第五話 嫌いな家族の為に女スパイは過去の幸せを復元する

 後ろから鳴りやまない銃声や爆発音を聞いているだけで私は私が嫌になる、何が絶対に死なないから私が残った方がいいだ、自分だけ死なない様にしても、その結果誰も守れないのならば、何の意味も無いがないじゃないか。

 ただただ己の無力さを叫ぶ、声になんて出さない、これ以上自らを無能たらしめたくはないから、マリーから受け取ったバトンは確実にキャップに引き渡す、そしてレニも助けに行く、そうしなければ私が私を許さない。マリーともう一度会う前に自ら命を絶ってしまう、そうしまいそうな私がここには居るから。

「明智…、絶対に死なせないわよ…」

 息が徐々に浅くなっているのは、恐らく気のせいではない、間違いなく出血の所為だ、最低限の止血は途中でしてきた、だからこそ後は少しでもキャップに見せればいいだけ、彼ならばスーツに医療技術も組み込んでいるだろうと淡い願望ではあるが、今はそれに賭ける、それが無理なのであればこちらでどうにかする、その手立てはあるが今はまだ…。

 息も絶え絶えになりながら、私は前へ進む。捨てられた産業区画なるほど賊が隠れるにはうってつけの場所だ、それでもこんないつでも奇襲をしかけられる状況にも関わらず、誰一人いないのは、全世界を巻き込んだこのゲームに人員を割いているからなのだと、私達は賊の下衆な遊びのお蔭で命を取り留めている。その事を、ただ走りながら放棄された奇襲用のタレットや武器群を見つける度に私は、自らの歯を砕くような力で噛み締める。悔しい、悔しい、本当に自らの無能さが本当に悔しい。

『通信の発信源に近づいた、何か合図をくれ』

「わかったわ、こちらも姿を確認した、そこから8時の方向、赤い建物が見える」

『了解、そちらの姿を確認した、状況は大まかにだが、わかっているつもりだ』

 なんとかギリギリ明智の一命は取り留めたようで安心し、少し力が抜けるけれどミライの話では、私にとってはここから本番だったし、それ以前の問題も残っている。

「明智は何とかなる位の設備はあるかしら?キャップ」

『ここまでの傷だと、もっといい設備がある場所じゃないと…』キャップのその言葉も私には、折り込み済みだった。その考えがあったからこそ落胆せずに済む。

「そう…なら丁度良かったわ、二度手間にはならなそうで安心」

 何回もやってきた、呼吸の様に今をより幸せな世界にするたった一つの方法、過去を否定することで、過去の幸せを苦しみを否定する事で、過去の全てを否定することで、この私に許された特権は発動する。誰の記憶にも残らない、私の独善的な行動が織り成す自分の好きな今までを作り出す方法を私は世界で唯一知っている。

 先程までの疲労は消えた、目の前のキャプテンも明智の処置を始めた。レニがどう危険なのかはミライにしか理解できないが、けれど言える事はただ一つ、レニが危険なのではなく、レニは巻き込まれているだけなのだという事。国側の武装勢力がほぼ全て出払っている中、賊はただゲームをするだけでは終わらせないだろうという確信がある。似た者同士だからかもしれない、私とミライは賊達を唯一理解できる存在だと思う。きっとあの実験の生き残り達が賊軍の主導者であるという、確証はないが確固たる自信が私にはあった。

 彼らの理解者になれるであろう私は、レニが幸せな未来を望む。どれだけ私が苦しくなろうと、私の未来が危ぶまれようと、レニが幸せに生きていける世界さえあれば、私はその他全てを失おうと構わない。けれどアイツら賊軍は何を望む、何を考えている、自らが受けた痛みの復讐?そんなものは、都合のいい動機の一つに過ぎない。何故世界を敵に回す、何故世界に歯向かう、何故世界で遊ぶ、何故世界を自らの思うがままに変革しようとしない、その力を見せたいだけなのか、それとも力を証明する事で認識してもらいたいのか、それともその両方かもしくは私は賊の理解者ではないのかもしれない。

 どういう理由だろうが、どういう動機だろうが、どういう思想だろうが、レニを巻き込んだ、ミライが視たその景色だけで、私の逆鱗に触れた事に間違いは無い。

「見えたわね、これがミライも先送りにしか出来ない訳ね、この状況に可能性ないもの」

 見えてきたのは、この世界の汚点を覆い隠す為に存在するかのようなドーム状の建物だった場所。通称ゴミだめ、そのあった場所が燃えている、油の中に火を垂らし、その後にガソリンでもぶちまけていたのかと思いたくなるほどの炎の勢い。きっとゴミだめでは、もう二度と生活を送る事はできないだろうと、私は安堵する。これでレニも外に出られる、だがそのレニが居ないのでは話にならない。だからこそ私はこの炎の中に飛び込む、同じゴミだめでも最新式の建物であれば少しは耐えられるはずだと微かな希望を、否、生きているという確かな今を抱える為に。

「無い未来を確定する事はできない、だからこそ無い未来の為に、そうなるように過去を改変してしまえばいい、本当に気軽に言ってくれるけれどね」

 レニをゴミだめに捨てた悪魔が居た、レニに私達が教える事の出来なかった、一般教養を与えるチャンスを与えてくれた神が居た、レニに生活の保障と普通教育を施してくれた神が居た、レニに昔の事を、レニが疑問に思っている事を、レニの趣味に関する事を一緒の目線で話してくれる心優しい神が居た、そしてレニの命を奪おうとした悪魔も居る。この世に恵まれているだけの存在は、そんな神にも匹敵しうるヒトはこの世界に存在しない。人間の幸せと不幸せは公平だとまでは言いきらないが、結局の所、確率の収束を語る訳では無いけれど、同じ様に良かったと事があれば、良くない事も起こるのだろう。その数が誰しも一緒とは限らない、少なくてもミライと私は、あの場所で自分だけが唯一持つことが許された力は、使用する度に良かったと思い、使用した度に良くなかったと思う。

 今回もそうだ、力を行使する度にレニの命を救えるという実感が湧く、しかし力を行使する度に私は、私でなくなりそうになる。

 けれどこの力を持つことを許されたのならば、その力を存分に発揮し、この燃え盛るゴミだめに入る事も何一つ怖くはないし、何一つの後悔もない。未来は決まっている、レニを救って皆無事な未来だ、それが手に入りさえすれば私の事などどうでもいい。

「絶対に助けるから、絶対に…」

 私は業火の中に飛び込む、熱いし、煙たい、ちょっとした事で火傷をしそうだし、声を出す為に呼吸をしようものなら、喉が火傷をしてしまいそう。けれどそんな事をお構いなしにあの子の名前を私は叫ぶ。きっとそんな今は起こりえないと理解しているから。

「レニーーーー!」

 煙を吸い込んで咽た気がしたがけれど、そんな事は無い。思ったより平気だった、流石最新の技術を詰め込んだ建物、煙を壁が吸い込み外へ排出するような技術でもあるのだろうか?まぁそんな事は後で明智にでも聞けばいい。

 なんどもレニの名前を叫ぶ、その度に喉が痛いような気がする、見かけだけでも煙を吸った感覚は残るし、熱も吸った気はする、きっとどこかはダメージを受けている…筈…。

 レニが居るであろう、本社ゴミだめ支部へ入り、1階、2階へと上っていく、レニの学習教室は5階流石にそこまで上るのは億劫だけれど、文句は言っていられない。

『さ、サチアさん…ですか…』

 ノイズ交じりの声がイヤホンから聞こえる、この声は何度もお世話になっているからこそわかる、モルだ。モルが生きているという事ならば、レニも一緒にいるのではないかと思っていたが、事態はあまり芳しくないらしい。

「モル?そっちは大丈夫なの?レニと一緒?」

『私は…少し…しくじってしまいました…上の階の人避難誘導中に…上から崩れた瓦礫に挟まれています』

「助けに行くわ、場所を教えて頂戴」

『私は無理そう…です、…けれどレニさん…は、2階に避難させて…お願いします…レニさんだけでも………』瓦礫が崩れた音ともに、ノイズ交じりの音声はノイズのみになる。

「モル!モル!返事をして!」

 もうモルがどうなったかなんて頭で理解できていた、けれど現実が受け止められない、だからこそ考える、それでもモルを救いに行くか、彼女が残した最後の望みを叶えるべきか、答えは最初から決まっていた。だって私にはレニを一秒でも早く危険から遠ざけてあげたいから。そして最後にモルから送られてきたメッセージを受信する、メッセージというよりは、マップだ。非常用の出入り口と、非常用の部屋への経路。

「ありがとう、モル、絶対にレニは救い出すから、安心して眠って頂戴」

 身も焼けるような思いで…、まぁ言葉通り思いだけなのだけれど、それでもなんとか非常用の部屋に辿り着く。なんなら実際に燃えた体が燃えた気がしなくもないが、今尚、私が火だるまになっていないのであれば、それは勘違いという奴だったのだろう。

「ドアノブから離れて、そしてすぐに移動する用意を!」

 私は持っている銃を3発ドアノブに発砲し、ドアを蹴破った。そこには十数名の従業員とレニが居る、こんな所で気を抜いてはいけないというのに、私は少し足から力が抜ける。

「お姉ちゃん!」レニが不安だったのか抱き着いてくる、無理もない。体験した事もない大変な事を今世紀史上最大規模で味わっている、けれどこの子は何処までも、私達には過ぎた程出来た子で、いい子で、大人みたいな子供だっていう事を理解していた。

「お姉ちゃん、モルさんは?モルさんが帰ってきていないの」

「…っ、モルは…」

「モルさんを助けないと、モルさんが私を助けてくれたの、だから」

 嘘を吐くべきか、真実を話すべきか私は悩む。どの選択肢でも結局はレニを傷つけてしまう事には変わりない。ならば真実を伝えよう、酷なのは分かっているけれども、未来が無い事期待させるのは、今は幸せでも未来はきっと絶望しか残らない。

「モルは死んだわ、でもそのモルに託されたの、どうかレニ、貴方を助けてって」

「嘘………だよね…お姉ちゃん?あぁ…あぁー…あぁーーーー…」

 大粒の涙を流しながらレニはその場に立ち止まる、私にはレニが煙を吸い込み過ぎないように彼女の顔を胸で覆ってあげる事しかできなかった、もう少し私の足が速ければ、もし車を簡単に手に入れていたら、ミライの情報がもう少し早ければ、たられば…悔やむ事は沢山ある、が…目的通りレニを助ける事には成功した、私にはそれだけで十分だった。


