弓道者

sloth

プロローグ

 窮屈だ。


 形あるものから、ただの肉塊へと変わり果てた汚物に挟まれながら、息を潜めていた。


 僅かに与えられた光から覗くことが出来る景色は赤黒い。辺り一帯にブチ撒けられた血液も、燃える広がる屋敷の光景も、立ち上る煙すら・・・


 メラメラと有機物が燃える音に加えて聞こえてくるのは大勢のでかい大人達の叫ぶ声。必死に探しものを探しては見つからず、イライラしているようだった。


 冗談じゃない。


 叫びたいのはこっちの方だ。


 気持ち悪い生肉に埋もれ、体には肉から溢れた血が流れつく。


 硝煙と汚物の混じった鼻が捻じ曲がりそうな異臭。


 涙なんて恐怖で枯れてこぼれもしない。


 喉元までせりあがってくる胃液を必死にせき止める。


 震えそうな体を必死に押し殺す。僅かにでも動けばこっちに来る。そんな恐怖に耐えながら、俺はただ時が経つのを待っていた・・・






 何日経ったかわからない。


 だけど、小さな穴から見える景色は変わってた。


 屍の山に隠れて2回ほど夜を超えたあたりで、雨が降ってきた。雨は燃え盛る炎だけでなく、鬼の怒りも一緒に沈めたようだ。

 

 怒号を放つ鬼たちの姿は見当たらない。


 周囲が安全であることを確認して、一人の少年が、ハエが集る腐肉の山から地上に這いずり出た。這いずり出る時に、水溜まりを見つけた。雨の影響でまた残っていたようだ。

 

 一目散に水溜まりへ近寄り、膝をつく。小さな両手いっぱいに泥水を掬い上げ、貪り飲む。


 ありがたい。


 砂利交じりの汚水であったが、それでも体が数日ぶりに与えられた水分に喜びを感じている。


 すぐに水溜まりが消えてなくなる。一心不乱に飲みすぎてすぐに飲み干してしまった。


 すぐに周囲を見渡し、次の水溜まりを見つけては水を啜る。


 食べるものはない。


 全て燃えてしまった。


 辺りにあるのは黒い炭腐った肉だけ。


 口にできるのは茶色く濁った水だけだった・・・




 辺り一帯の水溜まりを飲み干した頃、音が聞こえた。雨でぬかるんだ水気と砂利を踏み鳴らす足音。そして鉄と鉄が擦れ合う金属音。


 とっさに物陰に隠れる。


 様子を伺うと、軽装に身を包んだ男が二人、会話をしながら歩いていた。

距離が近づくにつれ、会話の内容が聞こえてくる。


「おーおー全部燃えちまってるなぁ」


「死体どもも腐り果ててやがる。ざまぁねえな」


 汚い笑い声が、閑散とした広場に響く。


 その声を聴いていると怒りで視界が真っ白に、なることはなく、視線は男二人が腰にぶら下げている巾着に向けられていた。ずっと鼻が曲がりそうなほどの異臭の中にいたというのに、やけに鼻の感覚が鋭敏だ。


 あの巾着の中から食べ物の匂いがする。


 そう思うだけで、体がいやに熱くなった。


 興奮しているのだろうか。


 今すぐここを飛び出してあれを奪い去りたい。しかしわずかに残った理性が行動を抑制する。今出ても、逆に殺されるのがオチだと理性が告げている。


 男二人はとてもではないが、歴戦の戦士といった姿には見えない。しかし、相手は大人、自分は子供。こっちは素手で、相手は武装。力の差は歴然だった。


 正面から出れば、100%殺される。


 何かないかと周囲を見渡す。


 落ちているのは炭の木材、焼けたレンガ、熱でひん曲がったペンに割れたガラスの破片等。


 ガラスの破片に顔が映る。


 俺の顔は笑っていた。





♢♦︎





「ん?」


 獣の叫び声を聞き届け、槍についた血を一振りで薙ぎ払う。獣の肉を抉る感覚が手に伝わるのと同時に、世界に微かな揺らぎを感じた。


 初めての感覚だ。


 原因の調査が必要かと思ったが、どうやらその必要はないらしい。


 本来なら、ない筈のものがそこに居たからだ。まだ幼い小さな体中に傷を作り、血を流しながら横たえる少年がいた。肩口から腰まで伸びる深く肉を抉る鋭利な切創。太腿に風穴を開ける弾痕。見るからに普通ではない。まあ我には普通などわかりはしないのだが。

 

 我は無警戒に横たわる少年に近寄り、体を仰向けに変える。


 口元に手を当てる・・・息をしている。


 胸に耳を当ててみる・・・鼓動が聞こえる。


 そこには生きた人間が転がっていた。


 ありえない事だ。


 うっかり門を開いてしまっただろうか?いや、そんなヘマを今更犯すはずもない。第一管理者の我が知覚できないはずがない。


 ここで生まれて1万年。初めてのイレギュラーだ。このイレギュラーにどのように対処するべきか。国のルールに則り排除するのが吉であろうか。いや、元よりこの国にルールなど存在しない。あるとするならば我がルールだ。


 つまりこの童の生殺与奪の権利は我のものという事だ。そう結論至った我は、意識のない童に手を伸ばす。


 手に持った槍に、視界の端で見えた我の顔には、無意識にも笑みが浮かんでいた。




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