第4話
その家は、農村の中では裕福な百姓の家で、その糧となったのが呪いの力だった。
「主に探し物が得手で、我々の祖父の代には、その家にわざわざ遠方よりの使者も訪ねて来るくらい、名が知れていたようです」
探し物を得手としていたのは、その百姓一家の男で不遇な生まれの子供だった。
「その家の娘が、数年姿を晦まして、子を連れて戻って来た。田畑仕事を終え戻る途中に、何者かにかどわかされ、無体を働かれたらしい。男の事は何も分からないが、いなくなった隙に逃げ出して、戻って来たのだと娘はいった」
その後、連れ戻されることを恐れ、心を病んでいた娘は、半年も経たずに世を去った。
残された子供は、完全に厄介者だ。
探し物が得手と知られるまでの数年、かなり不遇な生き方を強いられていたらしい。
「その男が成長し、嫁取りの話が出る年になった頃には、貧しかったその家は、村を仕切れる程に裕福になり、その親族たちもそれぞれ力を持ち始めた」
続けて話した誉は、苦い顔で付け加えた。
「どこから来た法力僧かは知らないが、遠見ができる子供の血が、父親だけの血ではないと吹き込み、独自の術を考えられるほどまで、教え込んでしまった」
その話を耳にし、秘かに危機感を覚えていたのは、石川の当主だ。
「神隠しに合って戻って来た件の娘は、器量よしでな。貧しいながらに村の長家に見初められ、嫁入りできそうな塩梅だったが、行方知れずになった事でそれは立ち消えた上に、その一家の心象も悪くなっていた。相手は人間ではないという法力僧の話を真に受け、あの者たちは我々のような奴を、一発で沈められる術を、考え出してしまったんだ」
と言っても、ある程度強くなった者には効かない。
実際、ある騒動の時の捕り物で、誉はその術を投げられたが、ちくりともしなかった。
だが、弱い妖しや、混血には覿面だった。
恨みの籠ったそれは、命までは奪えないが、動けなくなった相手を、嬲り殺しにするのは、赤子の首をひねるようにも楽だったはずだ。
「危機感はあったものの、村の片隅での些細な事だったため、石川家の当主は様子を見ながらも捨て置いた。国の揺るがす事になるとまでは、思っていなかったからこそだ」
件の男は、嫁を貰ったものの子は出来ず、三十代半ばで世を去った。
だが、その甥っ子に当たる男がその座を継ぎ、何故か遠見の物探しだけではなく、大仰な先見まで口走るようになった。
裕福な農家の者の言葉に、村の貧しい百姓たちの殆んどが傾倒し始め、他の村にまでそれが及び始めた時、国が動いた。
「あなた方の国の事は、分からないが……」
三男が、固い声で切り出した。
「わが国では力を持つ百姓を、村の長として掲げ、その土地に見合った量の貢を、年ごとに収めるように決められている。つまり村の長は、田畑に植える米や作物のために、一年を通した天候に注意し、危うい場合はその対策を模索し、どうにもならぬ時は、国に知らせて貢の量を減らしていただけるよう、願い出るのもお役目の一つだ」
「勿論、それを了承しない国の主も、どこぞにはいたようだが。今も、公になっていないだけで、いる事だろう」
「我が国は、天災に備えて、備蓄もふんだんに集めているくらいだ、小さい国だから、集める量は限られているが、いざという時、国の村全てに、炊き出しをしてやれるくらいは、用意がある」
実際、幾度かあった干ばつや雨風の天災で、どの村もその方法で助けてきたために、小さいながらも何とか、村々は生き延びていた。
「その村も、一昔前は、村長と百姓たちの間の暮らしに差はなかった。前の村長は、暮らしに猶予はあったものの、もしもの備えで蓄えていただけで、他の村人たちと共に田畑に出て、一緒に働くような人だった」
前の長よりも裕福になり、村に君臨してしまったその家は、以来一度も、田畑に出てくることはなく、身近な家族のみを手厚く助け、他の村人には見向きもしなかった。
「まあ、神隠しにあった娘の事で、不遇な目に合ったのを、恨んでの事だろうが、それを当の親子が死んだ後まで持ち出すのが、少々粘っこい」
大体、その恨みは晴らしていると、誉は言い切った。
「件の男は、嫁を取って死ぬ迄、子に恵まれなかったが、その前に、幾度かやらかしている」
密に知らされたのは、寡婦となったある百姓の娘と、男の母が嫁に入るはずだった家の娘の話だ。
