飛鳥

 私には1つ上のお姉ちゃんがいる。両親は仕事で家にいない事が多いけど…お姉ちゃんは私の傍にずっといてくれた。とっても優しくて大好きなお姉ちゃん。

 私はただ…大好きなお姉ちゃんみたいになりたかっただけだ…


 私はこの春からお姉ちゃんと同じ高校に通っている。去年はお姉ちゃんと登校できないから寂しかった。私に友達と呼べる人はいない。誰とでも話すけど…誰とも親しくしようと思わなかったから。

 お姉ちゃんには清香さんって友人がいるけど…私はあの人の事が苦手だ。悪い人ではない。何かされた訳でもない。ただ…苦手なだけ。ズカズカと人の心に入ってくるから…


 最近、お姉ちゃんの様子がおかしいなと思っていたら家に男の人を連れてくるようになった。お姉ちゃんの彼氏さん…透さんがお姉ちゃんを変えた人だと思うと少し興味が湧いた。透さんとは話しても嫌な感じがしなかった。私でも普通に話せる人がいるんだな…


 夏前から…お姉ちゃんの部屋でエッチな事…多分…セックスをしているのだと思う。声がそんな感じっぽいし…

 夏休みの間もお姉ちゃんの部屋で何回かしてたみたい。

 セックスをしない日はただ遊びに来てたみたい。そんな日は3人でゲームをしたり、映画を見たり…透さんは私の知らない感覚を教えてくれた。お姉ちゃん以外の人と過ごすのは落ち着かないんだけど…なんで透さんは大丈夫なんだろう。

 夏休みの間に仲良くなれた気がしたので透さんと連絡先を交換した。



 透さんとはゲームを一緒にやる友達になった。お姉ちゃんがいない時はこないから、あまり意識した事はなかったけど…透さんの事が気になり始めた。初めて仲良くなれた男の人。私には恋愛とかよくわからないけど…透さんに聞けばわかるかな?


 休日。お姉ちゃんは朝から清香さんの家に遊びに行っている。お昼ご飯は冷蔵庫に入っているとか…私の事なんか気にしないで楽しんでくれば良いのに。お昼くらい自分で作れるんだから。

