雛鳥に恋あられ

猫矢ナギ

雛鳥に恋あられ


 軽快で、気を逸らせるようなメロディの中。

 左側から流れてくる、ふわふわに象られた影に、息をのむ。やがて目の前にぽっかり空いた穴に、その影の主がすっぽり落ちていった。


「すっごーい! 取れたよ!?」


 口ではそんなふうに黄色い声を上げながら、私はいそいそとその場に屈み、目の前の取り出し口に手を突っ込んだ。掌にふれる、ゲームの景品にしてはなかなか肌触りの良い毛並みに感動する。

 そんな私を物理的な意味で見下しながら、低く落ち着いた声は降ってきた。

「いや、取ったの俺だろ」

「うん! ありがと、シュンくん!」

 小さなゲームセンターの、入り口に置かれたクレーンゲーム。

 その前でこうしてゲームを遊んでいた私たちは、ゲーセンデートを楽しむカップル! ……なんて夢溢れるものではなく、ただの長年近所に住んでいるだけの幼馴染だ。──かなしくて、悔しいけれど。

「あのままお前を見過ごしたら、いくら注ぎ込むか気が気じゃなかったからな……」

 そう。それも私がこの台の前で、全然取れない特大ネコちゃんぬいぐるみに搾り取られていた時。偶然通りがかった帰宅途中のシュンくんが、見かねて手を貸してくれただけなのである。

「ひっど! でもシュンくん、相変わらずクレーンゲーム取るの上手いんだね」

 無事手にできたネコちゃんの毛並みを整えながら、私の胴体ほどもあるその大きさに感嘆しつつ。こっそりシュンくんの顔を伺う。

「それは俺もびっくりしたわ。身に着けた技術は裏切らないって言うけど、クレーンゲームにも当て嵌まるんだな。ここの店のアーム設定が強いだけかもしれんが」

 すっかりくたびれた顔つきに、変わらない子供っぽい笑みが浮かぶ。それがたまらなく嬉しくて、こっそり高鳴る鼓動を、抱きしめたぬいぐるみで覆い隠した。

「にしても、」

「?」

 そんな私を、不思議そうにシュンくんが見つめてくる。

「比奈は相変わらず、ぬいぐるみ好きなんだな」

「子供っぽいって言うんでしょー」

「そりゃそうだろ。お前くらいになると、みんな化粧品やら服やらに夢中だったぞ」

「へんけーん。いいの! 好きも極めればプロなんだから!」

 なんて話しながら、当たり前みたいに二人で並んで歩き出した。帰る方向は、昔からずっと変わらない。

 ふと、横切った店先にはためくのぼり旗の文字を見てシュンくんが呟いた。

「そういや今日、ひな祭りか」

 耳馴染みの深い曲が、まだ冷たい風に紛れて微かに聞こえる。

うちもこの間から雛人形出してるよ。今日の夜はお寿司だし」

 雛祭り。桃の節句。

 雛人形を出さないって友達も多くいるけど、私の家ではまだまだ家族で祝ってくれている。

「おうおう。願掛けしとけしとけ。

 自虐気味に、何気なく放たれた言葉。そのただ一言に、胸の奥がチクリと痛んだ。

「うーわ。それ、私以外に言ったら一歩間違えればセクハラだよー? ていうかシュンくん、今年三十路じゃん。人生諦めるの早くない?」

 なんでもないように返しながら、心の中がズキズキ脈打った。


 ──私とシュンくんは、一回り年齢としが違う。

 私が子供の頃、もうシュンくんは大人だった。

 それは、今も変わらない。私は未だお子様で、彼はすっかり大人なのだ。


「お前、そう言うのは簡単だけどな……。学生時代過ぎたら、もう恋愛なんて滅多に出来ねぇし、チャンスすら碌にねーんだよ……。職場は男ばっかで、出会いなんて無いしな」

 落胆するシュンくんに、心の中だけで『私は?』って問い掛ける。

 出会いが子供だった私は、ずっと大人の彼の恋愛対象にはなれない。それは彼が正しくて、当然で、現代において無茶なのは私の方だ。

「実家暮らしはモテないって言うしねー」

「うるせー! 親父のやってる家業継ぐのに、わざわざ他所で暮らす必要ねーだろが」

 口では茶化すみたいに言ったけど、私はそれを知った時、心底から嬉しかった。だって、シュンくんのその選択があるから、今私はこうして隣を歩いて居られるのだから。

「ん?」

 シュンくんが、不意に足を止めた。

「どしたの?」

 彼の傍らから、その視線の先を覗く。そこは雑貨屋で、店先には季節ののぼりが掛かっている。

「いや……、ほらこれ」

 少し恥ずかしそうにシュンくんが指さした先には、ウサギのちいさなぬいぐるみが並べられていた。

 男の子と、女の子。見て分かるような対のデザインのウサギは、見覚えのある日本の伝統衣装を纏っている。

「あっ! お雛様ウサちゃん!?」

 ボールチェーン式のキーホルダーだ。きちんと冠を付け、それぞれ笏と檜扇を模した飾りを手に持たされたその姿。なんとも愛らしく、見ているだけで幸福感で満たされてきた。

「か、かわいーっ」

 思わず漏れ出た声に、ハッとして口元を押さえる。しかし時すでに遅く、隣でシュンくんがおかしそうに声を殺して笑っていた。

「買ってやろっか?」

 面白がって震えているその声に、途端に自分の子供っぽさが恥ずかしくなってくる。

「え。あ、う……おねがいします……」

 しかし、欲望には勝てなかった。

「素直でよろしい」

 ああ。こんなだから、私はずっと子供のままなんだ。

 二つ合わせて千円もしない、なんとも安くて色気もなにもない贈り物。

「今日だけでまた、ぬいぐるみ三つも増えたな」

 私を見て、興味深そうにシュンくんは言う。

「うん、おかげさまでね。ありがと!」

 でっかいネコちゃんと、ちいさなウサちゃん二人。おなじくらい抱きしめて帰り道を歩く。


 私がぬいぐるみを好きになったのは、シュンくんのせいおかげだって、本人は知らないらしい。

 あれは小学二年生の時。私が今日みたいにクレーンゲームの前で貼りついて見ていたら、シュンくんは私のために中のぬいぐるみを取ってくれたのだ。

 あの時の喜びが忘れられなくて、ずっと思い出をぬいぐるみに映して大切に愛でている。


 昔からずっと、面倒見のいいお兄ちゃん。

 私もまだまだ近所の小さい女の子。

 でもね、あと少し。もう少し。社会にも大人だって認めてもらえたら、好きだって伝えてもいいですか?



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雛鳥に恋あられ 猫矢ナギ @Nanashino_noname

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