第100話「決戦の始まり」

 ミンチ将軍が指揮する、その数たった八千の王国南方軍が突進してきた時。

 翼を広げるように包囲陣を広げつつあった帝国軍の動きは一瞬止まった。


 帝国軍の右翼ディーター軍団四万、中央ガードナー軍団四万、左翼ドルガン軍団四万、計十二万の包囲陣に向かって、たった八千の軍勢が真正面から向かってきたのである。


「なんですか、この攻撃は。意図が読めない……」


 冷や汗をかいたのは、『ふくろう』とあだ名される謀将ディーターだ。

 彼は狡猾なる策士であると同時に、猜疑心の塊である。


 そのため、目の前の物事を額面通りには受け取らない。

 苛立たしげに眼鏡の縁を弄りながら戦況に目を凝らすディーター将軍には、向かってくる軍勢がまるで案山子かかしに見えた。


 正面には、もはや牧歌的とすら思える時代遅れの貴族の騎士たち。

 それに続くのは、もはや戦力とも数えられぬ短槍や短弓を抱えた雑兵たち。


 包囲する近代兵器を抱えた十二万の軍勢に対して、道化の如き八千の軍勢を出してきたのだ。

 誰が見ても異様な光景であった。


 副官のポルトス准将が尋ねる。


「無防備な敵です。砲撃と射撃で一網打尽にしてやりましょうか」


 遠距離攻撃は、皇帝ヴィクトルより砲兵隊や多くの銃兵を任されているディーター軍団の仕事だ。

 ポルトスの提案は至極まっとうなものだったのだが。


「待ちなさい! これは、軍師ハルトの罠かもしれない! いや罠に違いありません!」


 現に中央陣を守るガードナー軍団も、左翼のドルガン軍団もまだ動いてはいない。

 それは軍師ハルトの罠を警戒してのことと、ディーターには思えた。


「しかし将軍、絶好の機会ですよ」

「だからこそです。相手はあの軍師ハルトですよ。どのような機略縦横があるのかわかったものではありません!」


「ですかね。小官などには、ただ無策に突っ込んできているようにしか見えませんが」

「かの天才軍師ハルトに限ってそのようなことがありえましょうか! 現にお互いに射程距離に入っているにもかかわらず、まだ敵の砲撃も射撃もないではないですか」


「そう言われてみれば、小官も不可解ではありますが……」

「あれは明らかに囮でしょう。不用意に攻撃を仕掛けて、どのような新兵器が飛び出してくるかもわかりませんよ」


 ハルトが聞いていたら、苦笑を通り越して噴き出してしまうようなことを言っているディーター。

 ミンチ将軍は副官のポルトスが言うように、ただ無策に突っ込んでいるに過ぎないのだ。


 しかしハルトがこれまで未知の新兵器で帝国軍を苦しめ続けてきたことは事実であり、その声望は『幻の魔術師』の異名で広く知られている。

 ディーターの懸念も決して非合理的ではなかった。


 考えすぎと思うけどなあと、素朴で単純な性格のポルトスは頭をかいて静観せよという上司の命令に従う。

 まあ、たかだか八千。


 銃撃や砲撃がなくとも、このまま包囲殲滅すれば押し潰せる。

 しかも、こちらに向かってこないのだから相手にする必要もないかとポルトスも納得する。


 こうしてすで大砲や銃火器の時代に入りながら、時代遅れの八千の軍勢が何の攻撃も受けず帝国軍の前までくるという奇妙な状況に陥った。

 一方、これを喜んだのは『大熊』の猛将ドルガンであった。


「グァハハハッ、軍師ハルトも騎士の心を知っているようだな。やはり騎士同士のぶつかりあいこそが戦場の華というもの! ドルガン軍団、突貫するぞ!」


