きみは素敵なぬいぐるみ

石坂あきと

きみは素敵なぬいぐるみ

 その日、窓から垣間見る外界は息を吞むほどの雨と風とで、「あぁきっとこれで世界が終わるのだなー」と思えるほどだったのだが、翌日の窓から伺った空はこれでもか! というような晴天だった。

 自らの感性の低能ぶりを恥じつつ、世界が終わらなくてなにより、と一息。

 しかしながら、その晴天の日に、私にとってのっぴきならないという表現を超える表現はないものかと思考をフル回転させるほどにのっぴきならない事態が起こった。


それは、インターホンから始まった。


「宅配でーす」


 と、景気の良い声と共にそれはやってきた。


 わん、と鳴き声が聞こえた。


「わん」とはなんだ。


 しかしその鳴き声の主は、わん以外は何も語らず、動じず、なんとも歯痒いことに威風堂々とすらしていた。

 こやつめ、先人たるわたしに挨拶もなしとは……不届き――がふっ。

 言い終わらぬうちになんとそいつはわたしの首元に食らいついてきたではないか。たまらずわたしは抵抗を試みるも敵わず、されるがままに振り回される。

 悪と罵るだけではまるで足らない、猟奇の権化が降臨した。


 そいつは同居人からと呼ばれるようになった。

 なんとも禍々しい名前だ。

 

 その日からわたしと、るしふぇるの生活が始まった。最初のうちは親の仇のごとく思っていたのものだが、毎日首元やら腕やら足やらを食われ、振り回されていくうちに、どうにも不思議な気持ちになってきた。

 まてまて、わたしにそのような癖はないぞと、天を仰いだがどうしたことだ、ただ楽しかった。


「た、楽しい! これは楽しいぞ! わはは!」


 と、声にこそ出さなかったが、それはもう楽しかった。

 こんな生活はいつぶりだろうか。同居人が幼かった時、そうだ、それほどまでに前だったか。

 あの頃はよかった。いまはくぐることのなくなった外界とをつなぐ扉。それを超え、様々な場所に見分を広げにいけたものだ。

 今もなお、その扉を超えることはないが、こうして誰かと触れ合える。

 嬉しいこと、この上ない。


 そしてさらに月日が流れていった。

 1か月。1年。3年、5年、10年を超えたとき。

 すっかりわたしも衰えた。からだのあちこちにガタがきている。以前のように動かすことすらままならない有様だ。

 そしてるしふぇるもまた、そのようだった。

 以前はわんわんとうるさいことこの上なかったが、最近はわんともすんとも言わないのだ。どこか具合が悪いのだろうか。同居人もまた不安気にるしふぇるを撫でている。

 ある日、るしふぇるがのそりとわたしの前に躍り出てきた。

 こやつ、性懲りもなく我が首元を狙うか。

 その意気や良し! さぁ、来られい。と、首を差し出すも一向にその気配はなかった。

 ぱさり、とるしふぇるの頭がわたしの胸に埋まった。

 なんだ、どうした。

 るしふぇるは、それきり動かなかった。

 同居人がわたしと、るしふぇるを同時に抱え、泣いていた。

 

 わたしは、何も語ることのなくなったるしふぇるをじっと見た。

 わたしには、るしふぇるの身に何が起こったのかはわからない。が、もう動くこときっとないのだろう。

 ……叶うならば同居人。るしふぇるとこれからもずっとそばにいさせてもらえないだろうか。

 わたしは心の中で訴えた。

 これまでの月日が思い起こされる。

 

 間を置かず、わたしは外界への扉をくぐることになった。

 るしふぇるは傍にいる。

 ずっと、ずっと、それからずっと、るしふぇるはわたしの傍にいる。

 

 それからわたしとるしふぇるは四角い箱に収められた。

 久方ぶりの外は、雨だった。

 きっと世界はまだまだ続く。

 


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみは素敵なぬいぐるみ 石坂あきと @onikuosake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