第二節「邂逅」

 その後、その体勢のまま情報交換をした。必要な情報だけでなく、くだらない掛け合いを性懲りもなくはさみまくったせいで、結構時間がかかってしまったのだが。


 二人の話をまとめると、やはり事故はあったらしい。そして結も俺と同じように、事故に遭った時はけがをしていたようなのだ。それも、命に関わるようなけがを。


 聞くところによると、肘や膝から骨が飛び出していたらしい……。いや、怖いわ! 俺なんかよりもっと、えげつないけがをしているじゃないか。


 ちなみに、奇跡的にポケットにスマホが入っていたのだが、電波は届かないわネットはつながらないわで、散々な状態だった。これでは助けを呼ぶこともできない。


 とはいえ、これからどうしようか。歩いて人を探すのもいいが、もし何も見つからなかったら徒労に終わってしまう。無駄に体力を消耗したくはない。


 かといって、このままここにいるわけにもいかないし……。


 うーむ。


 と、あれやこれや考えあぐねていたその時。


「あの、大丈夫ですか?」


 目の前に、急に顔が現れた。


 誰かが俺たちの顔を覗き込んで、声をかけてきたのだ。


「「うえっ!?」」


 思わず、揃って変な声で叫んでしまう。そりゃそうだ。周りに人なんていないと思い込んでいたのだから。というか、足音も何も聞こえなかったんだけど。この人、音もなく接近してきやがった。


 急いで上半身を起こし、その人の方を見上げる。目を覚ましてから、初めて人と遭遇したので、どのような人かと思ったのだが――


 これは、女の人だ。それも、かなりの美人。


 クールビューティーな雰囲気で、愛嬌のある結とは違ったタイプ。表情は硬く、機械的なほど無表情で、長く艶やかな髪を首元のあたりで一つに縛っている。


 そして何より特徴的なのは、その服装だ。和服のようだが、首元から胸の下あたりまでが白く、そこから下は赤い袴を履いている。この服装は、どこかで見たことがあるような。


「も、もしかして、巫女さんですか?」


 俺が口を開くより先に、結がその女性に尋ねた。そうだ、思い出した。この装束は、まんま巫女服じゃないか。初詣の時などに、お守りや絵馬を販売していた姿を覚えている。


「はい、そうです。自己紹介が遅れましたね。私、神祇官じんぎかん直轄ちょっかつ禮斎神宮らいさいじんぐう巫女長みこちょう補佐役ほさやくを務めております、解土竹世けどたけよと申します。日課の見回りをしていましたところ、お二方を発見したので、声をかけさせていただきました」


 そう言って俺たちの目の前に正座をし、深々とお辞儀をする解土さん。一つ一つの所作がピシッと決まっていて、やはりからくりじみている。


 解土さん、か。俺たちが言えたことでは無いかもしれないけれど、かなり変わった苗字だな。てか、なんだその滅茶苦茶長い肩書は。神祇官なんて、とうの昔に廃れてるだろう。


「あ、えっと、僕の名前は御縁肇と言います。で、こっちは妻の結です」

「ああ、やはりご夫婦だったのですか。やけに乳繰り合っていましたもんね」

「み、見ていたんですか?!」


 寝転がりながらいちゃついていたのを見られていたのか、恥ずかしい……。しかし釈明するならば、俺たちは別に、いつでもこうというわけではない。


 今は周りに人がいないと思っていたから、楽しくお喋りをしていただけなのだ。だから決して、節操のないバカップルなどではないのだ。断固。


「あ、あの、禮斎神宮、って言ってましたよね? 私、そんな神社は知らなくて。ここって、どこなんですか?」


 恥ずかしさをかき消すためか、結が解土さんに質問した。


 確かに、俺も『禮斎神宮らいさいじんぐう』なんて名前の神社は、耳にしたことが無い。地方によくあるような、小さな神社なのだろうか。


 それとも、『神宮』というからには、ある程度の大きさは、やはりあるのだろうか。


「え!? 禮斎神宮を知らないのですか?! 大和で一番、有名な神社だと思うのですが……」


 よほどの衝撃だったのか、先ほどまでの硬い表情を少し崩して、驚いた顔ををする解土さん。知っていて当たり前なほどに有名なのか。


「ふむ、禮斎神宮を知らない、更に珍しい服装をなさっているということは、渡来人の方でしょうか。いや、あるいは……。でも、まさかそんな……」


 解土さんはそう言って、一人で何かを反芻している。


 渡来人って、外国人のことだよな? 俺たちは、正真正銘の日本人なんだけど。


 というか、珍しい服装って? 俺たちは別に新婚旅行で張り切りすぎたわけでもないし、一般的な服装をしていると思うのだが。


 ……いや、何でもいいが、とにかくもう、正直に話して助けてもらうしかないだろう。別にやましいことがあるわけでもないし。変に嘘をついて、事がこじれるのはごめんだ。


「僕たちは普通に日本人ですけど……。あの、こんなこと言っても信じてはもらえないと思うんですけど、実は僕たち、目が覚めたらここにいて。正直、なぜここにいるか分からないんです」

