03 図書室の出来事
「今年の新入生はいいね。特にあの子は黒い髪、黒い瞳で」
男はそう言って彼の顎に手をやった。彼が逆らわずに顔を上げるとにっこり笑って男は言った。
「そろそろ君らの代わりを見つけないとね」
男は少年の肩を押して別の部屋に案内する。そこは天蓋付きのベッドのある豪奢な部屋だった。天井にはシャンデリア、手前にマホガニーの猫足テーブルとダマスク柄のソファと椅子が置いてあって、中年の男が一人座っていた。
男は少年の背中をその男の方に押しやると「ごゆっくり」とドアを閉めた。
* * *
翌日からは授業がある。祐太郎はきっちり早起きしてきっちり身支度を調えた。鏡に映った自分のぶかぶかの制服姿がイマイチで少し顔を顰める。
『成長期だからね。これからドンドン伸びるさ』
そう言ってくれた父は遠い海の向こう。
(父さんが無事で早く帰ってきますように)
思わず写真に向かって手を合わせる祐太郎だった。
「おま、何やってんの? 今、何時?」
隣のベッドで佐野がうーんと伸びをした。
「七時半だけど」
「げっ、そんな時間? 早く起こせよな」
佐野はガバッと飛び起きて、パジャマを脱ぎ捨てダダダと洗面所に駆け込む。佐野の背の高い後姿を見て、せめて卒業するまでにあれぐらいになりたいと祐太郎は思った。
相変わらず賑やかでうるさい食堂で朝食をとって学校へ向かう。
一年生の校舎は三階にあった。クラスは三つで生徒数は少ない。いくら学費や寮費が高いからといっても、これで学校を運営していけるのだろうかと余計な心配をした。
佐野とはクラスが別々だった。昨日、生徒会長の部屋で会った他の一年生も別のクラスのようだった。クラスの三分の二が中等部からの持ち上がり組みだが、受験組みにも知った顔はいない。見知らぬクラスメート達の興味本位の視線を浴びて、居心地が悪い思いをしながら祐太郎はホームルームが始まるのを待った。
担任となった教師が教室に入ってくると、また教室がざわめいた。本当になんてうるさい学校だろうと思いながら祐太郎はその教師を見上げる。
背の高い男だった。短くした髪は黒くて細い眼鏡を伊達眼鏡のようにかけていた。男が教壇に手をかけると教室のあちこちから溜め息が漏れた。
「私が君達の担任をすることになった龍造寺だ」
持ち上がりの生徒達が一斉に拍手をする。祐太郎らの受験組みは訳が分からなくて教室内を見回している。龍造寺という教師は片手を上げてそれを軽く抑えて続けた。
「教科は現国を担当している。よろしく」
形ばかり頭を下げて持ってきた出席簿を広げ出席を取った。その後祐太郎を呼ぶ。
「秋元。とりあえず君に一学期のクラス委員をやってもらう」
教室がまたざわざわと騒がしくなった。
「へえ、お前クラス委員やるの」
昼休みに食堂で佐野に報告するとニヤニヤと笑われた。佐野と一緒にいると教室で感じたよりも視線が痛いような気がする。身体に突き刺さるような気がする。
「何でだろう?」
佐野に問うとまたブハハと笑われた。
「俺さ、もてるからね」
(そうだろうな。背は高いし、顔もいいし)
「こんな所じゃ男ばかりだし、宝の持ち腐れだね」
祐太郎が真面目に言うとまたブハハと笑われた。
「僕は何かおかしいことを言っている?」
「いや」
そう言いながらも佐野はヒイヒイ目に涙を浮かべて笑っている。祐太郎は首を傾げるばかりだった。
「俺、部活、柔道部に入っているんだ。お前は?」
「僕はまだちょっと」
「そうか。なかなかいい筋をしていたぞ」
「あの時はすみませんでした」
祐太郎に真顔で謝られて佐野は鼻の頭をポリポリ掻いて何か言おうとしたが、ちょうどそこに生徒会の連中が入って来て食堂が騒然となった。本当にうるさい学校だよなと思いながら、祐太郎は昨日の面々に囲まれてにこやかに行過ぎる生徒会長の那須を見上げた。
(ラプンツェルか……)
どんな話だったかよくは覚えていない。
放課後、祐太郎は図書室に行ってラプンツェルの本を探した。図書室は中等部と共有で、さすがに金持ち校らしく、広い館内にはぎっしりと本の並んだ高い本棚がずらずらとどこまでも続いていて、祐太郎が探す童話集の棚のあたりには人影もなかった。
(グリムかな、アンデルセンじゃないよな)
男子校にそんな物があるだろうかと思ったが、棚から取ってパラパラとめくった童話集の中にその話はあった。
(ラプンツェル、ラプンツェル。髪を垂らしておくれ)
塔に閉じ込められた少女が、長い髪を垂らして恋する王子様を迎え入れるというお話。魔法の呪文のような合図。
「何を読んでいるんだい」
いきなり話しかけられて祐太郎は慌てて振り向いた。すぐ側に美の女神のような少年が立っている。どこと行って非の打ち所のない整った顔。緩くカーブした茶色の髪。並んで立つと目線がかなり上になった。
「え、え、あ、あの……」
静まり返った図書室の片隅で那須は祐太郎ににっこり笑いかけている。
(ドキン……)
この顔を間近で見るのは心臓に悪かった。祐太郎の頬が真っ赤に染まった。持っていた本が勝手に手から滑って、祐太郎の足の上に落ちた。
「痛っ」
那須がしゃがんで本を拾ってくれる。
「大丈夫? ああ、ラプンツェルだ。読んだの? 君、真面目なんだね」
優しげなハスキーボイス。こんな近くで囁くように。
「よ、よ、読みました」
本を受け取って、直立不動で祐太郎が答えると那須はクスッと笑って用件を言った。
「春寮祭が終わるまで、水曜と金曜日は生徒会室に顔を出して欲しいんだが」
祐太郎がハイと頷くと那須はまたにっこり笑って背を向けた。優しげな綺麗な顔は図書室の光線の加減か少し寂しいというか儚げに見えた。
祐太郎がぼけらとそこに佇んでいると、高い本棚の影から数人の上級生が出て来て祐太郎を取り囲んだ。先程の那須と違ってとても優しいという感じではない。なにやら怖げな感じである。
金持ち校でもこんな生徒はいるのだろうか。カツアゲされても庶民の僕には何も出せないが──。
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