本が実る、貸本屋「結実堂」

真己

第1話

 戸を開いたなら、そこは書の森であった。

 店内には、幾本の木が生えている。大木の幹は、大人が抱きついても手が届かぬほど太かった。青々と茂る葉と同じように、本が実っている。


「いらっしゃい、お客さん」


 丸メガネを掛けた男がそう声を掛けた。

 食えなさそうな笑顔を浮かべていたが、客が私だと気がついたら愛想笑いを消した。


「なーんだ、君か」

「なんだとはなんだ。客には変わりないだろう」

「常連すぎてね、君と僕の間じゃ営業はいらないだろう?」


 レジ台に肘をついて、そんな軽口を叩くのは、この店の店長だ。


「お前が客を選ぶから、この店はいつだって閑古鳥が鳴いているんだ」

「必要なときに必要な人がやってくる。それ以外の人間なんて邪魔なだけさ」


 商売人あるまじき発言も聞き慣れている。

 こちらが経営の心配をしてやっているのに、いつだってこいつは意に介さない。


「ああ、君は別だよ? 君はこの書店の従業員なんだから」

「お前に脅迫されて、しぶしぶやっているんだ」

「脅してなんていないさ。君が本を盗もうとしたのが悪いんだよ」


 私が盗もうとしたのは、樹木から産まれた本だった。

 誰か人間が書いたんじゃなく、ここの本は自然発生する。


「世界広しと言えども、こんな奇天烈な本屋はここぐらいだ。金目になるものを狙って何が悪い」

「そこまでいくと、盗人猛々しいというより、清々しくなるから不思議だやね」


 店主は嫌味ったらしく笑う。


「やかましい。お前のその態度が気に食わん」

「そう吠えるな。本が読みたいんなら、貸してやるから」

「読みたいわけじゃない。文字なんか嫌いだ」

「本屋の従業員がお笑い草だねえ」


 私が顔を歪めるほど、こいつは嬉しげに口元を緩めた。


「いつか、必ず本を盗んでやるからな」

「本を開きさえすれば、すぐに盗むことができるのに難儀だね~」


 窃盗を見つけたときも、店長は問い詰めるわけでなく、同じようなことを言った。訳が分からない。


「まあ君は、本を『所有する』ってことの意味がまだ分かっていないもんね」


 ただ自分だけが理解している、みたいな双眸をして笑うのだ。


「まあ、いいか。あらためて」


 ここにしかない伝説の樹木を背にして、店長が僅かに手を広げる。


「おかえり、本が実る貸本屋『結実堂』へ」


 私は、貸本を営む胡散臭いこの男に用心棒をやらされている。返却されない本を取り立てる、荒事担当として。


 いずれ、自分だけの本を盗むまで、私はここの従業員だ。大変不本意ながら。

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