第一話 妹想いで、姉嫌い、そして見ず知らずの市民想いの狙撃手

 もう何度目だろう、腹部に重さを感じながら起きる朝は、寝苦しかった訳でも無く、この苦しさを覚えながら迎える朝が、この重みを感じる事が一日の始まりだと認識し、この日常を守りたいと思いながら幸せを噛み締める事になるとは、少なくても幼少期の自分では考えられない事だった。ミライの腕を枕替わりにする小さな女の子、そして人の迷惑も考えずに人の腹を枕にしている馬鹿。

 ミライは腕を退けながら、頭の高さを変えてしまわない様、間に枕を挟む。華奢な女の子を決して起こさない様に、蝶よりも、花よりも丁重に扱う。

「邪魔だ、重い、どけ、馬鹿」

 ミライのお腹を枕替わりにしている女性は思い切り、体を起き上がらせる事により吹き飛ばす事に成功し、改めて背筋を伸ばしその場から立つ文字通りに起床する。吹き飛ばしても目を覚まさない馬鹿は放って起き、音のならぬように決してこの時代に相応しいとは思えない程古臭い扉を、音が出ないようそっとミライは開けた。

 お世辞にも広いとは言えない、それどころか6畳間あるか無いかの自称リビングの一角にある冷蔵庫を開き、水の入ったペットボトルを手に取り、蓋を開け、口に流し込む。冷水を寝起きに飲む事が体にいいのか、悪いのかはわからないが、いつもこのルーティンを行う事で少し残った眠気を完全に吹き飛ばす。

 もう一度冷蔵庫を開き、朝食を何するかとミライは一考する。自分が好きな物を作るべきか、それとも馬鹿の好物を態々作るか、それともあの子が喜ぶ様なご馳走にするか。

「ふわぁ…今日の朝ご飯は何かしらー?」ポリポリと服の中に手を入れた馬鹿が居た。

 馬鹿の寝ぐせや、脱げかけた寝間着、人様に見せられないような醜態を注意をするにも、こちらも似たようなモノだと思いながら、こちらに歩いてくる馬鹿改めサチアも起床した。

「知らん、レニの好きな物セットでも作ろうかとは考えてた」

「レニの好きな物って、卵料理の事かしら?ここ最近はずうっと、朝は卵、卵、そして偶に生きの悪い魚じゃない、私の好きな肉料理はいつになったらお披露目されるのかしら?少し前『しゃーねから作ってやる』って言ったのは何処のどいつかしら?」朝からよく口が回っていらっしゃる事、作られなかった原因がその事をいうかとミライは感心した。

「さぁ?『仕事は終わったから今から帰るわ』って言って、翌々日に朝帰りしてきた馬鹿とした、約束なんて俺は覚えてねぇよ」声真似をし返すが、似ていないのはご愛敬。

「本社に用事があったのよ、そしたらあらよあらよと時間が過ぎていたの、もうびっくり」

 わざとらしくおどけた面に、そしてふと湧いた虫の様な詭弁を盾にサチアは歯向かう、こちらとしても全てが嘘だとは思っていないが、けれど半分以上が自身に都合の良い事情と言う事は知っている、これが初めてではないのだから、当たり前だ。

「へぇー?…時間があっという間に、へぇー…」

「はいはい、私が悪かったわよ、自分で作りますよ、それでいいんでしょう?」

 悪びれもなく開き直り、サチアは朝から食べる物とは思えない、肉の数々を冷蔵庫から取り出し、棚からフライパンと調味料を用意し、フライパンに油を引き、肉を投入。その姿はシェフさながらの見た目であった、本当に見た目だけ。

「自分で作った物は、責任を持って自分で全部食べろよ、メシマズ」

「肉はただ焼くだけでも美味しいのよ?その目を以てしても見抜くことはできなかったかしら?私達が階段で駆け上がった180階をヘリコプターで楽に上がった、狙撃手さん?」

 あの高さの標的を見上げる形で撃てとサチアは言っている、そんな事ができる狙撃手ならば地平線の向こう側にいる標的さえ撃ち抜けるだろう、だがミライが一人楽していたのは揺るぎのない事実であった、けれどミライは考える、完璧な反論を、そして出た結論は。

「だーから最初から、最上階に標的が居るのは分かっているんだから、遠距離から無力化する?って最初に俺提案したよね?」

 その提案にサチアが「私達が中身を一掃し、状況を把握するわ」なーんて抜かしていたのだから、こちらとしては待機という選択肢しかなかったというのに。

「はぁ?起爆スイッチは複数あったかもしれない、そもそも人質だっているというのは分かっていたのだから、もしもの事を考えるのは当然でしょう?何を言っているのよ」

「その案も明智が考えた物だろう?なんかサチアが立案したみたいに言っているけど」

「明智と話し合って考えたのだから、私の案よ、文句あるかしら?」

 自信満々に胸を張るサチアだが、そこまでの胸はサチアには無いし、そもそも話し合いと言う名の密会を、何隠そうとしているのだか。しかしながらどちらもああいえばこういう、故にサチアとの口喧嘩は一切止まる事を知らず、徐々に熱を増していく。それこそ寝ているあの子を起こして、あの子が喧嘩を止めに入るまで。

「おはよー、今日もお姉ちゃんとお兄ちゃんは仲いいねー」

「「仲良くない!」」ミライとサチアは声たかだかに否定した。

 もう少しで十歳を迎えるこの子がいつも、自分達の喧嘩の仲裁人。こう自らを卑下するのも、謙遜するのも余り良くない事かもしれないが、自分達が十歳だった筈の頃よりも、間違いなく今のこの子は大人で知性もある、大した自慢話を持たない自分達の持つ、数少ない自慢話が大体この子の話だ。

「ごめんね、レニ。コイツが無駄に突っかかってきたの、私は乗り気じゃなかったのよ?」

 レニと呼ばれた少女に自分は悪くない、悪いのはコイツと弁明するサチアは滑稽だった。

「いいんだよお姉ちゃん、議論は重要だって、先生も言っていたし」

 うーん議論の重要性を既に理解している天才!これでまだ十歳未満というのだから末恐ろしい、サラサラの髪にパッチリお目目、そしてこの知性将来は美人になるだろう。

「レニは立派だよ、大人大人、他人を落とすコイツとは大違いだ」

「そーお?ならば私は大人としてオムレツを要求します!」大人と言う言葉に胸を張るレニの頭を撫でながら、けれどやっぱり歳相応だと安堵しながら、オムレツ?何か忘れて…。