 従業員とレニを連れて非常用通路から本社へと向かった、火の手はレニらを襲う事は無い絶対だ。そして幸いというべきか軽く襲撃を受けたとしても、ゴミだめ程大きく狙われた場所は無かったらしく、世界は相も変わらずノホホンとした様子で、賊を倒すべく世界全体が協力態勢を取っていた事など知りもしないだろう、何も知らない人からすれば、国の汚点の象徴であるゴミだめが燃えてなくなり良かった事尽くめだったのかもしれない、世界でどれだけの被害が出たのかは、わからないが私達も決して軽くはない被害を受けた。

 明智はなんとか助かった、キャプテンのパワードスーツ、医療知識と技術様様だ、それが過去には無かった今だとしても…。だが依然予断は許さない状況だ、けれど間違いなくこのまま行けば回復の見込みはある、私達にとって吉報はそれだけだった。

 それ以外は全て凶報、モルは焼け跡から彼女と一致する焼死体が見つかった。それとマリーが死んだ、明智の誕生日を祝うまでは死なないって言ったのに、ミライの誕生日を祝ってくれるって言っていたのに、明智との日課のキスをすると言っていたのに…。

「お姫様は、約束を守るんじゃなかったの?……バカ……」

 溢れそうになる涙を必死に堪える、今から彼女の最後がどうであったかの報告を聞きにいくのだ、その時に流す涙を残しておく為に必死に涙を堪えた。

 マリーの結末は、彼女らしいと言えば彼女らしかった、腕も足も体全てがボロボロになって尚、その四肢が引きちぎれても尚マリーは戦い続けた、きっと自分の決意を守る為、きっと最初からその場で死ぬ気で、全てを捨てて、全てを諦めて愛した人だけは守りたいと、ただお姫様の様な純情を胸に、恥じない姿を見せたのだ。戦い続けて、賊を一歩たりとも明智に近づけさせなかった、約束よりも日課よりも彼女は明智への愛を優先した。それだけだ、それだけマリーは明智を愛していて、マリーらしいと笑える事もできる。

「マリー、お疲れ様。貴方の王子様は生きているわよ、私はフラれたのかしらね?……ねぇ、マリー答えを聞かせて欲しいわ、一言でいいから…」どんな結末でも構わないから。

 レニをミライに一度任せて、私は事務室に戻る、私は私の約束を果たすために。

 事務室の扉が開き中へと入りマリーのデスクに向かう、私とミライのレニとの写真しか表示させてない私やミライのデスクとは違って、他の面々の机は多種多様だ様々な論文誌のバックナンバーを暇つぶしの為に崩れない様に積み上げている明智、パワードスーツをいつでも改良できるようにPCや工具、端末を常備しているキャプテン、そして化粧品や女の子らしいグッズを沢山置いてあるマリー。私はマリーのデスクにある椅子に腰かける、マリーは背が小さかったから、デスクの位置も椅子の高さも私が使っている物よりかなり小さい、正直座りにくい、けれど今はこの座りにくさを感じて、この彼女が居たという証拠である匂いに包まれていたかった。だからもう一度だけ弱音を私は吐く。

「約束したじゃない!必ず戻るって…、私のお姫様なるって…約束…したじゃない…」

 どうしようも程の苦しみ包まれる。けれどいつまでも浸っている訳にはいかない、戻らないとレニにもミライにも心配される。意を決してマリーのデスクの引き出しを開いた。

 中には本当に小さな箱と、皆へと書かれた手紙が一つ。

 私は小さな箱を開ける。中に入っているのは香水だった。私には香水とかは良くわからない、明智に進められたもの使っていただけだったから、けれどほのかな香りで察する事ができた、マリーの匂いだと。

「私が貴方と同じ匂いで居られる訳ないじゃない…」

 そんな事をやってもなんの慰めにもならないし、明智が苦しむだけだというのは、解っている。けれど今だけはこの匂いに包まれていたいと心から思い私は香水を自分にかける。

 いい匂いで、少しむかつくけれど、どこか落ち着く匂い、お姫様らしく何かの花の匂いなのだろう。鼻孔に匂いが通れば、通る程マリーとの記憶が思い出す、良い記憶なんて殆ど無い、けれど私はマリーの事が好きだった、その気持ちだけはずっと変わらない。

 この匂いを纏えば、纏う程、もうマリーはこの世に居ないという現実が襲いかかってくる、最初からレニを本社に無理やりにでも移せていれば今日みたいな事は起こらなかったのかもしれない、少しだけ時間が足りなかった。その私のミスさえなければ、今回私達は誰一人失わずに済んだかもしれないのに。悔しさで私は私を殴りたくなる、振りかざした手には手紙を持っている事を認識し、その手紙が私の行動を窘める。皆で読むべきなのかもしれない、けれど今読むべきだと何故か心の中で思ってしまった、読めばマリーに会える気がして、私は手紙の封を切る。

『第五課の皆さんへ

 この手紙を第五課の皆さんが見ていると言う事は、マリーはこの世には居ないのでしょう、ですがマリーは満足して死ねた事を確信しています。

 マリーには特に悔いは残っていません、それを断言する為にこの手紙を残しました、ですので皆さん復讐とかそういう事は考えないでいただけたら嬉しいです。

 マリーの幸せは、マリーの王子様が幸せであればそれでいいんです、マリーの死でその王子様が悲しんでしまう事があっても、その王子様にはマリー以外のお妃様が居ます、だからマリーは安心して死ねたでしょう。

 皆さんに最後のお別れは、言えてないと思います。ですのでお別れの言葉を送ります。

 キャプテンさん、明智さんに無理やり連れてこられたドイツ遠征で私を探すお手伝いをしていただいて、本当にありがとうございます、顔はタイプでも無かったですけれど、きっとその優しさで良い相手が見つかると思いますよ。ファイトです!

 ミライ君、誕生日を祝う約束多分守れなくてごめんなさい、マリーと同類だったからこそ、ミライ君とは話が合ってとても楽しかったです、けれどやっぱりごめんなさい、ミライ君の心の穴はマリーには埋める事はできません、でもきっといつか見つかると思います、ミライ君の悩みを解決してくれる人間が、いつかきっと。

 明智さん、明智さんはマリーの王子様でした、明智さんに見合うお姫様になろうとマリーは必至に努力をしました、けれどマリーにはお姫様になれる資格はなかったのです、明智さんの隣で愛を謳歌できたらどれ程幸せであったか考えるだけで、涙が止まりません。マリーは明智さんのお姫様にはなれませんでした、けれどマリーは明智さんにとってのゲルダの涙になれたでしょうか?それだけがマリーが唯一この世に抱く未練です、どうかマリーの存在が人魚姫になれた事を祈ります。

 大好きです、私にとっての王子様

 最後に泥棒猫へ、明智さんを泣かせたら殺します、明智さんを悲しませたら殺します、明智さんを満たせなかったら殺します、明智さんより早く死んだら殺します、明智さんを守れなかったら殺します、何があったとしても明智さんのお妃様として相応しくない行動を取ったのならば殺します。ただ嫌っているだけと思われても癪なので、これだけは言っておこうと思います、貴方と一緒の人を愛せた事をマリーは嬉しく思います、マリーには持っていないものを持っていた貴方がどこまでも憎くて、どこまでも羨ましくて、そしてどこまで行っても貴方は魅力的でした、マリーは心が広いので最後にこの言葉を送ります、大好きです、本当に大好きです。きっとサチアと来世でも会える事を、マリーは祈ります。

                                  マリーより』

「今まで名前を呼ばなかった癖に…、いきなり呼んで…告白の返事ね…未来予知かしら?」

 別に凄い悲しい内容だった訳でも無い、ただ苦しい訳でも無い、ただただ嬉しかった筈なのに、私の目は雫を零し続ける、ただただ涙が溢れて前が見えなくなる。相思相愛だったんじゃないか、ただ遠回りしただけだったんじゃないか、私は素直になった気でいただけで本気に思わせないように、立ち振る舞っていたんじゃないか。嬉しさと後悔が私の心を満たす、決していい気持ちだけではないけれど、凄く幸せな気持ちである事に嘘は無い。

「私も貴方が大好きよ…、ねぇ?マリー…」

 ただただ誰も居ない事務室に私の泣き声が響いた、廊下に誰がいようと、他の事務室に誰がいようと関係ない、ただただ愛する者を失った悲しみを受けとめる時間を、涙を流す事で紛らわそうとしているだけだ。恥じるべき事ではないとその考えを心に留めながら、私はもう泣かなくていいように、今日だけと心に決めて私は涙を流す。


 ゴミだめから出る事のできた私達に用意されたのは、決して広くも豪華でもないホテルの客室を一室、家族であったとしても私達は血のつながりの無い男女、そして年端も行かぬ妹が一人。何も起こらないなんて筈はなく、帰ってきて私は我慢できずに真っ先に手を出したのは私。何を考える訳でもない、欲求なのだからしょうがない、もう我慢できないだからこそ私は…。

「だーかーらー、作る場所も無いんだから、出前にしようって言っているんじゃない!」

「サチアは、ピザが食べたいだけだろ?ピザなら少し前に作った、それでレニも美味しかったけど当分の間は要らないって言ってただろうが!」

「私はなんでもいいよ…、お姉ちゃん達の食べたい物でいい…」

 レニの明るさは少しだけ失われていた、私は人の命が失われるというのは慣れていたけれど、命が失われるという事を、それも親しい人の死を体験するのは私も初めてだったから。マリーを救う事ができれば、どれだけ良かったことか私にマリーとレニ両方救う力があれば、どれだけ良かったことかと、やはり私は私を許せない。ミライといつも通り喧嘩をすれば私の気持ちも晴れると思っていた、けれど、レニのその顔を見てしまっては、そうは思えなくなってしまう。

「レニ…こっちおいで?」

「嫌だ…一人が良い…」レニは孤独を選ぶ、なぜならレニは大人だから。

「いいから…こっちおいで?」

「いや!一人がいいの!」レニは一人を選ぶ、かつての私の様に、だからこそ。

 嫌がるレニを迎えに行くように、私はレニを抱く。胸で窒息死させる勢いで私はレニを抱き抱える、レニで私の胸の空洞を埋めるように、レニも私で自分の空洞を埋めて欲しい、決して自分の様にはならないで欲しい、自分ただ一人だけが信頼に足るものだと思わないでほしい、自分だけで全てなんでも出来るなんて思わないで欲しい、心の埋め方は明智から教わった、心を埋める相手の作り方はマリーから教わった、心の動かし方はミライから教わった、そして心そのものが在るという事実はレニを初めて見つけたあの日に知った。だから私が教わってきた事をレニ教える、私が姉らしくレニに高説垂れる事ができるのはこの事か、人の殺し方位な物だから、後者は絶対にレニにはして欲しくないから、だから前者だけをレニに教えるわね。

