第三話 何処にでもいる、取り換えの利く探偵

 私と言う存在を端的に説明しよう。探偵兼掃除屋、この世で最も聡い人。姓は明智、名前は何と言ったかな?けれど覚えている事はただ一つ、私と言う存在はこの世で一人だけしか居ない、家族であろうが、他の誰かであろうと、私の変わりは居ないそんな人間だ。

 私を全く知らない人間から見れば、きっと私は少し頭の良い人に見えるだろう。私をよく知っている人間から見れば、きっと私は頭の良いスケベ魔人探偵に思われるだろう。私が私を見れば、きっと私は存在してはいけない人間だと思うだろう。

 ソクラテスは無知の知という、知っているという思い込みをしている馬鹿どもと違い、私は自分が知らない事がある事を知っていると語った。私も彼の様に、そう自覚できる存在であれば、私と言う存在は万能の天才に等ならなくて済んだだろう、世界という機械の備品の一つにでもなれたのかもしれない。私は自分が知らぬ事を許せず、全て知ろうと考えてしまった、そしてそれが出来てしまった。万能になる事を許された人間は、毎日膨大とも言える知識をため込み、毎日膨大な数の試行を行った。自分を完璧に魅せようとするあまり、自分が壊れているという事に気づかなかった私の失敗。私自らが代替の利かない世界の歯車になった時、この世界に私の居場所は無くなり、用意されたのは空の玉座一つ。

「故に私はこう考える。私という歯車の代替品を用意する、それだけが明智という人間に許されたたった一つの償いであり、人生だと…」

「また癖が出ているわよ」

 裸体をシーツと言う薄皮一枚で隠している彼女、サチアに私は指摘をされる。これは私の悪い癖だ、彼女との行為が終わった後にこのような考えをしてしまう。強く快感を得た事により起きていた興奮状態から、一度興奮を抑える為のごく自然的な脳の働きだと思う。

「悪い癖だとは、認識しているんだけれどね、どうも君とするとこうなってしまうんだ」

「少し前にマリーと一緒にした時はなってなかったわよね?」

 誰との行為でもこのような現象だけなら起こる、マリーとだってそう、片手では数えられない彼女達とした時もそう、興奮状態を抑える為の働きは起こるのだ。けれどその働きは相手によって変わってしまう。一人になりたかったり、更に相手を求めたり、どうしようもない倦怠感だったりと、そのどれもが漠然とした物なのだが、サチアとだけは具体的自分の本質を考えずにはいられなくなる、サチアの前でなら弱さを見せられるのだろう。

「そう、サチアだけがこの現象を発生させる、私の所為では無く君が原因なのでは?」

「私にそんな特殊能力はないわよ、なんなの行為後に哲学を語らせるって、馬鹿らしいったらありゃしないわね、神様が居るなら私が直接返すわよ、そんな能力」

「君からそういうフェロモンが出ているかもしれないという可能性だって否定はできない。机上の空論でも安易に否定するものでもないよ?そして神様は居ないよ」

「はいはい、否定してワルカッタワネ…生憎誰かと違って学は無くてね、ていうかアナタって無神論者だったのね以外だわ」

 シーツを滑り落とし、私の物だと知ってか知らずか、彼女の一番近くにあったYシャツに袖を通す。だが私はそれを許さない、明智と言う存在は面倒くさく、ねちっこいくて、それでいて人肌が恋しい人間だ。兎は淋しいと死んでしまうという造言だが、私と言う存在を動物に表すなら、兎だろう。発情期等無くても発情できる兎なら神など意識しまい。

「逃がすか…」明智はYシャツに袖を通し終えた、サチア手を引きベッドに再度押し倒す。

「あら、ライオンさんに襲われちゃう、私はマリーの様に半日以上も耐えられるかしら?」

「誰が、ライオンだ、誰が。……私は可愛い、可愛い兎さんだよ」

「随分自己評価が低いのね、貴方は…っん」

 サチアが言葉を紡ぎ終える前に、明智の口で彼女の口を塞ぐ、言葉を紡ごうとして紡げないその姿、息を吐けずに必死に空気を求めるその姿は、私の劣情を催した。どこまで行っても性行為を本能として行うようにプログラムされている人間と同じ様に。私達はどうしようもなく本能丸出しの獣だった、夜は始まったばかりで朝にはまだ程遠い、部屋に嬌声が響き渡っても、窘める人間はここには居ない。今日も人間らしく欲に溺れよう。


 昔話をしよう、ある子供が私に率直な疑問をぶつけた「明智さんって変わってるよね」と、私は何を言われているのかがわからなかった、だからこそ私はこう返答する。

「君も私も大して、変わりはないだろう?」率直に何も考えずに明智はそう答えた。

 ある友人だった人間が私に悩みを打ち明けた「明智さんみたいになるにはどうすればいい?」と、私は当たり前の事を答える。

「君は私にはなれないよ、だって君は君だろう?」当たり前の事を、当たり前に答えた。

 ある研究者が私に一つの提案を持ちかけた「私達は君の才能を一番理解している、どううだろう?その才能を私の下で活かさないか?」と、私は率直な疑問を研究者にぶつける。

「貴方が私から学ぶ事があっても、貴方から私が学ぶ事は無いよ」真実を私は告げた。

 それらの回答の後に続く、彼ら、彼女らの反応は決まって逆上だ、私は一切の虚言を吐いていない、それだけは信じて欲しい。といっても誰が信じるのかと言う話だが。私の返答に逆上した者達が、私に少なからず抱いていた感情を今の私ならば理解できる。それは劣等感だ、その劣等感に押され彼ら、彼女らは私を中傷する、その事にはなんの感情は湧かなかったのだが、最後の一言がどうしようもなく私を苛める。

「「「お前は人間じゃない、バケモノだ!」」」

 彼ら、彼女らが私に劣等感を抱くように、私も彼ら、彼女らに劣等感を抱く事を知る由もないのだ、自分が持っていない物を持っていてズルいとしか思えないのが人間と言えば聞こえはいいが。しかしそれ故に、私を理解しているつもりで私の事を一切理解できていない人間が嫌いだ。私を理解出来もしない癖に、理解した気でいる人間が本当に嫌いだ。

 明智はアラームの音を頼りに目を覚ます、横には煩いアラームを気にもせず、サチアが肌寒さを誤魔化す様にシーツを手繰り寄せ、眠りについたまま目を覚まさない。私は近くにあるくしゃくしゃになった下着とYシャツを手繰り寄せ袖を通す、サチアが目を覚まさないよう、音を立てずに部屋の外へ出た。それにしても昨日はとても情熱的な夜だった、余りにも情熱的過ぎて殆ど記憶に残っていない程度には、情熱的だったのだろう。

 パイプ煙草に火を付け、コーヒーメーカー任せにコーヒーを淹れ、後は勝手に注がれる事を待つだけ、暇を潰す様に私は、端末を開き適当なニュース映像を前面の壁に出す。

 煙を吐き出したと同時にニュースを切り替え、保存しているクラシック音楽を流す。今日も世界は、当たり前にアベンジャーズの事を報道し、この世界の存亡がどうとかと話していた、実にどうでも良い事で。その反応に少しの嫉妬心が芽生える、彼らはきっと今世界で一番認知されている存在だ、いい意味でも悪い意味でも。認知されるという事を恐らく知らなかったからこそ、彼らはこの蛮行を続けるのだ、己の復讐にはぴったり舞台で。

「ふぁぁああああ」サチアが大層大きな欠伸をしながら、寝室から出てきた。

「おはよう、サチア。いい夢は見れたかい?」

「お生憎様、良い夢は起きている間に見てしまったわ」

「それは、よかった。私にとってそれは一番の誉め言葉だ」

 明智はクスっと笑みを浮かべる、そんな事は知ってか知らずか、彼女は私が用意していたコーヒーを無許可で手に取り、口に含み、横に広がる壁を改めてマジマジと見つめる。

「それにしても見事に全部他人の賞状ね、貰って嬉しい?この、あー、あー、アデム?さんの、それも三枚もあるし」

「そりゃあ私の功績だからね、うれしいさ。それとそれはアデムじゃなくて、アダムだ」

 壁一面に貼られ、置かれているのは数々の研究、開発の成功、実用化にあたって世界から賞賛され認められたものが貰える賞状。いわば世界から認められた証拠になるモノ。

「自分の名前で欲しいとは思わないの?それに日本語で書かれている物は一つもないから、私じゃ何をしたのか、分からないわね…判りやすいのは無いのかしら?」

「君の学力はさて置き、書いている事はバラバラだよ、食糧問題に関する物だったり、資源問題に対する解決策だったり、あとはまぁ色々だよ」明智は興味無さげに答える。

 他にもあった気はするが、寝起きの働いていない頭では思い出すのも億劫になる。あぁそう言えば肝心な質問に答える事を忘れていた。

「それと、日本語で書かれた物が無いのは、私が日本で生まれたからだよ」

「なにそれ、愛すべき自国家の発展には貢献したくないのかしら?非国民ねアナタ」

 サチアは思ってもいない事を、正しく棒読みでこちらに説いてくる、愛国心なんてものは私達とって最も縁遠い言葉だというのに。しかしそうだな、愛すべき自国家の発展に私が何故貢献しないのか、か。まぁもう十分に貢献したのもあるが…。

「そうだな、それは私が、しあわせな王子であり、裸の王様だったからかな?」

「しあわせな王子?王女じゃなくて?裸の王様は貴方ピッタリの名前だけれど」

「君、馬鹿にしているだろ?」明智はジト目でサチアの目を見る。

 サチアの目は視線に耐え切れず、徐々に横に背いていき、ついにはこちらを見る事を諦め、目を閉じる。やれやれと言いたげに悪びれもせず彼女はこう続ける。

「悪かったわよ、それで?スケベ王子と幸福の王様がなんだって?」

 この短い時間の間に、しあわせな王子は変態にされ、はだかの王様はもっとも幸福な人物へと物語が変わってしまった。はだかの王様は実に満足だったかもしれないが、しあわせな王子は恐らくサチアに対し、助走を付けて殴りかかる準備をしているかもしれない。彼は決してそんな事をしないとわかりきってはいるのが、少し悲しい所だ。

「しあわせな王子は、自分の出来る限り人を公平を配ろうとした人、いや銅像か。そして裸の王様は、たった一人の正直者の話だよ、どちらも童話だが…、見た事ないかい?」

 しあわせな王子が公平であったかは議論の余地があるかもしれないが、私の考えでは彼はどこまでも公平を配った、弱者を救い、強者と同じ環境にしようとした偉大な銅像だ。

「見た事無いわね、残念ながら読書をできるような環境で育ってきていないもので」

「それは、すまなかった」ここに居ると忘れそうになるが、サチアとミライはあのゴミだめの出身だった、と言っても本当にあそこの出身と言っていいのかはわからない、捨てられていた可能性もある、まぁそれでもまともな教育が受けられていないのは事実だろう。