「それよりなんかこの部屋、焦げ臭くない?どうかしたの?」

「焦げ?あぁああああああ」サチアの絶叫が鳴り響く、すっかり忘れていた。

 フライパンに一度置かれた肉の塊、いや肉の様な黒い物体は、一度もひっくり返される事もなく、そして自らの使命も全う出来なかったモノがそこには鎮座していた。

「自分で作ったものは、責任もって食べろよ…サチア」

 馬鹿は放って起き、レニと自分の朝食をしっかり作らなくてはと、袖を捲った時だった。

「それじゃあ、お姉ちゃんが体を壊しちゃう、焦げは体に良くないって先生も言ってたよ、だから…お姉ちゃんの分も作ってあげて?お兄ちゃん一生のお願い!」

 うん、可愛い。この寂れたアパートの様な家のカースト1位は間違いなくなく、レニでこの場で一番大人なのはレニなのだと、再びミライは評価を改めた。


 朝食に使用した食器を片付けて、そろそろ出発する準備をしなくてはならない、いくのは勿論会社と学校、自分達はこんな場所に住んでいるが、一応世に貢献する歯車の一人であり、これからの未来を担う若者でもある。会社の業種を端的に説明するのであれば清掃業…の様な物。その会社の中にレニが通う学校がある、何故清掃業と学校が混在するのかと言う疑問も承知の上だが、まぁ手広くやっている会社と言う事らしい。そんな怪しさ満点の場所に愛しき妹を連れていくのに不安が無いと言えば嘘になるが、と言ってもこの会社以外でこのゴミだめで学べる場所なんてものは存在しないであろう。教師よりも児童買春をしていた人間、もしくは小児性愛者、あるいは人体実験でもしようとするマッドサイエンティストそちらを探した方が楽であろう。ならば自分達が務めている怪しい事業の一環に任せるのが一番というのが、足りない脳で考えたサチアと自分の選択である。

「かばんと…宿題、それにジャージ?他に忘れものはないか?もう鍵掛けるぞ?」

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。宿題もジャージもこのかばんに入っています、お兄ちゃんはいつも心配してくれるけど、しっかり私も成長しています!」

「そうよ、レニも成長しているのだから、とっととアナタも妹離れしないよね」

 愛しの妹の成長を噛み締めると同時に、今日初めてちゃんとした殺意をミライは抱く。未だに一緒にお風呂に入る、レニが食器を洗わないと一緒に洗わないお前だけには、絶対に言われたくない言葉だと中指を立てて反論したかったが、レニの前だからと辞める。

「ヘイヘイ、先に行ってる。後で本気でぶっ飛ばすから覚えておけよ?馬鹿姉」

 今は辞める、けど後でサチアを本気で殴ろう、そう決心したミライであった。

「姉に勝る弟が存在するとでも?クソ弟さん?」

「やっぱり、お姉ちゃんもお兄ちゃん仲いいよね、息ピッタリだもん」

「「仲良くない!」」ほら見た事かと指を差すレニを後目、ミライはその場を後にした。

 先に家を後にし、改めて振り返り家を眺める。そこには仲良く手を繋ぎながら階段を降りる姉妹と、今自分達が出てきた一室以外は住めるとは思えない廃墟がそこにはあった。

 どこもかしこも崩れかかって、地震でも起きれば簡単にぺしゃんこになりそうな建築法とやらに絶対引っかかる建物、まぁ建築法がどんな法律なのかは知る由も無いのだが。

「レニだけは、どうにかこのゴミだめの外に出してあげなきゃな」

 近い将来、大人になるまでに、いつかきっと、あの子の幸せを今日もミライは希う。


 清掃業者だというのに、このような汚らしい外観はいかがなものかとミライは毎度の事疑問に思うのだが、清掃業でも落とせない汚れはあるのだと納得するような形で、その手の汚れは外装事剥がしてしまう以外に方法が無いという事を知った時だったと思う。丁度入社して一か月位の時にはもう口にすら出さなくなった。汚れをデザインとして妥協するか、それとも抉り取ってでも汚れを取るか、その後者にあたる仕事を任されているのが、ミライ、キャップ、明智、マリー、サチアこの五人が一班の清掃業者。仕事を楽しいと思った事もないが、ツマラナイと思った事もない、やりがいはあるのだと思う。多分自分は、ミライという存在はこの仕事ができないという位にはやりがいを感じている。

「おはようございます、ミライさん。…ミライさん?」

 上の空と言った状況の時に話しかけて来たのは、明るい笑顔に、明るい声色、ミライやサチアと違って癖毛一つもありはしない黒髪ストレートのOLらしい服装をした少女がミライに朝の挨拶をしていた。もう2年かそれ以上見続けている光景なのだが、どうにも毎度目に留まってしまう。バリバリのOLの様な風格をしているが、どう見積もっても未成年だし、そしてどこで道を踏み外したとしてもゴミだめに落ちる人間ではない、彼女がゴミだめに住んでいる。何故ここで働いているのかは…なんだったか…。

「おはよ、モル。もう少ししたらサ、サチアがレニを連れてくると思うから、いつも通りレニを教室まで届けやって」そう言ってミライはモルと呼ばれた少女の目の前に、今朝冷蔵庫から出したばかりの新品の炭酸飲料を置いた。

「賄賂ですか?そんな事をしなくても、ミライさんの頼みなら喜んでやりますよ?」

 恐らく本心、毎度の事だが自分の為になんでもやってくれそうなモルに若干の違和感を覚える、何故彼女はここまでミライに尽くすのだろう?揺すられるのか?

「そうそう賄賂賄賂。それを渡さないと良心の呵責がね、あるのだよ」

「心にも思っていない事、スラスラと話せる図太さは見習っていきたいですね」

 テキトーな嘘は同じくテキトーな嘘に粉砕される。けど良心の欠片くらいはあると思う。

 そんな事は正直どうでも良く、今はモルが先ほどまで読んでいた本に目が行く、今時紙の本なんて珍しいというのに、更に年代物に思える本だった。

「今日は何の本?ミステリー?恋愛?喜劇、悲劇?大穴のホラー?」

「全部ハズレです、今日は昔から好きな童話を読んでいました、結構面白いですよ?ハンス・クリスチャン・アンデルセン作おやゆび姫、少女が幸せになるまでの過程のお話です」

「おやゆび姫ねぇ、童話は余り興味ないかなぁー、レニとサチアが偶に読んでいたけど…」

 レニは歳相応に、サチアはきっと明智の入れ知恵、面白くなさそうと否定する訳ではないが、それでも共感できるものでもなさそうとミライは敬遠していた。しかしモルはどうしても読んで欲しいのか、どうぞ、どうぞと押し付けてくる。

「わかった、わかった、ちゃんと読むけど…感想は期待しないくれい」

「わかりました、それではどうぞ行ってらっしゃいませー」

 手を振られ見送るモルを後目に、ミライは地下へと続くドアを開き、更に地下へと向かうエスカレーターに乗る。その先にあるオートウォークに乗り今度は水平に移動する、自分とサチアの為にここまでの用意をしてもらってアレだが、ここは本当に暇だ。『やっほー』と木霊を楽しむ事位しかできない。ここからならばレニもゴミだめの外に出られるだろうが、事態はそうは簡単に行かないらしい、一回サチアが試して失敗したのを見ていた。