「レニ、よく聞いて…マリーちゃん居たでしょ…白髪のお姫様みたいな子、覚えてる?」

「覚えてるよ…マリーちゃんがどうしたの?」

「マリーがね、今日死んだの」

「…っ……」私に抱き着こうとしなかった、レニの手が私の服を思いっきり掴む・

「私はね悩んだの…一瞬だけどね、レニを救いに行くか、マリーを一秒でも生かすか、私にはその決定権があったから…考えたのよ?一瞬だけれども何十回も何百回も試行して、けれど私には未来の事なんてわからないから、マリーと約束したの、絶対に帰ってきてって、けれどあの子は帰ってこなかった、レニもしたの?モルと約束」

「したもん、レニも…モルちゃんは絶対に戻るって……」レニは必至に涙を堪えている。

「そうかぁ…したのかぁ…レニも約束。それじゃあお姉ちゃんがレニに教えてあげる」

「…?…」今にも泣きだしそうな顔で、こちらを見る。これだけは残された物だけが許される特権だから、誰にもズルいなんて言わせない、文句を言わせない、誰にも笑わせない。

「そういう時はね…レニ、泣くの…泣いて、泣いて泣きわめいて、そうしたら心が少しは落ち着くから、こんな時まで大人ブラなくていい、ただ悲しい時は泣いていればいいのよ」

 レニが必死に塞き止めていた、涙を通さない為の堤防が決壊する、決壊していい、泣いて、泣いて泣きわめいて、泣き終わった時にはきっと、いつも通りに戻れるから、だから今だけは、泣いていいの…。

 ミライは気を利かせて外に出ててくれたみたいだった、ミライにはわからないだろうこの気持ちは、少し誇らしくなると同時に悲しくなる、ミライはいつになったら心を持てるのだろうか、と。


 いつかの記憶を覗き見る、何年前か、それとも十何年前かの記憶、レニと出会う前、ミライと再会するよりも前、ミライと出会うよりも前の記憶。別に良い記憶ではない、けれど悪い記憶でもないと思う。

 物心というモノが付いた時から、私はゴミだめに居た、こんな話は信じられないだろう、あんな法も秩序も無い世界で、年端も行かぬ少女が生き残れる訳が無い、あんな場所に子供を捨て置いたら誰かが助けでもしない限りは、生き残れる訳がないと誰しもそう思うだろう。誰しもがそう思う通りの結果、頭が逝かれていたのか、心が壊れていたのか、それともやはり頭のネジが外れていたのか。今となっては確認する術も無いからこそ、どうでもいいが、そういう頭が危篤な女が何故か私の目の前に居た。

「アンタ名前は、どこの出だい?」

 言われた言葉の意味が分からず、私は首を振る事しかできない、縦にも横にも訳が分からずに首を振る、何一つ学も無く、何一つの利益をもたらさないと知って、女は私を抱きかかえてどこかへ連れて行く。何をされるにも恐怖がわかない、だって何一つ学がないのだから当たり前だ。味を知るには食べなければわからないように、理解すると行為は知識や経験がなければ理解なんてものに至れる訳がなかった。

 女との奇妙な生活が始まった、女はいつも決まった時刻にどこかへ行って、食べられるものを持ち帰ってくる、しかしその量は決して多いとは言えず、女はいつも私にこう言った「今日はこれがわかるようになったら、食わせてやる」毎度毎度内容は違っていたが、ひらがなだったり、算数だったり、果ては刃物の使い方だったり、どこからか持ってきた本を開いて、私に読み聞かせる。その時間は、私には凄く心地の良いものだったからこそ覚えているのだと思う、けれどそんな時間は長くは続く事がなかった。

 人並に言葉を話せるようになった時だった、いつまで経っても女は帰ってこない、けれど女からは外に出るなと言われているから、私は待ち続ける。しかしお腹は限界を迎えて私は耐えられなくなり、女との約束を破り私は外に出た。

 別に私を見限って一人で居なくなるなら、それはそれでよかった、その時の私は決して悲しいという感情を理解できなかったから、心というモノを持っていなかったから。

 外に出て数十mと言った所か、そこに女は居た。傷だらけで、何度も暴行を受けた後があったのを覚えている、ただでさえオンボロな衣服は破れさり、ほぼ全裸と変わらない状態で、顔は腫れあがって酷く醜い顔面をしていたし、至る所で内出血を起こしていた、前々から擦り傷程度ならあったし、顔が腫れている位の事は今まであった。けれどここまで酷い状態は見た事ない、私はどうすればいいのか分からず、女を揺する事しかできなかった、揺らした事が功を奏したのか、女の意識は覚醒する。

 けれど虚ろな目をして、私の胸にたった一本のナイフを突き立てた、突き刺してくれればよかった、けど女はお前が持てと言わんばかり、刃が仕舞われたナイフを押し付ける。そのナイフを受け取ると、女は私を抱く強く、強く抱きしめた。一つ言葉を繰り返して。

「ごめんね……、ごめんね……、ごめんね……」とただただ繰り返す、ごめんとは自分が悪い事をしたときに使うと女から私は習った、だから私は意味が解らなかった。知識も経験も無い私には、女が何に対して謝っているのかが、わからなかった。

 それからというモノ、女に学んだ通りに一人で生きる術を実行した、女に言われた通り、食べる前には、渡された本を読んだ。食べる物、使える物を探し、なんとか生きる日々が続いたある日の事だった、目の前に私と同じ位の身の丈の少年がポツンと立っている。

 私は話しかける。「お前名前は、どこの出だ?」と少年は、言葉は理解できているが、状況が理解できていない様子だった、だから私は女に学んだ事を少年に教えた。ここはどういう場所で、お前はどういう状況で、生きていく為にはお前はどうしないといけないかを、教えられるだけ教えた、少年はあの小さい頃の私とは違って理解できていた、だから理解できたのならば、少年の尻を蹴とばし私の住処から追い出した。それからはまた食べれる物を探して、奪って、使える物を探して、奪って、そんな日常を繰り返した。そしてまた暫く日にちが経った頃、目の前に数日、いや数週間は持つであろう食糧が放棄されていた。私は一目散に手を伸ばす、けれど最悪なタイミングで偶然の再会を、私達はしてしまった。背丈は変わっていたが、間違いなくあの時蹴とばした少年だった。生きていたのかと少し嬉しくもあったが、生憎、私も少年も飢えているのは確かだった、だからこそ私達は殺し合う。それしか自分が生き残る術が無いから、生きていた方がこの食糧を全て取れるという考えのもとで、私達は殺し合いをする。あちらはそこら辺に落ちていたであろう鉄の棒で、私は女に渡されたナイフを片手に殺し合う。

 けれど殺し合いはすぐに終わった、決着がつくというより辞めさせられたが正しいのかもしれない、近くか遠くか赤子の泣き声が響く。おぎゃー、おぎゃーと、その声がする方へ私と少年は歩みを進める、そこに居たのは赤子。その瞬間私は初めて理解できた、あの時の女の感情はこうだったのかと、見つけだした今にも失われそうな命という名の灯を、守りたいという母性とも言うべき感情が、あの時の女を動かしていたのだと私は理解した。

 だからこそ少年と話し合う。この食糧は、否、これからの人生の事についてただ一言。女が自身の命を捨ててでも欲しがった物を、最後まで手放さず私に与え続けようとした永遠にも似たひと時は、恐らくこの言葉を差すのだと今の私は理解できた。

「ねぇ、私達家族にならない?」家族という二文字がどれ程素晴らしい物か、私は名も知らぬ女という名の母に学んでいたのだ、とても美しい心の形だった。


 目覚ましの音が響き毎日設定してある時刻を知らせる、どうやらレニ共々泣きつかれて、眠っていたらしいミライがベッドに寝かせてくれたのだろう、そしてミライは気を利かせて外に出て行ったとそういう事だろう、端末にメッセージが残されている。

「今日は事務所で寝る…か」ミライらしいというべきか、それとも自分も悲しみを消化したかったのか、モルという人間は確かにミライにとって大切な人と言えただろう。

 そしてもう一つのキャプテンから送られて来たメッセージを見て、私の今日の予定は決まった。明智が目を覚ましたらしい、キャプテンが付きっきりだったのか、それとも何か二人で企んでいるのか。

「お姉ちゃん、どこかに行っちゃうの?」レニが起きてしまった、物音を立てすぎたか。

「明智が目を覚ましたの、ちょっと様子を見てくるわね」

「明智さんも怪我しているの?私も行く!」

「ごめんねレニ、今日はまだ会う事はできないの、でも会いたいって伝えておくわ、それとミライを呼んで私達の職場に案内させるわね、それまでお留守番できる?」

「…わかった…でも明智さんに約束しておいてね、また勉強教えてって」

 あの明智が約束を破る訳がないのをレニは知っているのか、それとも少し過ごしただけで解ってしまったのか、本当に私やミライより良くできた子で、本当に凄い子だ。

「わかったわ、約束しておくわね、それじゃあ行ってくるわね」

「うん…行ってらっしゃい、お姉ちゃん」

 私は急ぎ、病院へと向かう道すがらリンゴの一つでも買っておくとしよう、そもそも食べられる状態かすらわかりはしないが、まぁ食べられないならば私が貰うからどうでもいい事だし、まぁ十中八九何か企んでいるのだろう、私はその為の道具にすぎないのだし。

 ミライに連絡を取る、明智と会うから伝えたい事はないかとか、私達はどうするか真剣に考えなくてはならないからと、そして一番重要な事をミライに伝える、レニを迎えに来て事務所で遊んで欲しい旨を伝えれば、明智と会う前の前準備はお終い。

 私は手紙を持っている事をだけを確認して、病院へと赴く。病室に向かうまでにすれ違うのは、今回の作戦で命を落とした人間の身元を確認しにきた家族であったり、生きているのであればお見舞いであったり、そもそも作戦とは全く関係の無い病人だったり、そのお見舞いであったり、或は看護師であったり、医者であったり、この世界規模で見たら小さい病棟の中にも多種多様の人々が居る、そしてその多種多様の人間の中でもとりわけVIP対応されているのが、この先の病室に居る。

 私はノックをせずに、扉を開いた。見られて困る様な物があったとしても、隠していないアンタが悪いと言わんばかりに。

「元気そうで安心したわ…、とても心配したのよ?」

 あんぐり口を開けて、明智とキャプテンは何かのデータやプログラムを物理的に自らの後ろに隠す、案の定何かやましい事をやっていた、キャプテンにはすぐ向かうと伝えたのに、本当に何をやっているんだか。