「いいわよ、気にしていないし、それであなたのどこが正直者で公平主義者なの?」

「昔の話だけれどね、私は人に言われるがままそれを正しいと信じ行動し、全ての人が公平になる世界を目指していた、それだけさ。今は少し違う思想を持っているが…」

「それがなんで、自国家の発展に貢献しない理由になるのかが、分からないのだけれど…」

 それも説明しなくてはならないのか、少し、いや、やや面倒だが時計を見てもまだ出勤までの時間はある、丁度良い暇つぶしにはなる。語りたくなるのは、今日見た夢の所為だ。

「どちらから聞きたい?君の好きな方から教えるよ、それぞれの童話に沿って話すよ」明智は端末で童話のあらすじを確認する。別に覚えてはいるのだが、それでは自己流解釈まみれの新たな童話を私が作ってしまうから、作品に敬意を込めてその可能性は排除する。

「そうね、それじゃあ、裸の王様の話を教えて頂戴?勿論貴方がどう裸踊りしたのかを…ね」サチアの頭の中では、はだかの王様は裸踊りをした変態に置き換えられてしまっているようだ、まぁそういう行為をしても問題は無いから王なのだし、それも間違いではない。

 明智は一呼吸置き、記憶に検索をかけ、古い書庫から引っ張りだすようにストーリーを思い出す。彼ほどの正直者は居ない、それが見栄だとしても、私は彼を尊敬する。

「裸の王様…新しい服が大好きな王様が居た…そこに馬鹿には見えない布を持ち、その布で新しい服を作れると言った織屋がやってくる…王様にその馬鹿には見えない布は見えなかったが、彼は王だ、馬鹿と思われる訳にはいかなく見えるフリをした…そして服が完成する、けれど王様にはその服は見えない…故に一番の忠臣にも確認させ、彼は見えたと言った…故に見えないという訳には行かないので王様はその服を身に纏いパレード開く…そこで王様は裸である事を大衆に笑われる、そんな話さ」

 明智が語り終えると、サチアは馬鹿にするように語った。

「ただの見栄を張った王様が馬鹿なだけの話しじゃないの?それ」

 サチアは面白い笑い話を聞いたかの様に、飲んでいるコーヒーを噴き出さない様に必死に堪えていた、彼女の考えは正しい。王様は最初の織屋の言葉など信じず即刻処刑にでもすればよかったんだ、それだけの地位も、それに文句をいう家臣も居ないのだから。

「そうだ、この話は馬鹿正直な王様が見栄を張った結果、痛い目を見るそれだけの話しだよ、けれどねサチア、王様は最後まで信じたんだ、見えない布の服がある事を、決して裸で自信満々に歩いた訳ではない、自分には見えないけれどそこにある物だと信じて、無い筈の服を着た。けれど真実を話してくれる人間は居らず、物語のオチで皆は王様を笑い物にするまで誰も真実を話す人は居なかったんだよ、ほら王様だけが、一人の正直者だろ?」

「まぁ確かにそうかもしれないけど、でも見栄を張ったから馬鹿にされた事に変わりは無いと思うのだけど?」サチアの考えが間違いではないし、サチアの意見こそ正解だろう。

「しかしそれが童話の良い所だよ、簡単な物語でありながら、見る視点によっては様々な解釈ができる、サチアが言ったその認識も決して間違ってはいないし、何なら私の語った考えは異端なのかもしれない、けれど初めて裸の王様を見た時はこう思ったのさ、なんて愚かで、それでいて愚直なんだろうとね、私も笑わたとしても最後まで、自分が信じた物、それこそが真実だと信じたいとね」

 明智は笑いながらサチアに語った、決して王様が素晴らしい人間と褒め囃す訳でもなく、ただその馬鹿正直さに私は見惚れたんだと言わんばかりに。

「しあわせな王子の話もしてもいいが、それを語っていたら遅れてしまうな、着替えるとしようか」

「その話はまた今度ってことね、まぁ私が覚えていたらだけど」

 そうつれないことを言うなよと明智は口に出そうとしたが、その言葉を出すのはやめておく、私達が明日生きている保証はどこにもないし、語る時間を用意できるかも定かではない、もしかしたら数週間後になるかもしれないし、明日かもしれない。そんな確約できない事を、私達は好まない、それを確約できる人物がいるとすれば、きっとミライだけであろうと私は考えた、けれどこの考えも私は口に出さない。だって彼の話をしたらサチアは家族の事で頭がいっぱいになり私になど、構いはしなくなるだろうから。

 着替えを終えて、自宅を後にし、徒歩5分もしない所にある本社へ向かう、服装はいつも通りの私服。語る事があるとするならば女性ものよりは男性ものといった服装を明智は身に纏い、本社に出社した。

「それにしても、あの一件以来君達はスーツにハマったのかい?」

 日本と世界を震撼させ、幾つもの人の命が失われたここ数十年で最も大きなテロ行為の序章、首相暗殺未遂と無差別市民虐殺。その事件にSPとして同伴したミライとサチアはあれ以来ずっとスーツを着ている、それもかなり上等な物。彼女らが自分の服にお金を使うとは到底考えられないのだが、なぜこんな上等な物を?

「あぁ、これね、首相からの感謝の印らしいわ」サチアは欠伸をしながら、問に答える。

「感謝の印がスーツとは、案外ケチなんだな、首相様は」

 明智は失礼な態度を取る彼女らと首相の会話を想像した、サチアとミライには一つの共通点がある、それは欲に乏しい事だ。何故かまではわからないが、彼女らは人よりも欲という物を持っていない、サチアの方がまだ欲は残っているともとれるが、ミライに関しては殆ど無いと言っても過言ではないだろう、彼女らの欲がない事を証明する最たる例がお金だ、彼女らはお金を殆どと言っていい程使わない、使うのはいつも他人の為、自らの為に使っている所など、少なくても私は見た事がない。だからこそ彼女らは首相相手にも特に要らないですと突き通したのだと、私は推測したが。現実は少し違ったようだ。

「レニ、妹を外で暮らせるようにしてくださいって、お願いしたのだけれどね『努力はする、だが戸籍も無い者に特例を作るのは些か難しい』って言われたわ、じゃあ努力してくださいとお願いしたら、スーツをくれたの」実にサチアらしい答えだった。

「成程、君達にはそれがあったか、これは観察不足だったな」

「人を観察対象にしないで頂戴、っと」サチアは私に向ってコツンと頭を小突く。

「好きな人間を観察するのは、人間にとってごく自然の摂理だと思うのだが?」

「そうかもしれないけど、人に観察されるっていうのは、私あまり好きじゃないの、それじゃあね」サチアはそれだけ言い残し先に誰かが乗ったエレベーターに駆け込みそのまま5階にまで上って行ってしまった。

「怒らせてしまったかな?まぁいいか、いつも通りの彼女である事には、変わりない」

 キャップの様に階段は使わず、エレベーターが再び1階に来る事待ちながら私はサチアを想う。いつもの様に自由気ままでありながら、厳格で、少し抜けてるそんな彼女を私は愛しているのだ、こんな事でめげる私ではないし、そもそもそんな事でめげていたら態々探偵になろうなんて、とてもじゃないが思わなかっただろう。

 別に探偵が向いているから探偵になった訳ではない、明智と言う苗字だったから探偵になろうと思っただけだ、渋沢だったら私は多くの会社を設立し経済の根幹に居ただろうし、坂本だったら現代日本を改革しようとしたかもしれない、それこそ織田であれば私はこの国を統一しようとすら考えていたかもしれない、名は体を表すという言葉がある様に、明智と言う苗字だったからこそ私は、探偵になっただけの事。そんな事で己の人生を決められる程、私の人生も人格も果ては思想に至っても、私と言う存在はどうしようもなく薄っぺらい。そんな人間である私の代えを寄越さない、世界に今日も嫌気が差し地面を蹴る。

 本当に薄っぺらい事で私は悩んでいる。思春期であれば自分とはと考える事もおかしくはないだろう、けれどもう大学を卒業している年齢でこんな事を考えている、私はどうしようもなく愚かで、そして幸福なのだろう、だからこそ床を蹴る程度で嫌気を発散できる。

 くだらない事を考えながら待っていたエレベーターに乗り込み、確かな足取りで事務所へと歩みを進める、結局裏切り者のリアルと言う青年の事は推理が完了する前に、サチアとマリーに静止され、その証拠となる筈だったリアルという個体もキャップが派手に吹き飛ばし、もうどれが彼だったのかなんてわからない程の肉片に変貌していた。証拠を殺すのはまだ理解できる、けれど判別もつかない程に消し飛ばすなんて事は、証拠隠滅と捉えられても文句は言えまい。けれどその行為で彼なりの過去への決別がついたのか、彼はいつもより、いや、いつも以上に皆のキャップと言う存在でいる、前よりもごく自然に。

 事務所へ向かおうとしている今、階段からキャップが現れる、態々ご足労なによりだ。

「良い顔をするようになったじゃないか、キャップ」思った事を私はそのまま伝える。

「そりゃあ、色々な物に一区切りつけられたからね」穏やかな表情で彼は答える。

「私は君が羨ましいよ」過去に区切りを付けて前に進める、君と言う存在が羨ましい。

「明智僕に言うのは構わないけど、他の人にその言葉を言うのは辞めた方がいいぞ」

「?」彼が言う言葉を理解できず、私は歩みを止めて思考した。

 キャップが近づいたその時まで私は頭を傾げる、過去を払拭した君を羨ましがるのは当然の事ではないか?そもそも特殊事態対策班第5課の面々等、程度はどうあれ、過去に一物抱えたもの達の集まりだと、私は疑っていなかったのだが、違うのだろうか?