「そう言えば、今日は俺達だけか?あそこに出社してるのって」

 答えが返ってくる筈のない問を、虚空に向って投げかけた。我ながら無駄な事をしたという自覚はあるが、それだけ暇なのだ。独り言の一つも言いたくはなる。

 長いトンネルを抜けて、今度は上りのエスカレーターを経由して扉を開ける。目が眩む程の眩しさとゴミだめでは感じる事のできない心地の良い空気を吸う。ゴミだめにある会社が汚い事も、モルというゴミだめに相応しくない人間が居る事も直ぐに慣れたけれど、この光と空気はいつまでも新鮮な物に感じる。あそこでこの光と空気を味わう事はできないのだから、当然といえば当然かもしれない。

 本社に到着し真っすぐエレベーターに向い、職場の事務所がある5階を選択し、エレベーターは起動し5階に到着した。エレベーターの扉が開いた先には左右に3つの扉、その全てが清掃部門の部屋であり、手前から一番右が用具室、それ以外が他清掃班の事務室。

 きっと明智は寝坊、マリーはその明智を叩き起こしに、

サチアは未だ後方にいて、他の班は休暇中、となるといる可能性があるのは。

「キャプテンが居るかな?」可能性があるのは規則正しいキャップ以外居ないだろう。

「僕がどうしたって?」ミライと頭一つ違う男性が横から声をかけてきた。

「なんだ、階段で上がってきたんだ、珍しいねこの時間なら大体事務所に居るのに」

「昨日はスーツの改良につい熱が入ってしまってね、お蔭でこの様だ」

 やれやれとわざとらしく手を上に挙げ、首を振って見せるキャプテン。金髪碧眼の日本人離れした外見、男の自分にもそう思わせる、この人は絶対女性に好かれるのだろうと思わせる性格と見た目。我々と比べるのもおこがましい程の頭脳を持つ、ミライが務める会社の技術担当、趣味は自分のパワードスーツ弄りと、武器等の考案。恐らく天才と言われる人間の一人に入るだろう、なのに何故傲慢でプライドが高く、全てが自分中心のスケベ。人間が背負う七つの大罪全てを死刑執行レベルで犯す明智とは全く違ってどこまで言っても紳士、同じ天才でもどうしてこうまで違うのか。

「キャプテンはどうしてそんなに頭がいいの?」頭の悪さが露呈する質問をここで一つ。

 明智の様な異常な知性と知識も、キャプテンの様に専門知識も無い、だからこそ疑問に思う、どうしてそこまで頭が良くなれるのか。深い意味なんてない、ただの疑問。

「僕自身が、凄い優れているとは思わない、明智を見ているしね。でも理由があるとすれば好奇心という名の欲求かな?知らない事知りたい、作りたい物を創りたい。後あるとすればその感情だけで勉学に熱中してしまえる単純さかな?」

「簡単に言っているけど、俺には理解できないなー」事実好奇心なんて覚えた事がない。

「そんな事は無いさ?ミライには今そういう欲がないだけさ。その欲が明智の様に全能か、僕の様に一極集中か、それとも別の何かかは、ミライにしかわからない事だけれどね」

「欲求か…、この機会に探してみるか?」

 キャプテンの少し先を歩きながらミライは顎に手に当て考える、欲求なんてモノ深く考えた事も無かった、欲が薄いというのは自覚はしているし、その理由もわかっているのが少し質が悪い、けれど考えたところで浮かぶのはレニの幸せくらいなモノだ。

「難しい事は考えないに限るね、知恵熱が出る」

「知恵熱は赤子の頃に突然起こる、発熱症状で大人になってなるものではないよ、ミライ」

 へぇーそうなのか、また一つ賢くなってしまったと頷き、おもむろに事務所の扉を開く。

 一つ、囁く様な声と。もう一つ、抑える事の出来ない嬌声がドアを開いた瞬間にミライの両耳に入ってきた、相も変わらずうんちくを話すキャプテンには聞こえないであろう、小さな二つの声。先程自らの欲求にレニの幸せを挙げたミライだったが、恐らくそれは間違いで彼女らがやっているその行為こそが、欲求を示すのにふさわしいのだろう。ミライは音も立てず、光も入らせずに事務所の扉を閉めた、これが正しい反応だと信じて。

「どうかしたか?ミライ」

「キャプテン一回、一階に戻ろうか、飲み物奢る。というか奢らせて欲しいさっきの授業料?講師台?として」

「ダジャレかい?それにあの程度の会話で授業料なんて、必要ないよ、いつもの事だろ?」

 まま、そんないつもの事でも敬意を示すのは大切な事なのだよと言わんばかりに、キャプテンの体をエレベーターに押し込み、一階のボタンを押し、少しの静寂の後キンコンと、到着を知らせる合図と共に扉がもう一度開いた。

「あらミライじゃない、てっきりもう事務所にいるモノだと思っていたのだけれど」

「事務所に入れない様な雰囲気だったもんでね、丁度いいサチアにも飲み物をば」

 キャプテンは右手で、サチアは左手で無理やりと言う形ではあるがミライは自販機の前まで引っ張り歩く。先ほどのマリーの嬌声の感じからして、もうそろそろクライマックスであるとミライは推測。たぶん、恐らく、きっと、自信はないけど、絶対。

「ミライ早く端末でお金払ってくれないかしら?奢ってくれるんじゃなかったの?」

「というか一体何を見たんだ?いきなりドアを開けたと思ったら閉めて、一階へって」

「あぁー、なんて言えばいいかな?とりあえず払うね、払います」

 端末を自販機にかざし、お好きな飲み物をどうぞと自販機の前から退く。それにしても何といえばいいのか、素直に肉欲を貪っていたというべきか、それともいつぞやに聞いた乙女の園がそこにあったというべきか、さてどうしたものか。

「まぁー、その…近くにありすぎて見えなかったと言いますか…ハハハ…」

「なんだそれ?まさか本当に知恵熱が出たのかい?どれどれ」キャプテンがこちらのおでこを自らの手で触り、自らのおでこと体温の差を比べる。手は冷たくて気持ちが良かった。

「ミライが変なのはいつもの事でしょう?そのまま頭の中研究してくれてもいいわよ、キャップ。それじゃあご馳走様」

 サチアはミライに自分が飲んだ飲み物のゴミを手渡し、一足先にエレベーターの方へと向かう。ゴミは自分でと言おうとしたが、先にエレベーターに乗られてしまっては待たなくてはならない、それは面倒くさい。

「ちょっと待ってー俺も乗るー、てかさっきのどういう意味だコラ!」

 ミライはサチアから渡されたゴミを後ろへほうり投げ捨てる。

「ゴミは投げるなって…、ってもう居ないし。それよりも僕は見もせず、見えてもいない、ペットボトルと同じサイズしかないゴミ箱に直接入れる事のできる、精密性と空間把握能力を知りたいんだが…まぁ天賦の才という事か…」

