第102話「駆け抜ける防壁」

 ディーター将軍は、焦りに焦っていた。

 村に立てこもっているハルト軍団の速射砲を潰せないまま、今度は新たに二列の装甲馬車ワゴンブルグが走り出して来たからだ。


 まっすぐ中央に向かう二列の装甲馬車ワゴンブルグは、まるで戦場にかけられた壁のようにこちらの攻撃を押し留めて王国軍の本隊を通してしまう。

 激しい銃撃を浴びせているが、厚板を撃ち抜けないのだ。


 ディーター将軍は、副官のポルトスに鋭く命じる。


「銃撃で無理なら、取り付いてでもあの装甲馬車ワゴンブルグを潰すように命じなさい」

「それは、無理でしょう……」


「なぜですか!」

「ご覧になってわからないのですか! 装甲馬車ワゴンブルグの列を守るように炸裂弾が飛んでるんですよ。長らく訓練を受けた正規兵ならともかく、徴募されたばかりの兵があの激しい爆発の中に突っ込むことなどできません!」


 皇帝ヴィクトルの軍政改革は着実に効果を上げてはいたが、あまりにも急速に軍を拡大しすぎたのだ。

 徴募されたばかりの市民兵はようやく銃を撃てるようになった程度で、帝国の騎士のように激しい爆発の中を突っ込むような暴勇は持ち合わせていない。


「そういえば、ヴィクトル陛下にお聞きしたことがあります。軍師ハルトの近代兵器の本質は恐怖だと」


 あの激しい音と煙の中に入れば十中八九死ぬのだ。

 遠距離から弾を撃つだけならまだしも、徴募兵が突っ込めるはずもない


「この状況で突っ込めるような精兵は、ヴェルナー将軍に取られてしまいましたからね。いかがされますか、ディーター将軍」


 徴募兵を無理に突っ込ませても、すぐに士気崩壊してバラバラになってしまうだろう。

 現に王国軍の帯状の砲撃地点に巻き込まれた兵たちは、すでに士気崩壊して散り散りになっている。


 この状況で、とても突っ込めなどと命じられるものではない。

 ならば方法は一つ。


「それでも中央の陣を落とされるのだけはなんとしても避けなければ。仕方がありません、では装甲馬車ワゴンブルグに砲兵隊の攻撃を集中させ……」


 ディーター将軍がそう言った瞬間。

 今度は後方に爆撃の音が響き渡った。


 まさかと思って振り向けば、今度は敵の砲撃が帝国軍の砲兵隊に降り注いでいた。


「ディーター将軍……砲兵隊、被害甚大です」

「ああ、なんで敵はこちらの意図を読んだように次々と!」


「これが、軍師ハルトの神算鬼謀というやつなんでしょうかね」


 手塩をかけて育てた砲兵隊が見るも無残な姿を晒しているのを見て、副官のポルトスは情けない声を上げた。


「それにしたって、どうして敵はこんなに正確な攻撃ができるんですか」

「あれですよディーター将軍」


「なんです!」


 青ざめた顔をしたポルトスが指差す先に、空中を飛来するエルフの魔術師の姿があった。


「敵の魔術師ですよ。こちらの砲撃を空から観測されて、位置を伝令されたのでしょう。部隊の連携でも、うちは負けたということです」

「クソッ! 撃ち落とせないんですかあれ!」


 自らマスケット銃構えて撃ち放つディーター将軍であったが、上に向かって弾を放ってもそうそう当たるものではない。

 ディーター将軍は、傍らの軍馬にまたがった。


「ディーター将軍、どこへ行かれるのです!」

「私にも将としての責任があります。私自らが前線に行けば、多少は兵の士気もあがるでしょう」


 決死の覚悟であった。

 謀将ディーター自らが敵前に行くなど、これまでになかったことだ。


 その覚悟に打たれたように、副官のポルトスも半壊する砲兵隊に向かいつつ叫んだ。


「でしたら、小官は残存する砲兵をかき集めて活路を開くべく支援いたします!」

「頼みましたよポルトス! 残存の兵力全てをってして、あの装甲馬車ワゴンブルグの中央突破を絶対に阻止するんです!」


 ディーター将軍たちは、決死の覚悟で兵を奮起させた。

 だが結局のところ半壊した砲兵隊と激しい砲撃に翻弄される銃兵隊では、敵の進撃を押し止めることはできなかったのであった。


     ※※※


 一方、最後の守りとなったガードナー軍団四万の将兵に戦慄が走っていた。

 ドルガン軍団が先攻して壊滅し、後背を守る予備兵力のヴェルナー軍団は別働隊に引き寄せられ、ディーター軍団は砲撃射撃を封じされて無効化され、気がつけば自分たちしかいなくなっている。