「やぁ、サチア早かったね、それじゃあ僕はお暇させてもらうよ、邪魔しちゃ悪いしね」

「えぇキャプテン、邪魔をしないで頂戴。それとそんなに見られて困る様な物なら、この部屋で整理してから行ったら?……どう?」

 キャプテンは慌ただしく、端末から溢れ出そうな大量の文字列を急いで隠した。別に見る気もないのだから焦らなくてもいいのに、それとも本当に余計な気を遣っているのかしら?キャプテンのお節介さなら、それもありそうねと私は少し微笑んだ。

「それで、その怪我人は休まずにこんな事をしているのか、教えてくれるかしら?私今言ったわよね?本当に心配したのよ?って」私は天使の微笑みを明智に向ける。

「そのセリフはもう少し、表情に合わせて言った方が効果的だよ、サチア…それじゃあただの脅しに思える」

「そうね、なら言葉を変えましょうか。明智、アナタ学はあるのに馬鹿なの?今は絶対安静って事もわからないのかしら?マリーが居ないと常識も欠如するのかしら?」

 私は少しキレている、マリーが必死に命を賭けて守り通した、にもかかわらず自らの寿命を減らしたいのかと、けれどそれと同時に理解もできた、マリーを失ったからこそ明智は自らのボロボロな肉体に鞭を打ち無理やりにでも体を酷使しなければ、自らの不甲斐なさで自殺を選んでしまいそうなほど、追い込まれているのだろうと。

「悪かったよ、それでもサチアが来てくれて助かった、少し休憩を取ろうとは思っていたんだ、ほんの数時間前に……」

「あっ……そ、まぁいいわ、私が居る間は休むのなら文句は言わない、それとこれ、ハイ」

 マリーの手紙を手渡す、本当は明智が一番先に見るべきものだったかもしれないけれど、お生憎様明智が寝ている間に私が勝手に見てしまったのだが、まぁ文句はないだろう。

「そうか、いつか読んでおくよ」

「今読まないの?アナタに送るマリーの最後の告白よ?」

「もし今、読んでしまっては、奴らを皆殺しにしないと私の気が済まなくなる、それを実行しようと思えばする事もできる、けれどするつもりは無いがね…だってその世界はマリーが望んだ世界にはならない…だろ?」

 望むのならば世界を壊す事だってできる、目の前のこの女はそう語る。それがマリーを、愛する人を失った事による虚勢でもない事を、私は知っている。コイツがどれだけ優秀な人間という事かは知っている、何をしたのかを理解している訳でないが、このたった一人の存在の生き死にで、世界の発展が停滞してしまうという事を私は知っている。

「そういえば今日、明智に言う事があるのいいかしら?」

「あぁ構わないよ、次いでに君の持っているリンゴでも向いてくれないか?お腹が空いた」

 全くこっちの気も知らないで、自分の思い通りに世界に動くと信じて、自分こそが世界の中心だと言わんばかりにアナタは私に、あれをやってくれ、これをやってくれとせがむ、別に私はその事が嫌いな訳ではない、私に心の満たし方を教えてくれたアナタには幾ら感謝をしようが、礼を尽くそうが、願いを聞き届けようが、一切の命令をされようが私はそれがアナタの望みならば盲目的にそれに応じよう。

「おーい、サチアー?はーやーくぅ、剥いてくれよー、ほらアーンだよ、アーン…」

 口を開けて待機する、その姿を見るとこの皮を剥いていないリンゴをねじ込みたい気分だが、今は少し我慢しよう。それよりもやるべき事が今の私にはある。

「剥いてあげるわよ、けれど話をしながれでもいいかしら?」

「あぁ構わないよ、君から話題を振ってくれるなんて貴重な経験だ」

 こちらの振る話題などたかが知れていると言わんばかりに、話半分で聞く耳なんて持たずに昨日得たデータを見ながら聞いている、無視するなら勝手にすればいいし、興味がないのであればそれでいい、こちらも勝手に語らせてもらおうとしよう。

「話したい事は二つ、いや一つかしらね…」

 絶対に話そうとはしなかった事を明智に語る。マリーの死が引き金となったと言えば聞こえはいい、逆に親しい人が死んで初めて明かす事を決めた、私達のただ一つの隠し事を。

「話したい事は私の能力と、ミライの能力についてよ、興味ある?」

「んぅ?それは話さないと言ってなかったか?別に無理して言わなくてもいいんだよ?どうせ特殊能力と言ってもたかが知れているのだろう?」

「そうね、たかが知れているわ、ただの過去改変と未来予知よ」

 明智の瞳に僅かな動揺が映る、その本質は何を言っているんだ?という摩訶不思議な物を見るような奇異な瞳でこちらを見る。そんな事はあり得はしないと言わんばかりに、明智は見ていたデータなど捨て置き、痛みで碌に動けもしない体を無理やり動かし、私に問う、一体どういう事なんだと。

「それは……どういう意味かな?」

「だから言っているでしょ?私は過去を改変する事ができて、ミライは未来を知る事ができるのよ、意味はわかるでしょ?」

「そんな非科学的な事が信じられるとも…?」彼女は動揺を隠せない、だってその言葉がもし本当の事であるのなら、恐らく自ら考えている事は実行出来る筈だと言わんばかりに。彼女は私の胸ぐらを掴み、睨みつける。

「どうせ証明をした所で、アナタには認識できないのよ、どう説明するかを今考えているの…よっと」私は明智の口に、剥き終えたリンゴを口に放り込む。

「この食べる部分の無いリンゴを、どう食べろと言うんだい……少しはだね…」

「ワルカッタワネ、下手くそで…残念ながら私はマリーとは違うのよ」

 いったい皮の剥くだけでどうしてこうなるのかと、明智は愚痴を漏らす。そんな事を言うのであれば、自分でやってくれって話だというのに、態々やらせたのだから責任取って食べきって欲しい、でもまぁいい機会かもしれない。

「ちょっと待てサチア、その木彫りの熊はなんだい?リンゴなのか?」

「ソウヨ、貴方が食べる場所がない事に文句を言ったんでしょ、だから私がこうして、食べられる場所を残してあげた訳、わかった?」だから私は安易に証明しようと試みる。

「私が文句を言った?何の話をしているんだ?」

 ほら、やっぱり貴方には認識できないじゃない。この世界でただ一人、私だけが認識する事のできる過去改変能力、貴方が証拠を見せて欲しそうな顔をするから、折角してあげたというのに…。嫌になっちゃうわね、本当に。過去改変だってただじゃないというのに。

「貴方が疑ったから、見せてあげたのよ、過去を改変する力の一端をね」

「サチア、君は一体何を改変したんだ?」未だに信じられないという顔で明智は問う。

「リンゴの形」

「は?」ぽかんと明智は口を開けた。

「だから、リンゴの形」

「えーっと、つまり?」やはり明智は口を開けて、肩を落とす。

「だから貴方がリンゴの食べる場所がないって文句を言ったから、食べられる場所を残してあげたのよ?感謝しなさい?」

「あー、えっと、少し考えさせてくれ」

 考えても認識できないのだから、理解はできないと思うのだけれども…けれどこの天才であれば、私の実情なんて簡単に見破ってしまう可能性もあるかと、暫く頭を悩ませる明智を見て、私は暇を潰す、こんな姿マリーにも見せて見たかったと思いながら。

「質問いいかい?答えにくかったり、意味が解らなかったら別に答えなくてもいい」明智は純粋なともいうべきか、それともただの知的好奇心化か、それを私に向ける。

「別にいいけれど、そんな難解な物でもないと思うわよ?」

「まあ、そう言わないでくれたまえよ。例えばそうだね、君はマリーを好いていたのに、何故過去を変えてマリーを救わなかった?それともう一つ、何を持って過去を改変したと言える?私の気になる所はそこかな」

 何故マリーを救わなかったか…それを答えるのは少し心が痛む、けれどそれを答えなければ、明智は私を許さないだろう、そもそも許す、許さないの問題でも無いかもしれない、でも答えないという選択肢を取った私を愛する事はもうないだろう、それはしょうがない事だと割り切る事もできるが、それをマリーは許さない、だから明智が知りたいというのであれば、私は全てを語ろう。

「マリーを助けなかった理由は…単純な話よ、私が私である為にはレニを守らないといけないの、レニを救えない私は私じゃない、レニを救うという選択肢を取らない私の事をマリーは好きになってくれない、それだけよ」

「レニ君を救えないサチアはサチアではなく、そしてマリーも好きでいる事はできないか…まぁ納得は難しいが、理解する事は検討しよう、それでもう一つの質問はどうする?何を持って過去を改変したと君は答える?」

 それが一番難しい質問なのだが…、何を持って過去を改変と言うか…か、証明はできないし、実際に見せる事も不可能なのだがどう説明したものか…。サチアは頭を悩ます、それ程の学も無いので、いい案というモノが浮かんでこないし、説明しようにも言語化をする事が難しい。

「何といえばいいのかしらね、説明する事は難しい事ではないのだけれど…、要は世界を無かったことにするって言えばいいのかしらね?」

「なんで君が疑問形なんだ」君が疑問形でどうするんだと言わんばかりに、鮭を咥えた熊の様な形をしたリンゴで、私を突くように攻撃する。食べ物で遊ぶなと言ってやりたい所だがその気持ちをサチアはぐっと我慢する。

「まぁ凡その仮説は出来た、もう大丈夫だ。ここで私なりの推理をしてもいいかい?偶には探偵らしく…ね」

「探偵らしくって、アナタは別にそういう探偵じゃないんでしょ?」

「そうだね、私は日本の探偵らしくモノ探しや実態調査が専門の探偵だよ、そもそもシャーロック・ホームズや、明智小五郎、金田一耕助の様な探偵が実際に居るのも、私はどうかと思うがね」

 確かにとサチアは頷く、あんな生きているだけで難事件や犯罪者と言う名のライバルが立ちはだかる人生は御免被りたい、私が望む人生は普通にレニと暮らして、マリーを好きでいて、明智と愛し合って、キャプテンに勉強を教えてもらって、ミライと喧嘩する、私にはそれだけで十分だった、十分だったのに、その日常も崩壊の一途をたどり始めている。

「その実態調査や探しモノ、いい加減、依頼を受けるの止めたら?そんなに探していると人間がもっとダメになっていくわよ、きっと」

「そうかい、私はそうは思わないよ、私の探しモノで多くの飢えが解決して、生産性が上がって、これまた私の探しモノで住処に困らなくなり、私がした実態調査で沢山の人が長く生きられる世界になって、沢山の人が思い思いの生活を手に入れている、いい事じゃないかい?」悪びれる様子もなく、100%善意で明智は返答した。それがダメになっていると私は言っているのだけれど、やっぱり天才には普通の人間の考えなんて理解する気も無いのかもしれない、それが悪い事だとは思わないけれど。