「分かってない顔だな…、それだけの才能を持って生まれて、それを活かす機会すらも与えられた人間が、他人を羨ましがるなんてことは、ただの嫌味だよ」

 知らなかったのか?と聞き返す様にキャップは私を通り過ぎて、事務所に一足先に入る。

「その才能も、活かす機会もあったからこそ私は、君が羨ましいんだよ、例えそれが嫌味に当たるとしても、ね」

 誰も聞いていない廊下で明智は呟く、自身が恵まれていないと思った事は一度たりとも思った事はない、私は恵まれている。どの点においても、自身が人より優れていると思わなかった事など一度たりともない、現実として私を理解出来る者は居なかったから。けれど自身が生まれてこなければよかったと思った事は、毎日考える。それだけでこの世界はもっと平和だったと思えるから。そんな事を考えながらもいつも通り私も第5課の扉を開く、彼らと居る時間は自分が普通じゃないという事を忘れられる、そんな気がするから。

「おはよう!」いつもよりも声を張りハイテンションで扉を勢いよく私は扉を開いた。

 こちらの事を気にもせず各々が自らのやりたい事をやっている日常、いつも通りの光景の様にも見える、けれどいつとは少し違う、サチアは武器の手入れをしていないし、マリーはこちらに抱きついてこない、キャップは自分のパワードスーツの新しい設計図を作ろうとしていないし、なによりミライが事務所に居るというのが本当に珍しい。いや本来職場に出社したとするのならば、それぞれが決められた場所で決められた事をするのがごく一般的な職場だとは思う、そもそも職場に行く必要の無い仕事や職場が一定の場所に留まる事のない職種…エトセトラと一般論以外も出そうと思えば沢山だせはするし、私達がやっている仕事というのは仕事を言い渡されれば何処へだって行くし、仕事が無いのならば本社に留まれという、仕事柄いつでも体を動かせるような鍛錬を行えと言う訳でもなく、ただただ仕事が無いのならば本社から出るなと言う事だけが仕事の、正直会社を舐めているような事業態度であり、その所為で基本的暇な私達5階が職場のメンバーは大体が各々好きな事をやっているような職場だった。例えを上げるのならばミライの屋上に行く癖だ、ミライはいつも遠くを眺めているそれが彼の特徴だった。けれど、そのミライがこの場に居る、決して珍しい事でもないがこの場の状況が、現在の異質さを物語っていた。

 誰一人、私の挨拶に返答しようとしない、そんな事はどうでも良かった。誰かの、恐らくキャップの端末を壁に投影し流れるニュース番組をサチア達は全員で眺めている、こんな事は今まで見た事がない、特にマリーがこのような事を気にするなんて、そこまで長い付き合いではないが初めての事だ。何がそんなに気になるのか、アベンジャーズ関連のニュースであれば、そこまで気にも留めないだろう。それならば、なぜ?

「サチア、どうしたんだい?そんなにニュースをマジマジと見て、君はそんなに世界の情勢に興味がある人間だったかな?」

 そこまで皆が興味を持つというのは、大層な出来事なのだろう。一夜にして日本経済が崩壊とか、アメリカの人口がゾロ目になったとか、こんなご時世に他国に戦争を吹っ掛ける国が出たとか、スイスが永世中立国を辞めたとかそんな所だろうか?しかしこの中で全員が興味を持つ話題と考えると、やはりゾロ目か?

「お生憎様、今日の今日までニュースなんて興味はなかったわよ」

 思ったよりも深刻そうな声でサチアは私の問に返答した、彼女が今日から興味を持つ事が何かあっただろうか?今日の朝話した事を、明智は思い返す。童話?露出狂か!?

「キャップ、これ発信源特定は?」露出狂の位置特定?

「数分あればできはするだろうが、恐らく無駄だと思う」そりゃニュース=逮捕だろうさ。

「やっぱり、そうだよね」ミライとキャップは何かぶつくさと話をしている、ニュースの情報源の特定ましてや発信源なんて凡そ決まっていると思うが、一体何を話しているのやら、私には皆目見当もつかない、そんなどうでも良さそうな事よりもいつもの日課を。

「マーリーぃ」明智はマリーを抱き寄せた。

 いつもの彼女であれば、初々しい反応を返してくれるものだが、けれど彼女は頑なにニュースから目を離そうとしない、嘘だ、信じられないと言わんばかりの表情で。

「マリー、どうしたんだい?私よりニュースの方が恋しくなったかい?」

「マリーは明智さんが大好きですぅ、けどぉ、けどぉ、あの名前ってぇ」

「そうかそうか、私も愛しているよ、マリー。それで名前って?」

 明智が目を向けた時に真っ先に目に入ってきたのは、頭にズタ袋を被らされた、白衣を着た少しふくよかな体系をした恐らく中年、顔を隠されている為、年齢の確実な把握はできないが見える限りの骨格からは男性と言う事が分かる。それよりも目が行ったのは彼に装着されている装置の様な物、この朝という時間に流してはいけない、夜でもコンプライアンス的に許されるかわからない血液の量、それも少量づつ抜かれ続けるという、拷問ともとれる映像が目の前に映っていた。

「私は英語が読めないから自信がある訳でも、確証がある訳でもないわ、でもこの名前って貴方の部屋にある名前と同姓同名だと思うのだけれど…」

「アダム・ジョンソンでしたよね?明智さぁん、あ、あの額縁に飾ってあ、あったぁ」

 私がよく知る人物が、今その場で、その画面の中で、命が奪われそうになっていた。何があった、彼はこのような事をされる様な不祥事を過去に起こしていたのか?いやそれはあり得ない、それは私が総力を尽くして調べ尽くした、彼も、そして彼以外もだ、それに例外はない。ならば研究成果を妬んだ人間の犯行?

「キャップ、今の状況をできるだけ詳しく、正確に教えてくれ」

「詳しくって言われても困るんだが、僕がこの部屋でスーツAIの調整をしようとしていたらいきなり、端末に映ったんだよ。明智と話終えてすぐだから、映ったのは直近かな?それからこの映像と怪文書が一定間隔で字幕に流れるって感じだ」

「怪文書?」気になる単語が出てきたが、一定間隔で流れるならば今は放っておいていい。

 ほんの数分前から放映されている映像。けれどこんなものを公共の電波で流せる訳がない、ならば確実にジャックされている。明智は端末を開きSNSアプリを起動した、これが局所的に行われている物か、それとも全国的、世界的な物なのかを確かめる為に、様々な国籍に設定してあるアカウントを使い確認した。これが局所的なジャックではなく、完全に無差別に全世界を対象として無差別攻撃という事はすぐにでも理解出来た。

「明智、また流れたぞ、俺に意味はわからんけど22世紀がどうだって」ミライが話す。

「『22世紀という技術的特異点とも言える時代に生きる事を許された諸君、おはよう、それかこんにちは、或はこんばんは。早速だがこの時代は素晴らしい、次々と可能かもしれない、いつかは辿り着くかもしれないと言われていた事が次々と達成されている。食料問題やエネルギー問題、資源に、環境、医療、対極に至る軍事的な産業に至るまで…、祖母の結果飢餓で苦しむ人は居なくなり、その事で影響を受けると思われた環境も十分に維持されている、それこそ100年程前に世界が温室効果ガスだの地球温暖化だの脱炭素だのとを騒いでいた人類を嘲笑うかのように、22世紀になり台頭を表した数々の研究者のお蔭で世界は劇的に改善した。だがこの進歩は人類には早すぎたし、彼らの研究成果は紛い物と罵るつもりは無いが、偽物だ、さぁ人類の発展を止めたくなければ、全力で私を止めて見たまえ。それこそ人類の発展に多いに貢献したその頭脳を持って…ね、私は待っているぞ?技術的特異点?』か、私の熱烈なファンの犯行だな…これは」

 そこで字幕は途切れるのと同時に、流れている映像に映る人間は脱力させ、動きを完全に止める、死ぬまでの時間を計っていたかの様に彼の拘束が解け、座っていた彼はそのまま正面に倒れ、彼の顔が露わになった。その人は間違いなくアダム・ジョンソンであり、彼の表情はどうしようもない程、死という恐怖に怯えていた……とても残念だ。

「キャップ、四日前に入国した研究者がいたね、今すぐ名前と泊っている場所、客室もだ、特定してくれ」私が寄生したカタツムリはついにカラスに食べられてしまったという訳だ。

「そんな事を言われても、名前はまだしも客室はクラッキングしないとわからないぞ?そもそもそんな場所も公開されていない要人なら…」キャップは現実的にやるべきではないと判断を下す、けれどもそれを特定しないといけない状況に先ほどの字幕で陥らされた。

「チップは弾むさ」明智は自身のPCを開きできる限りメールを送る、それで防げるものがあるかもしれない、空いた片手で電話を掛ける、それで防げる命があると分かっているからこそ、電話をかける。それが悪手なのは分かっているが、私の拡声器を壊されないには一番の方法だというのも事実だ、それに私の予想だと、恐らく少し遅い。

「わかった、ここからそう遠くないホテルの40階のスイートルームだ」

「場所は君が案内してくれ、空は君の専売特許だろう?」

 そうやすやすと使っていいものじゃないんだが、下の様に渋滞が起こる可能性が存在せず、圧倒的に快適な空の旅を提供できるのは、この場ではキャップしかいない。

「マリー、今日の夜は予定は全てキャンセルだ」

「そんなぁー」マリーは涙目になりながら、こちらに抱き着いてきた。夜を提供できない代わりに今は、キスの一つでもしておくか?と頭の中が煩悩にまみれるが、それどころでは無い事をサチアとミライの冷たい視線で思い出す。

「それとマリー、今日は本社で泊まるんだ、いいね?サチア、ミライ、今日泊まらせてもらうよ、ミライにはもう一つキャップから情報を貰って、その部屋のガラスをぶち破ってくれ、私が侵入できる穴を作ってくれ」

「マリーを捨てて、あのイキリヤンキーに浮気するんだぁ、うわーん」

 マリーの涙は止まる事を知らず、服に涙が滲んでいく。弱った…、しかし今はそれどころではないと察したのかサチアが助け船を出してくれる。これがツンデレという奴だろう。

「約束するわ、今日は手を出さないって、そもそも自宅じゃレニの目もあるしね」

「本当ぉ?」マリーの涙が一瞬にして引っ込む、よくやってくれたサチア。今日の夜に、何もできないのは残念だがそれはそれだ、そんな中行うというのも趣が…。

「本当、大マジ、明智のいざこざが解決したら二人で相手してもらいましょうか?」

「うんっ、それでいぃ!」

 私が口を挟む前に、大事な事が決められている気がするのだが…、まぁそんな事はどうでもいい、全ては終わった後の私が何とかしてくれる筈。任せたぞ、終わった後の私。

「モテる人間は辛いねぇー、やっぱモテないのが一番だね、キャプテン?」

「別に僕はモテない訳じゃないが?」

 その一言にミライは度肝を抜かれ、ショックを受ける、その場で石化し崩れ落ちる程に。

「そこ!漫才をやっていないで、ほら、行くぞー?」

 キャップは私の声掛けに無言で頷く事で了承し。ミライもミライで石化して風化しつつある体を渋々屋上に向かう事を私が確認した、私は事務所の窓から飛び降り空を飛ぶ、5階からの紐無しバンジージャンプ、死ねそうな感じがする、とてもいい気分だ。