 迫りくる王国軍の本隊、その数は三万。

 圧倒的戦力差のはずが、いつの間にか互角にまで追いやられていた。


「うろたえるな! ヴィクトル陛下を守る『帝国の盾』である我々が、負けるはずがない!」


 角刈りの巨漢である『帝国の盾』ガードナー将軍は、兵士たち一人ひとりの魂が震えるほど大きな声で力強く叫ぶ。

 彼の身につけている鎧は、皇太子より下賜された魔法鎧プレインシールド。


 鈍く光るアダマンタイトの一枚板で作られた帝国最強の鎧である。

 ガードナー軍団は、攻めを得意とする帝国軍には珍しく守りを得意とする軍団だ。


 その守りは、何物にも貫かれることはない。

 ガードナーの強烈な叱咤しったに、周りの騎士や兵士たちは落ち着きを取り戻す。


 すでに前方では激しい銃撃戦が始まっていた。

 ガードナーの死守命令を守って、炸裂弾の着弾によって仲間が吹き飛ばされても、それでも帝国軍の将士たちは持ち場を守り続けている。


「死んでも絶対に敵を押し止めろ! 我らの血肉こそがヴィクトル陛下を守る盾となるのだ!」


 これまで驀進していた装甲馬車ワゴンブルグが、ガードナー軍団のあまりの抵抗の激しさに動きを止めた。

 やった! これで王国軍の頭を抑えられる。


 そう思った瞬間、装甲馬車ワゴンブルグの上からニョキッと大砲の砲身が飛び出した。


「敵は、大砲も積んで――」


 先頭を守る帝国軍兵士の声は、激しい轟音ごうおんと煙の中に消えた。

 ガードナー軍団の守備陣に対して、至近距離から次々に大砲の弾が炸裂する。


 いかに硬い守りといえどもこれだけはなんともし難く、次々に帝国軍兵士は爆発に弾き飛ばされて血の雨を降らせた。

 そうして、帝国軍兵士の屍山血河を踏み潰すように装甲馬車ワゴンブルグとそれに守られる随伴歩兵が進み続ける。


「怯むな! 決して後退は許さん! ここで我らが守らねば陛下が危ういのだぞ!」


 声を枯らして叫ぶガードナー将軍であったが、最後の守りであるガードナーの親衛隊すらも装甲馬車ワゴンブルグから降り注ぐ鉄弾と炸裂弾によって一人、また一人と倒れていく。