「それよりもだ、君の能力の仮説、そしてその推理だね」

「あぁ忘れていたわ、全部あっていたらご褒美のキスでもしてあげましょうか?」

「ほう、それはいいご褒美だ、俄然やる気が湧いた」

 サチアの言葉に明智は燃える、萌えると言った方が正しいのかもしれない、やはり明智はどこまでいっても万年発情期の兎だった。

 そして明智は紡ぐ、私の能力についてを、私がどのように能力を行使して、どのような結果を得ているかを語り出す、過去改変と言う文字からも想像できる内容ではあって簡単な問題かもしれない、けれども確かにほぼ全て正解と言っていい内容だった。

 私の能力である過去改変、起こった今までを否定する能力。けれどなんでもかんでも自由に改変できる訳ではなく、私の行動で変えられる範囲でしか世界を変える事はできない、私という一個人にしかその改変した世界には気づく事ができない。けれど私の手が届く範囲であるのならば、世界を壊す事だって可能な能力だ。

 デメリットがあるとするのならば、発動できるリミットは半日前まで、明智は過去を変えられるのに、マリーとレニ両方救えなかったのは何かしらの、制約があったからと推理した。正直驚いた、私の全てを見透かされているようで少し気味の悪さを覚える程に。

「本当に驚いたわ、殆ど正解…冗談半分で流されると思ったけれど、こういうオカルトちっくな事にも興味はあるのかしら?」サチアは冗談めかして明智に問う。

「ただの推理…いや、妄想だよ、過去改変というモノが実際にあったとして私が神ならば、どういった能力にするかっていうね…、でも殆どって事は違う事もあるのかい?そうだなぁ言うなれば……」明智は私の顔をじっと見つめる、見つめる事で何かが分かるのだろうか?そんな見ただけで全てを見透かされる程単純でもないと思うのだが…。

「私が語り足りていない効果が残っている?いや副作用、デメリットの方か、それを私は言い当てる事が出来ていないと言う訳だね?」

 本当に驚いた、何故見ただけで私の内情を次々と言い当てる事ができるのか、それが私には理解できない。けれどこれはきっとタネがあるんだろう、私の摩訶不思議能力とは違って、確かな知識と観察がなせる技術なのだろう。

「私の技術が気になるかい?」やっぱりこちらを見透かしている。

「えぇ、それなりには…ね」気にならないと言えば嘘になるが、別に知りたい訳でもない。

「教えてくれと、せがみ、私に身を委ね、抱かせてくれるというのであれば、教えてあげよう」完全に調子に乗っている明智を後目に、サチアはキャプテンと企んでいたであろう端末を盗み見る「ちょっとぉ、私のこの技術知りたくないのかーい?」と嘘泣きをしながらこちらをちらりと私を見た、けれどだからこそというべきか、私は無視を決め込んだ。

「それでミライの能力の説明がまだだったわね」

「えぇー、仲良くイチャイチャしようよぉー、いいだろうー?」

「貴方が完治したらね、その時は情熱的な夜を楽しみましょう?」

 妖艶な笑みを明智に向ってサチアは浮かべる。その姿は淫魔の如くかそれとも、欲に溺れた獣かは私には鏡が無いため知る事はできないが、明智の表情が私の表情の答えだろう。

「今はそれで納得するよ、それでミライの能力が未来予知だって?それはまた安直な能力というべきか、連想ゲームの様にそのまんまというべきか…けれど未来予知というだけなら、私にもできる。それこそ本業ではないが探偵という職業をしている以上磨かなければいけない技術である、これから何が起こるかっていう予想に過ぎないとは思うが、私のそれはかなりの精度だと思うよ?」

「そうでしょうね、貴方ならじゃんけんをして次に何を出すかを当てるなんて、朝飯前でしょう?」嘘偽りの無い、忌憚なき意見をサチアは明智に話す。

 明智の言う通り、予想であれば決してミライでは明智に勝つことができるのは千か万或いは、億と兆の可能性に一つだろう、けれど次に何を出すかの予想ではなく、最終的な軍配がどちらに上がるかという問題に限り、明智がミライに勝つことは、例え無量大数の試行回数があったとしてもミライが明智にわざと負けるという選択肢を取らなければ、明智の勝率は完全に0だ。

「けれどミライと明日何が起こるかという、賭けをしてミライがその気になったら、明智、貴方に勝ち目は0よ」

「随分と今日はミライを持ち上げるんだな、いつもなら私を贔屓目で見てくれるというのに、そのミライが持つ未来予知がそれ程までに絶対的だと?」残念ながら、その通り。

「ミライの能力はね、使えばその未来を確定付けちゃうのよ、だからむやみやたらに使わないし、使えない、未来を選別する資格があるのに一つの選択肢を確定したが最後どうあがいてもその未来以外には辿り着かない、どんなに自分の動きを変えようと、周りの動きを操作しようと、確定してしまった未来は変えられない」自分で語っていて嫌になる、どうしようないくらい異常なまでに強力な能力なのに、どうしようもない位に真っすぐで、ミライそのものみたいなミライだからこそ発現した、未来を確定させる能力

「けれど弱点もある…そうだろう?」また考えを読まれた、こっちはこっちで嫌になる。

「そうね、弱点らしい弱点でもないし、そもそもその弱点は私にしかつけないけれど、そのミライが起こる可能性を0にまでしてしまえば、確定した未来も存在しない」

「君とミライ、過去と未来、君達は家族なのに何から何まで反対だねぇ、それなのに仲は良好、しかもレニ君を想いという所も一緒。自分を構成する要素は反対なのに、何故内面は同じなんだろうね?」面白いモノを見たかの様に明智は微笑む。

「その目…不愉快なのだけれども…まぁいいわ」

 明智の言っている事は真実だ。私は料理が下手で、ミライは料理が上手。掃除は逆でミライは壊滅的で私は天賦の才を持つ。読書は、私は苦手でミライは好き。私は映画が大好き短い時間で物語に入れるから、けれどミライは映画が大嫌い暗いし音がデカいから。近接戦が私は滅法強く、遠距離はミライの専門、何から何まで間反対だ、けれどきっとなによりも大事な物ははっきりしている、家族の事が一番大事それだけは同じ。それが私達だ。

「私達は真逆なのよ、人生も、生き方も、趣味も、何もかも、変わらないのは家族愛それだけよ、それだけで私達は生きてきたから、それ以外は別にどうでもよかったからね、本当にどうしてここまで真逆になったんだか…」私は苦笑いをしているだろう。

「サチアは気づいていないようだけど、君達は肝心な事を忘れているんだね」

「忘れている?何をよ」別に気に触れた訳では無いが、知らないんだと言われるとムッと思ってしまう、明智は私達が少し子供っぽい所が一緒とでも、言うつもりだろうか?

「教えてあげたい所だが、私がそれを教えても君達の為にならない、精々悩んで自ら気づくんだね。初歩的な事を見落としているというだけさ、胸に手でも当ててじっくり考えればすぐにでもわかるだろうさ」そう言われサチアは自らの胸に手を当てるが、明智が言っているのは恐らくそういう意味では無いのだろう、けれど私は一体何を見落としているのか、魚の骨が歯に挟まった程度には気になる事だった。

「それよりも…だ、サチア少し手伝ってくれるかい?君にしか頼めない事なんだ…いいだろう……ね?」明智は満面の笑みを浮かべながら見つめるが、何か嫌な予感がする。

 コイツが猫なで声で、媚びるような表情を浮かべた時、そんな時は碌な事にならない、私はそれをマリーという被害者を見て学んでいた。そして私はその声で靡かれるように従わずにはいられない、マリーがどういう気持ちだったのかが少しだけ分かった気がする。

「わかった…なにをすればいいの?貴方を殺すか、レニを殺せって言う指示以外ならば、従ってあげるわ」

「残念!その私を殺すというのが、今回の君にしか頼めない事なんだよ」

「ハァ!?」予想もしていなかった事を言われ、サチアはあんぐり口を開き、開いた口が閉じる事は無かった、本当に何を言い出すんだコイツと言わずにはいられなかった。

「これから世界を脅そうと思うんだ、君も好きだろう?脅しだとか、拷問の類は」

「別に好きになった事もないし、公衆の面前で行った事も無いわよ、失礼ね」

 人の事を何だと思っているのかと問いただしたくもなる、嫌いでは無いが別に好き好んで、そういった行為をしたことが無いというだけだ、真実では無いが嘘という訳でもないので否定ができないというのが少し辛い所だけれども。

 そう私が考えている内にせっせと何かの準備を始める明智を見て、コイツはもう止まる気が無いのだとわかってしまう、マリー失った事がきっかけというのは分かる、だからこそなのか、それともそれ故になのか、ブレーキを踏む事拒否した明智は誰よりも孤独から最も遠い人間関係を築ける人間なのに、誰よりも孤独に近く、恐れていた。

 明智は自身の座っているベッドの前に、端末より送信された映像を虚空に表示させる。どれだけのタブを表示させるのか、そもそも何を映そうとしているのかと、サチアは考えていると自らの端末にも設定している通話のコール音が鳴り響く、表示されたタブを全てから同じコール音が鳴る、騒音極まりないがやりたい事は大体わかった、世界を脅すというのもはったりではなかったらしい。気乗りはしないがサチアは明智の言う通りに動く事にする、世界に喧嘩を売るこの馬鹿を守るというのは、努力はするけれども、マリー…余りにも酷な命令じゃないかしら、ねぇ?と言うように私は少々の苦笑いを浮かべ回顧する。

 明智は相変わらず、物騒な事を言っている割にはニヤついている、今すぐその横頬をぶん殴ってそのにやけ面を今すぐ正してやりたい所だが、何とか矛を収める事に注力していると、明智は私にハンドサインを送る、やれる事にはやれるが本当にいいのと思ってしまうが、明智にとっては然程重要ではないらしい、だからこそ明智が自らのこめかみに指で作った銃を向けたように、私は本物の銃を明智のこめかみに向けた。

「これでいいの?脅しって、貴方が脅されるのかしら?」コール音が徐々に消え、次々とニュースで見た事があるような、無いような顔が表示されていく、けれどこちらはまだミュート状態、この人数全員が応答するまで待つ気なのかしら?サチアは、気乗りしないながらも手伝いを易々と引き受けた事を後悔しつつあった。