「少しのGは気にしなくていい、なるべく早く飛んでくれ」

「了解」キャップのその言葉と同時に背後から銃声が聞こえた、目標までは2キロ程度、それも当てるだけならばミライには朝飯前の事だったかもしれない、あとはしっかりと私が入る穴が開いているかどうかだが、それも気にしなくてはいいだろう。

 1分経ったか経たない程度の時間で目的のホテルの40階に辿りつく、人ひとりは余裕で通れる程の穴を通り抜け、明智はホテルに降り立った。

「キャップ…いや、もういい、わかった」既に手遅れ、あの時点で全ては終わっていた。

「付き添いいるか?」彼なりの気遣いだろうが、私にとって余計な人員は邪魔になる。

「構わない、一応他の部屋の確認をしてくれ」周りに被害を出す事は無いと思うが、一応。

「了解だ」キャップは、空へ再度飛び立つ。自由な翼を持つ彼が少し羨ましい。

 音がするのはバスルームから、ベッドには無造作に脱ぎ捨てられた衣服と数日過ごしたであろう、日用品の数々。しかしこの場所からは決して、人が過ごしたと思える形をしていない。作られた空間だ、その証拠が端末だ。彼は通信端末を酷く嫌っていた。

 バスルームのドアを開ける、そこに居るのは予想通りの人間だった。私の知っている人間、私が譲った研究成果で富と名誉を得た人間、そして彼らを使っている事を、この犯人は知っている。それを体現するかの様にそれは置いてあった。

 血だらけの死体の下にある、万が一が無いように防水処理された端末を拾い上げる、認証はされておらず、私が触った瞬間に端末は起動し、電話のコールがかかってくり。

『やぁ初めまして、特異点』機械を何重にも通した音声が、端末越しに聞こえる。

「やぁ初めまして、私が贔屓にしていた26人は処理済みかな?」

『えぇ、それはもう、まるでABC殺人事件ならぬABC偽装事件の全貌を暴いた時は、私もその目を疑いました』小馬鹿にしたよう電話の主は答える。

「短く済まそう、貴様は誰だ?何故私を標的にした?そして何が目的だ?」

『そこは探偵らしく推理してくださいよ、でもヒントは必要か…私は一介の学者にして、貴方のファンです、目的はそうですね…貴方が認知される世界を作るとかはどうでしょう?それと世界への挑戦状でもあります、貴方を一番理解しているのは私だと、断言するための』鼻で笑いたくもなる、答えが返ってきた、私を理解か…。それは…きっと。

「学者か、せめてサーカス団員か、怪盗であって欲しかった、それじゃあまるで…いやなんでもない、私は逃げも隠れもしないよ、さぁ貴様はどうする?他の寄生虫も殺すか?」

『……、いえ、私も殺しをしたい訳ではないので、1週間後指定された座標に来てください、私の要求はそれだけです』学者は座標を示したメールを送る、簡潔な愛の告白も無く。

「それじゃあ一週間後、私を一番理解していると自負する君を…、いや何でもない」

『…?…、えぇ、一週間後』電話は切れる、誰かもわからぬ死体と私だけが取り残される、全く酷い状況だ。仲間達に手を出される心配はないとは言え、厄介な事に変わりない。

 私が神様なら、絶対に私を創らないのに、目の前の死体を前にしても思うのはそれだけ。


 本社に何があったか報告をし、事後処理を任せる。世界から最も優秀とされる26人の科学者、研究者、学者が姿を消した、人類にとっての大損害であり、世界の発展はかなりの遅れを取るだろう。まぁ未来の技術を少し先取りした時代だったと考えればこの停滞も大して困る事ではない、少し位成長の無い世界も味わうべきだ、昔を思い出して…ね。

 そんな事を考えながら明智は今この国で最も業の深い場所、臭いモノには蓋をするように隠し、来る者は拒まず、去ろうとする者は許さない、この国唯一の治外法権であり、アリジゴクと呼んで差支えの無いゴミだめに来ている。決してこの世界から逃げたくなったからここに足を運んだわけではない、ただ愛する人と、友人の家にお邪魔するだけ。決して家族が居る中で行う背徳感を抱きながら行う行為をやろうとしに来たわけではない。もう一度言う、決して明智と言う存在は愛する人の家族が見ているかもしれないという背徳感を抱きながら行為をしようと、彼女らの家にお邪魔する訳ではない。

「何考えているか、丸解りだぞ?明智」ミライがジト目でこちらを見つめていた。

「何を言うか!私には決してやましい気持ちなどありはしないよ、ただ純粋にサチアが自宅だとどのような生活が気になってたり、家族にバレるかもしれないという背徳感を……」

 余りに煩悩にまみれていたので、私は盛大に口を滑らせた。いや本当にやるつもりはなかったのだ、本当に。興味が無いと言えば嘘になるし、彼女でそんな事を考えた事はないと言えば不誠実になってしまう。だからこそ私は、少々人に誇れる程の脳をフル活用する、どうすればここから完璧な言い訳を思いつくかの勝負だ、ミライが次の言葉を出すまでにかかる時間は1秒弱と言った所。その0・5秒で考えろ!私の脳よ!

「やるのは勝手だけど、その姿をレニに見せたらサチア共々、家の外に弾きだすからな?」

「はい…」明智という天才の脳を以てしても、ここから挽回できる様な言い訳は思いつく事がなかった、だからこそ私は口にする。「邪な事を考えて申し訳ございません」

「それでよろしい」満足気にミライは頷いて見せた。

「こういってはあれなんだが、何故私は君と帰路を共にしているんだ?どうせならばサチアと帰りたかったのだが」

「昨日サチアが誰かさんの家に泊まりに行ったから」

 無言の圧を感じるのは、私だけだろうか?家族に向ける感情にしては、大きすぎないだろうか?いや私が家族という物に疎いだけで、大体の家族はこのような関係なのかもしれない、そもそもミライは泊まりに行った事より、違う事に怒りを向けている様にも思える。

「まさかとは思うが、私はこれから拷問されるのかい?」

「する訳ないだろ、何を言ってるんだ?」

 よかったと明智は心から思う、しかし長いオートウォークの上では、ミライとの会話も長続きしない、私は未だに彼がどのような事を考えていて、どんな目的があるのかが分かっていない。サチアの事ならなんでもわかると豪語するつもりも無いが、それでもサチアとは肉体関係もだが様々な交友を持って、会話をしてきたつもりだ。私がそういう気を持たないキャップですら交友という物は築けた、けれどミライとは同僚という枠組みから決して出る事はない。私ができないのでは無く、彼が拒んでいるという気もする。

 そんな事を考えながら動く床から、上へ上がる板に足場を移した、私も初めて入る事になるゴミだめだ、好奇心7割色々な意味でのドキドキ感が3割と言った所か、こういう場所にはアングラな店が多いと相場が決まっている、決してそういう人間が集まりやすいからでは無く、そういう商売をしなくては生きる為の資金を得る事ができないからだ。わかりやすく例えるならばスラムが近いだろうか?

 上りきったエスカレーターから、己の足で歩みを進める、そして少し重めの扉、きっと彼とサチアしか開ける事ができない扉を彼は開けた。出た先の第一印象は、とてもじゃないがゴミだめとは思えない、綺麗なエントランスに出て受け付けには、確かモルと言ったか、私達5課のオペレーターの様な役割を果たしてくれている人間だったはずだ、印象としてはまず顔がいい、体形もいい、こちらを睨んでいる様にすら見える鋭い瞳もそうだし、サチアとはまた違う綺麗なストレートの黒髪、これ程の美少女を見て私は情けない事に何も思う事が無かった。美少女である事は確かだ、けれど狙い過ぎているといえばいいのか、いや違う言葉がある筈だ、それを上手く言語化できない。

「モル、もう退勤の時間じゃないのか?」ミライは彼女に話しかける。

「はい、そうだったんですけれど、ミライさんを待っていました、前渡した本の感想も聞きたかったですし…、大変な事も起きてしまいましたが…」

「あぁ…、親指姫だっけ、感想はそうだな…俺としては運命的な出会いより、運命的な別れの方が好みかな?でもまぁ童話も面白いんだなって再認識できたよ」

「それは良かったです、次はご期待に沿える物を用意しますね、それとそちらは…、彼女さんですか?」モルという美少女が瞳をこちらに向ける、けれど私の心はときめかない。

「それは違うよ、モル君。私はサチアの愛人?恋人?セ…っ」

 言葉を口に出しかけた所で、ミライの左手が私の右耳を掴む。口を慎めという事だろう。

「まぁ何より、安心したまえよ、私は…モル、君の邪魔はしないさ」

「明智何言ってんの?」ミライの返答に私は納得する、これは君の手に余る問題だな。

「それよりもだ、モル。君も本を読むんだね、それに親指姫か、アンデルセン好きかい?」

「いえ、そういう訳ではないんですけど、童話は特に好きです、幸せな物語が多いので…」

 童話が幸せな物語か…、確かにそれも多いかもしれないが、どちらかというと残虐な一面を表している方が多い気もする。まぁこれも朝語ったように個人の裁量か…。

「まぁ、ミライに私が勧めるとしたら戯曲ロミオとジュリエットかな、あれ程の喜劇はそうそうない、時間がある時に媒体はなんでもいいから見て見るといい」

「えぇー、めんどくさい、モルにはお世話になってるけど、明智には別に恩は無いし…」

 こやつは人の厚意を無下にする朴念仁だった。何にしてもここはモル君に…?

「明智さんには、ロミオとジュリエットが喜劇に見えるんですね、私はあれを喜劇には思えません、どちらかといえば悲劇ではないでしょうか?」モル君の言いたい事も解るが…。

「まぁ君の意見も否定はしないが、あの結末は喜劇だと思うがね、ロミオを信じ、毒を飲みジュリエットは仮死自殺を試みて、それを知ったロミオは毒を飲んで後を追い、その可能性も考えずに試みたジュリエットはロミオの短剣で生涯を終らせる、喜劇だろ、なぁ?」

「まぁ確かにそれの可能性も考えなかった、ジュリエットは浅はかだね。まぁそれまでの経緯を知らないからそれ以上の事は言えないけど」やはりミライ好みだろう?