 全くと肩をすくめ、もう一度階段を使い5階への歩みを進めた。

「で、一体何を見たのよ、大抵の事じゃあ驚かないから言ってみなさいよ」

「背徳感が働いた結果生まれた、情欲の暴走かな?知らないけど」

「なにそれ?やっぱり熱でもあるのかしら?確認してみましょ」

 サチアはおもむろに端末を取り出しこちらに向ける。故にこちらもピースで返したのだが、今は邪魔と言わんばかりに、差し出したピースは邪魔と振り払われた。

「熱はないみたいね、というか当たり前ね、馬鹿はなんとやらとも言うし、あーあ、少しでも心配した時間を返して欲しいわー」

 失礼な事を言う奴だ、彼女達の名誉の為にこちら隠した親切心をなんと愚弄する事か、流石サチアだ。というか別に隠す必要もなかったのだが、サチアに言えばサチアを含めた第二ラウンドが始まる可能性もあった、故にミライの判断は正解だっただろう。といっても終わった後のマリーを見れば嫌でも察してしまうかもしれないが、まぁ知らないに越した事はないだろう話が余計にこじれるだけのような気もしなくない。

「そういえばレニは、何か言ってた?俺達の仕事に対する不満とか、何とか…」

「強いていうなら給料面…、嘘よ、言ってないわ、レニは私達と違って出来がいいからね。あったとしても帰りが遅い事や、残業の多さ、急なシフト変更それぐらいよ、多分ね」

「多分なんだ、サチアならレニに関しては絶対って言いきると思ってた」

「私は絶対なんて知らないわよ、生憎アナタと違ってね、それよりもモルに貸してもらった本読んであげなさいよ、憂慮してたわよ余計な事したかもってね」

 余計なお世話だ、言われなくても数少ない友人のモルを泣かせるような事はしない、けれど絶対は知らないか、サチアは可笑しな事を言った所為で少し笑いそうになる、この世界程、絶対に縛られている世界なんてないだろうに。それにしてもサチアも少しは姉らしく大人になったという事か、断言だけではなく、憶測という言葉も覚えたらしい。

 けれどサチアが今のレニの感情が解らないんじゃ、ミライには決して解る事はないのだろう、だってレニに対して一番真摯に対応しているのはサチアなのだから。

「自分の時は思わなかったけれど、子供の成長は早いわね、少し目を離したら…もうどこに居るかもわからなくなっちゃう」少し悲しげにサチアは上を見上げる。

「そういうもんか」故にミライは納得した「えぇ、そういうものなのよ」そしてサチアが軽く言い放つ、そうか、そういうものなのだと自分に言い聞かせる様に。

 何とも言えない静寂が二人を包み、若干の気まずさが混在したが、その時間も一瞬、何故ならばサチアが用具室に入った為だ、ただ一言「仕事の準備」だからミライも了解し、自らの仕事を確認の一つでもしようと、既にクライマックスを迎え、静寂に包まれながらピロートークでもしている二人の間に割って入りでもしようと考え、もう一度扉を開く。

 そこには素っ裸、尚且つ他人のデスクで熱いキスをしている女性が二人。

「いい加減にしろよ?このスケベ探偵がぁああああああ!」

 ミライの心からの叫びが、防音機能も付いている事務所に響き渡った。

 何の躊躇いも無く人の目の前で着替える明智と、物陰に隠れて必死に素の自分に戻ろうと必死のマリー。階段から上ってきたのか、やけに遅かったキャプテンも合流し、会社一の色男を目の前にしても尚、恥じらう事なく着替えを続行する明智と、キャプテンの到着で更に慌てるマリー、まるで成人映画とドタバタコメディー映画が混在しているような異質な光景だ、マリーもそんなに恥ずかしがるなら明智の言う事を無視すればいいのに。

「明智…、僕なりの意見だが、女性というのはもっと恥じらいを持つべきなのでは?」

 ごもっともな意見が明智に向って、直球ど真ん中に投げられた。

「ふぅむ、君なりのジェンダー論かな?だがそれは些か古いな、それこそ100年前の考えだ、女性が男性の望み通りの女性らしさを見せる時代は21世紀で終わっているのさ」

「そうか、それはすまない、一般論だと思ったんだが、そうかそうでもないのか」

「こんな所で天然発動しなくていいよ、キャプテン。間違いなくキャプテンの意見が正しいからね、マリーの反応が正常」こんな露出狂が世間一般の認識にされるのも堪らない。

 そのマリーも人様の机の上で、営みを行うというこれまた倫理観0なのが少し頭を悩ませる所だが、マリーは明智命という所もあるのだし、仕方ないかもしれない。

「マリーの事は放っておいてくださぃ、もうお嫁さんにいけないよぉ」

 消え入るようだが可愛らしい声が、仕切りを隔てた壁の向こう側から聞こえた。いや会社でしないで家でしてろよと言うのが個人的な感想だが、そのマリーの見せた一瞬の隙を見逃さないのが、ここにいるスケベ探偵の嫌な所だ。

「そんな事はないさ、マリーは素敵なお姫様だ、いつ何時何があってもね、私が保証する」

「うわぁーん、明智さぁん、大好きぃー」

 まだ着替えの終わっていない両者が再び抱き合う、もういいやと言わんばかりにキャプテンは自らの仕事用具を持ち外へ向かい。ミライも、もう勝手にしてくれと言いたげにため息を残し事務所を後にした。仕事では頼りになる二人だが、日常ではこんな感じ、ここに酷い時はサチアも加わるのだから、もうこちらとしては手の施しようがない。

「続きは着替えてからやれよー」ただそれがミライの切なる願いだった。

 用具室に向い、サチアに今日は一人で何処の仕事に行くのか、少し気になってはいた。というか流石にアレだけ騒げばきっとサチアの耳にも入っているだろう思い少し、扉を開く手が重い。愛に狂う人間は多いらしい、だからこそあの三人が泥沼の三角関係に…、はならないな、何故だろうか?その事に関しては確固たる自信がった。そう思えば気が楽だと扉を開いたけれどそこは人気も無く、明かりも点いていない、もう既に仕事に行ったか?と考え、手癖で横にある電灯のボタンを押したその時だった。

「手を頭の後ろに組み、地面に伏せなさい。逆らえば空っぽな脳みそを撃ち抜く」

 酷く冷えた視線と、しもやけを起こしそうな声色で、頭に棒の先端に中央に穴が開いた筒状の何かを当てられる、言われた通りに、手を後ろに地面にミライは伏せようとする。

「あら?随分従順なのね?朝の威勢は見せかけだったのかしら?ちょっと拍子抜け」

「サチアが相手だろうと、誰が相手だろうとこの状況で逆らうのは馬鹿じゃないっ…っと」

 言い訳を言い終える前に、ミライは後ろにいるサチアの足を引っ掛け重心を崩す、転ばせてしまえばこちらのものだ、こちらに向けられていた何かを奪い取り、向きを変え今度は先程までのご主人様に向ける、勝負あり、どちらの勝ちだとしても勝負ありだ。

