似た者同士の恋は一気に加速する

オビレ

第1話

「おつかれー」

「おつかれさまでした!」


 挨拶の言葉が飛び交う男子硬式テニス部の更衣室では、部活終わりの男子高校生たちが、素早い動きで部活着から制服に着替えている。そんな今日は、夏休みが間近に迫りつつある七月半ばの金曜日だ。期末試験は終わっているため、俺の心は早くも夏休みの気分に侵食され始めている。


 ここで今着替えている部員の大半の二の腕は、途中から手の指先にかけて茶色く焼けている。綺麗なツートンカラーだ。わずかだが長袖のインナーを着用している部員も存在し、彼らの場合は手首までが白く、手の甲はこんがりと色づいている。もちろん腕に限らず、顔や脚など服で覆われていない部位の肌はとても濃い。


 全員が練習時には必ず帽子をかぶっているが、それが顔の日焼けの予防につながるかというと、残念ながらそうではない。頭が熱くなりすぎるのを防ぐ効果や眩しさを軽減させる効果はあるが、なにせ不思議なことに、太陽という壮大な恒星から届く光は時間とともに傾いていくのだ。前にしかツバがついていないキャップ帽では、横から来る光を防げるわけがない。加えて照り返しという反射光にいたっては、どうすれば防げるのか見当もつかない。お手上げだ。


 部員全員が練習時にかぶるキャップ帽は部特有のものだ。入部した際に全員が必ず購入する。一方で、いつも隣のテニスコートで練習している女子硬式テニス部においては、このような「お揃い」の物は特にないらしい。首の日除けカバーが付いているキャップをかぶる人や、サンバイザーをかぶる人などそれぞれだ。


「うわぁ~、鼻痛そ。昨日の日差しやばかったもんな」


 ダブルスでペアを組んでいる晋也しんやが、あわれむような表情でこちらの鼻先を見てくる。


「キャップ被ってるんだけどな。鼻までは守ってもらえないらしい」

「俺も同じの被ってますけど~? この通り、鼻だけ異様に焼けるなんてことはないんだな~」


 と言いながら、自身の鼻を親指でさす。


「いいじゃん」

「よくねぇよ! いやいいよ!? そんなになるまで焼けねーのはいいけどよ、じゃあ何でこうも焼け方に差が出ると思う?」

「……何でって」

「おめーの鼻が無駄に高ぇからだろうが! なんでそんな立派なんだよ!」

「……遺伝かな」

「んなこた分かってんだよぉ!」


はぁ~ああ!


 わざとらしく声に出しながらため息を吐くと、少し細めたような目つきでこちらを見てくる。


「どうせ頭が良い渋谷章介しぶやしょうすけは? 鼻が高くて超イケメンで? そんな章介様のペアを組ませていただいている小田切晋也おだぎりしんやは? 頭脳も顔面も平凡でございますわなあ!」


ふはっ


 晋也の口調と、口調に合わせて変化する表情が面白くてつい笑ってしまう。


「笑ってんじゃねーよ! くっそ~バカにしやがって! 言っとくけどな、今のとこ俺の方が勝ってんだからな!」

「一勝だけじゃん」

「その一勝の重みがわかんないかね~?」

「大丈夫だよ、次で追いつくから」

「はいむかつく~! こいつ超むかつくんですけど~!」


 更衣室を出ると、ちょうど女子の更衣室から同じクラスの宮脇みやわきすみれが部員二人とともに出てきた。


「ねぇ、コンビニでアイス買って食べない?」

「食べるー! すみれは?」

「すみれも食べようよ」

「ん~……ごめん! 私はやめておく。ちょっと寄るとこあって」

「えぇ~~~」

「そういや金曜は何か用事があるんだっけ?」

「うん。大した用事じゃないんだけど」

「とか言いながら彼氏なんでしょ!!」

「違うってば~」


 俺は知っている。これから宮脇がどこに行って何をするのかを。そのことを知ったのは単なる偶然で、向こうもおそらく、俺がその”金曜日の用事”を知っていることを、わかっている。