「寡婦の方は、子を身ごもったまま後妻に入り、その娘が旦那の先妻の子と添うのを見届けてから、鬼籍に入ったが、もう一人の娘は子を産んだ後すぐに、首をくくって自死してしまった」
物心つく前に母を亡くした男は、母親を娶るはずだった男が、全く別な女を娶り、幸せになっていることが我慢できなかったようだ。
「聞いた話では、娘に狼藉を働いている最中、恨むなら父親をと、笑いながら宣っていたらしいから、確かだ」
刃物で脅され、法力僧に力づくで抑え込まれ、家族が外で成す術もない中、娘は心身ともに傷つけられた。
それを何故、石川家が知っているのかというと、元々百姓だった繋がりで、例の男の母親の元許嫁の家と、懇意にしていたからだ。
田畑に現れなくなった娘とその家族の、悲壮な空気を感じ取り、先々代が秘かに事情を聞きだした。
「……」
「去年の今頃、身近な家とその周りに百姓たちを先導し、奴らは一揆を企てていた。だが、先回りして我々で食い止めることができた」
不自然に昔のことから最近の話に飛ばした誉を、オキは目を細めて見つめたが、何も言わずに相槌を打った。
その無言の促しに、誉も頷いて続ける。
「村を失くし、先導者たちを捕えて罰するだけで、事は足りたはずなんだが、どうやら、件の法力僧がただ者ではなかったようで、逃げ切られてしまった」
「ただ者ではない、とは?」
「オレは、一度も会った事がないから、何とも言えんが……」
言葉を切った男と目を合わせ、四男が続けた。
「意図してこの山の近くに、あの家の者たちを誘導したのではと、思われるのです」
理由は、そこで完全に萎んでいる、戒だった。
「実は、その者たちの行方は、ここに来るまでは不明のままでした。兄が、この辺りに住み着いたというのは、聞いておりましたが、まさか、あの家の者たちと、兄の思い人の娘さんが、一緒に住まっていたとは」
国ではまだ、血眼になって探している。
石川家の子息二人が言い使った役目で、偶々その行方が知れてしまったのだ。
「この方が、生まれてすぐ僧侶に預けられ、長旅ができる年になって、この辺りの寺に向かった事までは、分かっておりました。だからこそ、それらしい男が住んでいると聞き、すぐに向かうことができたのです」
四男は戒を一瞥して、そう言った。
「ですが、件の家も、分かっていたのでありましょう。だから、この方を取り込むつもりで、近くの空き地に陣取ったのではと思います」
遠見の力を確かに持つ、男の後継を取り込んで、反撃の体制を整えるために。
きっぱりと言い切った四男を継いで、浪人者が苦い顔で言った。
「その、法力僧だが、恐らくは、生粋の鬼だ」
息を呑んで目を剝いたのは、しょぼくれていた戒だった。
そんな男と目を合わせ、力なく言う。
「オレも、実際に見た訳ではないが、そう言う知らせは受けている」
三男も頷いて、言った
「祖父からの話を合わせると、どうやら、件の神隠しがあった時期に、二晩程村で宿を取った奴と、同じ奴らしい。父上も人相書きを書くときに、あの法力僧も、鋭い目を持っていると、そう言っていた」
衝撃を受けたのは、当事者の戒だけだった。
上を仰いでいたエンは、小さく頷いた。
「葵さんも、遠目はよく見えると言っていたし、戒が鬼の子でも、驚かないな」
「逃げた女を追ったら、女は既になく、自分の子が育っていたから、思う存分使おうと、考えたんだろうな」
「子が死んだら、今度は孫か。そう言う考えなら、少しおかしくないか?」
オキと言い交しながら首を傾げ、エンはおかしなところを指摘した。
「無事捕まえたのに、どうしてあんな楽に破れる呪いをかけただけで、戒を逃がしたんだ?」
敢て、雅を捕えたままの理由は、考えないようにしながら訊く男に、そう言えばと石川家の面々が天を仰ぐ。
その面々を見守りながら、エンは穏やかに続ける。
「力を持ち直そうとしているのなら、戒のような男でも、使い捨ての盾くらいには使えるだろう? もしかしたら、別な理由があって、この辺りに陣取ったんじゃないのか?」
「別な? どんな?」
「それは、そちらで考えては?」
ぐっと詰まって黙り込み、兄弟たちは唸って考える。
こちらの聞きたい話は、既に聞き出した。
だから、この連中が動き出す前に、女の無事と救出だけはしておきたいと、エンは話を放り投げた。
