第12話 神のごとき獣!

本格的に山岳地帯に分け入って三日。獣道を探したり、尾根を歩いたり。はたまた谷底を捜索したりと私達は上に下にと魔物の痕跡を追っています。


もっとも、そのようなことをせずとも上空から翼竜ワイバーンが襲ってきたり、地下では中型のモグラ、ドゥープモールが待ち構えていたりと魔物には恵まれています。


「ドゥープモールの爪には幻覚作用があるらしい。回収だな。」


「ワイバーンは全身いただきたいですが、マーシナルさんの魔力庫に入りますか?」


「大丈夫だ。まだまだ余裕はある。」


「さすがです。ではそのまま収納をお願いします。解体は船上かクタナツで行いましょう。」


「マーシナルは魔力庫も大きいからな。」


イザベルさんが得意顔をしています。『も』って何ですか?



それから歩くこともう二日、私達はとんでもないものを発見してしまいました。


木々が幅二十メイルに渡って薙ぎ倒されているのです。いや、ここらの魔物のサイズからすると二十メイルはそこまで大きくない方でしょう。しかし問題は薙ぎ倒された木々です。


全て……エビルトレントです……


「なっ、なんじゃあこりゃあ!?」


「バカな田舎者め! エビルトレントに決まってる! 見て分からんか?」


「バカはテメーじゃあ! これだけのエビルトレントをここまで無造作に薙ぎ倒す魔物はなんじゃあって言ってんだぞ?」


エビルトレントは強靭です。それが枯木のように無残に倒れております。


「ジャック、回収するのか?」


イザベルさんは冷静なようです。


「いえ、後にしましょう。ここは帰りにも通るはずのルート、ならばこの魔物を追います。」


脚の震え、鳥肌。そして胸の高鳴りが止まりません。一体どれほどの危険な魔物が……


「おっ? 狙うんかよ? やってやんぜぇ!」


「前に出すぎて死ぬんじゃないぞ?」


「うるせーよ。テメーこそしっかり付いて来いやぁ?」


追跡は簡単です。魔物の進行方向に木が倒れているのですから。


「皆さん。今から遭遇する魔物こそ、私達がここに来た理由と言えるでしょう。各々の持てる力を振り絞って、勝ちますよ!」


「おぅよ!」


「心得た!」


「当然だ。」


勝負は近い……きっと。




追跡すること二時間。


周囲からは鳥の鳴き声が聞こえなくなり、空気が粘り気を増したように感じます。


そしてついに虫の鳴き声すら聞こえなくなり、辺りに響くのは私達の足音だけ……


「近ぇなぁ……」


「ええ。ここからはより一層慎重に進みましょう……」


蒸し暑いのにすっかり汗はひき、喉はカラカラです。いる……この先に、います……






黒光りする甲虫のような皮膚。

前に突き出た二本の牙。

鼻面からそそり立つ一本の角。

地面を捉える四本脚の先端には危なげな爪。

その大きな口は生木を噛み砕き……

全身真っ黒なのに眼だけは紅く光っています……


「ベヒーモス……」


絞り出すように発声したのは私でしょうか……

サイ、ライオン、エレファント、いずれにも近く、いずれをも超越しています……


困りましたね……勝てるのでしょうか……


「いくぜジャック!」


ドノバンはもう飛び出してしまいました。


「ベヒーモスがなんぼのもんじゃぁー!」


ドノバンは体重を感じさせない身軽さで、たちまちベヒーモスの後脚を伝って背中にまで登ってしまいました。ベヒーモスはそんなドノバンを全く意に介さず食事を続けています。これはチャンスですね。


