② きっとこれだって必然


「狭いところに閉じ込めて、ごめんね? 苦しかったよね」


 鞄から出されるなり、ぎゅっと抱きしめられること毎回。ついでにお腹の辺りに端正なご尊顔を埋めフンガフンガと匂いを嗅がれておりますがよもやコレがご褒美というヤツですか。

 ……え、どっちの?

 あの日から、クマたんというぬいぐるみのくたびれた真綿と経年のハウスダストに包まれたままの私は、キョウちゃんと呼ばなくては返事をしてくれない近寄り難い堅氷のプリンスとの二つ名を持つ残念すぎるイケメンの飼い主(?)に片時も離してもらえない生活を続けている。


『……喬ちゃん、イイコイイコ』


 とはいえ、ぽふぽふと頭を撫でて一日を労うのは、うっかり動いているところを見られてしまったぬいぐるみとしての期待されているあるべき姿を怠ってはならないと思っているのと、残念なイケメンが落胆する様子が見るに耐えないからであるがしかし、ゴリゴリとあるかないかといえばナイに等しい筈の私の恥じらいが削れてゆく音が聞こえるのは何故だろう。いやコレ削られてんの恥じらいじゃないなってじゃあ何だ?


「ねえ、クマたん。明日は休みだから、ご飯を食べた後、映画を観ながら眠くなるまでずっとずっとお喋りしようね?」

『う……うん?』


 この乙女男子め、私をどうするつもりだってモフりたいだけですよねウン知ってた。

 それより一緒に映画を観るとキスシーンとかいちゃこらシーンで「クマたんは見ちゃダメだよ」とかって私だけ永遠のR12指定やめて貰えませんか。そんなことされてもナニならバッチリ音は聞こえてるしクマたんの中身は、れっきとした成人女性でオッサンでもないからはよ気づけ。 


 でも気づかれたら正体バレちゃうかなあ、なんて少し思ったりもする。

 というのも私は知ったんだ。

 階段を踏み外して目の前に落ちて来ただけの、名前も知らずそれどころか顔見知りですらなかった私を、喬ちゃんが「そう言えば先日の……」なんて気にかけてくれたおかげで『本体』が未だ意識不明ってことを。

 まあ突然、喋って動くようになったクマたんに入ってる魂が階段から落ちた後輩なんて、そうそう気づくわけないか。『私』だった時には話したこともないし。


「クマたん? どうした?」

『なんでもないよ。さ、早くご飯を食べてゆっくりしよう。今日はどんなことがあったか聞かせてくれる?』


 向かい合わせに抱っこをしてくれた喬ちゃんは、クマたんの顔を覗き込んで、ふふって柔らかく笑う。


「クマたんとお喋りが出来て、幸せだな」


 いつも一緒にいた『クマたん』が知っている筈の喬ちゃんの幼い頃の話を、「あの頃はさ」なんてさりげない調子で口にした彼から少しだけ聞いたことがある。

 大人になった彼が、ぬいぐるみを未だに手離せないわけが。人と関わるのが苦手で表情に乏しいわけが。動けるようになった『クマたん』にいちばん最初に頼んだことが、ぎゅっと抱きしめることと、頭を撫で撫ですることだったわけが。その少しの話で分かってしまった。

 もし私が、ずっとずっと前から彼の、喬ちゃんの痛みも苦しみも悲しみを吸い込んだ『しんゆうのぬいぐるみ』だったらもっと彼のことを分かってあげられたのに。

 もし私の身体が死んでしまうとしても、せめて魂だけでも『クマたん』の中に残って喬ちゃんの傍にいられたら、これから彼を一人で苦しませたり悲しませたりしないのに。

 私が死んで魂も残せなかったら……。

 動くことも喋ることもなくなったクマたんを前に、これまでそうだったように一生懸命話しかけるのだろうか。

 喬ちゃんは、また独りぼっちになってしまうのだろうか。


 しばしの沈黙を破ったのは、ひどく心配そうな声の喬ちゃんだった。


「なんかクマたん元気ない?」


 両手を、めいっぱい持ち上げるクマたんが何をしようとしているか気づいた喬ちゃんが、そうっと頭を下げた。わしわしっと撫で撫でしてあげる。 


『まっさかあ。ボクの身体は真綿と元気で出来てるの知ってるでしょ?』

「真綿と長年の汚れと埃だろ」

『……オイ、言ったな? 明日、洗濯機に決死のダイブしてやる』


 わーウソ嘘ゴメンごめんね? って笑った喬ちゃんの顔は、ぎゅっとしていたから見ることが出来なかったけど声が笑っていないことに気づいてしまった。


 ああ、不安にさせちゃったかな。


 一度でもぬいぐるみとしての役割を引き受けてしまったんだから、恥ずかしいなんて言ってる場合ではないのだ。つまり、ぬいぐるみとしてあるべき努力を……って咄嗟に頭に浮かんだのはやたらと陽気で人の話なんて聞いてなさそうな声の高い有名なネズミだったりするけど目指すのはアレじゃないのは確かだな。うん。とはいえ私もぬいぐるみとして出来る限り精一杯の努力はしたい。


 何故なら、後どのくらい喬ちゃんと呼べるのか私に残された時間は分からないけど、彼の心の傷が少しでも癒えるのなら『しんゆう』のぬいぐるみとして傍にいさせて欲しい。

 誰かに大切にされる幸せを、たとえそれが『ぬいぐるみ』だとしても、喬ちゃんにも知って貰いたいから。

 

「クマたん、大好きだよ」

『喬ちゃん、ボクも大好きです』



 

 


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