既に、気持ちはどう侵入するかに向いている男と、指摘された事を考える三人の主の後ろに立ち尽くしていた男が、ぽつりと言った。
「……狐」
その呟きに、もう一人が目を見開いて頷く。
「ああ、そうだった。あの賊には、生粋の狐も関わっているんだった」
「ん? それは、もう確かめたのか?」
手を叩いて言った蛇の男に、今度は呟いた狼の男が目を見開く。
そんな相手に、蛇は首を傾げた。
「確かめるも何も、匂いで分かっただろう?」
「あの辺りは、壁が厚いようで、中の様子は分からん」
「そうか。ウノも、匂いじゃなくて音で、気づいたらしいから、致し方ないか」
鋭い目が三つほど、自分を刺しているのに気づかず、蛇は気楽に言った。
「法力僧の姿をした鬼と一緒に、男の生粋の狐が集落を仕切っている。どうやら、あの家の連中を連れて行った先で、鬼と狐は落ち合う手はずだったらしい」
その時、村とも集落ともいえる程の人間は、住まっていなかったものの、何処からか逃げ延びてそこで暮らしていた、数人の家族もいたのだが、離散する羽目になったようだ。
「法力僧が、男を食い殺し、女たちを手慰みにして散々弄んでから、どこぞに売り払ったらしい」
「……そ、そう、なのか」
鋭い目線に気付いた狼が、引き攣った顔で相槌を打つと、それを別な意味に取った蛇が、更に言った。
「心配ない。壁を越えた後ならば、オレたちも手出しできるからな。女子たちは、売り払われる前に助け、奴らには売ったと思い込ませて、金を懐に入れておいた。匂いが分かり辛いオレならば、大手を振って動ける。それに、頼まれたことを完全にやるのが、オレの強みだ」
「……ウノの頼みなら、だろ」
胸を張った蛇に頭痛を覚えながら、狼は大きく溜息を吐き、頷いた。
「そうか。一時期荒れて、鬱憤晴らさせろと呼び出されていたが、それが無くなったんで、別な鬱憤晴らしを見つけたんだとは思っていたが、治めどころがあったんだな。良かった。いくら何でも、体ごと乗られた上で、踏みつけられるのは、正直きつい」
もう少し、体が小さい兎ならば、そこまで考えないんだがと呟く狼を、今度は別な二つの目が射貫く。
「おい、どう言う意味だ?」
「そうだ、あの人に踏みつけられて、きついとは、どう言う事だっ」
誉が睨むように問う言葉に頷いての、蛇の男の言い分は、少しおかしい。
「全くだ。あの位の重みで、きついとはっ。お前、少し鈍っているだろう」
「……じゃないだろう」
思わずその言い分に乗った誉を、浪人者が堪らず止め、溜息と共に狼を労う。
「そうか。八つ当たりしたくなる程、酷い事になっていたのか。オレが、うじうじと決められない内に、お前にも苦労かけていたんだな」
「乗り込むのは容易だが、相手は国を揺るがした連中だから、逃がすのは不味いと、ウノは物凄く我慢してましたとも」
疲れたように笑うだけの狼の代わりに、蛇が胸を張って言い切った。
「で?」
穏やかな声が、主従の間に割り込んだ。
「その女子衆は? 何処に連れて行ったんですか?」
振り返って答えようとした蛇は、ようやく気付いた。
しょぼくれていた件の男の子どもの顔が、先程よりさらに白くなり、その前の二人の男が尋常ではないものを纏っているのを。
「まさか、助け出しただけで、放りだしたんですか?」
「そ、そんなことしないっ。近くの村に、尼僧が住まう寺があるんだ。そこに、しっかりと送り届けたっ。勿論、その後連れて来られた女子どもも、そこに……」
「そうか。多恵とも、懇意にしていたのか、ウノは」
穏やかに笑ったままのエンの傍に立つオキは、元主の弟を見下ろしながら言う。
「そろそろ、セイたちも辿りついているはずだ。つまり、あの集落の事も、先程逃げた娘から、話が行ってしまう」
「……そこまで、大仰にはしたくないな」
あくまでも穏やかに言う男に、戒がすがるように身を乗り出す。
「頼むっ。ミヤを、助けてくれっ」
「言われるまでもない」
悲壮に満ちた懇願に、男は穏やかに答えた。
見返した女の弟分に、ゆっくりと自分の本音を告げた。
「お前を責める気は、もうない。こちらも、悪かった」
静かで穏やかだが、それが逆に、抑え込んだ物の多さを物語る。
「オレも、お前に頼んでしまった。任せろというお前を、真っ向から信じてしまった。お前の力量を、見誤ってしまったのは、大いに責められることだ。あの人に謝っても、許される事じゃない」
責めてないのか、これで?