「私の勝ちと言う事でいいかしら?いくら武器を取り上げても私はミライを三回殺せた」

「そんな事言ったら、ここに入る前にこの部屋を爆破していたら、俺の勝ちだよ」

 自慢げに勝ちを張る胸も無い癖に胸を張るサチアに対し、ミライは露骨に不満げな表情を見せた、それよりも流石に銃の変わりにドライヤーは無理があったのではないだろうか?もう少しマシな何かなかったのかと言うのが今の感情。初めから脅しでも無く、訓練ですらない、ただの遊び心だったという訳だ。そもそも遊びじゃなくサチアが本気で殺しに来ていたとすれば、サチアの言葉に偽りは無く、ミライは三回殺されていただろう、脳天に一発、心臓を一突き、頚椎骨折のトリプルコンボのパーフェクトKOだろう。殺そうと思えば殺せた、それが満足だったのかサチアはルンルン気分で事務所に向かった。

「あ、サチア、今行ったら…」

 サチアが扉を開けると共に、サチアの怒声が聞こえる、それも行為対する叱責ではなく、何故私は混ぜないという怒りと言う形で、本当に今日誰も居なくて助かった。

「まだ終わっていなかったのか?流石に自分のデスクで仕事をしたいんだが…」

「ごめんねキャプテン、多分これから第二ラウンドが始まるよ」

「そうか…、もう暫くここで粘らせてもらうとするよ」改めて端末に目を落としたキャプテンを見てミライは小さく「身内もだけど班そのもの恥だね、あれは」そう呟いた。

「まったくだな」苦笑いを浮かべながら、キャプテンも納得し。端末に表示されている莫大な情報量を処理していく、その殆どが自身のパワードスーツの事だろうけど、とてもじゃあないが理解できるとは思えない、本当にどうしたらそこまで頭が良くなれるのやら。

「第二ラウンドが終わったら教えて―メンテしてくるー」

「わかったよ」決してこちらを向いたりはせず、第一は自分の作業。けれど優しい声色でキャプテンは了承してくれた。神は人に二物を与えないと言うが、こと天才に限っては二物も三物も与えている、不平等じゃないかと愚痴りたくなる気持ちをミライはぐっと抑え用具室に再び入る事にした。ていうか今日のサチアは仕事があるんじゃなかったのか、第二ラウンドを今から初めて仕事に間に合うのだろうか?否間に合わないだろう、けれどまぁいい、別にこの仕事に誇りを持っている訳ではない、要は汚れ役と言う事に変わりはない。清掃という業務に終わりはないのだ、結局は掃除したその人の独断と偏見による程度の問題だ、誰かにとってのこれくらいでいいや、誰かのこれじゃあダメだはイコールではない。きっとこの世界で幸せに生きるコツは妥協を覚える事、これに限る。

 自らの仕事用具のメンテを疎かにした時、痛い目を見るのは自分だ。怒りで道具にあたる事があっても、仕事の時に使えるようにしておけばそれでよい。

「とてもじゃないけど、想像はしないでおくよ。お前が壊れる姿は…」

「ミライにそれ程まで、メルヘンチックな趣味があったなんて、お姉ちゃんビックリ―…レニに話してあげれば喜ばれるわよ、きっと『えぇ?お兄ちゃん本当?』って」

「ノックもせずに入ってきて、人の趣味を覗きみるとは性格が悪いよ、姉ちゃん」

 けれどミライがやっていた事を打ち明ければ、レニが喜ぶのも事実だろう、レニの笑顔が容易に想像できてしまうのが、少し憎い。

「アナタがレニにプレゼントするゲームは殺伐すぎるのよ、選ぶならもっと平和的なゲームになさいな、だからあの日も……、やめましょうか、私が負けるわこの話」

 サチアがこちらの方がいいと独自判断で決定したゲームが、想像絶するストーリーの重さと、暴力的表現のオンパレードで見かけのPVに騙されたと公式が炎上した話はまだ記憶に新しい、勝ちを確信しているからこそ笑顔にもなるものだ。

「何よ?その顔…腹立つわね、殴ったろうかしら」その言葉と共に近くにあったものをサチアは投げる、もしそれがグレネードだったらこの部屋ごと二人で天国へランデブーだ。

「危ないなぁ、というか第二ラウンド始めなかったの?」もし終わったのならキャプテンが知らせてくれる筈なのだが、忘れたのだろうか?

「私をあの年中発情期のスケベ探偵と、王子に従順プリンセスと一緒にしないで頂戴、キャプテンは物凄い形相で端末と向き合っていたから放っておいたわ」

 自分に対する評価がやけに高いが、まぁあの二人と比べたら少しはマシかもしれない、というかキャプテンも結局は明智と同じなのを忘れていた、一度集中状態になったら終わるまで戻ってこない、最低限の生存行為以外は全て研究に費やせる、天才の証拠だ。そういえば明智の話についていけるのもキャプテンだけで、自分達はわかったように頷い手見せているだけと言うのを、今になって思い出す。やけにアホ面で回想されるのが腹立つな。

「で、第二ラウンドが始まらないのなら、あの二人は?」ミライの知っている直近の彼女らは、凄い盛りあっていたそれを止めるとなると、並大抵の事ではない。

「あぁ、あの二人なら。みぞおちに一発と、それと自滅ね」

『おぉーサチア!いい所に来た、どうだいこの際君も混じって3……フボォァ…』

『あ、明智さぁん?よくも明智さんを……フン!…アレ?グベァ…』

「まぁこんな感じにね、衣服を脱ぎ散らしてくれて助かったわ、マリーとの一騎打ちは御免だもの」軽々しく言っているが、まさに鉄拳制裁。一発で沈むとは思えない明智もマリーも本当に一撃で沈んだんだろう、明智は下着姿でソファに伸びて、マリーは服をはだけさせながら地面で頭から星を回らせている、なぜだか容易に想像できてしまう。

「って、そんな事はどうでもいいのよ、仕事よ、仕事。さっさと準備!着替えなさーい」

「そんな事を言われても、モチベーションが無いよぉ」

 着替えと、仕事用具を投げられその重みでミライは潰される、ミライの未来は閉ざされた。ミライの旅は道半ばで潰えてしまいました。新しい冒険を始めますか?