「あぁ私が撃てと命令したら、私のこめかみを撃ち抜けばいい、君がやるべき事はそれだけだよ」冗談でもない、これから会話する為のブラフでも無い、この行為に自らの命を賭ける意味はあると言わんばかりに、明智はニヤけながら私に語る。

 長い時間がかかると思っていた応答待ちも、明智の言葉が終わった直後に終わりを迎えた、ミュートは解除され一斉に何の言語かわからない、言葉の濁流が流れてきた。

「各国の首相、大統領、国王並びに、国家主席それと総督に最高指導者の諸君、おはよう、こんにちは、あるいはこんばんは。そう騒がないでくれたまえ…それと私が作った、自動翻訳のシステムどうだろうか?私の声で翻訳される、私だけが使えるシステムなのだが、どうだろう?まぁ欲しかったら改良して売ってもいいが…今日は商談ではないからねぇ」

 明智は飄々と語る、語り掛ける相手達は嘘の様に壮大で、なのに内容は子供が考えたと言ってもいい自分勝手な自慢話、それを相手方もわかっているのか、怒号、悪声、老い声様々な種類の声が聞こえる、けれど結局の所彼らの言いたい事は一つだろう、そのたった一つを私にもわかる言語で言い表す人間が居た。

「一体何が言いたいのか、簡潔に話してくれるかな?明智君、私は君に恩義は抱いているし、君の偉大さも理解しているつもりだ、だが何故今このような遊びをする?君も一関係者で現状がどれほど危険水域に達しているか理解しているだろう?」明智に話しかけたのは日本の首相、この騒動が起こるきっかけになった事件の第一の標的、そして私が能力を使用し過去を改変して、生存する事が出来た人間の一人。

「えぇ理解しています、だからこそなんですよ、首相」

 先ほどまでのにやけ面は消え失せ、その表情は道端にいる迷惑者を見るような眼つきだ。

「今から貴方達にするのは私の一方的な脅しです、今から言う事を実行してもらいます」

「脅し?明智君、君は我々に何を望むんだ?」

「国、個人でも構いません、ここ数年に置ける明らかに違法な人体実験のデータを私に全て渡してもらいたいのです、どうでしょう?」

 ざわめく様な声が大多数を占めている中、意を決して明智に反発するような声色を出す人間が数人居た、当たり前だろう。ここでデータを提出するという事は、我々は非人道的行為を行ったという証明に他ならないという事、だからこそ明智はこれを脅しだと言っているという事を、サチアは今になって理解する。

「えぇ、勿論反論があるのはわかっていました。けれど最初に言っているじゃないですか、これは脅しであると、私に歯向かうという事は私という一個人を敵に回すという事と同義とお考え下さい、それでも情報は出せませんか?」

 それでなお反発する声は止まない、たかが小娘一人を敵に回す事の何が問題なのかという事を反発する者達は、理解できないのだ。私もあまり理解はできていない、けれど最終確認の様に明智は反発する者達に問う。

「データは渡さない、一国を背負う者の意向、国民の総意という事で承諾しました。ではさようなら、殺しはしません。けれど見せしめは必要です…、キャップそういう事だ、頼んだよ手筈通りに、といっても反発した人間は全員予想通りだったが…」

 各国のお偉いさんが表示される画面にそれぞれの言語で大量の文字列が並ぶ、私にはどういう意味か理解できない、けれどそれが特異点とも言われる明智に逆らった者に下る罰という事は理解できた。

「今表示された物は、今反発した国の私が公平に分配した研究結果やその国しか教えていない医療技術、軍事情報その他諸々です、隠し通し自国のみが優位に立ち回れる武器を全世界に公開しました、これで全世界に平等に技術と知識が行き渡しました。そしてもう一度問いましょう、私に協力してくれますね?」

 反発した国の、その国しか持ちえない自身が渡した優位性を明智は全て公開する、その結果聞こえるのは、反発した国が放つ阿鼻叫喚、そしてその行為に恐れる様に次々と協力を証明する為、データを至急集めろと掛け合っている様にも思える光景がそこには広がる。誰も逆らう事のできない人類史上最高の天才、それが明智だという事を証明するように。

 けれど一人が疑問を呈した。それを明智は私にも解るようにか翻訳してくれる。

「それに応じる事のメリットですか…、確かにこれではただただ貴方達が苦しむだけだ、だから私は、私という人質を用意していました、誰一人私に協力しないのであれば、隣の彼女に頭をぶち抜いて貰う事でこの世界の発展を止めるつもりでした、けれどそれじゃあ割にあいませんね、だからこうしましょう私は公平主義者です。私は死ぬときは自らと同じ存在を用意し、世界を破滅に導こうと思っていました。私がこの世界に尽くしたのだから、私がこの世界に害を振りまかなくては公平ではないでしょう?その計画を未来永劫執り行わないというのはどうでしょう?100年先の進歩を300年前の後退にしない、未来の保証を持ってこの交渉を終了させていただきます、では…データを待っていますね?」

 通信は途切れ、映っていた映像は全て端末へと戻っていく、私は大きくため息を吐いた、とても疲れる事に人を巻き込まないでくれと言いたいが、そうしてまで手に入れたかったデータで一体何をするつもりなのだろうか?

「目的は達成、十数国が発展失敗国の仲間入り、そして公平主義者として振る舞いを改める、ここまでして貴方は何をするつもりなのかしら?」

 サチアが呆れた様子で明智を見る、そこには先ほどまでの真面目な表情をした人間は居らず、居たのは復讐心に溺れ、今にも研究に取り掛かるべくベッドから、体を起こそうとする馬鹿だけ、その体が崩壊しようと自らの意志を捨ててでも前に進む、天才の姿。

「結局は君達の同類が暴れているというなんだろう、マリーの死体も明らかに不自然な場所が幾つもあった、特異性の進化、特殊性への変異、そんな感じの不自然がね。だから私は考えた、そこまで人間を逸脱しているのならば、サチア君達だけを殺す兵器を私は創るよ」成程私達だけを殺す兵器それは、大層な物だ、その為のデータね…。

「それより?マリーは全員殺せたのかしら?追手は無いとしか聞いていないのだけれど」

「あぁ、マリーは敵を全滅させたよ一人残らず、一歩も引かず、一歩も進ませず、君の様な超人達の情報の欠片すら残さず、本当に規格外な事をやってくれるよ…まったく」

「そう、それは安心したわ。それともし本当に完成したら教えて頂戴、その時は私もミライも一緒に殺してくれると助かるわ…、居ない方がいい人間を残す意味は無いでしょう?」

 言葉を言い終えた瞬間、爆音と共に、病院からそう遠くないビルが崩れ落ちる光景が目に入る、漸く彼らも世界を本当に変えるつもりになったのか、もししくはまたゲームなのか、それはどうでもいいが、レニの安全が保障されていない以上、私は戦う。レニの為に、明智の為に、そしてマリーの為に。

「ミライにレニを此処に連れてくるように、連絡をお願い。私は前線を張るわ」

「わかったよ、あぁ忘れていた。サチア少しこっちへ来てくれるかい?」

 なによ…こんな忙しい時にと思いながらも、明智の視線に立ち傍による、これはマリーの願いだから、私が代わりに叶えるべきだと思った。明智は私の唇にキスをする、そのキスの時間はいつもより長く感じられる物で、言葉にしないながらも伝わってくる、明智の叫びが伝わってきた、誰よりも孤独を嫌う者の泣き叫ぶ様な切望が。

「それじゃあ、帰ってきたら続きをしようか…約束だ…」

「そうね…約束しましょうか、帰ってくるわ…必ず…」

 マリーが果たす事の出来なかった約束を、私が代わりに果たすために私は必ず帰ってくる。レニとも朝会ったきり、ミライに至っては昨日から会っていない、別にミライとは何日も会わなくても大した精神的ダメージは無い、けれどなぜだろうか?それでも何故かミライに会いたい気がしたから。

 ミライに思いを抱いた時に、ふと過去にした約束を思い出す、殺される前にどうしても叶えたい事があった、どうしても行きたい場所があった、確かレニと約束した気がする。

「それともう一つ約束、全部終わったらレニと南国に行く手筈、貴方の権力でどうにかして置いてね、殺すのはその後でお願いするわ」サチアは明智の返事を聞かずに外へ出る。


 サチアは爆心地に向い走る。逃げ惑う人々とすれ違い、権力の象徴のように、明智という天才に公平に分け与えられた建設技術を使った無駄に高い高層ビル、そんな構造物で都心部を固めるから被害が広がるんだ、いくら地震対策が完璧な構造物だとしても、現在の外敵要因からの攻撃を防ぐことのできる防衛機構でも内部から破壊されてしまえばこんなもの、この間のボマーの様に内側か生まれ出た存在の対処ができないという事を学ぶには、少々平和な時間が長すぎたのだろう。

「キャプテン聞こえるかしら…敵の人数と私の同類かどうか」無線を繋ぎ応答を待つ。

『聞こえた…、人数は不明、けれど大規模ではない、サチアはどうする気だい、明智という司令塔が機能しない以上君がリーダーになるべきだと、僕は考えたんだがどうだろう?』

 サチアは少し微笑む。頭脳ならば明智より秀でる者は居ない、だからこそ私達の行動は明智という司令塔に制御されていた、その頭脳が他の事に夢中になっている今、次に頭の良いキャプテンこそ指揮を執るべきだと、私は思うのだがキャプテンの優しさでは、後手に回ってしまうという、自分を理解しての行動だろう、少なくてもミライに任せるよりは分の良い賭けだ。

「キャプテンは負傷者の救助、並びに二次被害の対処をお願いするわ、それとミライの準備が完了したらテキトーな狙撃ポイントに運んであげて」

『了解した、我々は救援、遊軍として立ち回るという事であっているかい?』

「いえ、私は敵の大将を殺しにいく、多くの人員を無駄にあのゲームに割いたのだから、今こそ本丸が出てくるには丁度良いと思わない?」

 そのゲームですら、こちらはボロボロになっているというのが現状であるが、少なくても私は死ぬことの無い都合の良い人間だ。故に私だけが前線に出て、本当に居るか可能性が分からない、故に前線に出ていくにはこれ以上ない人材という訳でもある。