「ふむ。記憶が曖昧で、渡来人ではなく、禮斎神宮も知らない、さらに見慣れない服を召されているということは、もしかしたら、もしかするかもしれません」

「もしかするって、どういうことですか?」


 俺の言葉に、解土さんは一呼吸を置いて、


「可能性は極めて低いですが――しかし、ありえないことではない。落ち着いて聞いてください。あなた方二人は、この世界とは異なる世界から、『転生』してこの場所にたどり着いた可能があります」


 と、答えた。


 束の間の沈黙。


「……ん?」

「驚かれるのも無理はありません。世界を渡る魔術などというものは、そうそうみられるものではありませんから。しかし、そのような前例も無いことは無いのです。例えば今からおよそ二百年前、備後の地において……」

「いや、そもそも――」


『魔術』ってなんだよ。まさか、そんなものが本当にあるとでも言うのだろうか。冗談を言っているのかとも思ったが、解土さんは相変わらず無表情だし、口調も大真面目だ。


 ……これは、あれだろうか。中二病というやつなのだろうか。中高生ほどの年齢にはとても見えないが、よく考えると先ほどの長ったらしい肩書も、この服装も、ぽいと言えばぽい気がする。


 結の方を見るとやはり困惑しているのか、微妙な表情で解土さんを見つめている。


 こういう人を相手取る場合、どういう風に応対するのが正解なのだろう。


 露骨に相手の言ったことを否定すれば機嫌を損ねてしまうかもしれないし、かといって、相手の話に乗っかってしまっては、何も進展しない。


 そうだ、結に任せようか。結は友達の少ない俺とは違ってコミュ力が高いし、人との会話は彼女の方が適任かも知れない。そう思って俺は、結に小声で話しかけた。


(おい、結)

(なに、はじめちゃん)

(このままこの人の妄想を語り続けられたら、話が進まないから、なんとか角が立たないように指摘してくれないか?)

(え、やだよっ。何で私が) 

(頼む! お前の方が友達多いんだから、コミュニケーション能力あるだろ?)

(あなたに友達が少ないのは、コミュ力の問題じゃなくて性格の問題でしょ……)

(おい、今めちゃくちゃひどいこと言ったな。その悪口には目を瞑ってやるから、とにかく頼むって)

(そ、そんなこと言われてもさあ)


「さっきから二人だけで何を話しているのですか? 私の説明、ちゃんと聞いています?」


 二人でこそこそ話しているのを怪訝に思ったのか、説明を中断する解土さん。それに対して結が放った言葉は――


「い、いやあ、あの……。解土さんって、友達とかいないタイプの人ですか?笑」


 前言を撤回する。結に適切なコミュニケーションを期待した俺が馬鹿だった。なんでちょっと笑ったんだよ! 友達が多いのが、そんなに偉いのか!!


(おい! そこまで言えとは言ってないだろ! よく俺に性格悪いって言えたな!)

(だ、だってさあ、仕方ないじゃん! こんな変な人と、話したこと無いんだもんっ!!)


「あの、私のことをからかっているのですか?」


 解土さんは結の言葉に苛立ったのか、先ほどまで無表情だったのが、少し眉間にしわを寄せている。


「ごごご、ごめんなさい! ……でも、魔術なんて、魔法なんてやっぱりあるわけないですよ。そんなの、お伽噺の中にしかないですって」

「ま、待ってください。つまり、あなたたちの元いた世界には、魔法すらなかったと、そういうことなのですか!? ……成程。そこまでは考えが及びませんでした。私たちの世界の常識とあまりにかけ離れているので」


 解土さんは額に指をあてながら、深刻な表情をして言葉を連ねる。


 ああ、ダメだ。結のデリカシーが無さ過ぎて、更に妄想が加速してしまった。このまま延々と解土さんの物語を聞かされ続けるのだろうか、と、思っていたら、解土さんはその場で、すくと立ちあがった。