 はい いいえ

「くだらない事を考えていないで、さっと準備なさい、ほーら3分以内!」

「はい…」我ながらミライの未来というダジャレは上手いと思ったのか、それ以降が蛇足だったのかそれを聞くにも、早くしろというサチアの瞳にミライは萎縮してしまった。

 着替えが終わり用具の準備も万端、3分とは行かなかったが結構早くできたと思う、けれど服装に違和感を覚える、何か既視感があったからだその答えは、サチアを見て気づく。

「OL?」とてもOLとして着こなせていないが、モルと少し服装が似ていた。

「誰がOLよ、誰が。どう見てもSPでしょ、SP。サングラスをかけたOLなんて少なくても私は見た事無いわよ」確かにそう言われれば、OLにサングラスの印象は薄い。

「えぇーと、SP、セキュリティポリス、日本の要人警護を専門に行う警視庁の組織。名称はアメリカのSSを習った…SS、シークレットサービス、アメリカの国内諜報…」

「説明はせんでいい、っていうかミライもこういう仕事をしているのだから、これくらい覚えないさいよ、要人警護よ、要人警護、相手は知らないけれどね」

 そうは言われても、こちらには学というモノが無いのだから仕方ないだろうと思ったが、少しは頭を使わないと残念な頭が、更に残念になる危険性もある。勉強大事…うん。

「まぁいいわ、ほら行くわよ?今回の出勤は私とミライだけなんだから、ほらシャキっと」

「えー、キャプテンのが適任だってぇー、絶対!多分、きっと…」

「はいはい、文句はオペレーターへどうぞー、私は内部の人間ではないので知りませーん」

 そう言いながらサチアはこの姿を気に入ったのか、かけていたサングラスをたたみ胸ポケットに住まう、確かに改めて考えたら下もパンツスタイルだし、モルの印象が強すぎるだけかもしれないがOLはスカートの印象がある、印象だけで見てる訳ではないけれど。

 そうしてキャプテンにスーツ姿を自慢する暇も、行ってきますの挨拶をする暇さえ与えられず、エレベーターへ強引に詰め込まれる。ミライは腕を上にやり背筋を伸ばす、何故ならば一階に戻ればきっとそこにはモルが居るだろうから、彼女の前ではだらしない自分を見せる訳にはいかない、何よりもサチアよりダメ人間だと思われたくない。それにしても仕事の都度ゴミだめ支社からこちらの本社にあの地下経由で来るのは億劫だろうに、よくもまぁ文句の一つも言わずに仕事をこなす。思い出したモルがこの会社に勤める理由確か『この会社で生きる希望を見つけられました、何よりこんな私に食い扶持も与えて貰えています、これ以上の幸福は無いんです』そんな事を幸せそうな顔で語っていた事を、今思い出した。生憎自分自身の過去を語らない以上、モルの過去は知る事もできないだろう、けれどそこまで感謝しながら働けるというのは、少しばかりモルに嫉妬心が生まれる。ダメだ、自分ってやつはモルに比べてどうしようもなく小さい人間だと思わされる。

 考える事を止め、エレベーターで時間を潰し数秒の後、キンコンと気の抜けた合図と共に扉がスライドされ、目の前に姿勢正しく待つ人、その姿は間違いなくモルだった。

 何度見ても若すぎる、それを言ったら自分達もマリーも若いのだろうが、モルはそれより若いのだと思う、職員もその異質さ、否これはモル自身の美貌にだろう、注目を浴びている。顔は勿論、体形、髪の毛、この世の闇を垣間見た者が持つ鋭い眼つきの瞳、果ては髪の毛一本一本さえ、全てが美してこの世に残しておきたいと思ってしまう。

 故にこの状況を表す言葉はこれが正しいと思う『まるで時間が止まったようだ』と。

「ミライさん、どうかしました?」モルの眼つきからは考えられない程柔らかい笑みに、やはりミライの瞳は、モルのその姿を焼きつけようとしている。

「いや、朝も思ったけど、改めてモルは美人さんだねって思っただけだよ」

「お世辞はよしてください、美人と言う言葉はサチアさんの様な方に使うんですよ?」

「ですってよ?ミライさん、アナタの隣にいる人こそが本物の美人らしいわよ?」

「謙遜と謙虚という言葉を覚えた方がいいですってよ、美人のサチアさん?」

 一触即発の爆弾に油を注いでマッチを捨てればすぐに爆発するように、今まさに苛烈な姉弟喧嘩が始まろうとしている、まぁ改めて解った事は一番いい子はモルと言う事だ。しかし喧嘩している場合ではないと、顔と顔の間にタブレットが挟まれ、喧嘩は仲裁される。

「仲の良い姉弟喧嘩は、そこまででお願いします」

「「仲良くない!」」またハモって仕舞う、これだから仲が良いと勘違いされるのだ。

 モルの目やレニの目には、これが仲睦まじい喧嘩に見えるのだろうか?もしかしたら周りから見るミライ達の喧嘩は、猫がじゃれ合っている様に見えるのかもしれない、その姿を想像すると身の毛がよだつ、しかも二人同時に…、二人で真似するなと中指を立て合う。

「ここで説明しても構わないのですが、事態は急を要します、スケジュールが遅れています、こちらのミスですね…すみません。一先ず情報はこちらの資料からお願いします!」

「了解」「りょーかい…痛てっ…」真面目に聞かんかとサチアに渡されたタブレットの角で頭を小突かれた。アナタが悪いのよと言わんばかりにサチアは本社から出て用意された車両にいち早く乗り込む、それにしても豪華な車両だ、いつもより二倍くらい値が違いそう。

「憶えてろよぉー、あいつー…事前に教えないサチアが悪いだろ」

「でも…今のはミライさんが悪いと思いますけど…すみません…、けど暴力はダメですね」

 苦笑いを浮かべながらも、こちらにも最大限フォローをしてくれるモル、本当にこんな子にどういう事情があれば、ゴミだめに落ちるのか捨てられるにしても、こんないい子を捨てる馬鹿親が居るか?という感じで解せない。モルに手を振りミライは車に乗り込む。

「えぇーと、何々?要人…護衛?暗殺じゃなくて?サチア、この会社はいつから警備会社に変わったの?」護衛なんて少なくても初めてな気がする。

「初めからよ、馬鹿ね」もう一度その手に持つタブレットで頭を小突く、これ以上馬鹿になったらどうするつもりだと文句も言いたくなるが、これ以上余計な事を言うと後が怖い。

「問題はここかしらね、私達が直接護衛できない、私達には大した権限は与えられていない、それと対象が対象だけに、失敗したら首が飛ぶわね?」

「対象?誰この、もう既に一線は退いているであろう、お爺ちゃん」

「まぁそれは事実よ、一線を退いて、呑気に隠居生活を始めた筈が、ここ数年で起こった前首相近辺の不祥事と、そして最後は首相自身の不祥事、一気に人材が失われて、そこに現れた不祥事もなく宣言通りの任期と公約を守って退いた栄光のあるおじいちゃん」

「あぁ、あの若手首相捕まったんだ、凄い人気だったけど、明智がなんか言ってたな…」

「『彼は、あの若さで政界のトップに至ったが、どんな手を使ったかは、容易に想像できるが、すぐバレるだろうに、よくやるよ…』でしょ?」サチアは明智の全て解った様な喋り方に少し似せて話す「そうそれー、よく覚えていたね、サチアがそんな事」もう一度殴られる覚悟で話してみたが、そんな事は興味も無いのか次の資料を読み込む、サチア。

「そりゃ、私達にもよーく関わってみたいだしね、けれど別にどうでもいいわね…」

 読み終わったのか、こちらにタブレットを手渡し、外の景色をサチアは眺め始めた。

「まぁ確かにどうでもいいけど、それでもよく俺達を指名したね、国家のお偉いさんからしたら、俺達なんて国の恥だよ?恥。ついでに死んでくれとでもおもっているのかね?」

「それも下に書いているわよ、本人たっての希望らしいわ」

 本当に書いてあった、サチアとミライの幼少期に活躍していたおじいちゃん。接点も無く、そしてあの事にも関わっていないというのに、なぜそれでも自分達を指名したのか、何か思惑があるのか、動物園の動物程度には気になるのか、はてさて。

「まぁどうでもいい事でしょ?私達は寄ってたかる蠅を叩き落として、首相就任記念式典を無事完了させろ、って事よ余計な事が起きる前に…ね」

「わかりやすーい、流石だよ、姉ちゃん、うん流石……痛いって」ご機嫌を取ろうとしても殴ってくるとは、とんだ暴力星人だな、この馬鹿姉は。

 それにしてもこのご時世に政治への信頼回復の一環もあるとは言えど首相就任の催しとはなんでなのか、つい最近だってどこぞの革命家気取りの爆弾魔が、この国の象徴とも言える高いオブジェクトを破壊しようとしていたのに、もっともこの首相本人は断固反対だったようだが、久しぶりに与党に戻れて浮かれているのだろうか?