 ドルガン軍団は、帝国の華である二万の鉄騎兵部隊を主力とする。

 大きな軍馬にまたがり、大斧を担いで勢い込むドルガン将軍自身も突撃を得意とする騎士であった。


 包囲戦術を無視して、ミンチ将軍の八千の部隊に向かって突入を敢行する。


「将軍、一斉射撃を行っては?」


 部下の質問に、ドルガンは興ざめといった様子で命じる。


「鉄砲など無粋だ。そうだな、射撃は相手の雑兵にのみ行ってよい。騎士は騎士同士、正面から叩きあって決着をつけるぞ!」


 ドルガン将軍のわかりやすい命令に鉄騎兵団は、意気軒昂に王国の騎士団に襲いかかった。


「ぬおおお!」


 鈍重な鉄騎兵団はすでに時代遅れになりつつあるが、ほんの少し前までは帝国最強と言われた兵科である。

 ミンチ将軍指揮下の五千程度の騎士団に次々と殺到し、ぶつかり合ってその数を減らしていく。


 帝国の鉄騎兵団の正面に立つのは、もちろん大斧を振り回すドルガン将軍だ。

 巨躯であるドルガン将軍は乗っている軍馬まで大きい。


 王国南方軍の騎士たちは、敵の将軍を討ち取ろうと殺到するがドルガン将軍の圧倒的なパワーを前に、次々に切り飛ばされていく。

 そんなドルガン将軍のもとにビュッ! と音を立てて矢が飛んだ。


「ほう、強弓こわゆみだな。名のある騎士と見える」


 矢を放ったのは、ミンチ将軍であった。

 ミンチ将軍はそれなりに弓の名手であったのが、放った矢はドルガン将軍に手で掴まれてへし折られて鼻白む。


「ワシは王国南方軍の将軍、ミンチ伯爵だぞ!」

「おお、大将首だな。帝国軍将軍、ドルガンだ。いざ尋常に勝負!」


 大斧を担いだドルガン将軍が突貫してくる。

 慌てて弓を放ったが、矢は大斧の刃に弾かれる。


 こうなれば、ミンチ将軍も弓など使ってられない。

 慌てて腰の宝剣を引き抜いて戦おうとしたのだが。


「うおおおお、なんだとぉ!」


 ザンッと、ミンチ将軍の馬が大斧に打ち切られてしまった。

 もうほんの少し刃が後ろに来ていたら、そのままミンチ将軍も真っ二つになり死んでいたところだ。


「グァハハハ、弓の腕はなかなかだったが剣はなっておらん。まあいい、素っ首もらうぞ!」


 馬から放り出されたミンチ将軍は、剣などどこかに放り出してしまって這々ほうほうの体で逃げ惑う。

 しかし、ドルガン将軍の大斧からは逃げることなどできず、命運は尽きようとしていた。


「ひぃいぃぃいい!」


 情けない悲鳴を上げるミンチ将軍は、するっと味方の騎士の馬の下に滑り込んだ。


「えっ、ぐぎゃ!」

「おっと、間違えた」


 ミンチ将軍の代わりに、ドルガン将軍の大斧に巻き込まれた騎士が胴体から切り飛ばされた。

 即死である。


「こ、こんな化け物相手にしてたまるか!」


 なんと、ミンチ将軍は倒された味方の騎士の馬を奪ってそのまま後ろへ逃走していく。

 来るときよりも更に速いスピードで、ドルガン将軍ですら追えぬほどであった。


「ふん、貴族のくせに騎士の風上にも置けぬ腰抜けめが!」


 さっきのやつは逃げ足だけは速かったなとあざ笑うと、ドルガン将軍はまた王国南方軍の騎士を掃討する作業に移る。

 程なくして、ミンチ将軍の指揮する八千の軍勢は敗走し始めた。


 指揮官であるミンチ将軍は撤退命令など出していないのだが、ほぼ半数の騎士が討ち取られ、王国南方軍の雑兵も銃撃によって倒されてしまったので自然と総崩れとなったのである。