「魔法が無い世界にいたのなら、それを疑ってしまうことは当然です。ですので、今からそれが本当にあることを、証明しようと思います。」


 そう言うと解土さんは、懐から何かを取り出した。


 あれは、玉か? 白と赤が混じり合っている綺麗な色合いで、ビー玉くらいの大きさだ。


 しかし、そんなおもちゃで何をする気なのか――と、思ったその刹那。


 解土さんはそれをできる限り高く持ち上げ、勢いよく地面に叩きつけた。


「ま、眩しっ……!!」


 その玉は、地面と接触するや否や、辺り一面を照らすほどの眩い光を放った。


 いきなり強い光を直視してしまったので、一瞬視界がぼやけたが、徐々に目が慣れてくる。見ると、玉が叩きつけられた場所に何かがいる。このシルエットは―――


「ワ、ワンちゃんだ……」

「あ、ああ。ワンちゃんだな……」


 ワンちゃんだった。


 まあ、平たく言うと犬である。


 舌を出しながら四つ足でちょこんと立っており、小型犬くらいの大きさだが、何か、普通の犬とは違う気がする。顔の周りに、立派ではないもののたてがみがあり、表情も若干厳めしい。

 

「今ご覧いただいたのが、最新の――最近はやりの式神召喚魔術です。この小さな宝玉に式神を入れることで、詠唱などせずとも、いつでも瞬時に式神が召喚できるという代物です」


 先ほどのビー玉を拾い上げながら、解説をする解土さん。よく見ると、白と赤が混じった色が抜け、透明になっている。


 カプセルのようなものなのだろうか。なんとなく、某ポケットから飛び出すモンスターみたいな感じがする。


「それと、この式神はただのワンちゃんではありませんよ。これは神の使いである神獣が一匹、狛犬です。ちなみにこの子の名前は、桜ちゃんと言います。今のこの姿は、力を制御した姿ですが、真の姿はもっと猛々しいのですよ」


 解土さんがそういうと、その子犬――桜ちゃんが「わん!」と元気よくお返事をした。確かに、これは狛犬だ。神社の入り口で見たことがあるフォルムをしている。それにしても小さい気はするが。


 ……しかし、確かに驚きはしたが、これは本当に、『魔法』というやつなのだろうか?


 実はテレビのドッキリでした! とか、手の込んだ手品でした! と言われた方が、まだ信じられる。これを見せられたからと言って、手放しに納得することは正直できないが。


 と、俺たちが訝しむ表情をしていると、その考えを読まれたのか、解土さんは更に付け加える。


「まだ納得できませんか。ほしがりさんですね……。では、普通の犬ではできない芸を、式神だからこそできる事を、今から指示してみせましょう。これで納得したくなくとも、せざるを得ないはずです」


 そう言うと解土さんは桜ちゃんの方に向き直り、「とべ!」と指示を出す。


 まさか、彼女はこの犬に、空を飛ばせようとしているのだろうか。そんなの不可能だろうと思いつつも、しかしその指示を聞いた桜ちゃんはわんと吠え、ぐっと体に力を入れた。


 すると、直後。


 その犬は、脚のばねを使って大地を蹴り上げ走り出し、その勢いに乗って、まるで空中に階段があるかのように空を翔け出していったのである。


 なんと、翼を持たない子犬が、本当に空を飛んでいるではないか。


「と、飛んでるよ! はじめちゃん、見えてる!?」

「いや、見えてるけど……。信じられない、夢じゃないのか?」


 そう言ってお互いにほっぺをつねり合うが、ちゃんと痛い。どうやらこれは、現実らしい。しばらくの間その子犬は空中をぐるぐると旋回していたが、その後俺たちの目の前へ降り立った。 


 恐る恐る頭を撫でてみると、その子犬は目を細めて気持ちよさそうにしている。


 石像のごつごつしたイメージとは違って意外と毛量があり、もふもふとした感触である。どうやら、ホログラムというわけでもないらしい。


「これで分かりましたか? その式神は普通の犬ではありません。このようにして、この世界には魔法が存在するのです。そして、あなたたちは稀有にもそんな世界に転生してしまった夫婦である、と、いうことなのです」


 桜ちゃんを手元に呼び寄せ撫で繰り回しながらも、解土さんは淡々とそう告げた。


 うーん、俄かには信じ難いことだし、幻覚を見ているという線も捨てられないが……。


 しかし、そんなことまで疑っていてはどうしようもない。確かに俺たちは、この目で空飛ぶ犬を見たのだ。つまり、この世界は異世界で、そして魔法が存在するということを信じるしかない、のか。


「なんか、正直実感は湧かないな」


 ぼそりと呟く結に、俺はただ、首肯するしかなかった。


 と、そんなもやもやとした思いを抱えつつも、俺たちはしばらく、桜ちゃんと戯れるのであった。


 湿った空気に心地良い夜風が、俺たちの肌を撫でていた。


 後から思えばこれが、俺たちの異世界における、初めての邂逅だったのだが――

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