「到着しました、一式はトランクに積んであります」運転手がそう告げ会場に降ろされる。

「はいはい、働きますけど…そもそもこの場所でどうやってテロなんて起こすのやら」

 22世紀になり、技術的特異点とも言える偉人達が同時に数々の発見、証明をした事により劇的に発展した世界で、特に群を抜いて発展した日本の中にある、今ではかなり珍しい完全な更地と呼べる場所。遮蔽物らしき物は最低一キロ先のビル群、スナイプには絶好な条件に思われるか、ビル群による不規則な風の中、試し打ちも無しの初撃で対象を撃ち抜けるスナイパーとなると、世界から人質使う戦法なんて消えるだろう。

 それこそそれでも狙える一キロ圏内なんて、既に対策済みな訳で……要するに。

「首相が演説するのは、多分あそこ。そこを狙うとしたら3キロ位離れたあのビルかな?テロリストの皆さん頑張ってくれー、超長距離射撃成功、ふぁいとー」

『ミライさん、サチアさん聞こえますか?そこから警護本部へ向かって指示を受けてください、こちらに権限はないので、色々交渉はしますが期待はしないでください…』

「モルが謝る事じゃないわよ、もし失敗しても私達に責任は無いもの」サチアが警護対象なんてどうでも良いと言わんばかりの満面の笑みを浮かべる。

「サチア…その表情本部着いたらやめてね、面倒な事になるから…」

 心配だと、ミライは深くため息を吐いた。少し歩き警護本部に到着する、忙しなく人が流れ、ここならばどさくさに紛れて、自爆テロなんて事も…例えばこんな事も…。

「ここで抜く物じゃないぞ、遊びじゃないんだ、ここは」人と人の間から尚且つ気配も消して拳銃を抜こうとしたのに、その瞬間にはもう腕を固められている。

「へぇー、今のを一瞬で気づいて止めれるんだ、流石だね。俺も死んでたね本当だったら」

「そういう事だ、余りふざけたことをしていると、冗談が冗談じゃなくなるぞ?」

 ミライは拳銃から手を離して、両手を上げ振り返る。そこにはミライの背丈を優に超す、キャプテンと同じ位だろう背丈で、顔には傷があり正に歴戦の強者とも言える人物がミライを取り押さえていたのだ、この警備隊のリーダーだろう凄い実力だ。

「そんなに強くても、今アンタは死んだね、俺を殺していれば気づけていたかな?」

「何を言っているんだ?お前は?」嘘は言っていない、この手の暗躍をやらせたら世界一の人間がこちらにも居るそれだけの話だ、既に配置は完了、本当に頼りになる姉だ。

「ストップー、サチア」ミライは顔を傾ける、傾けた奥からナイフが一閃、ギリ止まる。

「はいはい、解ってますよ、レベルが見たかっただけよね、了解、了解」

「その割には、本気で殺しにいっていたよね?止めなかったら危なくない?」

 誰もが息を飲んだであろう、歴戦の猛者ですら、殺されるまで殺された事に気づかない殺害だったはずだ、そしてサチアのナイフをミライが取り上げ、代わりに端末を持たせ、歴戦の猛者は受け取った。コール音が鳴り、きっとモルが謝る羽目になる。そんな少し先の未来をミライは予想した。

「ミライ、行くわよ?」サチアの声に導かれる様にその後をミライもついていく。

 その姿は間違いなく、姉についていく弟であっただろう、だからこそあの二人はなんだったんだとモルの説明が終わるまで、気が気ではないであろう。

「あの練度なら、俺達が多少サボろうと、多分なにも起きないよ、肩痛―い」

「えぇ、そうね、それこそパラシュートも付けずにスカイダイビングをしてそのまま人間爆撃機でもしない限り、事件が起きる前に解決できるでしょうね、出店でも見ましょうか」

 そうして首相就任祝いの催しが始まる、相変わらずフランクフルトは美味しかった、特に何も起こる気配は無く、全員が持ち物チェックしたであろう首相の背後側席を再警戒する位には、催しは順調に進んでいた。サチアからの無線が飛んでくるその時までは…。

『ミライすぐ装備を持って、反対側のビルを狙撃、私は首相を守る』

「どういう事?狙われているの?ポインター?反射光?てか反対側のビルってどれ?」

 サチアの焦り様からして、確実に何かが起こっているという事が理解できない程馬鹿ではないつもりだ、すぐさま近くのビルに入りエレベーターのボタンを押したものの、一切反応は無い、それこそ爆弾魔の時の停電を思い出す、あれと関係があるとは思えないが、けれど今回はあれの模倣、もしくは参考にした犯行。階段を上るのが億劫というのもあるが、その間に何人の犠牲がでるのやら…、まぁサチアが死ななければいい、自分の最優先事項を決定して、ミライは階段を駆け上げ始める。

『レーザーは無い…クソ…人が邪魔。思い切り発砲して道あげさせていいかな?厳しい』

「応援は?誰か動ける人、それこそ首相の近くに居るでしょ?」

『私達の第一印象最悪だった事、忘れていないかしら?場所の把握も出来ていないのにスナイプされて首相が撃たれるなんて情報信じると思うかしら?』

「いないね、これは本気の説教を覚悟かな?」ここに来て信頼は重要だと思い知らされる。

『説教で済めばいいわ、はぁ、まぁ殺させはしないから安心しなさい』

 息が少しずつ上がっている、人の波を縫うように最高速で走るとういのは、恐らく並々ならぬ集中力と体力を使うのだろう、それこそ人にあたれば人が吹っ飛んでしまう。

 それにしてもこのビルを上るというのも、サチアに自慢する訳で無いがかなりの重労働だ、サチアが何故敵に気づいたのかは想像がつく、でも多分少し面倒になるだけで済む。

『人混みは抜けた、そっちは!』確認であれば真実を伝える「こっちはもう少し、粘って」

 ミライも一切の減速を許さず階段を駆け上がる、少しというかかなり息が上がってきているが、それももう少しの辛抱だ。こういう時にキャプテンが居てくれれば楽だった、やっぱりキャプテンが適任という予想は間違いじゃなかった。

『首相、失礼するわよ。死にたくないのなら、私にしがみ付いてなさい』

 無線からSPが慌てふためく声が聞こえる、何も説明していないのであればそれは拉致と変わらない、けれど事情説明の時間すら惜しいそれがサチアの下した判断だ。

 パーンと風船を破裂させたような音が無線越しに聞こえる、今のは銃声だ。スナイパーライフルの銃声ではない、長距離射撃から狙われた訳では無く、ただの発砲?

