なかのもの

判家悠久

第1話

 そのお兄さんは、13時30分丁度に、文京区の仕事場兼住居マンション4階に訪れる。お兄さんと思っただけでキュンとするのが、まだ20代後半でも行けるか私は、いや実に有り難い。


 そしてチャイムが一際軽やかに鳴る。自家製のアフタヌーティーンでリラックスしても、マンションの廊下は3秒フラットのダッシュ。そして2段階施錠を開けると、そこには、お兄さん、マグナ武蔵運送のドライバー三宅満さんが、いつもの優しげな垂れ目がちで、いつも有り難うございますと、ホスピタリティ溢れた表情を浮かべる。


 その笑顔はプライスレス。人気俳優のミュージカルに行っても、4コマ漫画作家仲間で連れて行かれたホストクラブに行っても、ついでに婚活パーティーに行っても、私のハートを射抜く男性に男子に少年もいなかった。


 そうこの笑顔を見たくて、このマンションは認証が厳しく出入りが面倒ですからと、三宅さんのシフト、月曜日終日いるを聞き出し、私専属の宅配マンに徹してくれている。

 それは正解だった、私は生来追い込まれてからの4コマ漫画の捻り落としなので、締め切りが近く程にヒステリーが強くなる。ただルーティーンとしては、日中の栄養分補給だけは欠かさず、昼食11:30-13:30はタップリ取る。

 そして午後の仕事開始の14時前迄の、30分間に雑事だけは済ましておきたい。この30分の間にきっちり来てくれるのが三宅さんで、ただ感謝しかない。ただ今日は。


「東海林先生、今日はお届け物が本当大きくて重いのですけど、養生台車で上がっていいですか」

「えーと、三宅さん。私が頼んで、今日来た商品はぬいぐるみの筈ですよ」

「確かに、商品名はぬいぐるみで、発送人はマニュファクチュアツールズで合ってますか」

「ええ、合ってます。BS放送の通販番組の提供先、マニュファクチュアツールズ。大人も癒すおもちゃが、最近実にツボです」

「まあ、それなら。でも重量軽く60kg有るんですよね」

「そこは、通販番組で、抱きかかれぬいぐるみなので、流体クッションのそれかなと思います」


 三宅さんは訝しげながら、通路に置かれた、包装された巨大ぬいぐるみを、養生台車に乗せては廊下を手際よく進み、リビングにそっと置いた。

 ただ、余りにも大きい為にクーリング・オフしようと思ったが、オンライン時代でこれと言った荷物も無いので、まあいいかになった。


 私は、通販番組で見た、実寸大のほんわかしたツキノワグマのぬいぐるみを、可愛いでしょうと、自慢げに見せようと、三宅さんと一緒に梱包を解き始める。

 三宅さんが、梱包材は引き上げて処分しますと言ってくれたが、ええまあとしか空返事しか出なかった。

 それも、ツキノワグマのぬいぐるみは確かに目がつぶらで可愛いが、およそ体長120cmが鎮座すると、本能で熊としか言いようが無かった。


 私と三宅さんは、微妙な空気に入るが、三宅さんが記念に写真撮りましょうかと促してくれる。それとはベストタイミング。三宅さんは、いつもの自らの最高画質の携帯端末をかざしては、私はツキノワグマに包まれる様に、特殊素材の柔らかなクッションに沈んだ筈だった。

 ただ、その包まれた感触は、大筋肉の何かに包まれたもので、びっくりして離れた。三宅さんが距離0に入り囁く。


「東海林先生、江戸川乱歩の人間椅子って知ってます」

「ええ、まあ、器用に椅子の中に人間がいるのですよね」

「多分、それです。今の状態だったら、動けない筈なので、金属バットありますか。俺一発で倒します」

「それなら、とっておきあります」


 私は、リビングテーブルの裏面にガムテープで貼り付けたハンドアックスを取り出した。女子がそこ迄異様に敏感かは、ここ半年の事が大きい。

 私は、何かにつけストーカーに着けられていた。気分転換で近所に買い物しに行く時、人言観察する為に東京中心街でスケッチする時、女子仲間で集う時。そのストーカーは根気よくいる。男であるか女であるか正直わからないが、靴を巧み変えて、化粧もバリエーション良く塗るので、一見同一人物かは分からない。ただ、そこ迄して、私に偏執的に拘るのは、ショートカットのナチュラルボーイスタイルが性的嗜好なのかとは推察する。

 そして、いつかエスカレートするであろうから、頭ぐらいカチ割ろうかの心意気がなければ、そういう鬱陶しさから、いつまで経っても気が晴れるものでは無い。


 三宅さんは、ハンドアックスを見て一瞬躊躇したが、任せて下さいと言い残すと、犯罪者ばりに完全に目が座ったのが気になった。


 三宅さんが、おいと叫ぶも、もうハンドアックスは、ツキノワグマのぬいぐるみ脳天を直撃して、凄まじい野獣の咆哮が、リビングルームを劈き、部屋中が脳天からの出血で真っ赤に染まって行く。そしてツキノワグマのぬいぐるみは身悶えながら、もふもふの皮を自ら剥ぐと、そこには本物のツキノワグマのぬいぐるみがいた。


 三宅さんは、慄き逃げようとするも、腰を抜かし血の海に浸って滑って動けない。咆哮しながら、生体をしゃぶり骨を砕く鈍い音がはっきり聞こえる。私は、生きたいの使命感だけで、まだ血糊で汚れていない廊下を這い、そして玄関を潜り、外の通路に出た。

