とあるお客様のお話

舞波風季 まいなみふうき

不思議な本屋さんを訪れたとあるお客様のお話

 ここは本屋さん。

 ちょっと不思議な本屋さん。

 ここには様々なお客様がお見えになります。

 そんなお客様方とお話をするのが店主である私の大きな楽しみなのです。


 ちょうどお客様がお見えになりました。

「いらっしゃいませ」

 店主の私が声をかけます。


 入ってきたのは二十歳くらいの若い女性です。

「……」


 その女性は戸惑った様子で狭い店内を見回しています。

「あの…ここは、本屋さん?」


「はい、そうですよ、ここは本屋です」

 私は答えました。


「あの、なんで私はここに、本屋さんにいるのでしょう?」

 彼女は何がなんだかわからないといった様子で書架に目をやりました。

 すると、


「わあぁー!」


 歓喜の叫びとともにそれまでの曇り気味だった彼女の表情が一変して幸福そうな笑顔になりました。


 その視線の先の書架には。

『世界のぬいぐるみ』

『ぬいぐるみの歴史』

『ぬいぐるみ作家への道』

 などなど、ぬいぐるみに関する書物がぎっしりと並んでいます。


「気に入った本が見つかりましたか?」

 もちろん私にはどこにどのような本があるかすべてわかっています。


「ええ、私、小さい頃からぬいぐるみが大好きで、ぬいぐるみ作家になるのが夢なんです」

 ワクワクが止まらないといった様子でそう言いながら、既に彼女は書架の本の一冊に手を伸ばしていました。


 そうして彼女は暫くの間、目につくぬいぐるみの本に嬉々として目を通していました。

 そして、ふとページをめくる手を止め考え込む様子になりました。


「ちょっと待って。なんで私はここにいるの?ここはどこの本屋さん?」

 最もな疑問です。


「ここに来る前の記憶はないのですか?」

 私は彼女に聞きました。


「ええっと、ここに来る前は車を運転してて…」

 手に持っていた本を書架に戻しつつ彼女は考えました。


「そうそう、猫が、猫が飛び出してきて、でもギリギリで避けられてホッとして…」

 彼女は一旦口をつぐみ、また考えます。


「一瞬ホッとしたら目の前にあった電柱にぶつかって…」

 そこまで言うと彼女は自身の体を見回し腕や脚を動かしました。


「どこも痛くないし怪我もしていないみたいだけど、これって夢?」

 訝しそうに眉根を寄せる彼女。


「いいえ、夢と似ているかもしれませんが夢ではありません。ここは前の人生を終えた方が来る本屋です」

 そう私が教えてあげると彼女の中に理解が浸透していくのが表情に現れてきました。


「私、死んじゃったの?」

 彼女は口に手を当てて目を見開いています。


「そうかもしれません。胸に手を当てながら目をつぶってみてください」

 彼女は私に言われたとおりに胸に手を当てながら目を閉じました。


「ここは、病院?ベッドの上に私が…お母さん、お母さんが泣いてる…やっぱり私、私は…」

 そう言うと彼女の目から大粒の涙がポロポロと溢れてきました。

「もう、お母さんにも会えない、友達にも。ぬいぐるみも作れない。終わっちゃったんだね、私の人生」


 ここの店主をやっているとこういう光景を日常的に見なければならないのですが、やはり切ないものです。


 が、そう言っている彼女の姿が時折霞んだりブレたりし始めました。


(おや?)


 もちろんこの現象の示す意味を私は知っているのですが、そうそう起こることではないのでつい声が出てしまいそうになりました。


「まあ、ここには面白そうな本がたくさんあるし、案外退屈しないかもだよね」

 彼女は、未だ涙に濡れた目で、無理して作った笑顔で強がっています。


「どうやらそうはいかなそうですよ。あなたはもうここには長くいられないようです」

 私は最後通告を告げるような口調で彼女に言いました。


「えっ…?」

 彼女の顔に絶望と言っても良い表情が浮かびました。


「ご自身の体を見てご覧なさい」

 私が言うと彼女は自身の手足を確かめた。


「え?私の体がボヤケてる?なんで?怖い、怖いよ…」

 彼女は真っ青な顔で助けを求めるように私を見ています。


「怖がる必要はありません。もう一度胸に手を当てて目を閉じてご覧なさい」

 彼女は言われたとおりにしました。


「お母さん、まだ泣いてる…まだ泣いてるけど笑ってる?泣き笑いしながらお医者さんにお辞儀してる。なんで?」

 そういう彼女の姿は半透明のような状態です。


「そうです、あなたは生き返るのです。というより一時的に心肺停止状態になったようですが完全には死んでいなかったみたいですね」


「え?生き返れるの?きゃあぁーー!」

 彼女の歓喜の絶叫が狭い本屋に響き渡ります。


「そう思うと、もう少しここでぬいぐるみの本を読んでいきたいかも!」

「だめですよ、もう戻る時です」

「ですよねぇ」

 涙で汚れた顔で茶目っ気たっぷりに笑う彼女の姿はもうほとんど陽炎のようです。


「ありがとう、店主さん。て呼んでいいのかな?」

「ええ、かまいませんよ」

 鷹揚に答える私。


「私、きっとぬいぐるみ作家になる!たくさんの人が大好きって思ってくれるようなぬいぐるみが作れる作家になるよ!」

「ええ、きっとなれますよ」

「今度くる時、ずっとずっと先のことだけど、もっと色んな話を…」

 そこまで言ったところで、彼女の姿は完全に見えなくなりました。


「いってらっしゃい。楽しく充実した人生を」

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とあるお客様のお話 舞波風季 まいなみふうき @ma_fu-ki

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