思わず、浪人者が無言で誉を見やるが、見られても答えられる程、エンという男を知らない式神は、首を無言で振っただけだ。
オキの方は、男は盛大に真剣に悔やんでいるのが分かり、何度も無言で頷いているから、責めているわけではないのだろうと、見守っていた式神たちは思うことにした。
「戒、お前は、この人たちの国に一緒に逝……いや、行け」
「今、本音が出なかったか?」
「気のせいだ。その後ここに戻って、雅さんに謝るかどうかは、お前に任せる。兎に角、正確な場所を、吐いていけ」
所々に、乱暴さが出るが、あくまでも穏やかに響く声音が、戒に答えを吐かせる。
頷いたエンは、振り返って石川家の面々を見た。
「……」
「約束通り、戒は引き渡します。煮るなり焼くなり、どうぞご勝手に」
「……あの集落の奴らは、我が国のお尋ね者なんだが?」
誉の険しい顔にも、男はひるまず首を傾げただけだ。
「時が経てば、忘れられるのでしょう? なら、見つけていない事にして、見逃してください」
「そういう訳には……」
「もう、あなたが探していた娘さんも、逃げることができたんでしょう?」
浪人者の言葉もあっさりと遮り、エンは穏やかに言った。
「ならば、それでよしとしてはいかがか?」
「だから、そういう訳には、いかないんだ」
力づくでは敵わないと知る浪人は、式神たちに目で助けを求めるが、蛇の男がそれを受けた。
「あんたが助けると言っている雅って女は、狐の混血の事だろう? それなら、もう、遅い。あれはもう、あちら側の獣と一緒だ」
だが、それはどう考えても、火に油を注ぐ言動だった。
「……どういう意味だ?」
笑顔のまま固まったエンの傍で、オキが静かに訊くと、蛇はあっさりと主たちが知らない事を話し出した。
狐の混血が、賊の手に落ちた事は、その日のうちにウノも気づいた。
狸の集落に、狼の混血を送り届けた男が賊の元に向かい、追い返されたことも。
その時にはミノを使って、賊の元にいる娘とも繋ぎを取っていたウノは、狐の混血の周りが大人しくなったのを見計らい、蛇の男を様子見に出した。
それに気づいた娘も、こっそりと狐の混血の元に赴き、ミノと落ち合ったのだった。
集落の先住の者の血が、目に見えてこびりついたその小屋の奥に、その女はいた。
乱れた衣服を直す手は小刻みに震え、顔も青白く強張っていたが、その目はしっかりと、静かに入って来た二人を迎えた。
「……声も恐怖も、聞こえなかったというから、相当心が強い女だが、やはり、可愛がっていた弟の前での狼藉は、堪えたんだろう。呼びかけに答えた声は、掠れていた」
娘が持って来た水と麦飯を、静かに呪文の壁の中に押し入れると、女は小さく微笑んでかすれた声で礼を言った。
本来の姿でそこまで来た蛇は、こちらの事情を話し、今後の動き方も包み隠さず話したのだが、女は小さく頷いた。
「それで、いいんじゃないかな? そちらの娘さんが無事の間は」
「ああ。何を企んで、姫を家族から引き離したのかが少々解せないが、何のつもりであれ、今のところは無事のまま、主にお返しできると、そう思っている」
「今は、抜けさせては、やれないのか? ほら、こういう事の後に、嫁入り前の娘さんが出入りするのは、色々と障りがある。それに……」
本来の力も獣の腕力も抑えつけられ、成す術もない女は、諦めを含んだ目を向けた。
「あなたにも、分かるんだろう?」
だからこそ、戸口の前から動かないのだろうと言われ、蛇は小さく息を吐いた。
「……混血なのに、何故そこまで、黒くなれる?」
目や耳ではなく、別な感覚で空気を読む男は、確かに気づいていた。
