裏路地街の夢見鳥

東 南我

第1話『夢喰』

 今宵は新月の夜。眠るには絶好の日だ。そんな裏路地、ゴミ箱をガサガサと漁る音が聞こえる。

「……なにこれぇ。消費期限切れ?全然食えんじゃん」

黒髪をきらりとさせる赤羽あかばね 東子とうこは、豊作豊作と満足げにダンボールのテーブルで菓子パンを開ける。まったく来ない仕事。高賃金ではあるがすぐに生活に困る。ザザッとトランシーバーが鳴る。目をキラッと光らせトランシーバーを取る。

「なに仕事!?こちら赤羽!」

元気でよく響く声とは対照的に、トランシーバーの向こう側の男は、低い、重く気だるそうな声で言う。

「仕事だ。すぐに、取り掛かれ。ターゲットは舎楊しゃよう病院の3階、右棟にいる。取られる前に早く」

「言われなくとも!久作さん!」

低い音。ノイズ。おそらくため息によるものが聞こえた。

「返事をする暇があるなら、さっさと行け」

「すみませんねぇ!でも、返事ってのは大事だって」

ブツっと切られる。眉間に皺を寄せるが、舌打ちをするだけで抑えた。くるくるとペンを回すようにしてから、カートリッジの注射を首の横に打つ。『レッデストジュース』と呼称されるそれ。リスクとリターンがあまりにも見合わない。そして、数秒後に溢れる感情。様々な感情。痛み、興奮、恍惚、性、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。青、赤、緑、桃、全て混ざって黒に。狂犬病の犬のように息を何度も、何度も、大量に吐く。

「あぁ……殺す!」

裏路地を挟む壁と室外機を飛び移りながら上空へ。身体能力はもう、人間のそれではない。


一般的な一軒家。気弱そうな見た目の緑川みどりがわ 白奈しろなという女は、ソファに縮こまるように座って、テーブルのトランシーバーをじっと見つめている今日こそは来るかと待っていると、ザザっと音が聞こえた。それに思わずビクッとする。

「仕事だ。お前にぴったりの簡単な仕事」

「は、はい!」

その低い声に返事をする。今度は威圧のような声が聞こえてくる。

「返事をしろとは言っていない……」

最後の発音の余韻が、猛獣の唸り声の方に聞こえる。それに怖がり、また縮こまる。

「ターゲットは舎楊病院の3階、右棟だ」

驚き目を見開く。

「しょ……小児科の……」

「入院中のガキなら簡単だろ。さっさとかかれ」

「で、でで、でも、でも……」

通信が切れる。こんなの聞いてない。子供なんて、聞いてない。だが、緑川は怖くなった。逆らえばどうなるか。仕方なく、支給された夢鏡むきょうと呼ばれる、強大な夢を見るための眼鏡のようなものをかけた。次に『レッデストジュース』。じっと見てから、ふいっと玄関を向き、走って出ていった。仕方なくと自分に言い聞かせた。こんなことも、この仕事も。


タッタッタッと走り、舎楊病院が見えた。まだ明かりはついている。緑川は三階を見上げた。眼鏡のレンズ越しに、夢が見えた。男の子が走り回る夢。夢らしく、特に子供の夢のように、生合成のない夢。友達だろうか、親だろうか。テーマパークだ。動物園だ。夢喰ゆめくいは、大きな夢から夢の核を奪る。それは強大なエネルギー。ものによるが、百ウン十万はくだらない。正面突破じゃ当然ダメだ。だから窓から。舞台はいつも別の人たちが整えてくれている。周りに誰も見るような人もいない。監視カメラも細工される。ハシゴをかけた。長いハシゴ。登れば登るほど、足がすくむ。頑張れ私、頑張れ。思いながら登り、登り、いずれ登り切った。男の子がベッドに座っていた。私は窓を静かに開ける。

「……」

男の子がこっちに気づく。少しびっくりしてから

「こっ……こんにちは」

と挨拶をする。

「っ、こ、こ、こんにちは」

思わず挨拶を返してしまった。男の子を見て。もう、夢を奪るなんて、できる気がしなくなった。

「……ねぇ、き、き、き、きみ」

笑われないかな。

「えっと、き、きみのことを狙っているのがいるんだ」

次。ゆ。ぽかんとした様子の男の子に、頑張って言おうとする。

「ゆ、ゆゆ、ゆめ、ゆ」

一旦深呼吸をする。大丈夫。大丈夫。大きく息を吸ってから言った。

「夢喰が」

ひゅうっ。風が吹いた。怖くて少しうつむく。だめだ。せっかく言えたのに、また男の子の方を向いた。いない。いなかった。男の子は、死んでいた。病室の中で、女にナイフで滅多刺しにされている。緑川は思わず叫んだ。泣いた。女、赤羽が向いた。

「ねぇ……あんた新人?」

泣いていては返事もできない。したくもない。でも、頷いた。

「ふーん。残念。私が先に奪っちゃったー」

恍惚、狂気の表情。高笑い。手には宝石のようにキラキラと輝く石があった。

「じゃ、次は奪れよ。退社は許されねぇ」

女は窓から消えた。泣き止めない。嗚咽する。つらい。でもやめられないらしい。緑川は心の底から後悔していた。

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