べあちゃん

櫻木 柳水

読切『べあちゃん』

私は毎日、兄の形見のクマのぬいぐるみに手を合わせているんです。

先日、4歳になる娘に

「どうしていつもクマさんのぬいぐるみにおいのりしてるの?」

と聞かれたので、

「毎日カナやパパが元気でいられるようによ」

と答えていました。



私には父がおらず、女手ひとつで母に育てられました。

幼少期から、母に『教育』と称した暴力を受けていて、ふたつ上に兄がいたのですが、そちらは私より更に酷い暴力を受けていました。

兄が暴力を受けているのを見ている時だけは、子供心に少しだけ解放されたという気持ちになっていました。このまま私の方に来なければいいといつも思っていましたが、すぐに私にも母の理不尽な暴力は飛んできていました。

そんな中、兄が限界を迎え、「もうダメだ…」と言い残し、家を飛び出してしまったのです。そして、一週間後に、兄は遺体でみつかりました。自殺でした。

それからというもの、母は気が狂ったかのように、暴力が酷くなっていきました。


中学生になった頃、私は兄の部屋であるものを見つけたのです。

『べあちゃん』と書かれた箱を開けると、中には赤ちゃん程の大きさのクマのぬいぐるみが入っていました。

私は、これは兄の形見だ、と大事にしていました。

その頃母は精神的に不安定な時が多く、よく酒を飲んで私へ暴力を…そして泣きながら謝るのを繰り返していました。

時代的にもそこまで虐待が取りざたされている時代ではありませんでした。

しかし母から受けた理不尽な暴力に、徐々に我慢が出来なくなっていました。


そんな中学生時代のある日、またも母からの暴力を受け、さすがに限界がきて、文房具セットからカッターを取り出したことがあります。

そして、母へ強い殺意を浮かべた瞬間、ベッドからポトリと何かが落ちたのです。

見ると、べあちゃん、でした。

あれ?と思い、落ちている、べあちゃん、を見つめていました。私は無意識のうちにカッターを振り下ろし、ズタズタに引き裂いてしまいました。

我に返ると、兄の形見だった、べあちゃん、に謝り、捨ててしまいました。

考えてみたら、母と同じ事をしてしまっていたのです。なんと言うことを、と思い、二度とこのようになるまいと心に誓いました。


それから、母から逃げるように全寮制の高校に行き、大学も地方の大学に入りました。大学時代に母も亡くなり、社会人、今の旦那と出会い結婚。

2年後には娘も産まれました。


娘を産んだ日、私は意識不明になってしまいました。そして夢を見たのです。

死んだ兄が微笑みながら、何か言っていますが聞き取れませんでした。そして夢の中の兄は喋り終えると、あの時ズタズタにしてしまった、べあちゃん、を渡してきたのです。それから私は意識を取り戻しました。


べあちゃんですか?あぁ、よく手に握っていた、とかですか?

あぁないですないです……でも、別の所から見つかりました。


娘が1歳くらいのときに、お腹をよく痛めていたので病院に行ったら


お腹の中にぬいぐるみがある、というのです。


え?と思い、医師にレントゲンを見せてもらうと、そこには、あの時ズタズタにしてしまったはずの小さな、べあちゃん、がいたのです。

それから、簡単な手術で、べあちゃんを取り出しました。医師も「何故こんなものがここにあったのかまるでわからない…」と匙を投げてしまいました。


それから私は気味が悪くなり、もう一度、べあちゃん、を捨てました。

しかし、次の日には娘の枕元にあったり、旦那が帰りに買ってきたり…

そこで、あの時聞き取れなかった兄の言葉が蘇ってきたのです。



おまえもかあさんといっしょだ



それから、私は兄に誓うように、毎日、べあちゃん、を拝んでいます。


ーーーーー


「と、いうことですが、娘のカナちゃんをどうして殺害してしまったのですか?」


「そこに、母が、いたん、です」



引用 暗闇書店『犯罪者になる前に語った怪談話4』より、「べあちゃん」(19XX年、平山和恵被告、保護責任者遺棄致死→殺人罪、錯乱が見られたため鑑定留置、その後に衣服で首を吊って死亡。)

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