 通路には、マンションの住人に群がっており。私は助かったの安堵感から、ついツキノワグマがいると言葉を吐くと、こぞって爆笑された。そうはそうだろう。ただその2分後に、聞き苦しい人間の断末魔が聞こえると、そこで皆の喉を鳴らす音が、奇妙な静けさの中で聞けた。

 確実に言えることは、三宅さんは逃げそびれ、私のマンションで死んだ事は分かった。



 ◇



 ここから後日の話になる。ツキノワグマのぬいぐるみの中にいたのは、本物のツキノワグマ。何らかの麻酔と術式で眠らされては、ぬいぐるみの中に仕舞われた悪質事案らしい。ただ所轄警察曰く苦い顔をする。


 マニュファクチュアツールズは所謂。離岸武文総理の掲げる異次元的日本国人口増加政策で、堕天使が日本国籍を取得しては成し得た会社だと。何せ正真正銘の堕天使の所作から、現行の刑法では処罰出来ずに看過せざる得ない。そこには日本国憲法の幸福追求権も絡み、非常に複雑だ。

 そもそも日本国憲法では、人間50年単位でしか想定していない為、自称10万歳を自称する堕天使では、正直何でも良かれになってしまう。


 それでも、あの優しい三宅さんは堕天使の悪行で死にましたよと、警察に訴えるも、それもどうかと諭される。

 当事者の私ならばという事で、容疑者三宅満の自宅の部屋の写真をタブレットで見せられた。そこには私の関連作品残らず収集に、私の行動を記録した分厚いバインダー、そして変装道具の数々はどれも覚えている。そして、いつか仕上げる筈のハイグレードな拘束道具を見せられたら、そういう天罰かと頷くしかなかった。


「でも、何故堕天使が助けてくれるんですか」

「さあね。東海林花苗先生の御先祖様に功徳のある方いたんでしょう。堕天使の絡む事案の大凡9割はそんなところだから、まあ義理堅いものですよ、堕天使達は。手が着けられないけど」


 それならばと、堕天使のいるマニュファクチュアツールズへと、儀礼的にお礼状でも書こうかにした。とは言え、分譲マンションが、三宅さんとツキノワグマの血の海の特殊清掃で、経費でも軽く300万円吹っ飛んだので、何を感謝しようかだ。まあその経緯も含めて、アザシタの殴り書きにはなった。



 ◇



 それから、特殊清掃も終えて、3ヶ月後の、いつもの雑用の抜群の時間13時30に、緩やかなチャイムがなった。定期配送も何も無いし何かなと思うと。インターフォン映像からは、普通の中年のサラリーマンがいた。各種保険の査定員かなと、鋼鉄チェーンのまま半ドア越しに挨拶をした。


「これはこれは、東海林花苗先生。日頃のご活躍何よりでございます。かくいう我輩は、マニュファクチュアツールズのカスタマーセンター室長見届アレシアスと申します。ご丁寧にお礼状も頂き、直接お礼をと思いまして」


 私は、素早く施錠を上げて、堕天使である筈の見届アレシアスのオレンジ柄のネクタイ締め上げた。


「よくもふざけた商品を売ってくれたわね。それを、のこのこと、顔を出そうなんて、どんな魂胆なのですか」


 絞り上げた筈のネクタイが、スルッと抜けた。まあ今日迄散々掴まれての特殊結びかと、堕天使の対応能力が高いのは伺い知れた。そこで、不意に思い続けた事を切り出す。


「何故、堕天使のあなた達が、私を極悪ストーカーから守ろうとした意味がよく分かりません。何か、しでかしてます。私」

「ああ、はい、そうですね。400年も超えると、人間側の伝聞も曖昧になるのは、万事等しくですか。そもそも、東海林花苗事香宗我部彼方さんの先祖はそのまま、土佐に由来します。まだ領知替えでやってきた山内一豊の成り行きまかせと来たら酷いもので、私ら堕天使側も次々粛清に次ぐ粛清で磔刑ですよ。何と言うべきか、ああ言う磔刑は誰が教えてたか、力が全く入らないものでして。塩になるのみかの時に、御親類長宗我部の姫様が、焼べる火に形振り構わず突込み、縛り紐を解こう必死になっては、磔刑は大中止になり、私ら堕天使も追って沙汰無しになりました」

「いや、香宗我部は香宗我部ですし、長宗我部一族まとめて、面倒見られても、困っちゃうのですけど」

「そこは、よくある差異の範疇です。何より花苗さんは髪を伸ばされたままですと、姫様の御姿にそっくりでございまして。私を始め、あの時の堕天使一党が、あなたを見るや、きっと涙する事でしょう。もっとも、私は散々泣いてから、訪問させて貰いましたがね」

「そのお話、つい母親の気性そのままですね」

「そう、流石は姫様、御聡明でいらっしゃいます。と言う事で、これも長きご縁の流れとして、マニュファクチュアツールズのPR雑誌に、東海林花苗先生の4コマ漫画を……」


 ガタン。私は冷徹に玄関の鉄扉を閉めた。そもそも心から謝っていない。そこに忙しい上に、更に仕事の請負いなんてごめん被る。


 ダンダンダン。小さくどうか開けて下さいの声も聞こえる。そして、これも聞くべきだろうと声を張る。


「見届さん、そもそも、私があのツキノワグマに襲われる可能性も有りましたよね」


 15秒の沈黙の後にダンダンダンダンダンと引っ切り無しになる。もう言わなくても分かってる。その15秒の沈黙は、術式に何らセーフティーが掛かって無いと言う事だ。今度は堕天使のストーカーなんて、どんな因果やら。

 そして外から、姫様、姫様、が連呼されると、いや今の実家はそんなものでは無いからと、照れ混じりに右手を伸ばさざる得なかった。

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なかのもの 判家悠久 @hanke-yuukyu

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