 俺の通う高校へは、半数以上の生徒が電車で登校してくる。ところが、なぜか俺の代に限っては、自転車と徒歩で通う生徒が圧倒的に多く、電車で通学する生徒は三割もいないのではないかと勝手に思い込んでいる。それほどに、通学手段が電車である同級生が少ないという印象だ。


 電車通学者のうち、俺のように西本棚にしほんだな駅方面へ帰る同級生は、数えられる程しかいない。正確ではないが、俺を含めてたったの三人ほどだ。一人はサッカー部の森下で、もう一人が宮脇すみれである。そして俺たち以外は東本棚ひがしほんだな駅方面へ帰って行く。


 森下は西本棚駅の一つ手前の駅で降りるが、宮脇は俺と同じで西本棚駅で降りる。俺はそこからさらに乗り換えるが、彼女は西本棚駅が家からの最寄り駅らしい。先程彼女とともに更衣室から出てきた二人が、以前教室で最寄り駅がどこかという会話を彼女としており、偶然近くにいた俺の耳にも彼女たちの声が届いた。


 宮脇が同じ西本棚駅を利用する希少な仲間だとわかり、少し話してみたいと思った。が、宮脇という人物は、どことなく話しかけづらい雰囲気を身にまとっている様な気がする。あくまで俺にとってはだが。そのため、自分から話しかけるのは無理だと早々に諦めた。


 かくいう俺は、人見知りではない。話しかけることを早々に諦めておいて何を言っているのかと呆れられそうだが、何か用事さえあれば話しかけることは容易いのだ。その人と話す内容、つまりは目的があるならば何も臆することはない。大義名分さえ立てば……。ん? もしやこのような状態を人見知りというのか?



 高校二年生に進級した今年の四月のとある金曜日のこと。俺は部活帰りに本屋に寄った。その本屋は西本棚駅から乗り換える際に通る道の途中にある。それほど大きくはないが、小説と漫画の品揃えがいいため頻繁に利用している。


 西本棚駅は大きな駅であり、直結するショッピングモールにも本屋がある。こちらは色んなジャンルの本を幅広く取り扱っているが、残念なことに小説や漫画の種類が少ない。有名どころはある、といったイメージだ。しかしながら学習書のコーナーはとても充実しているため、主に参考書を買いたい時に利用している。


 一年生の頃には、どちらの本屋でも宮脇と偶然会うことは一度もなかった。ところが、二年生に進級して間もない四月のある日、頻繁に利用する方の本屋で彼女を見かけた。


 宮脇は小説の新刊コーナーのある棚の前にいた。俺が彼女の後ろを通って奥に進む際、彼女が手に持っていた本に目がいった。その本は俺が好きなシリーズの最新刊だった。好きな小説の系統が似ているかもしれないと思っただけで、勝手に親近感を抱いた。己の単純さを実感した。


 きっとその時からだろう、宮脇のことを気になりだしたのは。だから俺は、金曜日の部活帰りには、できるだけ本屋に立ち寄ることに決めた。


 俺はそれまで、平日の部活帰りに本屋に寄ることもあったが、一刻も早く晩飯にありつきたいがために素通りすることの方が多かった。定期があるため、帰り際に寄るのではなく、休日にわざわざ本屋に行くスタイルが俺の標準だった。食べ盛りの食欲に勝てる欲はそうないだろう。


 今でもそのスタイルは変わらないが、そこに”毎週金曜日に寄る”という習慣が加わった。なぜ金曜日かというと、理由はわからないが、宮脇は毎週金曜日に本屋に寄ると決めているようなのだ。


 彼女を本屋で初めて見かけた金曜日の翌週、月曜日と火曜日に続けて本屋に寄ってみたところ、両日ともに見かけなかった。見かけたのが金曜日だったことから、半信半疑で数日後の金曜日に立ち寄ったところ、なんといたのだ。またもや小説コーナーに。そしてさらにその翌週の金曜日も本屋で見かけたため、確信を持ってしまったというわけだ。


 ここで俺は迷った。宮脇と同じように金曜日に本屋に寄る習慣を身に着けてしまったら、なんだかストーカーみたいではないか? 月から金には同じ教室で授業を受け、休日には隣り合うテニスコートで同じスポーツに励む。ありがたい程同じ時間を同じ場所で過ごしているのに、さらに本屋でも会おうなんて、さすがに欲張りすぎかもしれない。