「ミライさんがそういうなら、そうなのかもしれません…」

「おいおい、そう簡単に自分の意見を、他人の意見で曲げるべきじゃないよ、反論した私も私だが、君の意見も大変貴重な意見と言う事を忘れてはいけない。それが…例え、いやこれは君がいや…、ミライが気づくべき事か…、まぁ頑張りたまえ、二重の意味でね」

「それもそうですね、頑張ります…しっかりと理解して貰える様に…」モルはこちらに向って微笑みながら、返答をする。少し先ほど言語化できなかったものが分かったかもしれない、彼女は不釣り合いなのだ、この職場に居る事も、この場所に居る事も、そして私達と対等に話そうとするのも、全てが違和感を持つには十分な要素だ、彼女に闇が無いとは言っていないが、そういうものからは縁遠い人間が居るとしたら、彼女の事を差すと思う。

「外はもう真っ暗です、また明日このフロントでお待ちしていますね、お休みなさい。ミライさん、明智さん」この場に不釣り合いな少女は、この世界の闇に消えていった。

 そう言ってモル君は職場を後にする。ならば私達もこの場に居る意味はない、早速向かおうとしようか、サチアが育った家というの物を、この目で見たい。彼女がどう生き、どう育ったのかを、どれだけ大変だったのかを、この脳があれば推測はできるだろう。

「そういえば、明智はどこで寝るんだ?布団は3人分しかないぞ?」

「そうだな、私はサチアと抱き合って寝る事にするよ」無言の圧力を感じるが、まぁ最悪の場合私一人夜通し起きるのも別に問題は無い、できれば睡眠はとりたいが。

「嘘だよ、枕の一つでもくれれば、押し入れでもどこでも寝るさ」

 会話はそれで終わる、明智は辺りを見渡す、先ほどの内装が嘘の様に、辺りは廃墟と、ゴミの巣窟であった、これが生ごみや衛生ゴミでなくて本当に良かったと心から思う、人気が無い訳ではないが、確実に人数は少ない、このメインストリートを離れる様に暮らしているのかもしれないが、それにしても静かな場所だ。不気味なほどに。そして一度送られた地図アプリを開き、学者から送られてきた座標をうち込む、そしてやっぱりというべきか、何故ここをというべきか送られてきた座標はこのゴミだめの端を差していた。

「明智着いたよ。ここが俺達の家」

「ここが、君達が育った家か、なんというかどこもそうだが廃墟だな」失礼な事を言っている自覚はある、けれどこの今にも崩れそうなアパートだっただろう廃墟を廃墟以外の言葉で例える事はできない。きっと解体寸前のビルの方がまだ住み心地がいいだろう。

「実際廃墟だよ、一室だけまともに使える場所があったから、使ってるだけだし」

「まぁ家の形はどうだっていいんだ、早く部屋に案内してくれたまえよ」

 少し階段を上り、少し先を進んだ手前から二部屋、それがサチア達が住む部屋だ、部屋の中は外観からは想像できない程古さは隠せないが、しかし汚いとは言えないよう、よく手入れが行き届いた部屋だ、そして玄関から入った私を歓迎したのは、サチアでも後ろに居るミライでもなく、一人の小さな天使が私に抱き着く、トタトタと足音を鳴らしながら。

「いらっしゃいませー、我が家へようこそー」

 興奮により、心拍数が増加する、決して根拠は無いが興奮によって鼻血がでるかもしれないと思ったのは初めての経験で、故にこう例えるのが正しい判断だろう「天使だ」と。

「私の妹を邪な目で見ないでくれる?」サチアの声トーンが一つ落ちる。

「外出るか?」ミライが扉を開けたまま、普段見せる事もない笑顔で外に指を差す。

「わ、私は決して、彼女を邪な目では見ていない!事実無根だ!」

 明智の切実な弁論は天使の心に響いたのか、サチアとミライの妹、レニ君と言ったか、彼女は私の手を引き、部屋の中央にあるテーブルの前に案内した、やはり彼女は天使だったのだ、正直者の言葉を聞き入れ、悪の言葉に耳を貸さない正に天使の名が相応しい。

「えーっと、明智さん!」彼女は緊張しているのか、大きな声で私の名前を呼ぶ。

「なんだい?レニ君」だからこそ私はその緊張を和らげるために、優しく言葉を返す。

「あ、明智さんは天才だとお聞きしました!わ、私に勉強を、お、教えてください!」

 精一杯の勇気を振り絞った彼女のお願いは実に可愛らしいもので、それでいてどこまでいっても真面目な物だったこの場所にいて暗い方向へ思考が向かうのではなく、未来へ、幸福を掴む為に彼女は行動しているのだ。それはどれだけ美しい事か明智は理解できる、だからではないが、彼女の想いを、理想を、願いに近づける手伝いを私はしたいと思う。

「あぁ、構わないよ、私から何を学びたいんだい?知っている事なら全て教えるよ」

 その言葉を聞いた彼女の顔は何処までも、純粋で美しかった。そうしてお泊り会と称したレニ君の為の勉強会は夜も更けていく、彼女の睡魔が限界を迎えた時、この楽しい時間は終わりをつげるのだ。それは悲しい事ではないが、もう終わってしまったのかという虚無感を胸に抱えて、私は楽しかった今日を終わらせる為に寝床に付く。

 微かな気配と足音が聞こえる、その音はこの部屋の前の玄関口或いは外だ、恐ろしい程素早くそして音も無く犯行を済ませた盗人か、それともこれから犯行を行う馬鹿者かはわからない、前者であれば本社が全力でスカウトに行くであろうし、後者であれば命は無い。足音が止む、気配は残り続けているこちらを待っていると言った様子か、ならば私は赴くとも、これが愛の告白という可能性も否定できない以上、断わる理由もさして思いつかない。だからというのは変だが、私は正々堂々と丸腰で扉に手を掛け、外へと向かう。

「起こしちゃった?」

 そこに居たのはミライであった、私は眠たい脳を巡らせた思慮し決断までした行為が無駄だったことを知り、彼にこう告げる「無駄に気配を消さないでくれたまえよ」と。

「悪い、幸せそうに寝てるサチア達を起こす訳にもいかなかったし、明智に気を遣わせたくなかったから、何とか気配と足音を殺したんだけれど、なんでわかった?」

「外に出るまでは、完璧だったさ私も気づかなかった、外を出た後は稚拙も良い所だが…、だからこそ教授の手先かと思ったんだが、無駄な気苦労だった」明智は、光が乏しいゴミだめでも見えるように、大きな身振りでその無駄な気遣いを伝えた。

「稚拙で悪かったな、それになんで教授?先生ってやつだろ?その手先がそんな技術持つ訳ないだろ」小馬鹿にするように、ミライは笑った。やれやれこっちの気も知らないで。

「ミライ、君はシャーロック・ホームズを知っているかい?」

 ミライは少し考える様に顎を触る、はて何だったかと思い返す様に、一度くらいは聞いた事があった気がすると考える様に、そこまでしなければ思い出せないのならば、それは覚えていないのと同義だろうに。

「230年程前、アーサー・コナン・ドイルという小説家が描いた探偵小説だよ」

 明智が名前を出すとミライは、漸く思い出し合点が行ったのか手を打つ。ミライはモル君との会話でも解るように文学をかじってはいるのだろう、サチアとは違って。逆なら…。

「名前だけは聞いた事ある気がする、あれだろ『初歩的な事だよ』ってやつ」

「私は彼のファンではないから、確かな事は言えないが、それは原作で言ってはいなかった気がするが、まぁミライの認識で間違いはないよ」

「それでそのホームズがなんだって?ホームズ教授?探偵兼教授なの?」

 ミライの疑問はそこに戻る、まぁ私が話の本筋を話していないのだから、その反応も当然と言えば当然なのだが。と言っても言ってしまえばこれは、ネタバレだ。これから読む可能性が人間に伝えてもいいものかと明智は考える、けれど著作権は年月が経てば持ち主から離れると同じ様に、230年前の小説のネタバレを気にしてもしょうがない。

「教授っていうのはホームズの宿敵、ホームズの世界で起こる半分の悪事はその教授によって引き起こされ、そのほぼ全てが未解決事件に終わるという、そしてホームズは彼をこう称した、犯罪界のナポレオンとね」

「犯罪界のナポレオン?なんか昔読んだ本に、そんな名前の偉人が居た気がする『私の辞書に不可能は無い』とかそんな言葉なかった?」

 彼の認識に間違いは無い、ナポレオンとは簡潔に語るのであれば、戦争の天才というべきか色々な意味での革命人というべきか、まぁ偉大な人物である事に変わりないか。

「まぁナポレオンというのはどうでもいい話かもしれない、重要なのはホームズの宿敵モリアーティ教授は数学者であった事、そして今回の事件を起こした者も学者を名乗っていた、探偵の敵が学者というのは、出来過ぎた話だろう?」

「それは確かに、そうかも」

 ミライは納得して、虚空を見つめる。会話が終わってしまう、この何とも言えない間が私には耐えられなかった、他人の領域にズカズカと入り込むのは好きでは無いが、一つ気になった事を聞きたいと明智は思う、彼とサチアの関係がどうしようなく気になっていた。

「少し込み入った話を聞いてもいいかい?」

「構わないけど」相変わらずミライは虚空を眺めながら、返答した。

「君とサチアの関係性について、というか君達の人生を私は知りたい、いいかな?」

 明智は踏み入った質問をする、決して彼らの人生は輝かしいモノではないと断言できる、人に自慢できるものでもないだろう。だけれども私はそれを知りたい、自分自身の為にだというのは認識している、だからこそ私も対価を支払おう。

「君達の人生を教えて欲しい、代わりといってはなんだが、対価として私は君からのどんな質問にも答えよう、これでどうかな?」

 ミライは少し考え、ゴミだめの天井という空に向けていた瞳を、私個人に向けた。その瞳から何かを推察する事はできないが、この交渉が成立した事はすぐにでも理解できる。そしてミライは口を開く、どんな人生を歩んできたのか、どうしてここに居るのかを。

「人生を教えて欲しいって言われても、中々難しいな。なんといえばいいのか」

「箇条書きの様な感じでも構わないよ、どの時期に、何をしていたか、そんなモノでいい」

「そう?それならできるかもしれない、でもいつって言うのはちょっと難しいな、でもわかった、話そうか、俺達の人生を」

 ミライが語る人生は決して明るいモノでは無いというのは分かっている、けれど彼の顔はどこか嬉しそうだった、その顔は子供の成長を見守る親か、それとも…、私が持ちえなかった家族という関りが生んだ表情、明智はそんな風に思った。

「大して昔の事は覚えていないんだ、けれどこのゴミだめに連れてこられた日の事は、昨日の事の様に思い出せる、朝日が昇る中誰かに連れられて暗いこのゴミだめに置いていかれた、何も分かっていなかった自分が捨てられたって事を、気づいたのはその場に立って待つことしかできなかった俺を偶然見つけた、サチアに会ってからだった」

