世迷言

@komachiyotaro

不快だ。

隣の客のコーヒーを啜る音に思わず心で声が洩れた。

店内にはボサノバとも分からない奇妙な音楽が流れている。カップとソーサーの触れる音。休憩中と思しき会社員たちの話し声。飲んだコーヒーの味は明日には忘れてしまうだろう。どんなに熱くて口の中が火傷しようとも、コーヒーを啜るのはマナー違反だ、となにかの雑誌で読んだ。いや、あれはテレビ番組だったかもしれない。本場の決めごとなど、そこに行ったことのない私が語ることはできないのに、律儀にその教えに従う自分にも嫌気が差す。


ルールとマナーの違いとは何か。先日の授業で話題になった。生徒たちは思い思い彼らの考えを語っていた。法律で決められたのがルール、自主的に守るのがマナーだとか、罰があるのがルール、ないのがマナーといった具合である。「先生はどう思いますか?」矛先が私に向けられたが、明確な答えなど用意していなかったので、「解釈は人それぞれあっていい」などと言って煙に巻いてしまった。デスクに戻り、辞書を開いて意味を調べてみたが、答えらしきものは見つからなかった。


倫理観がうんぬん、公共の福祉がかんぬん。一体何を持って我々はこの珍妙な決まりごとを守ろうと苦心しているのだろう。そんなことを考えながら五本目のタバコに火をつける。少し吸いすぎた。ぼうっとする頭を壁にもたげながら、数年前に売れた書籍のタイトルを思い出す。「君たちはどう生きるか」。

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