 そう思いつつも、一度も言葉を交わしたことがないのだから欲張りではないか、とすぐに吹っ切れた。本屋では”本”という共通の話題があるのだから、クラスで突然話しかけるよりも、もっぱら声をかけやすいのではないかと考えた俺は、金曜日に本屋で話しかけ、仲良くなるという作戦を計画し、実行に移した。


 なお、七月現在、いまだ学校でも本屋でも宮脇と話したことがない。俺は毎週金曜日に本屋に寄り、小説コーナーへ行き、欲しい本があったら購入して帰る、といった一連の流れをただ繰り返してきただけの小心者というわけだ。それでも、ほんの少しの時間だけだが、互いに互いを見るわけでもなく、おそらく共通の”小説”という好きなものを見て過ごすというのが、なんだかとても、心地よかった。



 さて、今日は夏休み前ラストの金曜日で、短縮授業の日だった。梅雨はまだ明けていないが、数日前から晴れの日が続いていた。今日はありがたいことに曇りの時間帯が多く、一日で最も暑い時間帯から部活を始めることができた。そのため、通常よりも一時間半ほど早くに部活が終わったのだった。


 二十分程前に晋也とわかれた俺は今、高校の最寄り駅から電車に乗り、座席に座っている。ホームで宮脇を見かけなかったため、どうやら彼女は一つ早い電車に乗ったらしい。


 これから、俺は勇気を振り絞り、失敗し続けてきた作戦を成功に導くつもりだ。そう思い立った理由は、夏休みに入ると”金曜日に寄る”というリズムが崩れるかもしれないということに気付いたからだ。今日を逃すと、しばらく本屋という好きな場所で宮脇に会えないかもしれない。そうなると、相当寂しいと感じるだろうなと思う程に、俺は彼女に惹かれているらしい。


 だから、だから俺は今日、なんとか頑張って話しかけようと思っている。

 同じ小説を読んでいるというだけで話題は十分過ぎるほどあるじゃないか。そう、今の俺には宮脇に話しかける大義名分がある。


 ……あるのか? まてよ? 同じ小説が好きだからって、それで話しかけるというのはどうなのだろうか。話しかけられた方にとっては、「それで?」あるいは「だから?」と言いたくなるのではないか?


 こういう時こそ客観的に想像してみるべきだろう。とある男子高校生が同じクラスの女子高校生を気になっている。話したことはない。だが、共通の趣味を持っているかもしれないことが判明した。だが話したことはない。夏休みに入ると、今のリズムに変化が出るかもしれないため、話しかけようと思っている。だが一度も話したことはない。


「あの、宮脇だよな。前に〇〇シリーズ手に取ってるとこ見かけて……俺もそのシリーズ好きなんだけど……」

「そうなんだ」

「……」


 無理です。うん。なんだろうな、ちょっとナンパしてるみたいに思えたな。あぁダメな気がする。そもそも”そうなんだ”というような肯定的な言葉が返ってくるかもわからないのだ。


「え そうだけど……」


 だから何? というような目で見られたらすぐさま謝ってその場を離れるしかないだろう。こんな時、晋也だったら臆することなく、もはや「臆するって何? 美味しいのかよ」などと見ているこちらを圧倒させる程のオーラを放ちながら、堂々と話しかけちゃうんだろうな。代わってほしいとは思わないが、彼の持つ勇気のほんのひとかけらでいいから分けていただけたらなと思う。


 やはり、晋也に相談しておくんだったかな。いやいや、一年生の頃、それらしきことを呟いたことがあったが、晋也という人物がいかに人から好かれる人種かということを、再確認しただけだったよな……。