『爆心地への最短ルートのマップは居るかい?サチアは明智の家以外に興味を持ったことはないだろう?それと火力支援が必要になればいつでも僕に通信をくれ』

「了解頼りにしているわ、キャプテン。マップもお願い、全くこの街の初一人観光がとんだ厄日になったものね、本当に…マリーなら簡単に連れてくれってくれるのに」

『ハハッ、確かにマリーはデートコースとして街並みを覚えるのは得意だったな、この非日常を終わらせてマリーの墓も立てないといけないからね、死ぬなよ?サチア』

「お墓を今時立てるの?土地代だって馬鹿にならないわよ?まぁいいわ、その時はキャプテンが多めに出して頂戴ね、言った事の責任は取りなさい…約束よ?」

 キャプテンから送られてきたマップを頼りに進む、本当にお墓を立てるつもりなのだろうか?50年以上前は珍しく無かったと聞くが、けれど今時お墓なんて偉人と呼ばれるような人しか立っていない気もする、それこそ明智が用意したスケープゴートの様な人間にのみ用意される物だと思っていたが、キャプテンの価値観は少し古い気がする事も後で聞こうと思う、まさか僕は過去からタイムスリップしてきたとでも言うのだろうか?いや、キャプテンならばあり得ると私は笑う。あぁ今日は実にいい厄日だ。

『僕がお金を出すのはいいが、何がそんなにおかしいんだい?』

「いえ?キャプテン、貴方一回、私達以外と会話した方がいいわよ、きっとね」

 キャプテンの返答を待たずに、通信を切断する。それはキャプテンに対し嫌味を言ったという自覚があるからでは無い、どちらかと言えば私の今の言葉は100%善意だ。けれどそれでも通信を切らざるを得ない状況と言うのは、どういう状況か?答えは単純だった、接敵その二文字で表す事ができる。

「貴方達が実行犯兼幹部では無さそうね、囮?時間稼ぎ?まぁどちらでもいいけれど…」

 ナイフと銃を構え、静の状態から、一瞬で動の状態へと移る。マリーがよくやる動きを私になりに真似をして出来るようになった、そこに殺意を加えてやればいとも簡単に、動かぬ骸の完成という訳で。戦争に長期戦は存在するが、殺し合いに長期戦は存在しない、殺し合いは、殺し終わるまで生き残るか、殺されて終わり死に絶えるか、究極に行ってしまえばその二択だ。その間に挟まるのは、殺すまでの動作と、殺してからの動作、そして殺された時の動作だけ、その三つしか選択肢が無いのに長期戦など起こる筈がない、それこそ映画や漫画の超人達だけが、殺し合いを長期化させる、その資格を有するのだろう。

「貴方達の相手をしている程…暇じゃないの」

 サチアが賊の群れを通り過ぎたという事は、サチアが生き残った事を意味し、賊が死した事を意味する。あっけないという言葉はこういうタイミングで使うのだろう、けれどそれを使う時間を許してくる程、賊も暇を与える気は無いらしい。きっと爆心地に賊の本丸が居る、それを結論付けるには十分な賊配置だった。

 改変すら必要ない雑兵、取るに足らない相手こんなものでも集まればマリーを殺せるらしい、この程度の練度でマリーを殺せるというのならば、マリーはもっと早くに死んでいるに違いない、だからこそ腹が立つ。

「殺す気も無いのならば、そもそも前に立たないでくれる?邪魔なのだけれど」

 私を誘っているのか、それとも本当にあのゲームで予想以上に戦力が散っていったのか、私としては後者であって欲しい、とっととこのテロリストを壊滅させて、ゆっくり暮らしたい、それは許されないというのは分かっているけれど、自嘲気味に私の為に用意された道を歩む、だってそうでしょう?ミライの様に未来が解る訳ではないけれど、きっとこれは罠なのだろう、私を呼んでいるかは知る由もないが。

 立ちはだかる賊の姿は見つからず、けれどサチアは確かに爆心地の中心へと誘導される、来る賊を拒まず、逃げる賊は許さない。世界を敵に回した馬鹿なのだから、それ位の覚悟があって、サチアという死神を通し自らの死を切望しているのか、それとも最初に語った通り世界に復讐するべく世界の味方をするサチアに一矢報いようとしているのか、どうにもそれが目的にはやはり思えない、賊の目的が一向に見えてこない。けれどそんな事を考えるのもこれでお終い、爆心地の中心には人が居た。

「マリー?」

 間違えてしまう程に第一印象は似ていた、幸薄そうな顔をしていて、白髪で、どこまで言っても人生には絶望しかないと考えていそうな雰囲気。話してみればマリーは人生に希望しか抱いていなかったし、そもそもよく見ると賊の正体は男性だった。だからこそ私は問う、貴方は誰かしら?と。

「貴方が私を、態々招待してくれた、ご本人という事でいいのかしら?折角ラブレターを渡してくれたんだったら、名前くらいは覚えておいてあげるわよ?」

「嬉しいねぇ、そのお熱い目、誰と間違えたのかな?泥棒猫さん」

 その名前を呼ばれるのは心外だ、第一私は何も奪っていないし、そもそもその名前をマリー以外から言われるのは、心底腹が立つ。それこそ持っている銃のトリガーが軽くなってしまう程には、その言葉を見ず知らずのお前に呼ばれる程軽いモノでは。

「ないのよ!」

 銃声が響き、心臓を二発の銃弾が貫く。確実に普通の人間ならば死んでいる、貫通だってしたはずだ、けれど相手の男はピンピンしている。

「そんなに血相を変えて、銃を撃つなんてどうしたんだ?」

 それどころかサチアが喀血してしまう、意識が遠のき胸に違和感が湧く、胸に穴でも開いているような感覚に陥るが、胸を触っても決して穴が開いている訳ではない。けれど口から溢れ出る血は止まらない、ダメだ。一度過去を変えよう、もう一度確認する為に。

 銃は撃たずに、一度気になる事を解消しようと思う、コイツがどこでその呼び名を知ったのか、それを知れればコイツに思い残す事は無い。

「どうして、その呼び名を知っているのかしら?私何も盗んでいないのだけれど?」

「そりゃ、ずっと言っていたよ?『帰らなきゃ…泥棒猫と約束したから』って足も腕も無いようなモノなのに、地べたを張って行っていやぁ醜かったねーゴキブリみたいでサ」

「あぁそう、それだけ聞ければ満足、じゃあ死んでくれる?」

 今度は確実に脳天を狙い、銃弾を発射する。即死であるのならば何かをする暇もないであろうと予測しての行動だったのだが、これでもダメなようだ私の脳が崩れる感覚が残り、私の体は力なく前に崩れる、連続で使うと後が怖いというのに。では過去を改変しよう。

 脳内にグチャグチャとした感覚が残り、吐き気がする。死んだという記憶が残るというのは嫌な事だ、初めての経験ではないけれど、脳をああも壊されるのは初めてだった。

 サチアは考察する、相手の手品の種を見破る為に、けれど情報が足りない相手を行動させていないのだから、当然かもしれない。だから今度は殺さない程度に、殺す。

「ねぇお前の名前を聞いていないのだけれど、死ぬ前に教えてくれないかしら?」

「僕の名前かい?嬉しいねぇ同類にそんなに興味を持ってもらえるなんて、僕の名前は…」

 即座に接近し、四肢の関節を斬り裂く、失血死させない程度に痛めつければ、口を割るだろうか?そう簡単に行く気がしない、何より私がお前の代わりに死んだ理由がわかっていない、死を肩代わりさせる能力か、受けた攻撃を反射させる能力か、その二択だとは思うのだが、果たしてどうなる事やら死ぬのは余り好きではない、誰だってそうか。

「あぁー、まだ名前も言っていないのに、どうしてそういう風に攻撃的になるかなぁ?」

 ダルマになったのは私、スーツの下からは血が滲んでいないというのに、恐らく相手を刺した場所と同じ所が内部でスッパリ斬れている。賊は立ち上がる事ができずただ地面に伏せる事しかできない、私の背中に乗りながらこう言い放つ。

「僕達は同類だって話言ったでしょ?同じ様に人体実験によって、特殊な力に目覚めた、新たな新人類なのに、世の中からは迫害され隔離され、そんな人間は居ないように扱われる、それっておかしい事だと思わない?」

「少なくてもお前の様な人間が居るから、迫害され隔離されるのよ、それもわからない低能だからこんな無謀なテロを起こしたのかしら?それと女性を尻に敷くなって教わらなかったかしら?重いのだけれど」

「はぁ…自分の状況もわからない人が、僕と同じ様な新人間とは残念だよ、冥土の土産に名前は教える、プラント…名前だけでも憶えて死んでね?きっと地獄で良く聞く名前になるだろうから」プラントと名乗る人物は、サチアの喉笛に先ほどまで私が使っていた刃物を宛がう、人の物を使う時は了承くらい取ったらどうなのかとも言いたくなったが、私はこの言葉をプラントと名乗る人物に送ろうと思う、決して嘘ではないこの言葉を。

「さっき、会いましょう?プラントさん?」意味も解らないお前の顔を見るのは痛快だ。

 喉元をざっくり切られ、血が大量に溢れる死ぬ感覚というのは、どうにも慣れない、慣れてしまっては、きっと死んでいるのと一緒だろう。過去を改変しよう。

 喉元を確認するが、斬られていない、先ほどよりも若干離れているのは、動けなくなるという事を改変したからこその判断だろう。けれど死ぬ感覚という雑念を払い、再度攻撃を仕掛ける、今度は急所を狙わない、擦り傷の様な傷でもない傷を残す。

「どうしたのかしら?反撃しないの、プラントさん?」

「どうして僕の名前を、君が知っているのかな?僕は口を滑らせたかな?」

 動きに若干の動揺が入り、思ったよりも深い傷がプラントに入る。

「えぇアンタは口を滑らせたのよ、自分の事を新人類なんて言ったりして、笑わずにいる事で必死だったわよ…っと」

 サチアは擦り傷を作る作戦を切り替え、一度ナイフを突き立て腹部を刺突する、内臓を壊す勢いを持ったまま連続で、放っておけば失血死するだろうという致命傷を負わせる。

 けれどプラントは全く気にも留めず、逆に私の腹部や手足に痛みが走る、これで確証がいったプラントの能力は自らの傷を他人に移す能力であるという確証を手に入れた。その対象を選ぶのがプラント本人だとしても、私を選択するという事を私が過去を改変して変えてしまえばいい、後は能力の射程があるのかどうかの問題だが、それは今から確かめていくとしよう。だから私は過去を改変した、自らの望む今を手に入れる為に。

 何度もプラントを殺す、プラントは私を選択して、受けたダメージを私に与える、ならば私は私以外の誰かにそのダメージの移し替えが行くように過去を改変する。そしてプラントが移し替えの対象として選択できるのは、精々が100mという事も殺していく内に解っていった。

