ぬいぐるみの王子様

如月姫蝶

ぬいぐるみの王子様

 夜勤に向かうためアパートを出たところで、人が待ち伏せている気配がした。

 私を悩ますストーカーだ。

 数秒後、私は悲鳴を上げた。

 レインコートを纏った人影が音も無く忍び寄り、暗い中でもギラリと輝くサバイバルナイフを首筋に突き立てたからだ。

 その人影は、やがて抜き放った血塗れのナイフを、あたかも伝説の剣のように掲げて見せたのだった。


 美鶴みつると私は、女子高の演劇部でロミオとジュリエットを演じた間柄だ。お似合いだなんて言われたけれど、現実が甘いはずもない。

 父が事業に失敗したため、私は、看護師としてがむしゃらに働くことになった。

 一方の美鶴は、二十代にして病魔に襲われた。乳癌ばかりか他の癌まで患って、何度も手術を受けることになった。

 私の勤務先の外科医に診てもらわないかと誘ったのだけれど、断られてしまった。

「こんな縫い目だらけのぬいぐるみみたいな体を、あんたにだけは見られたくないんだ」とか言って。

 何度か見舞いに訪れるうち、美鶴は私に、「実は余命三ヶ月なんだ」なんて、世間話みたいな口ぶりで教えてくれた。私は私で、以前看護師として担当した男性患者にしつこく付き纏われていることを打ち明けた。身の危険を感じて警察に相談しても、生ぬるい対応しかしてもらえないのだと。


 末期癌の患者の外出を、病院が黙認してくれることもある。

 レインコートを着た何者かがストーカーを抹殺してくれた後にも、私は美鶴の病室を訪ねた。

「警察には、ちゃんと証言しといたよ。ストーカーをやっつけてくれたのは、王子様みたいなイケメンだったって!」

「何それ?……最高の褒め言葉じゃん……」

 美鶴と私は、両手の指を絡めた。見つめ合いながら涙ぐみ、最後には高校生の頃のように笑い転げた。


 警察が美鶴の存在に気付いたのは、その余命がついに燃え尽きた後になってからだった。


 ロミオとジュリエットは、勝ち逃げしたのだ。

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