先生の家族は
シカを一頭ばらすのは大変だった。
ハスオが手伝ってくれてはいたが、それでも大変だった。
「ここがおいしいんですよ、先生」
などとイラガは説明してくれるのだが、洗うのが手間である。その上、早くしないと痛んでいくので手際よくしていかなければならない。
ここのところ家の中に閉じこもっていたエリサンにとってはきつい仕事だった。
手伝ってくれていたハスオはすっかりばらされたシカ肉を手に、笑っている。
「まあ実入りはないよな、俺らはここらへん、全部捨てちまうよ。重いしな」
「もったいない。ちゃんと食べられるのに」
イラガが応えた。
確かに食べられはするのだろうが、手間がかかりすぎる。
「しっかし、お嬢ちゃんはそんなフワフワの毛並みだったんだなあ。最初会った時逃げちまって悪かったな。
あんとき先生のとこに連れてきてれば、もっと早く治ったろうに」
ハスオがあらためて、イラガの顔を見てそんなことを言った。
今までイラガはずっとフードをかぶっていたので、素顔はここで初めて村人に見せたことになる。
「あのときは仕方なかったです。私もよく覚えていませんから。
それに、フワフワ、ですか。毛皮はもう少し伸びてこないと、完全に戻ったとはいえないです」
「そうなのか。ちょっと触ってみたいもんだが」
「だめですよ」
イラガは首を振ったが、誉められてまんざらでもなさそうだった。
エリサンとイラガは、手伝ってくれたハスオに多めに肉を譲る。彼は喜んで帰っていく。
それでも肉は余ったので近所の人にも少し配った。
「あなた、そんなにかわいらしい顔をしていたの。
触ってみていいかしら。猫ちゃんみたい」
「汚れているので、だめです。また今度に」
タテハの母親にも毛並みを誉められて、イラガは少しうれしそうにしている。
家に戻ってきたとき、シカ肉は二人で十分な大きさになっていた。はらわたも食べられますよ、とイラガは張り切っているので、それを考えると何日かはシカ料理が続くだろう。わるくならないうちに、ということで調理を始める。
材料を煮込み、二人で並んで用意をすすめた。
自然に会話も弾む。
「ずいぶん大きなシカでしたね。それも生け捕りになさるとは。
イラガさんは十分、狩猟で生計をたてていけるでしょう」
「先生、このくらいは獣人なら当然なんです。もっと大きなのだってとれますよ。
私たちの中には、専門で冬眠してるクマを狙って倒しに行く人もいるんですから」
話がずいぶん物騒になってきた。冬眠しているところを狙うとはいえ、クマまで専門で狩る人があるとは。
が、獣人たちの話が出たのでここを逃す手はない。
エリサンは、イラガに気になっていたことを聞いてみることにした。
「イラガさん、あなたはご病気になられてからご自分の村のことを話されていませんが。
連絡などは必要ないでしょうか。もしお手紙など送られるのでしたら、お手伝いさせていただきます」
「私の集落にですか」
イラガはエリサンの顔を下から見上げてきた。
予想はしていたが、やはりあまりいい顔をしていない。排斥されたのは間違いないようだった。
「ええ、どのようにお考えですか?」
「あれは、病気がひどくなったとき、私を助けてくれませんでした。誰一人、そうです。
そのうえ、出ていかないと殺すって言われたんです。私の住んでた家も、目の前で燃やされました。
そんなところに帰りたいとは思いません」
「辛い思いをされたのですね。思い出させてしまい、申し訳ありません」
いつかは聞くべきことではあったが、エリサンは頭を下げた。
イラガは首を振って、笑う。
「なんにも。悪いのはあいつらです。先生は私を心配してくれただけです。
ああ、でも」
それからふと思いついて、こうつけくわえた。
「私が死んだと思われているのはシャクなので、生きているということを教えてあげましょう。
もしかしたら、悔しがって地団駄踏むかもしれません」
「わかりました。それでは、そのように手配を考えましょう」
手紙を送るだけなら、行商人に頼めば届けてくれるだろう。
(雪が解けるころに彼はまたやってくる。そのときに出そう)
そんなことを彼は考えていて、無防備だった。
イラガの次の質問に、胸を抉られるとは全く考えていなかった。
「先生には、ご家族がありましたか?」
全くの不意打ちだった。彼は答えられない。
料理を続けていた手が止まった。
「両親にはもう長いこと会っていませんが、おそらく元気でやっているでしょう」
家族のことを聞かれた時の、彼の決まり文句。それが出るまでに、時間がかかった。
「それでしたら、先生もご両親に手紙を出されてはどうですか? 私のことも書いてください」
「ええ、そのうちに」
と答えたが、そんなことはできない。
家族との関係は絶望的なことになっているからだ。
そこまで考えて、考えをあらためる。嘘はいけない。善人なら常に真実を語るべきだろう。
「いえ、見栄を張るのはやめましょう。恥ずかしながら、実は私は家族とは絶縁されていまして。
もう会うことも、連絡を取ることもできない身の上です」
「先生はこんなに立派でいらっしゃるのに」
「そう言っていただけて嬉しく思いますが、私とて人の子です。間違いもしたのです」
言いながら、エリサンは立っていられなくなって、離れて椅子に座った。
「先生、大丈夫ですか」
イラガが心配そうな目を向けているが、返答ができない。
「ええ、平気です。すみません」
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