先生は何かを隠している

 困ったな、と思うようになったのは冬が本格化してからだ。

 この村の厳寒期は未経験だ。しかし、注意点などはタテハの母親やハスオなど、村人が親切にも教えてくれている。そこはおそらく大丈夫だろう。

 エリサンが困っているのは、イラガのことだ。

 病気は治っていて体力も十分回復しているはずだが、彼女はエリサンの家から出て行こうとしない。


 雪が積もっても平然と狩りに出かけて、何やら獲物をとってくる。

 そしてそれをエリサンに押し付けてくるという毎日がずっと続いていた。


 「罠にかかっていたので」といって猪を一匹まるごと担いで帰ってきたこともある。思いがけない大量の肉は二人では食べきれないので、村人たちに分けた。

 他にも薪や食べられる木の根など様々なものを持って帰ってくる。

 おかげでエリサンはほとんど家からでなくとも、生活していけたほどだった。


 しかしイラガは「まだ恩を返せていませんので」と、出て行こうとしない。

 エリサンとしては獣人とはいえ、いつまでも若い女性と同居しているのはよくないと思っている。村人たちにイラガのための住居はないかと訊ねてみたことはあったが、当人がそれを嫌がった。


「先生には、命を助けていただいた御恩がありますから」


 というのだ。

 しかしエリサンとしてみれば、それは善人であるように振舞っているからであり、自分の意志でしたことではない。

 だが集落からもおそらく排斥されてきた彼女を追い出すということも、無理な話だ。厳冬の中を行く当てもない若い女性を山の中に放り出すなどできない。優れた狩人であるイラガなら、あるいは何とかして生きていくかもしれないが、善良な神官がしていい行動ではない。

 彼女がここにいたいというのなら、受け入れるのが神官としては自然なはず。彼はそう信じた。


 それを踏まえても、男女が同じ家で暮らしているのはいくらなんでもまずい。

 無論手を出すような気もないが、同じ屋根の下で寝ているというだけで充分まずい。もう身体も治っているのだから、入院しているだけという言い訳もできなくなった。


(これも主なる神が与えた試練なのでしょうか。そう考えるしかありませんが)


 エリサンは女神像に手を合わせる。

 すると彼の隣で、イラガも同じように手を合わせた。


 彼女は獣人でありママユガという精霊を崇拝しているにもかかわらず、女神像に手を合わせるようになっていた。

 本人が言うには、


「私の信仰を先生は大事にしてくれています。だったら、私も先生の信仰を大事にします。

 女神さまへ感謝するには、どのようにすればいいのですか?」


 とのことである。

 別にママユガ様への信仰を捨てたわけでもなく、単にエリサンがしていることへのお返しという感じだ。

 しかしエリサンは神官としてこれを歓迎すべきだと考えた。そこで、イラガに女神像の扱い方と手の合わせ方を教えた。


「教義では、女神さまがしてくださった様々なことに感謝し、これからも慎み深く生きる、ということを約束し伝えるのですが。しかしそのような堅苦しいことは最初は不要です。

 目を閉じてあなたの言葉で、心の中でありがとうと念じてください」


 素直に目を閉じて、慣れない様子でイラガが手を合わせた。

 心の中で、という話だったのだが彼女は小声で何か呟いている。エリサンの耳にも聞こえた。


「ママユガ様のしもべイラガが、女神様に感謝を。

 呪われ捨てられた私を助けていただき、エリサン先生に会わせていただいて、心から……」


 エリサンは少しイラガから離れた。こんなつぶやきを聞いてはいけない。

 とはいえ、さすがにこんな大真面目な祈りは最初だけだろう。

 熱心な祈りもそうそう続かないものだ。


 自分が虚飾に染まっているエリサンはそのようにどこか楽観的に考えていたが、翌日も、その次の日も、イラガは熱心に女神像に手を合わせていた。


「イラガさんに毎日手を合わせていただいて、女神様もきっとお喜びでしょう。

 私がこんなことを言ってはいけないかもしれませんが、その行いをきっと、ママユガ様も悪く思ってはおられないはずです」

「先生、今私が生きていられるのは先生のおかげです」


 山林から戻り、女神像に祈っていたイラガに声をかけると、帰ってきたのは思いがけない感謝の言葉だった。

 エリサンはこれに戸惑う。


「気にすることはありません。あなたが生きたいと願い、それを知ったママユガ様があなたを導いたのでしょう。

 私は女神様の教えを守っただけです。それにもう、お礼は十分いただきました」

「とんでもない。まるで足りません。先生は私の全部を助けてくれました」


 イラガは心底、エリサンに感謝しているようだった。

 そう言われては何も言えない。エリサンは何も言い返せなかった。

 しばらくたってからようやく、「それではお互いにお礼をしあってばかりになりますよ」と笑って話を終わらせる。それ以上何も思いつかなかったのだ。


 善人の神官はこのようなときどうするのか。

 それがわからないのだ。わからないから、素が出かかったのだ。


 この違和感にイラガは気づいた。

 ただ底抜けの善人で、優しい先生だと思っていたが、それでは説明ができなかった。

 どう答えていいのかわからなかった、ということだろうが、それなら苦笑いなりなんなり反応があるはずだ。それなのにエリサンは全く自分というものがないようだった。


(気にもしていなかったけれども、先生はどういう人なのだろう?

 真面目で、いい人だと思っていたけれども。何か秘密があったり……)


 むろん、彼の本質が善であることは疑っていない。

 そうでなければただ目の前で倒れただけの自分を助けることなどはしなかったはずである。

 ただの善人ではない。何か抱えている。


(もしも先生が何か悪いことに関わっているのなら、なんとかしないと)


 イラガはこのときから、エリサンをじっと観察するようになった。

 自分を助けてくれた先生を救いたいと思ったからだ。

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