 これでもミンチ将軍の王国南方軍がたった八千の時代遅れの軍であったことを思えば、むしろ持ちこたえたほうだと言える。


「ドルガン将軍、敵が逃げていきますが?」

「もちろん追撃だ。全軍突撃、景気づけに徹底的に叩くぞ!」


 ドルガン将軍の命令に、ドルガン軍団の兵士たちは喜び勇んで脆弱な敵を討ち取り始めた。

 こうなったらもう手柄の立て放題、一方的な虐殺だ。


     ※※※


 一方で、臍を噛んでいたのはディーター将軍であった。


「ドルガンのバカめ! これでは弾が撃てないではないですか!」


 不気味な八千の軍勢を率先して潰しに行ってくれたところまではよかった。

 だが、そのまま追撃を仕掛けたために包囲陣が崩れてしまっている。


 砲撃を担当する副官のポルトスも困り顔である。


「銃撃は無理、これでは砲撃もしにくいですね。なんとか撃ってみますが」


 ドルガン軍団が敵との間に入ってしまったため、放物線で撃てる大砲はともかく銃器の射線が遮られてしまった。

 帝国軍が大砲を導入したのは最近であり、ポルトスたちも弾道計算に慣れておらず大砲で後方支援するにしても酷く神経を使う。


「まったく! これだから、近代戦を理解しないバカは困るのですよ。これでは、王国貴族を笑えませんね」


 憤懣ふんまんやるかたないディーター将軍の前で、さらに笑えぬ事態が起こった。

 一直線に王国軍の本陣に向かって追撃するドルガン軍団が、ミンデン村とハーレン村の間を通ろうとした瞬間。


 村に潜んでいた砲撃隊からの一斉砲撃を受けたのだった。

 四万の軍勢が凄まじい轟音と爆炎に飲み込まれるその様は、遠方からはまるで巨大な火の海に飲み込まれたようにすら見えた。


「ディーター将軍!」

「こ、これは……そうか! そういうことですか。すべてわかりました、このための囮だったんですね」


「次々と爆発が起こっているように見えますが、ああ、持ちこたえられず前線が崩壊していく」


 こうなっては、もはや猛将ドルガンといえどどうしようもない

 この距離からも、爆炎のなかで丸焦げになったドルガンの「ぬぉぉおおお! おのれぇぇええ!」という断末魔の悲鳴が聞こえてきそうだ。


 次々に飛来する炸裂弾。

 猛烈な爆発は、その場にあった土と人間だったものを吹き飛ばしていった。


 もはや隊列など組んでいられるわけがない。

 あまりの光景に慌てふためく副官ポルトスに、謀将ディーターは冷徹に説明する。


「ポルトス、よく目を凝らして見なさい。これは敵の大砲による攻撃です。ミンデン村とハーレン村の二箇所から、まるでクロスするように射線が集中しています。こんな攻撃方法があったとは!」


 十字砲火クロスファイアである。

 極めて防御能力の高い射撃技法であり、前面ではなく側面から火線が集中するため回避は難しい。


 この世界では初めて行われた新戦術を一瞬で見抜いた謀将ディーターも、また慧眼けいがんだったとは言えよう。


「なるほど。敵の発射速度は、恐ろしく速いですな。見る間にドルガン軍団が崩壊していく……いやいや、これは落ち着いている場合ではありませんぞ!」

「これで敵の砲兵の位置が割れました。この時を待っていたんですよ。ミンデン村とハーレン村に潜んでいる敵砲兵に向かって一斉砲撃なさい!」


 兵数で圧倒的に勝る帝国軍であったが、唯一大砲の数と質だけが大きく劣っていた。

 そのためディーターは、兵への攻撃を無視してでも大砲を先に潰すことを考えたのである。


 その判断自体は、決して間違ったものではなかった。

 だが――


「ディーター将軍。敗走するドルガン軍団を突き破るように、新手の敵が出てきてます。何だあれは! ドラゴン!?」


 あまりの光景に、副官のポルトスは驚きを露わにして叫んだ。

 敗走するドルガン軍団を追い散らしていくのは、まるで巨大な竜のような数珠つなぎになって一列に続く装甲馬車ワゴンブルグの群れだったからだ。


「これが軍師ハルトの奇策ですか。面妖な真似を……」


 連結されている多数の装甲馬車ワゴンブルグの先頭には、まるでドラゴンの頭のような砲塔がついた巨大な馬車がある。

 それはまさに伝説のドラゴンのように恐ろしく巨大な化け物に見えた。


「ディーター将軍! このままではドルガン軍団が抜けた穴から包囲網を突破されます。あのドラゴンのような巨大馬車に大砲を浴びせた方が良いのではありませんか!」


 副官ポルトスの提案に一瞬迷ったディーターであったが、やはり敵砲兵の撃破を優先する。


「……いや。ドルガン軍団が抜けても、まだガードナー軍団とヴェルナー軍団があります。二つの村にそのまま砲撃を続けなさい。敵の新手には、銃兵の一部を攻撃に向かわせなさい」

「ハッ、直ちに!」


 副官のポルトスは命令どおりに、各部隊に指示を出す。

 しかし、炸裂弾ではない帝国軍の大砲の弾では村の建物を防御にしているハルト大隊の砲兵隊には打撃を与えることができない。


 銃兵のマスケット銃の攻撃でも、装甲馬車ワゴンブルグの分厚い木の板を撃ち抜くことができずにどちらも中途半端な攻撃となってしまった。

 緊迫する戦場を物ともせず、うねうねと蛇行する装甲馬車ワゴンブルグの群れは、敗走するドルガン軍団を突き破り帝国軍の左翼の穴から本陣に向かって走り続ける。


 だがまだ、帝国の防衛網は一枚破られただけにすぎない。

 突き進むハルト軍団の装甲馬車ワゴンブルグの先には、帝国軍の精鋭たるヴェルナー軍団四万が待ち受けていた。

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