 ミライは一つ咳払いをする、そしてこちらに続けてもいいかい?とアイコンタクトを取る。明智はミライからのアイコンタクトに対し頷く事で返答する。

「『アンタ捨てられんだ』ってサチアがいきなり言ってきて、その時初めて自分の状況を理解した。あぁ自分はこれから一人なんだって、年端も行かない子供がどうやって生きていくんだって、その当時はそんな事を考えてもいなかったけど、けれどサチアが自分の住処に『今日だけは泊めてあげる』って言ってくれて、なんとか一日は生き延びる事ができた。その一日でこの場所でどうやって生きていくのかを教えて貰って、次の日にはサチアの住処を追い出されたよ、そして色々な事をやった、盗みもしたし、暴行も、その他非道な事をエトセトラとやって行って、多分数年たった時かな、サチアとまた偶然出会って、思い切り喧嘩したんだ」ミライは少し嬉しそうに語る、あの時は馬鹿だったと言わんばかりに。

「久しぶりの再会を祝うのではなく、喧嘩をしたのかい?」

「明智の言う通り、再会を祝うべきだったのかもしれないけど、その当時の俺達は生きるか死ぬかの瀬戸際で、人に物を譲れる程安定した状況ではなかった、食べ物をほぼ同時に見つけて、どちらが取るかを本気の殴り合いの喧嘩で決めようとしてね、その時だったよ、オギャー、オギャーと赤子の声が聞こえたのは」遠くの情景を眺めるようにミライは、微笑むその記憶が彼にとって、どれ程良きモノかが一瞬で分かってしまう位に、彼は爽やかな笑みで遠くを見つめている。

「それが、レニ君だったという訳かい?」

「そう、といってもレニって名前は当時なかったけどね、それこそミライって名前もサチアって名前もだけれど、まぁそれはいいや。殴り合いの最中、赤子の声が聞こえて一旦そちらに向かう事にした、そしたら本当に赤子がいた、寂しいのかお腹が減っているのかは、俺達の知識じゃわからない、だけどサチアだけは気づいた見つけた食料はこの子の為にあったんだと、すぐに理解した。そこから色々大変だったよ、レニをどうするかを二人で真剣に考えた、見捨てるって選択肢もあった筈だけど、サチアはその選択肢だけは選ばなかった、自分の食い物にも満足できない程困窮していたのに、赤子の知識もない俺達が養えるのかもわからないのに言い合いをして、サチアに言い負かされて今に至るって感じ、それからも色々大変な事はあったけど、それは別に今する話でもないかな。これでいい?」

「あぁ、ありがとう、君達の人生がどれ程大変なモノだったか、勝手に推測していたけれど、私が考えていた以上に大変だったんだね」

 明智はミライの瞳を見る、いつも何を考えているかわからない彼の瞳だったが、彼らの過去を聞いた今なら少し理解できる気がする、彼の瞳は家族しか捉えられないのだろう、二人の運命的な出会いから生まれた家族の関係、それだけがミライの燃料だと私は考える。

「それでミライからは、私に何か聞きたい事はあるかな?」

 ミライは即座に前々から聞いてみたかったと言わんばかりに、質問を投げかける。

「明智は天才だと思うんだけど、優秀な人間にはコンプレックスってものは無いの?」

 なんだ、そんな事か、そんな事を大事ななんでも答えるお願いに彼は使ってしまうのか、少し勿体無いと思うと同時に、ミライという人間を表しているような質問でもある、恐らくだが、レニ君が居るからこそ、彼はこの質問を私に投げかけたのだろう、彼女はとても優秀であるからこそ自分という存在がコンプレックスになるのではないかと考えたのだろうと…いや、もしかしたらコンプレックスでは無く自らが邪魔と思っているのか?

「コンプレックスね、無いと言えば嘘だが、あると言うのも真実ではないね」

「なんだそれ?」

「私は普通の人より優秀だ、いや多分世界で一番優秀な人間だと思う、世界一の頭脳を持ち、世界一の発想力を持っている、私の死は世界にとっての損失だ、そう言っても過言ではないどころか、真実だ。私の声を伝える拡声器さえあれば世界は勝手に発展するからね」

 明智がミライを横目に見ると彼は、嫌そうな顔をしながら話を聞いている、確かにこれだけ聞いていれば、ただの嫌味にしか感じないだろう、けれど。

「だがそれ故、私に並ぶ者は居ない。一緒の目線に立つ人間など存在しなかった。皆、私を天才だからと、バケモノだからと異端者、腫物扱いし避ける、私が人間では到底敵わない人間だからこそ私を人ではないと拒絶する。それが例え親であったとしても…、だが私にも君でいうサチア、私風に例えるなら恩師だな、彼女がこう言った『誰だって生きるというのは難しい、普通の人でも上手く生きるのは難しいんだもの』とね、別に天才でなくても上手く生きられないであれば、私は別に変な人間ではないんだとね、天才故の孤独だろうが、どういう孤独であろうがこの世界では、それが別に珍しい事でもないと、私は考える事ができた。他人と同じならば、それは劣等感にはならないだろう?」

 ミライに向って微笑みを向ける、ほらこれが普通なら私は普通の人間と一緒だと。私は人知を超えたが故の孤独がコンプレックスだ、それに嘘偽りは無い、けれどそれ故の劣等感はない。だからレニ君が幾ら成長し、優秀になった所でレニ君にとって大切な姉と兄が、周りに対しての劣等感になる事など決してないと断言するように満面の笑みを君に送ろう。

「さぁ、明日も仕事だ、いつまでも夜更かしをしていては肌も荒れてしまう、私は寝るよ」

「最後に、一つだけ聞きたい。明智はその恩師とまだ上手くやれているの?」

 寝ようとし、家の中へ戻ろうとする私をミライは止めた。その疑問を想定し忘れていた。

「彼女は死んだ、私に教訓を教えた次の日に、私を世界の中心部品にさせないと世界に反抗してね…。まぁそういう事だ、おやすみ…ミライ」

 ミライの肩を軽く小突き、私は部屋に戻る。私達の人生は明るいモノではない、しかし彼らの人生は決して人に話せない程恥ずかしいモノでもない。むしろ人に誇れる話だと私は考える。少なくても私という存在を、その場に留めた恩師をみすみす見殺しにした私よりは…。そして私は愛する人がそのような人生を歩んできた事を誇りに思う、だからもう少しサチア達は自慢するべきなのだ、私達が育てた妹はここまで成長したのよ…と。


 サチア達の家に宿泊してからちょうど1週間がたち指定された座標に向かう日がやってくる。態々日にちまで指定したという事はなんらかの罠や、手間暇をかけたのだろう、その前に侵入すればよかったと言われるかもしれないが、この1週間その場所に行ってもただのゴミの山しかないのだから行きようがない、そして今日指定された日時、私とサチアとマリーで教授が待っているであろう場所に赴く、恐らくゴミ山しかなかった場所は更地となり、なんらかの出入口がある事を推理して私達は敵の住処に赴く。

「キャップとミライは私達の援護と、もしもの時の救援としてゴミだめ支部に待機して貰っているけれど、本当によかったの?」

「あぁ、語ってしまうならば、君達も来る必要はなかったんだがね」

 そんな事は絶対にさせないと言わんばかりにマリーは、明智の腕にしがみ付いた。

「絶対に、明智さん一人を危険な目にはあわせませんぅ」マリーの腕力は単純計算で私の二倍以上、骨が軋み始める前になんとか目的地に辿り着かなくてはならないという、別の問題も発生しているが、まぁさしたる問題ではない。

「私の推理だと、教授は私に愛の告白をすると読んでいるんだが…はてさて」

「なんで教授?それよりも愛の告白って…、敵を口説いたのかしら?しかも相手はアベンジャーズの一員でしょう?良くて終身刑、普通は極刑、首でも貰うのかしら?」

 サチアは疑問も最もだ、しかし教授がアベンジャーズの一員と確定した訳ではないのだが…まぁ確定している様なモノだ。

「教授というのは…まぁミライにでも聞いてくれ、愛の告白と言うか私という存在への憧憬、あるいは私そのものの崇拝、もしくは私への憎悪を直接言いたいんだろうサ」

「どんな告白よ、はっきりと教えてくれないと私には理解できないわ」ムスっとした顔でサチアはこちらを見る、推理モノというのは見ている観客を焦らすことこそが主題だとも思うのだが、私は別に推理小説の様な探偵ではないしどうでもいいことだった。

「教授が私に抱く感情は、きっと私というイレギュラーへの憧れと執着、それと自ら存在を秘匿する事を選んだ私という人間の解釈違い、つまりはファンなんだよ教授は」

「はいはーい、マリーはぁ、明智さんのファン一号でぇーす」

 マリーは呑気にその場で跳ねて私こそが、明智という人間を一番愛しているとアピールしようとするべく、更に腕を抱く力を強める。ファン一号という自称も間違ってはいない。

「明智の腕が限界という事も理解もしないで、ご立派なファンシー脳筋なファン一号ね」

「んんー?なにか小うるさい蠅さんの声がしまぁーす、蠅が明智さんに近づかないでくーださい☆」マリーは左手に持っていたプリンセスソードを、思い切り前を歩くサチアに向って叩き下ろす。その衝撃からゴミが宙を舞う、マリーに殴られたくはないなぁー…。

「本当の事言われたらすぐに、手を出す癖やめたら?いつかアナタの王子様が愛想をつかすわよ?」すぐ手を出すマリーもマリーだが、すぐ煽るサチアもサチアだ。

「そんな事で私は嫌いにならないよ、それよりも時間は有限なんだ、ほら急いだ急いだ」

 そそくさと彼女らの喧嘩に巻き込まれないように、指定された座標へと明智は歩みを進める、そもそも私は人並以上の身体能力を持ってはいるが、結局は人として図れる範囲だ、彼女らの様に人並外れた身体能力を持っている訳ではない、私は5課の中では一番先に死ぬのだろう、どこまでいこうが私は人なのだから当たり前だ。超人的な能力を有している人間が多い会社の中で私は、超人的な脳を持っているだけに過ぎない。

 ギャースカと後ろで騒ぎながらも、後ろに付いてきている事を確認し、漸く指定された座標へと、明智達は到着した。当初の睨み通りつい昨日まではゴミの山だったはずの場所が更地になっている、まるでそこにゴミの山など無かったというかの様に、そしてご丁寧に下へ続くであろうハッチを見つけ、明智は床ハッチの戸を思い切り上に開いた。

「開けたら槍の一つや二つが飛んでくる事は覚悟していたんだけれど、そう言った仕掛けは無しか」明智は安堵すべきなのか、落胆すべきなのかよくわからない感情に襲われた。

 ハッチの奥と言っても地下十数mと言った所か、何故こんな国が見捨てた、行き場を失った者達が辿り着く終着点である筈のこの場所に、このような空間が用意されているのかは、まぁ予想がついた、これほど人材の確保が楽な場所は無い。けれどもこの地下の外壁から言って割と最近作られた事は間違いないだろう。何故教授はこの場に私を誘き出したのか、その理由が未だにわからない以上は、馬鹿正直に進むのが一番手っ取り早い。