***

「なぁ、章介に彼女いたことないなんてまじで信じられないんだけど」

「……そんなに?」

「おう!」


 食い気味で返事をする晋也。


「その顔で! 頭で! 性格で! 高校生だぞ? あり得るか?」

「そりゃあり得るだろ」

「まさかお前……『女子と何話していいかわかんな~い』みてーなこと言うんじゃねーだろうな」


 正直その通りだったので、晋也の目を見ると、彼は衝撃を受けたかのような顔をした。


「やだぁ! 何言ってんのこの人!!」

「何も言ってはいないけど……」

「顔が物語ってんだよ! バカっ!」

「バカって……。不思議なんだよな。何で用もないのに話しかけられるのか」

「用はあるじゃねーか。その人と話したいから話すんだろ? じゃあその”話したい”って想いを持ってる時点で断然”用あり”じゃねーかよ!」

「……そういうもん……なのか?」


 これまた衝撃を食らったかのような顔でこちらを見てくる。先程と異なる点は、今回の顔つきからは「やだぁ信じられない!」や「ダメだこいつ」以外に、「大丈夫かお前……」というような俺を心配する気持ちが伝わってきた所だ。少々小バカにされながら。


「ん? でもさ、女子に話しかけられたら普通に話してるくね?」

「それは話しかけてくれたからで、自分から話しかけるのとは……わけが違うというか……」

「なるほどな~! 自分から話しかける必要がないってことだよな~はいはい!」


 不貞腐れた顔をしていると、すかさず「冗談だよぉ!」と言ってくる晋也は憎みたくても憎めない人種だ。もっぱら彼に対して憎みたいという感情を抱くことすらあり得ないのだが。


「好きになったことは? 恋したことは? それすらなかったりするんか?」

「あー……どうかな……わからないかも」

「なんかお前が可愛く見えてきたわ」


 ”可愛い”という評価をどう受け止めていいかわからないでいる俺の表情を見て楽しそうに笑う晋也の顔は、やはり愛嬌に満ちていた。

***

 

 サッカー部の森下が下車する駅を通り過ぎると、俺の心臓は急に動きを加速した。

 待ってほしい。今からバクバクするのは早すぎる。まだ駅に着いてすらいないのに……。


 心臓の動きに同調するかのように、緊張感が高まっていく。

 西本棚駅で下車すると、雲で覆われていた空に晴れ間が広がり始めていた。まるで天気が自分のことを応援してくれているかのような気分になった。


 俺は改札を過ぎると、少々足早に本屋へ向かって進んでいく。あっという間に着いた。俺は歩みを止めることなく本屋の中へ入り、いつも通り小説コーナーへ向かった。


 はやり、今日も宮脇はいた。


 俺は買おうか悩んでいた小説を手に取り、最初の方のページを試しに読んでいく。素早くリズムを刻む鼓動のせいで、本の内容が頭に入ってこない。それもそうだろう、一番の目的は他にあるのだから。何をしているんだ俺。頑張れよ俺……。


 二度ほど、さりげなく彼女の方を見た。が、見ただけだ。近づくことさえできなかった。これは無理だな、そう諦め始めると、俺の気持ちに便乗したのか、鼓動が落ち着き始めた。


 俺の体ってこんなに素直なのか……。正直な体がおかしくて、ほんの少しだけ口元が緩む。


 俺は買おうか悩んでいた例の小説を数ページ読み、文体に拒否反応を示すことがなかったため、購入することに決めた。そうと決まれば俺の行動は速い。すたすたとレジへ向かい、流れるように支払いを済ませ、本を受け取るとレジの女性に礼を言って颯爽と本屋の外へ出る。実に見事だ。自分で言うな。レジの女性の手際がよかったおかげだぞ。


 一旦歩みを止めて腕時計を見ると、あと一分で乗る方面の電車が発車する時刻だった。ゆっくりめに歩いて次の電車にタイミング良く乗れることを、脳が瞬時に察したため、心持ち速度を落として歩き、乗り換えの駅を目指した。