「そろそろ、降参してくれないかしら?私の良心も長くは持たないのよ?プラントさん?」

「人を何十回と殺してよく言うね、自分に攻撃が移っていないという事がどういう意味か、理解しているのかぁ?」サチアはニヤっと笑う、それは恐らく腹黒い笑みだった。

「えぇ理解しているわよ?私が殺したら、貴様は私以外の誰かに自身の傷を移し替える、瞬間的な臓器移植とでも言った方がいいかしら?故に私が貴様を殺せば殺すほど、罪の無い人間も死ぬという事でしょう?」

「それを理解して尚、僕を殺せるのは…さては君、世界の味方じゃないね?」

 今更気づいたのかと、サチアは呆れる。だってプラントが自ら思っていた事ではないかと、自分達を迫害する人間の味方なんてする訳がないって。えぇそう、プラントと私達は完全な同類と自分で言っておきながら、それを気づいていないなんて、本当に呆れかえる。

「私はね…レニの未来の為に戦っているのよ、だからレニに傷がつくかも知れない事をしている、貴様達を殺したくて、殺したくて、堪らないのよ…だから死んで頂戴な」

『なら彼は私が貰っていきますね?』何処からともなく聞こえた何重にも重なった様な声を聞きサチアは振り返った、けれどそこには誰も居らず、前を見るとローブの女性?が立っていた、その手には片目を抉られたミライを抱えて。

「何をしているのかしら?今すぐ離さないと」殺意をローブの女に向けて放つ。

「言っていたじゃないですか?レニちゃんの未来以外は要らないんですよね?」

 レニちゃん…そう呼ぶのは限られただけ人だけだというのに、なんでこの女はその呼び名を知っている?プラントと同じ経由か、それとも情報がどこかから流れているか、それはどうでも良い本当にどうでも良い、ミライを傷つけたこの女を私は…。

「殺す!」サチアの出せる限界の出力を出しミライを傷つけないように、女に向ってナイフで斬りつける、喉元裂くでも心臓を抉るでも、方法は問わない。そしてその攻撃は確かに命中したはずだった。けれどナイフは女には届かない。

「怖いですねー、そこまで返して欲しかったら、返しますよ?ほらちゃんと受け取ってください、落とさないでくださいね?」女は簡単にミライを手渡す。

「お楽しみの所申し訳ないですが、プラント少し話があります、よろしいですか?」

 賊が仲間内で他の事をしてくれる、内容が気にならない訳では無いが、ここは一旦戦略的撤退を図らせてもらう。

「キャプテン?キャプテン?応答して、大至急なによりも優先して私の元に来て!」キャプテンに無線を送る、ミライの目が無くなるのは避けたい、だってミライの能力は目を通して発動するモノだからこそ、ミライには新しい目が必要だった、その為ならば私は。

「どうした、何があった?っこれは!?」キャプテンは息を詰まらせた。

「キャプテン、貴方なら今ここで眼球を取れるわよね?」それ位の装備は付いているという希望的観測を持ってキャプテンに問う。

「流石に無理だ、そんなオプションは付けていない!それに一体誰の眼球を…」

 付いていなかった、けれどミライは普通の人間とは違う、ただの人間の目がミライに適合するとは思えなかった、プラントが言った新人類という言葉を信じる訳ではないが、同族でしかミライの現状を変える事はできないという、確証もない推測がサチアの中にはある。戦線を放棄するか?それ以外の選択肢が思い浮かばない、ミライという人間が居なくては今日も勝てるかがわからない、だったら無茶かもしれないけれど、試した事もないけれど、愚行かもしれないけれど、サチアと言う人間がどうなるかわからないけれど、行う価値はある作戦が一つだけ、サチアの脳裏に浮かぶ。

「キャプテン、何か月前に着手すれば、今日この日スーツにそのオプションを付けられる?」

「どういう意味だ?そんなたらればを…」私の能力を明かしていないキャプテンには意味不明かもしれないけれど、今は時間が惜しい「いいから答えて!」サチアは強く言う。

「3ヶ月もあれば、今回の事件には間に合うと思うが…なぁサチアこれは一体?」

 キャプテンの問に答えている時間は無い、精神を集中させる。半日という期間限定の過去改変、けれど今は以前ミライが過去に言った事を試すいい機会だ「なんで俺はずっと先まで見られるのに、サチアは半日だけなんだ?」ずっとミライが後に出来た実験の完成品だからと思っていたけれど多分違う、私が私じゃなくなるのが怖いから半日という制限を私が勝手に作ったんだ、ミライと私のデメリットは真逆だから、それを知っていたからこそ私は私で居なくなるのが怖かった。けれど私は3ヶ月の過去を改変する、改変できる。

 頭痛がする、気持ちが悪い、けれど意識ははっきりとしていて見えるのは、硝煙に塗れた空だ、この感覚…過去改変は成功したのだろうか?それを確かめるのは、自分自身だ。

「リーダー、眼球の摘出は出来る?」サチアはリーダーに問うと、キャプテンは頷く。

「?…一体誰の目を使うんだい?そんな都合よく拒絶反応を起こさないドナーなんて…」

「サチアの目を繰り抜けばいいのよ、出来るでしょ?」サチアは何の躊躇いも無く、リーダーに提案する、私の能力は目に起因するのもではないからこそ、眼球の一つ位は捨てる事ができる、だってそれがあの子の未来になるのだから。

「本当に覚悟は出来ているんだな?というかサチア、今自分の事なんて言った?」

「自分の事?サチアだけれど?そんな事はどうでもいいの、とっととやって頂戴!」

 サチアは横になり、全てを受け入れる態勢でリーダーを待つ、リーダーも現状の緊急性を理解したのか、サチアの目にスーツから出た機械を宛がう、起きたまま目を抉られるというのは初めての経験という事もあって、心臓が跳ね上がる。けれども最新の医療技術様様と言うべきか、施術は簡単に終わってしまった。右目の中がスカスカという感覚と痛みが残るという事以外は大して、影響のない事であっけなくサチアは感じてしまう。

「それじゃあ、リーダー後は任せたわよ」リーダーに抱きかかえられる、アイツの手に触れ、私の最後の望みを託す様にアイツの手をサチアの頬に当てて、サチアは口に出す。

「今は変えたわよ、だから未来は任せるわね」それがサチアの願いだから。

 急ぎ爆心地のプラなんとかが居た場所に戻る、そこにまだローブの奴もいるのならば、ついでで殺す、居ないのならば居ないで賊を殺す、サチアにできるのはそれだけだから。

「ローブは居ないみたいね…それじゃあ殺すわね?」

「あー、最悪な事を言っていきやがったアイツ、変えてやるよそんな未来は!」

 未来?何を言っているのかがわからない、アイツの様にローブは未来に関する能力を持っているのか、それともそうなる可能性が高い事を伝えたのか、そいつは都合が良い、お前が変えたい未来という事は、サチアはお前を殺す事ができるのだから。けれどただ殺すだけじゃツマラナイ、だから彼女に伝えられるかはわからないけれど、一つ試してみたい事が今のサチアにはある。

「ねぇお前っていつから、実験動物だったのかしら?ただ殺すのもアレだし、知っておきたいのよ、教えてくれる?ねぇ…いいでしょう?」

「よく殺そうとする相手に悪びれも無く、そういう事が聞けるな、2年前だよ、2年前の中国。そっちはどうなんだよ?」サチアの事が気になる?残念だけどサチアには大好きなあの人が居るから。その気持ちは受け取れないの、ごめんなさいね?と謝る前に過去を改変した、3ヶ月の次は2年間もうサチアが保てていない事はわかっていた、サチアがサチアで無くなっているという事は分かっているから。せめてもう少しだけ情報を集めよう、サチアがサチアで無くなっても、きっとまだ戦えるから。誰かに恥じない為に…。

「ねぇ、昔一緒の実験施設だった好で教えてくれないかしら?貴方達のリーダーは…誰?」

「あー、誰かと思ったらサチアか、本当は教えるのはダメなんだけど、まぁサチアならいいか、俺達のリーダーはツクロだよ、そうだそれよりもサチア俺と一緒に…世界を……」

 貴方と2年前一緒にモルモットをやっていたという過去に改変した、死がもっとも近い場所で築く事になった友情の前では、きっと主犯の名前も簡単に語ってくれる。だからサチアはもう一度過去を改変する、元の世界に戻るように過去を元に戻す。

 誰かに近づく、名前も知らない誰かに、近づいた。

 一歩歩む度に私は髪を切る、これは私だったモノじゃない。

 一歩歩む度に私の体を斬り刻む、これは私の体じゃないから。

 歩みを進める度に眼球を、耳を、臓器を、私を形成するニセモノを私は自ら壊す。こんなのは私じゃない、私じゃない、私じゃない、私じゃない、私じゃない、私じゃない、私じゃない、私じゃない、私じゃない、私じゃない、私じゃない、私じゃない、私じゃない。

 じゃあ私は誰なのだろう、心臓を貫いた時、私の命は終りの砂時計が下を向き、砂が零れ始めた、残されたタイムリミットは何秒だろう、周りに人は何人だろう?

 誰かの心臓も貫いた、だって交換できるパーツがなければ誰かはただの人だから。

 私じゃない私は願う、私だったはずの人が願っていた事を、私ではない私が叶える。


 私じゃない私が願う、私が欲しかった唯一の望みを、私が叶える事が私の幸せだから。


 大好きな誰かと南国で、白いドレスを互いに来て、砂浜を歩く、たったそれだけの夢を私は私に見せた。

 大好きな誰か、大好きな誰か、大好きな誰か、名前も覚えてない、見た目も覚えていない、顔にモザイクがかかった様に大好きな誰かの顔は見られない。けれど私だった筈の私は、大好きな誰かを最後まで大好きだった事を忘れる事は無い。

 大好きな誰かとの一緒の夢は最高に幸せだった、現実出来るものなら現実にしたい程に幸せな夢だった、夢を現実にする術は持っている筈なのに、私は夢を夢だと認識してしまえた。私が作った夢だから、この夢から目を覚ます、眠くて開きにくい眼を開けて現実に戻ろう。それが正しい筈だ、それを現実に選べる私は、もしかしたら狂ってしまっているのかもしれないけれど、私だった私が作ろうとした未来に私は要らないのだから。


 私は目を覚ます、知らない天井で目を覚ます。もう私は私だった私ですらないけれど、アイツが道標に向かう為だけの光になる為にこういう未来になる様な今に賭けた。それならきっと最初の私も本望だ、あの子の為に未来を紡ぐはずのアイツの光になれたのだから。


 意識が遠のく、私が終わりを迎える、結末がこれでも…、約束を違えたこの結末でも、もしかしたら私が大好きだった貴女は私を許してくれるかしら?許してくれるといいな…。

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