二人の男に無体な事をされた女が、恐怖や屈辱で震えているのではなく、全く別な感情を抑えるために震えている事に。
狐は、どんなに痛い目に合っても、注がれる生気は分け隔てなく吸い尽くすと、誉が嫌そうに教えてくれたことがある。
人間の血を半分継いで、薄らいでいる筈の狐の性が、空気に黒く滲んでいた。
「今はまだ、自分が保てていると思う。でも、これから先が、どうなるのかは、正直自信がない」
きっぱりと言い切った女は顔を伏せ、声なく笑った。
「まさか、こんなに、自分が弱いとは、思わなかった」
「……」
「自分を失ってしまったら、好み云々より、餌が目の前に来たというだけで、襲い掛かってしまうかもしれない」
娘も、危ないと言い切った女に頷き、蛇は静かに言った。
「主持ちは、こういう時面倒なんだ」
これは、ウノが良く忌々しく言い放っていた言葉だ。
こういう時、その気持ちがよく分かる。
「特に今一緒の主は、少々こじらせていて、姫が危ういと感じるまでは、手を出さないと決めている」
「……じろ様、お元気なのですね」
思わず呟いた娘に小さく笑ってから、蛇は真顔で女を見た。
「あんたがこれから、売りに出されるかそのまま飼い殺されるかは分からない。だが、どちらにしても、助けるのはこの地全体の壁の外に、出されてからだ」
「売りに出されるのなら、まあ自力で何とかする。もし飼い殺しが待っているのなら……」
この地の者を、全て食い散らすか、自分を失ったまま賊の術で言いなりになるか。
そんな不安を口にした女に、男はけろりと言った。
「姫だけ無事ならば、全て食い散らしてしまっても、構わない。だが、そちらに落ち着くとは限らない」
未だ、国の追っ手の目は、ここにはない。
だからこそ、多少の禁じ手も大目に見れると、育ての親が言っていたと真顔で言うと、女は不思議そうにしながらも頷いた。
「その時は、私を何とか退治して欲しいものだけど。ここ以外でまで障るような化け物に、なりたくない」
「その辺りは、そうなったときに考える。だが、そうなるかは五分だ」
「何故?」
「気づいていないのか? お前さん以外に、狐がいる。しかも、生粋の」
小さく驚きの声を上げた所を見ると、気づいていないようだった。
「隠れるのが苦手なようだから、お前さんも気づいたと思ったんだが」
「いや、今迄、そう言う暇がなかったから……でも、全然、そんな感じは……」
「そいつが、お前さんを利用して、何かを企んでいるなら、また話が違う」
「そう、か」
本気で戸惑っている女を見ながら、蛇は大きく首を振った。
何気ない仕草なのに、ふらふらと近づいて行きそうになったのだ。
自分たちのように、卵で生まれる者にまで奮いつかせようとする狐は、本当に質が悪い。
必死で自分の養い親の兎の初心さを、頭に思い浮かべながら、後で踏みつけられてしまうなと、期待半分で心の中で嘆きつつ暫く女と話し、主の元に戻って行った。
「……それが、夏に差し掛かった頃だったから、
しんと静まり返った面々の前で、蛇はそう締めくくった。
「その後は?」
静かに、オキが問うと、男はあっさりと答えた。
「話せたのはあの日だけだ。二日ほど後に様子を見に行った時には、完全に狐の性に呑まれてしまって、何人かの賊の男が、小屋の外に転がっていたからな」
男たちは、完全に女の体に引き寄せられ、極楽を感じながら逝った事だろう。
そんな空気が外からも感じられ、もう近づけないと断じた蛇は、そのまま娘に顔を出して立ち去った。
「……」
「あの、狼の群れの話なのですが……」
冷たい空気をひしひしと感じながら、狼の男が口下手ながら言葉を紡ぐ。