 もう心臓の動きは通常運転に戻っていた。が、それも束の間のことだった。



タタタ タタタ タタタタタッ



 聞こえてくる足音で、後ろの方から誰かが走ってくるのがわかった。俺は左右のどちらかに寄った方がいいのかを確認すべく振り向くと、走ってくる宮脇の姿が目に映った。


 自分に向かって走ってきているのだと理解したのとほぼ同じタイミングで、


「渋谷くん!」


 そう声をかけられた。


「はぁ……はぁ……あのっ……」

「……どうしたの!?」


 今しがた通常運転への切り替えを完了したばかりの鼓動が、またもや速度を上げ始めた。


「えっとね! あ……はぁ……ごめんちょっと待ってほしいです」


 彼女の額に汗がにじんでいることから、勢いよく走ってきたことを感じ取った。


「大丈夫だよ。息整えて」


 傍からは冷静に接しているように見えるかもしれないが、俺の心臓は異常な速さで動いている。


「ありがとう! ふぅ……」


 彼女が俺を見上げる。その瞳と目が合った時、胸をぎゅっと鷲掴みにされるような感覚が沸き起こった。鼻が高いことを嬉しいと感じたことはまだないが、背が高いことに関しては、今、大きなありがたみを感じました。お父さんお母さん、ありがとう。遺伝よ、君は偉大だ。



「…………好きです」


 ん?

 …………んん?


「あっ! えっ!!」


 少し大きな声でそう声に出した宮脇は、自分で自分の放った言葉に驚いたかのような顔をしている。そして、彼女の耳は赤く、顔全体も火照っているような気がした。

 俺の頭は混乱かつ困惑していた。猛烈なスピードで頭を回転させ、状況を理解しようと努めた。


「最悪だ……あ、違う! 最低! あ、違う! わ 私が最低って意味で!!」


 宮脇が慌てふためいたような様子のおかげか、冷静になることができた。


「ごめんなさい! 私っ あのっ……!」

「待って、大丈夫だから」

「『友だちになってもらえませんか?』って言おうとしたの……それが……す 好きなのはそうだけど! いきなり言うつもりじゃなかったの! ひかないで……」


 彼女の目が潤んでいる。泣かないでほしい、笑ってほしいと思った。


「大丈夫だよ、俺も好きだから」


 無意識に口から言葉がこぼれていた。

 自分が言ったことを理解した途端、顔の温度が一気に上昇するのがわかった。熱いからわかった。


 その後、


「……本当?」


 と驚いたような、嬉しそうな目でこちらを見つめる彼女と、初めてじっくり言葉を交わした。

 駅のすぐ近くに少し大きめの公園があるため、そこのベンチに座って俺たちはそれぞれの気持ちを伝え合った。


 恥ずかしい気持ちを堪えながら、どこか懺悔するような思いも抱きつつ、金曜日に本屋に寄っている理由を打ち明けた。

 すると、宮脇はふふふと笑った後、両手で自身の頬を挟み、また嬉しそうに笑った。

 俺がその様子を不思議そうに見ていると、


「えへへ、ごめんね。嬉しくって……嬉しいのもそうだけど、感激って言った方がぴったりかも! さっきの渋谷くんの言い方を真似するとね、『大丈夫だよ、私も同じ理由だから』 だよっ!」

「……えっ?」

「というよりね、渋谷くんよりも先に、私がそれをしてたんだよ!」


 ん?


「それはどういう……」


 顔と頭の周りにはてなマークがふわふわ浮かんでいく。


「ひかないでね?」


 俺は反射的に、うんうん、と小刻みに頷いた。


「一年生の終わり頃かな。私はショッピングモールに入ってる本屋に行くことが多かったんだけど、たまたまその日は欲しい小説がそこにはなくて、こっちの本屋に行ってみたの。そしたら渋谷くんがいてね」