「サチア、マリー、君達夜目は利くんだったかい?」明智は、夜目は全くと言っていい程利かない、これもまた私が世紀の天才ではあるが、完全無欠ではない証拠だろう。

「私はそこまで利かないけれど、まぁ耳は良いから問題はないわ」

「マリーはぁ、バッチリ見えまぁーす」二人は流石だぁ。

「それは何より、暗視ゴーグルは人数分持ってきたが要らなそうだね」

 明智は何処からともなく取り出した暗視ゴーグルを二つゴミ山の方へと投げ捨てる、悪いとは思っているけれど、まぁ誰かの役に立つ事を祈りここは、ポイ捨てを許してほしい、誰に祈る訳でもないが、暗視ゴーグルの更なる活躍を祈って私は空へと手を合わせた。

「何してるの?行かないのかしら?」サチアはとっとと仕事を終わらせたいのか、私を急かす、マリーは先程までの喧嘩熱は何処へ行ったのか、私の後ろで行儀よく待っている、人を愛すのは自由だけれども、何故私はこうも対照的な二人を愛しているのか、自分でもよくわかっていない、まぁそれはいつか考えるとして、教授の妾にする方法でも模索する。

 ハッチの奥に続く階段を降りて行った先には、大きい部屋が一つ、そして後ろに今まさに下ってきた階段と、明らかに二手に分ける為の扉が二つ、そして謎解きをして欲しそうに佇む一枚の紙がそこにはあった。

 明智は書見台にのった一枚の紙を左手で取り、その内容を見る。謎解きならばサチア達に任せて私は、物見を決め込むつもりだったが、どうやら教授に遊ぶつもりは無く、ただ私への告白をする気しかないらしい。

「マリーとサチアはそっち、私はこっちらしいよ」

「どういう事ですかぁ?」不思議そうな顔でこちらを眺めるマリーは可愛い。

「どうもこうもそういう指示が出されたのさ、ご丁寧に名指しで特異点様御用達ってね」マリーに指示が書かれた紙を折りたたみ紙飛行機にして、彼女の手元まで飛ばす。

「『右手にて特異点様をお待ちしております、それ以外の雑輩の皆さまに置かれましては、左手進んでいただきたく存じます』…んもぉー、マリーは怒りました!マリーから王子様を奪おうなんてぇ、許しません!」そう言うと同時に片手で持っていた、プリンセスソードを両手で構え、二つの道を一つにするがべく壁を両断しようとした、その瞬間だった。

『指示に従わないのなら、君の王子様は生きて返さないがいいかな?』

 マリーは寸での所で剣先を止めた、マリー自身の命が相手に握られるのは構わないだろうが、私の命が相手に握られるとなると話は別だ。マリーの勝手で私の命を賭ける事はマリーにはできない。教授は私が一人で来ようとして、二人が付いてくるというのも読んでいたという事だろう。完全に相手に嵌められた状態、それをサチアは分かっているのか、彼女は左手の扉の前に立っている。

「それじゃあ、私達が生きれるような仕掛けならまた会いましょう、そうじゃないのならさようならね」死ぬかもしれないというのに、彼女は明智に笑いかける。

 明智もその心意気を理解している、だからこそ私は彼女達にこの言葉を送ろう、決して彼女が生を諦めないように。

「それじゃあまた後で、今夜は一緒に三人で寝ようか」

「えぇー、マリーはぁ、二人っきりがぁ」

「はいはい、行くわよー」駄々を捏ねるマリーとそれを静止するサチアまるで姉妹だ。

 マリーの首根っこを掴み、そそくさと左手の扉に入る。果たして私達を生かして返す気が教授にはあるのか、それともここで全滅させアベンジャーズの勝利を決定づけるのか、まぁ前者である事を考えなければ、やってられない。明智はそう考えながら右手の扉を開いた。開けた先にあったのは、更なる扉とその扉の前にある3冊の資料の様なもの、現代に置いて電子化されていない紙の資料とはかなり珍しいと思いながらも、歩みを進める。

『そこにあるのは、この世界の闇です、それを見ても尚、貴方はこの世界の味方をしますか?それを私に教えてください』どこかに設置されているであろうスピーカーから声が聞こえる、前のホテルでも聞いた教授の声だ。

「そんなもの聞きたいのなら、メールで送ればいいものをなんでこんな回りくどい方法を…」その言葉を言い終える前にその理由は、凡そ察する事はできた。これはネット回線に流せる訳がない、一瞬でもデータのやり取りをしようとした瞬間、国が総力を挙げて、その存在を抹消させようと躍起にもなるだろう、だからこその紙の資料という訳だ。

『ご理解いただけましたか?』

「あぁ理解したよ、君は私がこれを読み終わるまで、大人しくしてくれるという認識でいいのかな?」教授に確認を取る、その代わりゆっくりしているとマリー達がという事か。

『えぇ、どうぞごゆっくり一読ください、お連れの方々がどうなるかの保証はしませんが』

 やっぱり、こちらの部屋はゆっくり出来ていると言え、向こうがどうなっているのかはわからない、けれど無線も繋がらない現状、十中八九彼女達の身に危険が迫っているという想像するのは難くない。ここは徹底した電波暗室にでもなっているのだろう、ここが何かの拍子にでも見つかってしまっては困る様な隔離施設であるなら、人材確保以外にも、この場所に態々作ったというのも、理にはかなっている。

「まぁいい、マリー達は上手くやるだろう、ならば私は私がやるべき事をやるだけさ」

 明智は置かれている3冊の内の1冊を手に取る、タイトルは無し、この資料に何かの細工をされている様子もない、資料を手に取った事による罠などもなし、本当に教授は私にこの資料を見せる為だけに、このような回りくどいことをしたのかと、明智は不自然に思う、私の26人の得意先を殺害する必要もない。私の気を惹きたいのならば他の方法は幾らでもあった筈だろうに、例えば恋文とか…。それだけ私が世界に出ない事が彼女にとって許せないのか、しかしそれを問うのは教授と相対した時でいいだろう。

 資料の1ページ目を明智は捲る、どんなものが目の前に現れたとしても、私は驚く気はなかった。こんな見るも怪しい場所から出てくる情報なんてものは、たかが知れている、ヒト化クローンの研究?それとも新種のバイオテロか、ウイルスか、まぁ世界が不気味に平和を保っている以上、国がそういう事に手を染めていても別に驚きはしない、仮に出てきた物がアンドロイドやサイボーグの研究だろうと似たような物をこの目で既に見た、けれどこの場所がやっていた事は私の想像を下回る、オカルトチックな妄執そのものだった。

 目に入るのは、実験記録とその経過、それだけが記された資料。名前は黒く塗りつぶされ、写真も誰かわからないよう目を黒線で隠されている、ならば最初からこのような余計な情報を書かなければいいのにと思いながらも、実験記録を読み進める。実験は失敗、被験者は死亡、死亡、死亡、死亡、死亡、死亡、死亡と延々と人の命をただ踏みにじる行為の数々。資源の無駄とは彼らの実験に対し使うのだろう、これだけの失敗を繰り返しても、何か別の方法を試すのではなく、あくまで我々の思想は正しいと信じ込み、今の所は変える事はせず成功を祈る馬鹿そのもの。しかし馬鹿にしていたのも束の間、ある時から死亡の記述が一段落遅れる、第一段階特異性の付与に成功、その後死亡。これがまた延々と続く、なるほどこの記録に示していないだけで、彼らなりにも試行錯誤はしていたという事か、それにしても特異性とは、どういう事なのか。私の様な天才を量産する計画を立てていたのかと思っていたが、そこまでの頭が回る連中ではなく、ドラッグを決め込んでしまったかの様な妄執の実現を夢見る危篤な人間達という事を忘れていた。

 ある程度で済ませていいかはわからないが、まぁある程度の人間を材料として第一段階の安定に彼らは成功した、そこで漸く特異性の意味が記載される、曰く人間の一部機能を更に拡張し、優れた人類を新たに造る計画らしい、似たような物を私は知っているが、そちらの方がもう少し簡単に優れた人間は造れていた、成功数は五分でもコスパが悪過ぎる。

 これは個人的な疑問だが、何故自らが優れた新人類になろうとしないのか、それが解らないもし成功した人間に反旗を翻されるのがオチだと思うが、よほど被検体に良い暮らしをさせたのかその予兆は無さそうだった。そして明智は実験記録の2冊目に目を通す。

 そこに書かれていたのはやはり、夥しい数の屍の数々の記録第一段階を上手くクリアしても長生きはできないらしい、そして長生きできそうなモノは第二段階とやらに移されこの第二段階で殆どが即死、即死とまでは言わずとも長く見て3日以内の死亡。第二段階は特殊性の付与、言ってしまえば超能力の様なものを彼らは人間に持たせようとしたらしい、特異性の付与では人間の機能の一部を拡張する事しかできない事を悟り、人間の機能外の力を得ようとした訳か、特異性の付与が成功した例の死亡例を見てみると、確かに人間の機能の向上と言っても別に何一つ違和感は無い、骨の異常生成、体内温度の変化、筋肉の異常隆起、脳の覚醒、感度の上昇エトセトラ、エトセトラ。とバラバラな特異性を身に着けたと思ったら、骨が全身から皮膚や筋肉を突き破り死亡、体温もそれに耐えられる体があるのならば別だが、耐えられないなら臓器が障害を起こし死に至るだけ、筋肉も筋肉で自分を絞め殺し、脳は入ってくる情報に耐え切れず発狂、感度が上昇した所で肌が感じる事ができるようになったとして、空気に触れるだけで極限までの激痛を味わうのでは意味はない、馬鹿が生んだ妄執によって死んでいった人間が千に到達した時2冊目は終わりを告げる、けれどその馬鹿でも悪魔の証明を成功させたとあれば世界でも指折りの研究者だ。教授はこれを私に読ませて世界の憎しみを抱かせる気でもあるのだろうか?まさか、そこまで馬鹿ではないだろう、ここまでは茶番、何が言いたいかは3冊目にあると明智は睨む。

 3冊目を開いて全体を確認するべくペラペラと流し見するが、この3冊目は10ページ程で終わっているらしい、悪魔の証明を達成し必要なしと判断され組織はデータを残し処分、それとも第二段階の安定でクーデターを起こされるか、まぁ答えはどの道一つで、彼らが辿る道も一つだ。唯一別の可能性があるとすれば被検体の底をついたか位か。