「サチア?何が起こった!応答を、サチア!」サイレンサー付きのサチアの銃からあの銃声を響かせる訳がない、それにしても返答が遅い。最悪な状況かもしれない。

『いきなり観衆が発砲を始めた、っつ、私も掠ったけどそれだけ、一先ず首相は安全な場所まで運んだわよ、私は暴動を無力化するわ、背中はよろしくね…ミライ!』

「分かっている、こっちも屋上に辿り着いた、今から狙撃を始める」

 着慣れておらず、ネクタイも曲がっている、とても社会人とは思えないスーツ姿の人間が、スーツとネクタイを風でなびかせて、催し会場を一望する。死者の数はまだ少数、50人未満といった所、けれどその少しの死体で観衆は、団体行動を忘れ独断専行。そうなれば人がドミノ倒しのように倒れ始める、倒れた人を助けようとする人も、倒れた人を踏みにじりながら我先にと逃げる者も居るなか、その中心点に向かう不審人物も居る。

「サチア、その場所から40m先、2時の方向そいつは殺さず、撃って」

『了解』渋々了承ではなく、はっきりと命令として受け入れ、サチアは狙いを定めて発砲する、両膝を撃ち抜かれもう立つ事は無い、けれどやっぱりおかしいこれじゃあまるで…。

 ミライの瞳は未来を視認し測定した、決して変わる事の無い、変える事の出来ない未来を、無意識とは言え確定してしまった、これは自分の落ち度だ…受け入れよう。

「サチア、逃げられる人員を集めて、そこから退避、あそこは諦めるしかない」

『……わかったわ、確定してしまったのね、それよりもスナイパーは?居たはずだけど?』

 スナイパーで撃たれた人間は居ない筈だ、少なくてもこの瞳で見える景色もそして銃声も決してスナイパーの音は聞こえなかった、けれどそのサチアに付いた傷はなんだ?どうやって付けたのかそれが解らない……解った、単純な事だった。

 これは本当に暴動でしかないのだ、それも最初の銃声がただの銃声だったように、既にスナイパーは標的を撃ち抜いている、サチアに邪魔された形ではあるが、ならば次は10秒後、もう首相は撃てない、ならば誰を撃ち抜く、この状況で誰か一番邪魔かを、ミライは考え、すぐさま答えに至る、明智がきっと今は乗り移っていっる気さえする、一番邪魔なのは、きっとサチアを除けば一番強く、指揮も取れるアイツ以外いないだろう。

 警備隊長を確認、そこから敵の位置を推測、こちらのスナイパーの銃口を間反対のビルに向け、ただ一言「視えた…」ミライは呼吸を整え、体に残る空気という空気を全て吐き出す、ミライが構えた先大体、地平線の限界点位の距離、そこから一発で当てるのか…。

「よくもまぁ、そんな遠くから一発で命中させる事…させる事…」

 トリガー指を掛け、相手にピントを合わせ、対面のスナイパーに着弾させる未来を視た、どれだけ離れていたしても、この銃弾が届く距離であるならば、当たるだろう。

 絶対、多分、恐らく、きっと。

「地平線に沈む距離から、こんにちは対地なら会えなかったね…」

 発射された弾丸は、風や重力、そして空気抵抗を受けながら標的に向い、一切の迷いもなく進んでいき、数秒後に起こる爆発と同時に相手に着弾し、その体を貫く筈だった。

 地平線が沈んでしまう程の距離に居るスカートを穿いたOLの服装にサングラスをかけたスナイパーは意にも返さず、バラバラに破壊されたライフルを捨て去り後ろへと歩く。

「外した?」そんな事馬鹿な事があってたまるか、確実に当たる未来だった、思考よりも行動が先だった、もう一度ボルトハンドル引き次弾を装填し終え、二発目を発射、今度こそOLスナイパーに当たったと思えば、先にある扉のドアノブを破壊するだけに留まる。

 OLスナイパーがこちらを振り向く、その姿はどこか悲しげだが、達成感を感じた様子だ。けれどミライが思うのは何故お前がそんな表情をしているのか…サチアに無線を繋ぐ。

「サチア、OLもサングラスを掛ける時代はやってきたみたいだ」

『馬鹿な事を言っていないで、状況を報告なさい!』そうは言われても「わからねぇ」ただそう答えるしかなかった、当たった筈の銃弾外れ、首相の暗殺なんてモノはおまけでしか無かったこの混乱こそが、奴らが望んだ景色らしい。誰もが泣け叫び死んでいく、ただ無慈悲な暴力に屈して、誰もが理不尽な死に嘆き、誰もが身近な人間の死に泣き、誰もが見ず知らずの死を狂い叫ぶ、その景色は地獄そのものだった。

 この状況を少しでも早く終わらせよう、ただそれだけ考えて決して軽くも無い、その引き金で周りの人間がバラバラになる装置を押さされている、そんな気分を味わいながら、それでも早くこの事態の収束を図るべくテロリスト達の望み通り、罪無き人を守る為に、罪無き人を巻き込みながら実行犯を殺していく、殺す度に周囲が吹っ飛び、また人が死ぬ。もう嫌だった、でも…それでも、これがレニの幸せに繋がると信じて、ただ引き金を引く。

 誰もが、もう早く安心したいと考えているだろう、こんな事ならば生中継で見ればよかったと後悔しているだろう、それを嘲笑うかのように、端末に、モニターに、音源にと、ネットワークに繋がる全ての端末から同時に鳴り響く、一つの音源と映像。

『我らは、復讐者。この世界で受けた全ての痛みを世界に復讐する者、名をアベンジャーズ、今日この日に喜劇の幕は閉じ、これから講演されるのは悲劇と言う名の喜劇だ』馬鹿にしている、何が復讐者だと…お前達がやっているのは復讐でもなんても無く、八つ当たりに過ぎないのだと、世界から痛みを受けた代表の一人として言ってやりたい気持ちを抑えて、一発、また一発と破裂すると分かっている風船を撃つ、せめて犠牲を減らす為に。

 必死に掃除してきた筈の汚れは、いとも容易く無差別テロという汚れに侵食された。

 こんな仕事でも、レニの為になると信じてやってきたつもりだ。レニが外に出た時に、こんな汚い世界は嫌だと思わない様に、綺麗にしてきたつもりだった。

 けれどこの世界に綺麗な場所はあったのだろうか?それだけがミライの頭の片隅に残る。

 レニにとって、今日まで見てきたこの世界は綺麗な物にだっただろうか?

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