最近知った、件の混血の狼がいた里の者たちの復讐の末路を、未だ知らずにいる面々に説明し、たどたどしく続けた。
「その集落を襲撃した狼たちは、全てが壁を破った上での進行を成しています。ですが、その後出てこない。だから斥候がしくじったと思って、里にその旨を伝えていたようです。先日、我々がお世話になっていた集落に来た者たちも、もしかしたら追い返した後に、同じ末路を辿ったやも知れません」
「しくじったのは、事実だろうな。押し入ったものの、一番先にあの女の前に立ったら、全員腰砕けになっただろう」
「……ミノ、お前、何で、そう墓穴を広げるような真似を……」
「ん?」
狼の男は頭を抱えつつも、悔やんだ。
話を変えようとこの話を持ち出したが、どう考えても火に油だ。
石川兄弟が青ざめた顔で顔を見合わせ、目で話し合っているその前で、穏やかな声が笑った。
びくりと肩を震わす面々を振り返り、エンが言い切る。
「墓穴なんか、要らないですよ」
「そ、そうか?」
そうは見えず、引き攣った声で聞き返す浪人者に、エンは笑顔で頷いた。
「でも、八つ当たりくらいはいいですよね。鰻の代わりに」
「?」
疑問符が浮かぶ面々の前で、オキは苦笑した。
「お前、知ってたのか。江戸や京都の料理人の、味に対する執心を?」
「ああ。ぶつ切りで煮込むだけじゃあ、味が染み込みにくいのが、鰻や泥鰌だ。魚なんだから、開いて下ろす方法があれば、より味を染み付けられるはずと、鰻を扱う料理人が、こぞってその方法を探しているらしい」
「滑るからな。泥鰌は、物が小さいから丸ごと生きたまま煮るしか、今の所方法がないが、鰻は物が大きい分、色々と方法があるんじゃないかと、考える者がいるらしい」
「似たような生き物で、一度試してみたいよな」
「お前なら、どう料理するんだ?」
楽し気に話し出す二人に、黙ったままの戒も、目を輝かせて聞き入っている。
たまらず声を出したのは、誉だった。
「分かったっ。奴らの始末は、お前たちに任せるっ。だから、鰻と同じ細長い生き物で、料理法を考えるのは、止めろっっ」
血相を変えた誉の叫びに、蛇の男の方は何の事だと首を傾げる。
その横で、狼が青ざめた顔で蛇を見る。
「お前、本当に分からないのか。頭の中で、三枚におろされてたぞ」
「? 頭の中で、だろう? なら、別に怯える事は……」
「本当に、お前のその能天気さ、見習いたいぞっ」
誉が鳥肌を立てながら、我を忘れて喚いているのを、主たちは仰天してみている。
「……昔の恐怖は、未だに健在の様で、何よりだ」
オキがにやりと笑うのを見て、式神は色々と気づいた。
「……誉殿を崩せば、我らが反発しても、どうとでもなると、そう思っているようだな」
「その通りなのが、辛いな」
誉と同じくらい大きな男が、少しだけ小さく細身の男と、静かに言い交す。
「お前たちに奴らは譲るから、せめてウノが戻るまで、待ってくれ」
最後のあがきでそう懇願する誉に、オキはきっぱりと首を振った。
「駄目だ」
「その娘さんが向かったのは、その兎と懇意にしているという、尼僧の寺、だろう?」
短い言葉の後、エンが穏やかにその後を継いだ。
「戻って来るその兎が、一人で戻って来るとは限らない。それは、こちらが困るんだ」
雅も大事だし、あの集落を落とすならば、多少の人もいるかも知れないが、敢て、少ない数で行くと決めた。
既に、その尼僧の寺についているだろう若者が、この辺りの騒動に乗り出す前に、この件は治めてしまわなければ、そんな思いも二人の男にはあったのだった。
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