市街地からはずれた本屋
神無月そぞろ
はじめは本が好きだからバイトを始めた
地方だと役所周辺はにぎわっているが、離れるにつれて建物が減っていき、どんどんさみしくなっていくことが多い。主要部分しか鉄道が通っていないので移動手段はもっぱら車だ。
私のバイト先は市街地からはずれたところにあり、車15台は余裕でとめられる広い駐車場が整備されている。1階は書籍販売で、2階はDVDレンタルをしている少し大きめの本屋だ。
大学の講義が終わるとすぐにバイト先へ向かい閉店時間まで働く。業務は1階と2階で完全に分離されており、1階でバイトしている私の仕事は、販売している書籍のレジ打ちがメインとなっている。
客がいなければ店内を回って本の整理をし、ホコリを取るため軽くはたきをかけることもある。まれに電話が鳴って出ることもあるけど、来店した客の対応は社員がしてくれるので負担の少ないバイトだ。
本屋というバイト先で働けている状況に私は満足している。読んだことのない本との出合いがあったり、新刊をすぐに購入できる職場は本好きにとって天国のような場所だ。
バイトの日はウキウキしながら本屋へ向かう。時間どおり出社した私にはいつもと変わらない平和な職場に映っていた。ところが知らないうちに問題が発生していた。
エプロンをつけてレジカウンターに入ると店長がバックヤードから出てきて、私に声をかけてきた。
「この人、注意して見ていて」
そう言って店長が指さした先の監視モニターには一人の男性が映っていた。
眼鏡をかけた男性はハンチング帽子を深くかぶり、うつむきかげんで雑誌を読んでいる。モニターから目を上げて映っているエリアを見ると、柱の陰に隠れるように立っている男性が確認できた。
ただの立ち読み客にしか見えない。なぜ注意する必要があるのか……。
店長へ視線を戻すと、察して説明を加えた。
「万引きするかもしれないから」
それだけ言うと、店長はカウンターから出て行き、いつものように雑誌を並べたり在庫をチェックする作業に入った。
本屋に限らず万引きする人がいることは知っている。でもまさか自分のバイト先で事件が起きていたとは……。
初めて犯罪現場に居合わせるかもしれないという非日常を前にして、店内がピリピリとした緊張感に包まれている気がしてきた。
2階のフロアから音楽が流れている。いつもと変わらないBGMなのに、今日はやけに大きな音に聞こえる。1階のフロアはとても静かで、万引き犯と思われる人物以外に客はいない。
入荷したコミックの新刊にビニールを取り付けながら監視モニターを見やる。
雑誌を読みふけっている男に怪しい動きはない。しかし男がいる位置は、体の前半分がちょうど柱の陰に隠れる形になっていて手元がわかりにくい。
もしかして、すでに万引きした? それともこれから?
私の中で緊張が高まる。疑心暗鬼となり、男が少し動いただけでも過剰に反応する。不審人物に見えるが男のいるエリアはアダルトコーナーだ。オトナの雑誌を読んでいるところを見られたくないだけかもしれない。
万引きは現行犯でないといけないと聞いたことがある。決して見逃すまいと気を張り、鼓動が速くなってるのがわかる。モニターから目をそらすことができずにいると店長の姿が映った。
店長は棚に並んでいる書籍の在庫チェックをしている。いつもと変わらない様子で淡々と作業しており、男を警戒しているようには見えない。作業はそのまま進んでいき、男と店長の距離が縮んでいく。
店長が男がいる棚へ移動すると男に動きがあった。これまで雑誌から目を離さなかったのに、おもむろに顔を上げて店長がいる方向を見た。瞬間、体が少しビクッとなり、持っていた雑誌をていねいに本棚へ戻した。それから別の雑誌を手に取りパラパラとページをめくったあと、棚へと戻した。また別の雑誌を手に取ると同じ動作を始めた。
男は雑誌を見ているふうだが頭が小刻みに動いており、店長がいる方向へ視線を移しているのがわかる。何度か雑誌を取って中を確認するような動きをしていたが雑誌を棚に戻すと、顔を隠すように背を少し丸めて足早に歩き出した。男は振り返ることなくドアへ向かい、そそくさと出て行った。
しばらくして店長がレジカウンターに戻ってきた。犯罪が発生しなかったことに安心して、私は店長に声をかけた。
「何もなかったですね」
「……ん」
事件にならなかったことに安堵していると、店長が淡々と語り始めた。
「在庫が合わないことが何度かあって、社員からあの男じゃないかと連絡があった」
「そうなんですか」
「……俺がいないときだけ万引きが発生するみたいだ」
店長は手に持っている売上スリップを整理している。表情に出ない人だから本音は読み取れないが、あの男性のことは疑っていたようだ。
仮にあの男性が万引き犯なら、たぶんもう来ない。
店長は見た目が怖い。少しだけ出ているビール腹から判断して年齢は30代と思われるが、かなり落ちついていて貫禄がある。それだけでなくパンチパーマのような髪をしており、額には剃りが入っている。日焼けしている姿から鉢巻きをしていれば建築現場で働いているお兄さんのようにも見える。本屋とはミスマッチ感が出ているうえに、きちっと手入れされた鼻下の髭と細めの眉が特徴的で一度見ると記憶に残る。
心当たりのある者が店長を知ると怖気づいて来店できないだろう……。
店長は普段から口数が少なく黙々と作業をしていく人だ。話しこんでいたり、さぼっていたりすると、注意するので社員やバイトから短気で怖い人と思われている節がある。
でも違うんだよな。
店長は正義感があってやさしい。酔っぱらった客がレジカウンターへやって来て、私にからんできたときはすぐに間に入ってくれた。夕食を取らないままバイトに入り、おなかを鳴らしているとお菓子やおにぎりをくれることもある。実はちゃんと人を見ていて、さりげなく気配りしている。
誤解されやすい店長だが気づいている人はちゃんといる。
月に一回、必ず来店するおばあさんがいる。おばあさんは店長だけに話しかけ、少しのおしゃべりを楽しむと去っていく。店長とおばあさんの会話が聞こえて、内容にほっこりしたことがある。
「予約をしていなかったのに取り置きしてくれてありがとう。忘れていたことに気づいたときはあわてたわ。明日、孫が学校帰りに私の家へ寄るのだけど、月刊誌を読むのを楽しみにしているから助かったわ」
おばあさんと話をしている店長の顔がいつもとは違う。やさしい表情で話しているのが本当の姿だと思う。
本屋のバイトは時給が安い。稼ぎたい人には良いバイト先ではないだろう。でも私にとっては最高の職場だ。本との出合いがあるだけでなく、人間模様が垣間見える市街地はずれのこの本屋は魅力にあふれていて虜となっている。
市街地からはずれた本屋 神無月そぞろ @coinxcastle
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