「えっ……本当?」

「うん。渋谷くんは私に気づいてなかったと思うよ。夢中で本を見てたから」


 ……まじか。


「一年生の頃から渋谷くんのことが好きだったから、凄く嬉しかったんだよ」

「え……でも一年の頃は同じクラスじゃなかったよね……?」

「部活で毎日見かけてたから……テニスを頑張ってる姿がかっこいいなって……えへへ」


 照れるように、はにかんだような顔が可愛すぎる。


「それで、度々こっちの本屋に寄ってみたんだけど、全然会えなくって……久しぶりに会えたと思ったらその日がまた金曜日だったの!」


 ……これは…………。


「毎日寄るのは現実的じゃないし、何だかもどかしいし、金曜日に絞ることにしたの!」


 足りないものが足りてすっきりするような、ちょっと違うけど、それと似たような気持ちになった。


「そうだったんだ……」

「二人とも、どれだけシャイなの? ってくらいちょっと臆病だったね! うふふ、あははは」


 俺も笑う。


「似た者同士、ってことかな? それは違うか……結局俺は諦めて帰ろうとしたから、それだと宮脇に失礼だな」

「そんなことないよ! 私なんて一年生の頃からで、二年生で同じクラスになれて頑張って話しかけようと思ってたのに、今日までできなかったんだから」

「ちなみにだけど、今日話しかけてくれたのって……今日が、夏休み前最後の」

「金曜日だから!!」


 俺が言うより、宮脇の口から発せられる方が完全に先だった。

 二人の笑い声が駅前の公園に爽やかに流れる。俺たちの座っているベンチのすぐそばには大きな木があり、晴れ間から差し込む西日を遮ってくれている。

 ふと、頭の中に”奇跡”という言葉が浮かんだ。奇跡って起きるんだな、そう言おうとして宮脇の顔を見ると、またもや俺より先に宮脇の口が開いた。


「奇跡だね! ほんとすごいよ! こんなことあるんだねっ」


 眩い笑顔でそう言った彼女は、俺の初めての恋人だ。



 辺りが暗くなり始めたので、俺たちはベンチから立ち上がった。

 腹ぺこのはずが、胸がいっぱいだからか空腹を感じずにいた。それでも、割りと大きめの腹の虫が鳴った。


「……」


 無言になる俺。


ぐう ぐうぅぅ……


 今度の音の出所は俺ではなかった。


「あはははは! お腹空いたね~! 二人ともいい音出すねっ」


 もう、大好きです。


「じゃあ帰ろっか」


 俺が歩きだそうとすると、


「あ 待って!」


 と言われたので宮脇を見た。


「あの……どうしてもしておきたいことがあって……少し屈んでくれる?」


 言われた通り、少し膝を曲げる。


「あ……えっとね……」


 宮脇は両手で俺の頬を優しく挟むように触れた。


「顔を近づけてほしいの……」

「えっ……」


 と言いつつ、俺はまたもや言われた通り、顔を少し、宮脇の顔に近づけた。

 頭では”キスをされる”と瞬時に察した。結果、この予想はある意味当たったが、思っていた展開とは違った。


 宮脇が俺の頬を両手で挟みながら顔を近づけてくる。俺の体は本当に素直なもので、突然の展開に戸惑いながらも、驚異的な速さで”キスをする”体勢に入った。が、



ちゅっ



 宮脇の唇が触れたのは俺の唇ではなく、鼻だった。


「……あのっ……痛くなかった?」

「……うん……大丈夫」

「ごめんね! 渋谷くんの鼻、真っ赤に日焼けしてて、すごく痛そうだから……早く治りますようにってキスしたくなっちゃった……」


 どうやら俺の彼女は甘くてスウィートなお心をお持ちのようだ。


「言ってること矛盾してるよね!? ごめんね! 本当に痛くなかった!?」

「全然! 本当に痛くなかったよ。……ありがとう、労ってくれて」


 自然と出たセリフだが、鼻を労ってくれてありがとうか……何だか滑稽だ。

 俺がくすっと笑うのと同時に、宮脇もくすくすっと笑った。

 まさか同じ日に、背が高いことに加えて鼻が高いことにまで喜びを感じることになるとは。なんて不思議な日なんだろうか。


 俺は電車に乗り込むと、メッセージアプリに「俺、鼻が高くてよかったわ。さっき初めて思った」という文章を打ち込んだ。

 送り先は愛嬌たっぷりの相棒だ。


 数分も経たないうちに、


「自慢かよ!! でも自分の良さを自分で認められたのは大きな進歩だな! 明日詳しく聞かせろよこのイケメンがぁ!!」


 という返事をもらい、俺は口元がにやけそうになるのを堪えきれず、鼻からふふっという笑いが漏れ出てしまった。

 斜め前にいたスーツを着た男性にチラっと見られ、恥ずかしさで顔が少し熱くなったが、すぐに頭の中も心の中も先程のことでいっぱいになった。


 この夏から俺の日常は、この焼けた肌のように、綺麗に色づいていくのだろう。勿論カラフルに。 fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

似た者同士の恋は一気に加速する オビレ @jin11

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