「イザベルさん、私も行きます。あなたが魔法をかけてくれた槍で貫いてきます!」


「頼む。私は魔力を練っておく。」


六等星冒険者でも一撃で頭蓋骨が割れるようなドノバンの拳を受けてもベヒーモスは微動だにしていません。


「おいジャック! こいつぁダメだ! 肉が厚すぎて魔石の位置なんざ見つけられねぇ!」


「では心臓を探してください。どの道あなたのアレで攻撃してもらうことになりそうですから。」


「もうそれかよ! やってやらぁ!」


ドノバンはベヒーモスの背中を歩きながら拳を打ち付け続けます。ならば私も……


『螺旋貫』


空中に飛び上がり、地面に打ち込むように技を繰り出します……が……


私の槍『ミストルティン』は二センチぐらいしか刺さりません。まさかこれほどとは……


そしてついに気付かれてしまったようです。奴の尻尾が虫でも払うかのように襲いかかってきます。態勢が崩れていた私は防御する他なく、あっさりと弾き飛ばされてしまいました。


高低差二十メイル、これぐらいの高さなら落ちても大したことはありません。


『浮身』


イザベルさんの魔法……いや、マーシナルさんですか。おかげで私は無傷で着地することができました。


「手応えはどうだ?」


「ダメですね。動きを止めないことにはどうにもなりません。」


「ほう? あれだけの化け物を動きを止めただけでどうにかなると言うのか?」


「ええ。それだけで勝てる、とは言いませんけどね。」


「どうせ他に方法もあるまい。マーシナル、アレを出せ。」


「はい!」


マーシナルさんが魔力庫から取り出したのは、ポーション、いや魔力ポーションですか? それが五本も? それから……ナイフですか。


「いいかジャック。今から私はこのナイフに『魔切』の魔法をかける。全魔力を込めてな。それまで時間を稼げ。どうせドノバンだってまだ時間がかかるのだろう?」


「ええ。そうするとしましょう。見たところ、かなりの業物。期待していますよ。」




いけません! ベヒーモスが暴れ出しました! ドノバンは大丈夫なのでしょうか!?


『浮身』


落下するドノバンを再びマーシナルさんが助けてくれました。


「浮身ぐらい使えんのか田舎者!」


「けっ! この程度の高さから落ちたってどーってことねーぜ!」


「ドノバン、心臓は後回しです。まず後脚、次に尻尾を潰しますよ。」


「おうよ!」


暴れるベヒーモスを止めるには脚を潰すしかありません。しかし私達では切断などできるはずもないのです。従って一点集中です。関節部分、人間で言えば足首に損傷を与えるのです。まったく、近寄るだけでも大仕事です。しかし、少しも逃げる気にならないのは私達が愚者だからでしょう。


「ドノバン、踏み潰されないよう気をつけてくださいね!」


「おお! オメーも爪に気をつけろや!」


奴の口は大木をビスケットのように噛み砕いていますが、爪ではバターのように切り裂いています。私達の装備は大木よりは相当丈夫ですが、油断できません。


「ここだぁジャック! ここを狙えぇ!」


ドノバンが奴の足首のとあるポイントを指示してくれました。彼は本当に頼りになります。


『螺旋貫』


いけます! 十センチは刺さりました!


『バオオオオオォォォオオオオォォオオーーー!!』


少しは効いたようです。耳がおかしくなるほどの大音量で叫んでいます。


「避けろぉジャック!」


前脚での横薙ぎが襲ってきました。たった今後脚を攻撃したばかりなのに、何という素早い転回……


私はとっさに槍を支えにして飛び上がりました。そんな私の足元わずか五十センチ下を奴の爪が通り過ぎ……私の槍を真っ二つにしてしまいました……


私のミストルティンが……いや、そんなことを言っている場合ではありません。ドノバンはすでに先程のポイントに再度攻撃を加えています。私とて冒険者の端くれ、槍の予備や切り札ぐらい用意してあります。使うしかないようですね……


「ヌオオオオォォォーーーー!」


「ジャック! チッ、あれを使いやがったのか!」


私の意識は遠くなり、野蛮な衝動に身を任せます。魔物風情が……この私に勝てるとでも思っているのか? 身の程を知れ! 下郎が!

ギャハハはぁ! ケダモノでも血は赤ぇーんだなぁ! グェヘヘぇ! もっと見せてみぃろよぉ!


あぁ……逃げるなぁ! かかって来いやぁ!


いや、遠ざかっているのは私です。おそらくは尻尾が直撃したのでしょう……まったく……攻撃しかしてくれない、使い辛い槍です……

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