 とか言いながらお姉ちゃんの作ってくれたお昼ご飯を少し早めに頂いた。だって…お姉ちゃんの料理のほうが美味しいから…


 昼頃に透さんが家に来た。お姉ちゃんとは約束してなかったって言ってたけど…外は暑い。飲み物くらい出して上げよう。

 私の部屋に上がってもらう。


 「悪いな。梓がいないとは思わなかった」


 「清香さんの家に遊びに行ってます」


 スポーツドリンクを飲みながら雑談をする。…チャンスかもしれない。


 「透さん…お姉ちゃんの部屋でセックスしてますよね?」


 「あ~…もしかして、聞こえてた?」


 「はい」


 「ごめん。もう梓の部屋ではしないようにするよ」


 「あ、いえ。2人は恋人なので別にいいんですけど…ちょっと教えて欲しくて…」


 「教えて欲しい?何を?」


 「…セックスを」


 恥ずかしい…けど、こんな事を聞ける相手は透さんしかいない。最近のお姉ちゃんが綺麗になったのはセックスのおかげな気がするから…どうしても知りたかった。


 「え、え~っと…俺としてみたいって事かな?」


 「…はい。お姉ちゃんには絶対に秘密にしますから…1回だけ…」


 「…1回だけ…なら…」


 透さんと1回だけのセックス。最初は痛いって聞いたけど…想像してたより気持ち良かった。気付けば2回しちゃってた。


 「セックス…凄いです…」


 「ああ…俺も良かったよ…」


 行為の後の気怠さ…お姉ちゃんが夕方まで帰ってこないという予想…微睡むように余韻に浸っていた私は完全に油断していた。

 私の部屋のドアがノックされた事で急速に現実に引き戻される。

 慌てて取り繕おうにもできる事なんか無い。驚きすぎて声も出なかった。


 ドアが開かれ、お姉ちゃんと目が合った。どんな言い訳も通じない場面を…お姉ちゃんに見られてしまった…


 「お、お姉ちゃん…」


 「あ~…梓…ちょっと話を聞いてくれ…」


 お姉ちゃんは何も言わずにドアを閉めた。玄関のドアを開く音…家から出ていったみたい…どうしよう…


 「あ~…最悪だ…」


 「…ごめんなさい」


 「……いや、俺もよく考えるべきだった。悪いけど…今日は帰るわ」


 透さんはそう言って身支度を整えて出ていった。…私はお姉ちゃんに電話をしたけど…繋がらない。電源を切っているみたいだ…

 シャワーを浴びて頭を切り替える。


 私は許されない事をしたのだと今になって気付く。透さんとの関係は2人だけの秘密。お姉ちゃんにバレなければ何一つ変わらない今まで通りの生活を送れると思っていた。

 …現実はそんなに甘くない。絶対にバレてはいけない事がお姉ちゃんにバレてしまった…

 今回の事は謝っても許してくれないと思う。それでも私には謝る事しか償う方法がわからない。お姉ちゃん…本当にごめんなさい…



 その日、夜になってからお姉ちゃんが帰ってきた。多分…泣いていたのだろう。目元が腫れている…自分の軽はずみな行いのせいでお姉ちゃんを悲しませてしまった事を激しく後悔した。


 「お、お姉ちゃん…」


 「………」


 お姉ちゃんは私が話しかけても返事をしてくれなかった。やっぱり…怒ってるよね…

 何度も話しかけたけど…お姉ちゃんは私を無視して部屋に籠もってしまった…

 …これから何度も話しかけよう。お姉ちゃんが話をしてくれるまで…


 それからもお姉ちゃんは私の話を聞いてくれなかった。見る事すらしてくれない。諦めずに何度も何度も話しかけたけど…ずっと無視された…

 流石にお父さん達もおかしいと気付いたのだろう。私に理由を聞いてきた。…私がダメでも…お父さん達の話なら聞いてくれるかもしれない。私は…あの日の事を全て打ち明けた。

 話し終えた後…お父さんにはものすごく怒られた。今までに見た事がないくらい怒った顔で…大きな声で怒鳴られた。

 お母さんは話の途中からずっと泣いていた。

 私がした事はそれほどの事だったのだろう。私はお父さん達に謝った。本当に愚かな事をしてしまった…どんなに怒られても自業自得。それでも私は…お姉ちゃんに謝りたいの…お父さん達は渋々だけど…話し合いの場を作ってくれると約束してくれた。


 

 休日に出かけたお姉ちゃん。きっと清香さんのところだと思う。学校で見かけたお姉ちゃんは…清香さんの隣で穏やかに笑っていた。

 お父さん達と一緒にリビングでお姉ちゃんの帰りを待つ。夕方にお姉ちゃんは帰ってきた。


 「梓…飛鳥から話は聞いた」


 「梓は何も悪く無いの。それでも…飛鳥の話を聞いてあげてくれないかしら?」


 「………誰の?」


 お姉ちゃんは本当に不思議そうな顔をしている。私の事が見えていないような振る舞いにお父さん達は困惑していた。


 「誰のって…だから飛鳥の…」


 「貴方が飛鳥の事を許せないのはわかるけど…」


 「ここには父さんと母さんしかいないでしょう?私は2人の話をちゃんと聞いてるよ?」


 お姉ちゃんはお父さん達の話をしっかり聞いている。私を無視してるんじゃない…本当に…見えてないんだ…


 「梓…何を言ってるんだ?ここには飛鳥もいるだろう?」


 「2人しかいないじゃない。何を言っているのかわからないよ…」


 お姉ちゃんはそう言って部屋に戻っていった…


 「…どういう事だ?」


 「……失認症?」


 失認症ってなんだろう…疑問に思ったのでスマホで調べた。視覚に異常があり、人の顔を見ても判別できなくなる症状。聴覚や触覚の場合もあるそうだ。


 「…存在を認識できないとまでは書いてないけど…」


 「…失認症かはわからないが…今の梓は異常だ」


 「梓を病院に連れて行きましょう。早いほうがいいわ」


 お父さん達はそう言って病院の診療時間を調べ始めた。

 私は…自分のせいでお姉ちゃんを壊してしまったのだと…ようやく理解した。震えが止まらない。吐き気がする。こんな…こんな事になるなんて…




 数日後、お父さん達はお姉ちゃんを病院に連れて行く為に早く帰ってきていた。

 私は自分の姿がお姉ちゃんに認識されていないという事実をこの数日で理解していた…

 廊下ですれ違う時、私とぶつかっても不思議そうな顔をしていたり…私がお風呂に入ろうとして脱衣所で服を脱いでいると…お姉ちゃんが脱衣所に入ってきて服を脱ぎ始める。

 お姉ちゃんに私が認識されていないのは理解した。だから…お姉ちゃんの部屋に手紙を置いた。紙に書かれている文字なら…謝る事ができるかもしれないと思ったから。


 お姉ちゃんは夕方に帰ってきたけど…病院には行かないと怒りながら出ていった。きっと…本当に自覚が無いんだ。私の存在はお姉ちゃんの中から消えてしまっている…


 翌日、お姉ちゃんの部屋に入って昨日の手紙を読んでくれたか確認した。手紙は…そのままの状態でゴミ箱に入っていた。破り捨てる訳でも…折られている訳でもない。ただ…邪魔だから捨てた。そんな感じ…



