来た田中さんの運転で1時間、隣の県の某所。道路案内の看板で大体の場所は把握したけれど、地名は一応伏せる。俺は樒さんが選んだ木箱を一つ抱え、助手席で大人しく田中さんのおしゃべりの相手をする。


「あ、俺のことどこの寺の坊主だって言わないでちょーだい。仲立ち頼って来る割に、こういうの認めないってぇ人も多くてね。俺は別にいいんだけど、後々宗派の人間からどうたらって、樒の方に文句行くのはいたたまれない」

車の中で田中さんが言う。


「わかりました。元々お寺を知りませんし、知ってもごまかします」

「ありがとさん。着いた」


 というわけで、目的地に到着。外には男性が一人、目立つところでうろうろしていた。


「すみません。明石さんですか?」

「はい。車はそっちの空き地に停めてください」

ほっとしたような様子の男性の男性が、先にある砂利が敷かれた空き地を指さす。


「よろしくお願いします」

車三台分ほどを残して、砂利の隙間から生えた草で覆われるそこに車を置いて戻ると、どこか緊張した面持ちの男性に頭を下げられる。


 そして差し出される、厚みのあるものが入った二つ折りの大きな封筒。


「そちらは契約の後で。依頼者ご本人ですか?」

差し出された封筒を受け取らず、尋ねる樒さん。


「はい」

「内容の確認と、捺印なついんをお願いします」

樒さんの視線を受けて、書類を差し出す。


 家の中で、と一瞬思ったが、すぐに思い直す。この男性、きっと家の中が怖いのだ。


 中にいる家族は心配、だが足が竦む……。弱る家族を傍で励ましたい、励まさねばならない。でも怖い。今は、助けてくれる人を出迎えるという大義名分のもと、外にいられてほっとしている。


 ――情けないことに俺にも覚えがある感情だ。


 家に目を向けると、どこか煤けて見える。先ほどまでは感じなかったので、俺の気持ちの問題だろうが。


「確かに」

樒さんが捺印を確かめ、封筒に納めた一部を男性に戻す。もう一部は俺に渡され、元の鞄にしまう。


 ……鞄がキャンパス用のリュックなので、後で他のものを買おう。書類も折らずに入るし、色々入って便利なんだが、少し場違いな気がしてならない。もっとも樒さんからは、『バイトだ』ということが分かるよう、むしろ服装もラフでいいと言われている。


 「俺はバイトなので詳しいことは……」という対応が取りやすい。で、そのバイトに大金を預けるのはどうかと思う。


 仕事の金は、『価値あるもの』というより『合わないと面倒なもの』、という認識に切り替わるので手を出すつもりもないし、手を出させるつもりもないけれど、預かっていると思うと妙な緊張感だ。


「では行きましょうか」

「俺……自分もですか?」

促す樒さんに中に入るのをためらう男性。


「契約は家の中のモノが対象です。仕事が終了した後、戻ったモノ・・・・・については責任を負いかねる。外に残りますか?」

「……いえ」


 樒さんははっきり言わないが、その視線と口調、そして状況で、男性は自分にも何かモノが憑いているって思ったのだろう、男性が足取り重く中に入る。


 俺もリュックを抱えて後について行く。不謹慎かもしれないが、これから見られるものを思い描いて、心が少し浮き立っている。

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