【KAC20231】『この世の果てで、本を売る』

水ぎわ

前編「本屋、開店! 『エンド』にて……」 

 どんな国にも、『底辺』と呼ばれる場所がある。どん底、どん詰まり、行きどまり。

 つまりこの世の果て=『エンド』。


 おれ、ハルトが24年前に生まれた町は『エンド』と呼ばれる最底辺の町だった。

 背後は山に囲まれ、目の前は小さな湾。

 港からは魚くさい空気が流れ、男たちは夜から早朝にかけての漁が終われば、日がな一日、けちなバクチで時間をつぶす。

 ほかに、やることがないからだ。

 ここは『エンド』。金になるものは何もない




 おれはその日、ちんけなバクチで負けが込み、タネ銭がなくなって賭場から蹴りだされた。

「——ちぇっ」

 太陽は中天、だけどおれは行くところもない。最後の女の家をでたのは、四日前だ。女と言っても身を売る仕事。おれはヒモすら続かなかった。

 最低最悪の人生だ。


 カン! と蹴った石が、誰かの靴に当たった。

 顔を上げると、そこには初老の男が立っている。きれいな靴を履いていた。

 ――こいつ、よそものだ。おれはピンときたんだ。


 『エンド』の住人なら、こんなきれいな靴を履いていない。靴ひもですら、別々のものをつけている。おれたちは、何だって間に合わせで生きているんだ。

 今日いちにちだけをしのいで生きている。


「なんだよ、あんた。困ってんのか?」


 おれは声をかけてみた。ひょっとすると道に迷ったのかも? 『エンド』の外まで案内したら小銭くらいくれるかもしれない。その金でまた賭場に戻って……。

 男は口を開いた。

「頼みがあるんだが」


 ほいきた、待ってました。


「この本を、売ってくれんかね?」

 ずるり、と男は後ろからデカい革鞄を引きずり出した。カドがすり切れた古い鞄だ。いや、これだって故買屋へもっていけば今夜の酒代にはなるな。

 おれは鞄を見ながらつぶやいた。


「本を売る……?

 あのさ、ダンナ。たしかに、『エンド』で売れないものはない。

 サビた釘でもシーツのきれっぱしでも、眼球でも内臓でも、七十を超えたババアでも売れる。

 だが……本? ……そいつはどうだか……」

「元値はタダだ。君に損はないだろう?」

「おいおい、『君』ときたかよ……。

 そんなの、生まれてこの方、聞いたことがない言葉だね。

 ここじゃあ、『てめえ』『このやろう』『チビスケ』が定番。死んだおやじはおれを、『生まれそこないの犬』と呼んでいたよ。

 ここは、そういう場所だよ。とっとと帰んな、おっさん」


 男は首をかしげて、おれを見た。

「うむ……多彩だ……実に多彩な罵倒呼称だ……やはりここがいい」

「はあ? おっさん?」

「これで、今からこの家を買う……ええと、これは、家だな?」


 男は上着のポケットからピカピカの銀貨をとりだしだ。驚きだ、銀貨なんて、この五年ほど見たことがない。

 このおっさん、ぜったいに良いカモだ。だましきらないと……。


「これ? ああ、家だよ、壁があって屋根がついている。立派な家だろ?」

「扉がついていればよかったが……本は雨に弱いからね。まあいい。では、この家を買おう。きみはここで『本屋』をやるんだ」

「ほんや? 本屋ね……ああ、いいっすよ。何だってやる……ちょっと待った! この家を買うんだろ? その銀貨で?」

「ああ。足りんかな?」


 おれはにやりとした。この男には相場ってもんを知らない。

 なんて騙されやすいんだ。

 男の肩に手をかけ、隣の家に誘導しながら言ってやった。


「おっさん。まず、その銀貨をよこせよ。おれがうまーく交渉してやるから……」


 こうしておれは銀貨の半分を手に入れ、半分でぼろ家を手に入れた。

 そして、鞄いっぱいの古い本を……。

 とっとと鞄を売っぱらって、本は焚火に使うかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る