 実験記録は合計で13ページつまりは1013名もの人材がこの愚かな妄執に費やされたという事、11人目まで何も変わらない先ほどと同じく第二段階に耐えられないか、第一段階で限界を迎えたかのどちらかだ、しかし12人目は私の良く知る人が記載されていた。被検体1012番そこに写っている姿と名前は紛れも無く、サチアそのものだった。『第一段階の成功、得た特異性は聴力の異常発達。第二段階の成功、持ちえた特殊能力は不明、しかしこの実験が始まって以来の実験の適合者』という事だけが示されている。そしてここまで来てしまえば最後のページが誰かはもう理解できてしまう、ページを捲るとそこに写るのは紛れもなくミライだった『第一段階の成功、得た特異性は視力の異常発達。第二段階の成功、持ちえた特殊能力は推測ではあるが未来視に準じるモノ』その文章を見て、明智は笑ってしまった。

「ここまでのリソースを割いて成功したのが、聴力と視力の発達と未来視の様なモノだって?馬鹿馬鹿しい、そんな事の為に彼女らは生きてきた訳ではない!」

 明智の声が狭い一室に反響する、その反響を通じてか、はたまた資料に全て目を通した事を教授が知ってか、閉まっていた先の扉が開く。その先は一本道の通路、横に入れる部屋はあるものの、そこには一切価値は無いだろう、この最奥に教授は待つ私はそう考える。

「教授聞こえているか?私はこの資料に目を通したぞ、なんだこの無駄な研究の成果は」

 明智は怒りにも似た感情を覚え、悪魔の証明を完遂した事だけは褒めてやる、だが証明で得た物はゴミより価値が無い。八つ当たりの如く私を監視している教授に話しかける。

『言ったはずですよ、貴方が目に通すのはこの世界の闇だと』機械音声の様な声が通路を反響し、更なる言葉が私を苛立たせる。『この世界はとても不平等だと思いませんか?』

「不平等?まさか君達は報われない自分達に社会的地位を与えられたいという、ある種の平等を求めて行動しているのかい?それならやり方を間違っているぞ、君達のやり方では迫害が更に酷くなるだけだろうさ」

『私は、私が迫害を受けようが、極刑を言い渡され言ようが構いません、私はただ貴方という世界の宝をつまらない鳥籠に閉じ込める世界に、貴方が堂々と自分の研究を発表できる平等を求めているだけです』

 まさに推している人間の事を考えず、自分がこうあってほしいという理想を押し付けようとしてくる厄介なファンに変わりない、だからこそ私は苛立たしい、私という偶像のファンを生んでしまった私自身の稚拙さを、私自身を隠せなかった未熟さが。

「良い事を教えてあげよう、私はね。世界は不平等であるべきだと考えているのさ、私が望むのは公平な世界だ、誰しもが公平な世界を私は作る事が、私の目標なんだよ」

『公平と平等そこに違いはありますか?平等な世界と公平な世界どちらも達成できれば、幸せな世界でしょう?』

「いーや違うね、平等というのは強者が弱者に合わせる世界だ、そして公平というのは弱者を強者に合わせる世界だ、合わせる方向が違うだけで全く意味は変わるのさ、みにくいアヒルの子は、自身が白鳥という美しい生き物である事を知り幸せに至る物語、平等とはこのアヒルの子にアヒルのまま生を終えさせる行為だ、例え白鳥だったとしても、アヒルとして生を受けたのならば、他のアヒルと違うとしても、アヒルとして平等と扱われなければならない。そんな世界私はごめんだね、私はマッチ売りの少女に、年の瀬の夜に慌ただしい人間と同じだけの暮らしをできるように援助する、それが私の目指す世界だよ!」

『それだけの世界を造れたとしても、そこに貴方の名前が残らないんじゃ……なに…』

 教授の声が震えているように感じた、私の名前が残らない事の何が問題なのか、私にはわからない、名前を残すという事にそこまでの価値なんてないだろうに。

「もう喋るな、君の底は見えた。君は私のファンだと言ったな、それならば考えなかったのか?私が名前なんて物になんの価値も抱いていない事に、それもわからず君は私のファンを名乗っていたのか?呆れるな」

『うるさい…うるさい…うるさい…』本当の事を言われて反論できないんじゃまるで年端も行かぬ子供だ、知識と術を持っていたとしても学者として三流で、本当に不愉快だ。

「首相暗殺も、リアルという青年を使ってキャップの勧誘をしたのも君の立案だと思ったが、この様子では期待外れだな、そこで喚いていろ、今すぐ殺しに行ってやる」

 私の愛する人達を危険に晒したそれだけで、私が貴様を殺すだけの理由にはなる。

 最奥の扉を開くと、そこには年端も行かない少女のような姿をした女性が居た、最後のヒステリックを見るに教授という人間が女性だと確信を持っていたが、私より幼い少女が私の目の前に立つ、これでは年齢的にこちらがモリアーティ教授で、あっちがホームズとも思いたくなるが、服装までいれて判断するのであれば、やはりこちらがホームズであちらがモリアーティ教授だろう。そして終わらせる為の物語は外野の声でまだ歩みを進める。

 しかしどこまで行っても幼い少女だ、ブロンドの髪に青い瞳、背丈は似ても似つかないがキャップ女性版と言った所かと、明智は観察する。正直言うと私好みの女性ではある、そのヒステリーも含めて私は彼女を愛せるだろう、けれども少し残念な事があるとすれば、彼女が画面越しで、私の愛する人を人質に取っている事。それだけで先ほどまでの考えは消え失せた。私は、私の愛する人が、傷つくのが一番堪えられない。

「死ぬ用意はできていると考えていいかな?」

「貴方こそ、この姿に油断していない?私は仮にもアベンジャーズの幹部、貴方を殺す算段も考えてきている」機械音声を通さない教授の声が、私の耳をつんざく。

「君がアベンジャーズの幹部なら、私は5課の頭脳担当だ、よろしく頼むよ!」

 言葉を言い放ち終わったと同時に明智は、袖に隠していた短刀を彼女の頭に目掛け投げる、これで殺せるとは思ってはいないが、牽制の一つぐらいにはなる筈だ。

「舐めないでもらえる?」

 教授に短刀が届く前に、教授の姿が一瞬消えたと思ったら、私のすぐ目の前に居る。手には刃物間違いなく、この距離から防ぐことは不可能だろう、ならば明智というこの身を持って、その斬撃を甘んじて受けよう、ファンから貢金だと思えば悪くも無い。

 けれどそれは君の死を確定付ける一手にもなる、こちらが見せたのは袖から取り出した短刀一本のみ、私は牽制として手の内を明かした、けれど教授、君はその牽制にその他一切の考えも無しに、私の命を奪おうとした…、それこそが君の敗因だ。

「サチアが言っていた、殺し合いと言うのは数秒で終わる、終わらないのは物語の中だけで、相手の死を確認せずに、勝利の余悦に酔う物が決まって死ぬと」

 明智の体から、間違いなく軽傷では済まないであろう、傷と鮮血が流れ落ちる。このまま長引けば私の負けだが、そこには私の言った事も耳には届かず、ただ覚悟を決めさせられて、愛しい偶像に手を掛けた事を自らの中で正当化しようと必死な少女だけだ。

 ならば私に一手余裕が生まれる、さっさと終わらせる為に服の内部に仕掛けた銃を発砲した。貫通力こそ無いが、この距離ならば内臓をズタズタにする位の威力はある。

「あっ…ああ……」

「最後に言いたい事があったんだ…、恐らく最初で最後の私のファンに…」

 教授は多量の油汗を流しながら、なんとか私の顔を見る為に、跪き地面を見ていた顔を上に向ける、別に顔をこちらに向ける必要は無かったというのに。

「喋る必要は無い……ただの……自分語りだ」傷が痛む、血が抜ける、少し意識が遠のく。

 一つだけ彼女に伝えるべき事がある。もう少しだけ私をしっかり調べていれば、彼女は私の傍に居られたという事を伝えるだけだ、私という存在がこの世界をどう思っているか。

「もう少し調べていれば…君は私の傍に居られたよ…恋人にもなれたかも知れない…私はね、この世界が大嫌いだ、だからこの世界を自分の思い通りに変えてやりたい、私がまだ君達の様な犯罪者になるものを予測して裁く機能を作っていないのは、第一に裁かれるのはこの世をいつか絶対に壊すと考えている、私だと知っているからだ。私の恩師を…私に真摯に寄り添い…私を唯一理解してくれた人を殺した世界の為に殺した、この世界を私は絶対に許さない、私のお蔭で今の生活がある…私のお蔭で今の平和がある…あの人の死のお蔭でこの世界はこの形を取っている、私はある意味で君達と同じ立場だ…けれど今はあの人が私を理解し愛してくれた様に…私も愛し理解した人達の為に自分を捨てた」

 世界に対しての憎しみが増し、私の瞳から多量の涙が零れ落ちる。

「そう……だったんです…ね……」こちらに微笑み教授は目を瞑る。

「これが、私が誰にも理解させる気のない…、私を動かす行動理念だ…満足して死ね」

 左手に持つピストルで教授の眉間を撃ち抜く、最後の表情はきっと至上の喜びだったのだろう、憧れの人を初めて理解出来たというファンとして喜びだった。

「死んだら、私の恩師と会ってくると良い、あの人に私を聞けばどれだけ、私がこの世界が好きだったか…、そしてどれだけ何故これだけ世界を憎んでいるか…それが君でも解る」

 頭から血を流す教授を後目に、教授の後ろにある装置でこの施設の電波暗室化を強引に切断する。この手の装置を簡略化して売ったのはあの人が死ぬ前だ、何時かはこの規模レベルでこのような事も出来る様にしているだろうと、読んではいたがこういう使い方をされるとは思っていなかった。公平な世界を夢見てバラまいた知識は、結局的には私の想い等理解せずに私の愛している人を傷つける。いやはや公平など諦めて正解だった、

 無線が繋がり、私はただ一つ気になる事を確認する。

「生きているかい?」

『生きているわよ』『生きてますぅ―』

 それだけの口が利ければ満足だ、そちらで何があったかは知る由も無いが、その様子では大した事は無かったのだろう。ならば私達がやるべき事はただ一つだった。

「帰ろうか」

 この世界で私の弱みを知り、理解したのはあの人と、君だけだ満足だろう?

 硝煙の匂いと、床に広がる赤い絨毯の事は気にもかけず、明智は入ってきた扉を開き、そして閉める、そこではまるで何もなかったように。

 誰がなんと評そうと、世界は私が世界を豊かにするべく、活動するそんな馬鹿な世界をどうしようなく愛している人間と、理解した気になる。

 私の事など誰も理解できない、理解できるのは私が愛した人でも無く、私に崇拝した物でも無く、知という暴力を振りかざす事しか出来なかった私をどこまでも…、親よりも愛し接してくれたあの人と私だけが理解できればそれでいい。

 床に広がり続ける赤い絨毯が、誰かが流した水滴の数々を飲み込めば、ここには何も残らない…。

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