 それでも…私が話しかけるよりは効果があったと思う。手紙を紙と認識して捨てたのだから。だから…私は手紙を書き続けた。お姉ちゃんに謝る為に…



 お姉ちゃんが入院した。お父さん達が強引に病院に連れていったから…

 数日経った。私には何もできない。病院に行く事も禁止されている。私が原因だから…

 清香さんがお姉ちゃんの事を心配して来てくれた。私にはもう会えないけど…清香さんなら…そう思ってお姉ちゃんが入院している病院を教えた。

 

 「…お姉ちゃんの事…お願いします…」


 「…よくそんな事が言えるわね」


 私にはそんな事を言う資格は無い…本当に自分でもそう思う…



 お姉ちゃんが入院して半年以上経った…

 お父さん達からお姉ちゃんの状態を聞く度に涙が出る。入院してすぐにお父さん達の事も認識できなくなり、清香さんの事も認識できなくなったそうだ…

 清香さんはそれでもお見舞いに行ってお姉ちゃんに話しかけてくれているって…

 お姉ちゃんだけじゃなく…清香さんまで深く傷つけてしまった…本当に…過去に帰れるならあの時の私を殺してやりたい…



 清香さんに病院に呼び出された。お父さん達にお願いして病院まで送ってもらう。お母さんはこの病院に来るだけで泣くようになってしまった…私も泣きたいけど…清香さんに会わなきゃ…

 病院に来る事を許されなかった私は…お姉ちゃんに会うのは本当に久しぶりだ。ロビーに清香さんと…透さんがいた。


 「…こっちよ」


 「………」


 「入院してたのは知ってたけどさ…梓…ヤバいの?」


 「黙れ」


 清香さんに凄い目で睨まれて透さんは黙りこむ。私はお姉ちゃんの状態を知っているから…何も言わなかった。


 病室のベッドで横になっているお姉ちゃんは…私の記憶にある姿よりやつれていた。点滴姿が痛々しい。堪えなきゃいけないのに目から勝手に涙が出た…


 「梓…一緒にいてあげられなくてごめんね」


 清香さんの言葉で理解した。これは…お姉ちゃんと清香さんの別れの場なのだと…

 清香さんは部屋の出口に向かう。私達の隣をすれ違う時に


 「地獄に落ちろ。人殺し」

 

 それが清香さんから私達への決別の言葉だった。

 部屋に取り残された透さんと私。透さんはまだ固まっていた。


 「…最後の挨拶を…してあげて下さい」


 そう言い残して病室を出た。廊下で清香さんが泣いていたけど…私は関わっちゃいけない。外で待ってくれている両親の元へ向かった。


 「清香さんのお別れが済んだよ…」


 「そう…か」


 「ううっ…梓…」


 お姉ちゃんは今後…生き続ける限り延命しなければならない。お姉ちゃんの脳は死んでいないから…植物人間という扱いにはならない。異常はあるが…生命維持は問題無く、普通に生きている状態だ。回復の見込みは不明。つまり…ほぼ無い。

 だから…私は高校を出たら働こうと思っている。私がお姉ちゃんの心を殺してしまったから。お姉ちゃんの面倒を見るのは私がしなければならない。

 お父さん達は反対したけど…家を出てもやり遂げる。働く場所はどこでもいい。稼げるのであれば非合法の風俗でも金持ちの愛人でもなんでもする。

 お姉ちゃんの為に何かをしたい。それは自己満足でしかない。お姉ちゃんはそんな事は望まないだろうから。

 

 高校卒業後…お父さん達には何も告げずに家を出た。ネットで知り合った人が私の口座に大金を振り込んでくれたから…それを手紙と一緒に置いてきた。

 きっと…これからは碌でもない人生が待っている。

 どうか…お姉ちゃんを殺した私にふさわしい人生でありますように…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る