 そうして、大砲の弾がついにガードナー将軍の元へと炸裂した。


「うぉぉおおおおおおおお!」


 激しい爆風が吹き荒れる中、それでもガードナー将軍は一人慄然と立っていた。

 彼の身につけている魔法鎧プレインシールドは、炸裂弾の直撃ですら守りきったのだ。


 だが、もはや満身創痍。

 灼熱の業火に焼かれて、辺り一面は地獄と化している。


 もはやこれまでかとガードナーが覚悟した瞬間、王国軍の先陣から「撃ち方止め!」の声がかかる。

 颯爽と現れたのは、燃えるような赤髪を風になびかせる姫将軍ルクレティア


「ガードナー将軍! 久しぶりね!」


 そう言うが早いか、凄まじい斬撃を叩き込んでくる。

 右手の篭手でそれを受けて、ガードナーも腰から剣を引き抜いて斬り裂いた。


「姫将軍ルクレティアか! ここは死んでも通さん!」


 だが、ルクレティアにひらりとかわされてガードナーの剣は届かない。


「あら、前に一度負けているのに? おとなしく降伏するなら許してあげるわよ」


 ルクレティアが振るっているのは、王国の至宝である魔法剣レーヴァテイン。

 同じアダマンタイトでできた剣ならば、ガードナーの魔法鎧も斬り裂かれる危険はあった。


「前のようにはいかん。陛下のお命がかかっている!」


 激しいルクレティアの斬撃を正面から受け止めて、決死の覚悟で剣を振り払う。

 すでに満身創痍である、それでもなおガードナーの動きは止まらない。


「敵ながらあっぱれね!」

「陛下の御為ならば! 私は死してもなお鬼となってお前らの道を阻むぞ!」


 ガードナーは、言うだけの粘りを見せた。

 だが、幾度もの鍔迫り合いに耐えかねて、ガードナーの剣は折れてしまう。


「よく頑張ったわね。これで止めよ!」

「ぬぉおおおおお!」


 そこに、後ろからエリーゼが叫ぶ。


「ルクレティア様、殺してはなりません! そのための一騎打ちでしょう!」

「あっと、そうだったわね」


 折れた剣を構えたまま、それでもガードナーは立ちふさがって仁王立ちになる。


「娘! 殺さずにどうする。私は死してもここを動かぬ覚悟だぞ!」


 それに対し、エリーゼは冷静に説得する。


「それはヴィクトル陛下のお命が危ういからなのでしょう」

「知れたことだ!」


「でしたら、我々の目的は違います。ハルト様は、ヴィクトル陛下を生かして捕らえることを望んでおられるのです」

「そんな言葉信じられるか!」


「それが戦争を止める唯一の手段だからです! ハルト様は最初からどちらかを死滅させるような戦争は望んでおられません!」

「軍師ハルトか、あの男ならばそうかもしれん……」


 ガードナーは、軍師ハルトのことは顔を見た程度だが、天才的な軍略を持ちながらそういう甘さのある男だとは知っている。


「ガードナー将軍あなたもまた帝国の未来を担う人材。なるべく生かして捕らえよと、ハルト様の命令が出ているのです」

「それはありがたい話だが、それでもここを守るのが私が与えられた君命だ!」


 なおも決死の覚悟で抵抗するガードナーに、ルクレティアが紅い瞳に涙を浮かべて叫んだ。


「この大馬鹿者!」

「な、なんだと……」


 ついさっき死合った姫将軍に涙を流して叱咤されるとは思って見なかったので、岩よりも硬いと言われるガードナーも少し揺らいだ。


「なんで命を粗末にするのよ! 私だったら自分の部下が無為に死ぬことなんて望まないわ! あなたの陛下とやらはそんな人なの!」


 エリーゼは、ええ? 割とこの姫様無為に部下を殺しちゃってるよねと密かに思うのだが、もちろん口にできない。

 ルクレティアは常に本気で、これを土壇場で泣きながら言っちゃうから怖いのだ。


「ヴィクトル陛下を愚弄するつもりか」

「主君を愚弄されたくないなら、情けないことは言わないことね! あなたがここで一人死んでなんになるのよ!」


 エリーゼも声を合わせる。


「ガードナー将軍。私達と一緒にヴィクトル陛下のところまで参りましょう。『帝国の盾』たるあなたが一緒にいれば、その場で陛下をお守りすることもできます。それこそが、あなたのなすべきことのはずです!」


 そう聞いて、ガードナーは瞑目すると唸った。


「わかった……」

「だったら」


「だが! 降伏はしない。私は自らの足で御身のもとまで行く。敵の手など借りぬわ!」


 満身創痍でありながら、ガードナーは重い足を引きずって皇帝ヴィクトルのいる『獅子の丘』へと歩いていく。

 傷ついた帝国兵士たちもまた、ガードナーのもとに集まり寄り添うように『獅子の丘』へと向かった。


 その意固地な姿を見て、ルクレティアはふんと鼻を鳴らすと、王国軍に再進撃を命じた。


「さあ、戦いはまだ終わってない。私達も行くわよ!」


 ルクレティアの号令で、再び二列の装甲馬車ワゴンブルグは動き出す。

 皇帝ヴィクトルのいる『獅子の丘』に向かって、更には破竹の快進撃を続けるために。


 だがそこにはまだ、皇帝ヴィクトルの身辺警護をするダークエルフの魔術師アシュリーが率いる五百人帝宮魔術師団と、『獅子の丘』に向かって疾走するシュタイナー将軍の黒竜騎士団の姿があった。

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