夕子

福守りん

夕子

 祖母から母の手に渡った人形は、今は、わたしの手元にある。

 布と毛糸と綿で、ていねいに作られたものだ。

 きれいに切り揃えられた、毛糸のおかっぱ髪は、まっくろ。ボタンの黒い目は、つぶらだ。ふくらんだ赤い頬は、いかにも子供らしく、愛くるしい。

 わたしの趣味が高じて買った、古い茶箪笥の上に、いつもひとりで座っている。

 名前は、夕子というらしい。誰がつけたのかは、わからない。


 夕子は、たまに、散歩をするようだ。朝と夜とで、体の向きが変わっていることがある。

 この話をすると、たいていの人は、眉をひそめる。恐怖を感じるようだ。


 つい、先日のこと。

 ぽとん、と音を立てながら、夕子が茶箪笥から落ちた。

 顔から、畳に、まっすぐ落ちてきた。

「あらら……。痛かった?」

 もちろん、返事はない。

 わたしは、夕子を抱き上げて、彼女についたかもしれない埃を払った。

 髪が多少乱れたほかは、べつだん、変わったところもなさそうだ。ほっとした。


 あれから、何日たっただろうか……。

 夕子の顔が、変わったような気がする。

 顔がこわくなった。頬も、以前ほど、ふっくらしているように見えない。

 わたしの部屋を見下ろす夕子の顔は、すっかり、けわしくなってしまった。

「痛かったのかなあ……」

 落ちたせいだろうか?

 そうだとしても、わたしに、できることはなかった。

 妹の真衣に、そんな話を電話ですると、「おねえちゃん。夕子ちゃん、お祓いしてもらったら?」と言われてしまった。

 「そこまでじゃないでしょ」と笑って、お互いの近況を話したりしてから、電話を切った。


 たった今のこと。

 がたがたっと、茶箪笥のあたりから、異様な音が聞こえた。

「えっ。なに?」

 夕子だった。

 夕子が、黒髪をふりみだして、暴れている。

 まるで鳥のような、おかしな声も聞こえた。

「ど、どういうこと?」

 夕子の足が、茶箪笥を蹴った。

 赤い着物は、まるで火のかたまりのように、わたしには見えた。

 両手を大きく広げて、わたしに……


* * *


「夕子さん。だめだったか」

「おばあちゃん……」

「かわいそうに。若い子が、何年も、寝たきりで……。なあ」

「うん。かわいそうだった」

「真衣ちゃんは、人形の夢は、見ないんか」

「人形の夢?」

「見てないだか。そんなら、それでええ」

 おばあちゃんは、かなしそうな顔をしていた。

 姉は、たくさんの管につながれた状態のままで、この世を去った。

 最期の顔は、安らかに見えた。


「いってらっさい」

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夕子 福守りん @fuku_rin

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